無駄遣い

泣きたくなるほど

 

 

 

 

 

 九月も下旬に差し掛かるというのに、昼はもちろん日没後も変わりなく暑い。じとっと蒸し暑い。
 そんなある日の、斉木さんちにお泊り中の夜遅く、斉木さんが唐突にコンビニ行きたいと言い出した。

「えー、や、いいですけど」
 まだ全然今日の時間帯ですし。けど珍しい事もあるもんだな。
 びっくりの余韻の半笑いでいると、苛々した顔付きをされた。
「え、あ、すんません」
 笑っちゃってごめんなさいと慌てて謝る。
『別に、お前に怒ってるんじゃないんだが……』
 斉木さんは小さく首を振った。
 じゃあどうしたのかと問うと、少しの間を置いて説明し始めた。
 なