幸せなら手を繋ごう
酷暑、ジェラート、一周年記念サービス、熱中症、スポーツドリンク。
夏バテ
「ねえ斉木さん、ほらこれ! 今日から一週間ですって」 昼時食堂で一緒になった斉木さんに、オレは一枚のチラシを差し出した。 それは朝に駅前で配られていたもので、斉木さんの事だからもう知ってると思うけれど、オレは見せずにいられなかった。 去年駅向こうにオープンしたジェラート店が一周年を記念して、チラシ持参の来店者にもう一つサービスするといった内容のものだ。 『知ってる。僕ももらった』 「あ、やっぱり! じゃあ一緒に行けますね」 オレは放課後のデートに舞い上がり、元通りチラシをたたんで尻ポケットにしまった。 去年は、開店記念で一つ無料サービスという事で、開催中の一週間暑い中毎日斉木さんと通ったっけ。 その後も、期間限定が出れば必ず行った。どれももれなく美味しかった。 ただ、ちょっとお高めなので、そう頻繁に行けないのがつらいところ。 斉木さんの好きなジェラートって何だったかと去年の記憶を掘り起こし、いざ確認しようとした時、テレパシーが飛んできた。 『お前、昼はそれだけか』 「え、そうっス」 オレは自分のトレイに乗った二つセットのお稲荷さんに目をやり、このところの猛暑であんまり食欲なくて、と大げさに肩を落としてみせた。 猛暑を通り越して酷暑、暑さじゃなくて熱さというくらい、つらい日々が続いている。 日が沈んでも気温はさして変わらず、夜になってもジメジメとうっとうしくてぐっすり眠れない。 眠れないならいっそ起きてエロ本三昧といきたいところだが、その元気すら湧いてこない始末。 性欲もなけりゃ、食欲も減退。 「でも食べないともたないっスから、頑張って食べるっスよ」 何とか一つ目にかぶりつく。ちょっと濃いめの味付けが気に入っている食堂のお稲荷さんだが、今日はどうも美味いと感じない。 頼んで残すなんてもってのほかだから、これなら食べ切れるだろうと注文したのだが、これですらちょっときついかもしれない。 「斉木さんはしっかり食欲もあって、変わりなしっスね。いいなあ、超能力者」 そんなぼやきを、斉木さんはいつものようにつまらなそうな顔で聞き流し、A定食を黙々と胃に収めていく。 まあしょうがない、夏は厳しい暑さで苦しめてくるけど、夏は、薄着の可愛い女の子にお目にかかれる最高の季節でもある。 一年で最も、女の子の肌をたくさん見られる時期。 それを励みに頑張って乗り切ろうではないか。 まだ見ぬぴちぴちの肌に思いを馳せながら、オレはどうにか一個目を食べ切る。 続いて二個目にかぶりつき、ぼんやりしながら噛みしめていて頭に浮かぶのは、向かいに座る斉木さんの腕が綺麗だなあ、だった。 誰のどんな露出より、斉木さんに目がいく。 オレはそれほどに重症。 露出ったってそれほど出ちゃいない。襟元だっていつもきちっとボタンしてネクタイ締めて、おかたいったらありゃしない。でもだからこそいい、そこがいいのだ。 隙間からちらっと覗く肌がたまらない、その奥に隠されたものを想像するのは何より興奮する。 何が隠れているか知ってるだけに、喉が鳴ってしようがない。 オレは食べるのも忘れて、斉木さんの喉元を凝視していた。 『いい加減にしろよ』 「はっ!……すんません」 地を這う低い声にオレは我に返り、頭を垂れた。 『下らない事考えてる暇があったら、さっさと食べろ』 「ひでえ斉木さん、くだらなくないっスよ」 オレの何よりの糧なのに。抗議するが、斉木さんの白けた眼差しに口を噤む。渋々と残りのお稲荷さんを頬張る。 どうにか食べ切ったところで、オレははっと思い出した。 「いけね、それで斉木さん、さっきのチラシの。オレお供しますんで、昇降口で待ち合わせしましょう」 そう本題を忘れていた。オレはあらためて切り出し、約束を取り付ける。 しかし返ってきた答えにオレは愕然とする。 『行かない』 「え、な……!」 たとえどんな用事があろうとスイーツを最優先する斉木さんが、こんなあっさり行かないと言い切るなんて信じられない。 目をむかずにいられない。 なんだなんだ、何が起きたんだ。 まさか斉木さんも夏バテか? あの斉木さんが夏バテ? いやいや、それはさすがにありえないから違うな。 じゃあなんだ? オレが何かやらかして、一緒に行動するのも嫌だってくらい、嫌気がさした? そんなと、目の前が真っ暗になる。 『それはない』 「え、あ……」 暗くなりかけた視界がまた明るくなる。落差に少し頭がくらくらした。 まあとにかく、オレが何かやらかしたって訳ではないのか、ならひと安心…いやいや何も安心じゃない、では一体全体、何がどうなってあの斉木さんがスイーツの誘いを断るっていうんだ。 あまりの事に絶句するオレをちらりと眺めた後、斉木さんは食べ終わった食器を持って立ち上がった。 そのまま食堂から出ていくのを、オレは椅子に座って見送った。 |
何かの間違いかと放課後斉木さんのクラスに向かうが、カバンはなくすでに帰った後だった。 慌てて後を追うと、待っていたのか、昇降口で出くわした。 『来たか。帰るぞ』 さっさとしろと正門を指す斉木さんの後を追い、オレは駆け足になった。 玄関を出るとたちまちむっとした熱気に包まれ、どっと汗が噴き出した。 「ねえ、ちょっと斉木さん、ほんとにオレ何もしてないっスか?」 『してないぞ。まあお前にムカつく事なんて、毎日山のようにあるがな』 「じゃあ、そのどれかで斉木さん怒らせちゃったんスか?」 『それはないと、さっきも言っただろ』 じゃあなんで、一緒に行こうって誘いを断ったのだろう。 あんなに大好きなスイーツの誘いを断るなんて、よっぼどオレに腹を立てているからに他ならない。 他に理由が思い当たらない。 一体自分は何をして、あんなに斉木さんを怒らせてしまったのだろう。 考えると頭がぐらぐらする、気持ち悪いくらい目が回る。 (あんまりメシ食べてないからかな) 暑いなと、オレはその場に立ち止まった。少し先を行く斉木さんがオレを振り返り、早く来いと言うような目線を送ってきた。 斉木さん…ちょっとだけ待って下さい。 今ちゃんと思い出して、ちゃんと謝りますから、だからどうか置いてかないで。 斉木さんに嫌われたらオレ、生きていけない。 オレは近くの塀に寄りかかり、そのまま伝うようにしゃがみ込んだ。 (なんか気持ち悪いな……身体中汗だらけできもちわりぃ……あつい、涼しいとこいきたい……横になりたい) もわっとした湿っぽい空気の中、オレはぼうっとする頭でそんな事を考えていた。 不意に、周囲が暗くなったように感じられ、おやっと首をひねる。 夏の夕方ってこんな暗くなるの早かったっけ。 『っち……やれやれ』 斉木さんのため息が聞こえた気がした。 思い出せなくてごめんなさい。 |
気が付くと、オレは自分の部屋のベッドに横になっていた。 「え……?」 寒い程冷房効かせた部屋で、大の字になって寝たいって願ったのが、叶ったのか? さっきまで血が煮えたように身体が熱く、気持ち悪くてたまらなかったのが、嘘のように消えていた。 着ているのも、汗でぐっしょ濡れて気持ち悪かった制服ではなく、いつもの部屋着だ。 いつ着替えた? なんで気持ち悪かったんだ? そういやオレ、何してたんだっけ――? 頭がぼんやりして上手く働かない。 なんで自分の部屋で寝ているのか思い出せない。 今は何時だ、何日だ、そもそも何してたっけ。 起き上がって確かめようとした時、頭に声が響いた。 『そのまま横になってろ』 テレパシーにはっと目を見開く。 反射的に首を動かすと、肩の辺りでちゃぷちゃぷころころと鳴る音がした。 「……何スか?」 オレはそっちの方へ目をやった。 『氷嚢だ』 「え、なんで?」 何故自分は部屋で横になって、斉木さんに見守られて、首の両脇にタオルでくるんだ氷嚢当てられてるんだっけ? 『身体を冷やす為だ。お前、熱中症でぶっ倒れたんだよ。ああ、もう少しで思い出すな』 「え……あ!」 斉木さんの言う通り、今の今まで霞がかかったように不鮮明だった記憶がぱっと色鮮やかになり、意識がはっきりした。 「オレ、あそこで倒れちゃったんスか……」 『そうだ。復元しても変わりないくらい疲れてるぞお前』 復元、ものの時間を一日前に戻す能力で、それすらも効果がない程オレは弱っていたと、斉木さんは呆れ顔で言った。 思い当たる節はいくらでもあった。ここ何日も満足に夜眠れてないし、食欲もろくにないからいつもちょっとで済ませているし、暑さで身体を休めるどこではないし。 「ああ……すんません」 目の前が暗くなるようで、オレはかすれた声を絞り出した。汗まみれの服の着替えまでさせたなんて、もう、顔から火を抜きそうだ。 『別にいい。それより気分はどうだ。吐き気は…ないな、よし。見た限り内臓に異常はなし、筋肉もおおむね正常、血液の流れも順調のようだが』 斉木さんはオレの身体をざっと眺めて、そんな事を言った。 オレは思わず恥じらう乙女のポーズを取った。 「……斉木さんのエッチ」 見えてしまう人に言うのはなんだが、ついそんな事を口走る。 こちらの身体を心配してくれてるのは充分理解しているのに、それでもぱっと頭に浮かんでポロっと口から出てしまった。 オレは即座にごめんなさいと謝った。謝って、どうか顔面だけは許して下さいと先んじて祈る。 しかし今日はその攻撃に見舞われる事はなかった。 恐る恐る斉木さんを見やる。 その顔には相当の怒りが浮かんでいて、それだけ怒っているならいつものように目にも止まらぬ速さで顔面をはぎにくるのに、どういう訳か斉木さんは立ったままただオレを睨むだけだった。 「あの……斉木さん?」 明らかに憤怒の顔だが、その一方で泣きそうになっているようにも見えて、オレは変な風に胸が痛くなるのを感じた。 『もう氷嚢はいらないな。しばらく横になって休んでいれば回復するだろ』 首の両脇の二個、足の付け根の二個の計四個の氷嚢を超能力で回収し、斉木さんはやれやれと肩を竦めた。 その顔からはもう、怒りは消え去っていた。 面倒な看病をやらされて、うんざりして怒ったのだろう。 オレは申し訳ないやら恥ずかしいやら、穴があったら入りたいと縮こまった。 オレの誘いを断るくらいオレが嫌になったのに、いざ目の前で倒れられると放っておけない斉木さん。 どんだけオレは情けないのだと、たまらなく泣きたくなった。 『だからお前が嫌になったわけじゃないと、何度言えばわかる』 「でも……」 口から出た声は、恥ずかしいくらい涙で震えていた。オレははっとなって口を噤んだ。 でもじゃあなんで断ったんスか。 断ったのに、なんでオレの看病なんかしてんスか。 『するに決まってるだろ、大事なんだから』 斉木さんは怒りもあらわにオレを睨み付けた。 本当に? 本当にオレのこと大事っスか? 大好きなスイーツ蹴るくらい、オレのこと。 「……じゃあなんでそんな、苛々してるんスか?」 『お前を心配して苛々してんだ、何か悪いか?』 ……開き直られた 『お前なんかを心配して、自分に苛々するよ』 そんな苛々ってあります? 申し訳なさと嬉しさとが入り交じり、オレは複雑な気持ちになる。目の端に涙が滲むくらい心が震えた。 零れたらさすがに恥ずかしいから、瞬きで何とかごまかしていると、一本のスポーツドリンクが差し出された。 『もういいうるさい、これでも飲んでろ』 ひどいスよ斉木さん、人が一生懸命我慢してるってのに。 大体、いつもの傍若無人キャラはどこいったんスか。 人を人とも思わないあんたはどこいっちまったんだ。 『うるさい早く飲め』 「いたっ」 ボトルの底で額を軽く小突かれる。 オレは開き直って起き上がり、宙に浮くボトルを掴んでごくごく喉に流し込んだ。飲んで初めて、どれだけ喉が渇いていたか思い出す。オレは口を離すことなくそのまま一気に飲み干した。 両目からなんかぼろぼろ溢れてきていたが、気にせず最後まであおり、豪快にため息をついた。 「ごちそうさまっス」 斉木さんが開き直るなら、オレだって開き直ってやる。 泣いてますけど何か文句ありますか、てな勢いで斉木さんに向き合い、空のボトルを突き出す。 斉木さんはそれを手を使わずに受け取り、オレは顔を乱暴に拭って横になり、部屋はしばらく静かだった。 少し経って、オレは口を開いた。 「これも、ママさんの真似とかですか」 『いいや、自分で調べた』 |
「……え?」 思いがけない返答にびっくりして斉木さんを見る。 『お前も能力者の端くれだが、身体は常人のそれと変わりないからな。そんなお前と付き合うのだから、少しは調べておくべきだろ』 「あの……わざわざ、すんません。面倒な事」 『ああ、めんどくさいな。だが人と付き合うってのは、面倒なものだろ』 「斉木さん……」 (また泣きそうっス……身体が元気だったら、思いきり抱き締められるのに) 『じゃあこれで我慢しろ』 斉木さんはベッドに腰かけると、なんと手を繋いでくれた。 オレはますますびっくりする。 今日は一体なんなんだ、これはもしやオレの夢ではないだろうか。 本当のオレは日向の道端でぶっ倒れてて、誰に振り向かれる事もなく放っておかれ、死に瀕してる…そんな間際の夢でもなけりゃ、斉木さんがこんな優しい筈がない! でも、繋がれた手の体温はとても偽物とは思えない。 もしや、オレの願望が行き過ぎてついに斉木さんをコントロールするまでになったとか? じゃあ今斉木さんは正気じゃない? 『僕が正気かどうか、確かめる方法が一つあるぞ』 斉木さんは言うと、影絵のキツネの成りそこないみたいな構えをオレの目の前に持ってきた。 近過ぎでぼやける手に何とか焦点を合わせると、恐ろしい程力を溜めている中指が目に入った、 その向こうには、この世の悪をすべて集めて煮詰めたような、いい笑顔の斉木さん。 たちまちオレは青ざめた。 「っ……すみません、いつもの斉木さんです、間違いないです」 ひいっと息を吸い込み、相手を刺激しないよう静かな声で謝る。 引っ込められる手を見送り、オレは安堵の息を吐いた。 とても信じ難いけど、本物なんだ。 オレは別に死にかけてないし…さっきは危なかったけど…夢も見てない、これはまぎれもない現実なんだ。 本当に、斉木さんと手を繋いでいるんだ。 遅れてやってきた感動にオレは声を張り上げた。 「斉木さん! オレもう、元気百倍っす!」 『そりゃよかった。記念のサービスは一週間やってるからな。最終日までには治せよ』 「……はい、頑張るっス」 うん、そうっスね。 いいように利用されたってめげませんから。明日こそ行きましょうね。 オレは繋いだ手をぎゅっと握って笑った。温かい手に、胸がずきんと痛くなる。 過った痛みの正体がはっきりする前に、斉木さんの声が頭に響く。 『それから』 「何スか?」 『帰る時は起こしてでも声をかけてやるから、眠いなら寝ろ』 「さっ……」 何でも見通す超能力者に、オレは息が詰まった。 気分がよくなった途端どっと眠気が襲ってきた事、でも今寝たらきっとその間に斉木さんは帰ってしまう、それは寂しくて嫌だと思った事…そんなもろもろの想いなど、全部筒抜けだ。 斉木さんは全部読み取ってしまう。 強がって本心を隠すようなキャラではないが、茶化しながら自分から伝えるのと、その前に言われてしまうのとでは大きな違いがある。 寂しいだの恋しいだのをずばり指摘されるのは、さすがのオレも恥ずかしい。 けれど、斉木さんにはそんなの些細な抵抗だ。 ああまったく、もやもやする。 それが恥ずかしいのか腹立たしいのか嬉しいのか何なのか、自分の感情なのによくわからない。色んな感情が自分を囲んで輪になって、踊りながらぐるぐる回っているようだ。 「あの……もう! 斉木さんと付き合うの、難しい」 『僕も難しいんだ、おあいこだろ』 (何がおあいこだよ) (斉木さんはなんも難しい事なんかないじゃないスか。こっちのは全部聞こえるしわかるしお見通しだし、それで何が難しいもんですか) (こっちは斉木さんの聞こえないしわからないし手探りだし、こっちのだけ筒抜けで何が難しいんだこのやろう) 『だから難しいんだよ』 「……わかんないっスよ斉木さん」 『お前が自分をわからないように、僕も自分がわからなくて、だから難しいんだ』 じっとこちらを見る斉木さんの表情は、困ったような怒ったような、複雑な色に染まって見えた。 斉木さんが何を云おうとしているのか、おぼろげながら掴めた気がする。 斉木さんも、オレと同じようにちょっとした事に悩んだり一喜一憂したりしてるのか。 なんでもわかるしお見通しなのに、それでもわからない自分の事って、それはつまり……。 もっときちんと考えたかったが、ついさっきまで朦朧としていた頭は通常の回転を拒否してオレを困らせた。 妙に眠くて、頭が働かない。 『もういいから目を瞑って、身体を休めろ』 「……はいっス」 目の奥が痛くて何かにじみ出そうだから、オレは言われた通り目を瞑る。 部屋は涼しくて快適で心地良い。繋いだ手が熱くて気持ちいい。 次に目を覚ました時、まだこの手は繋がれてるんだな。 ならいいや。オレはホッとして目を瞑った |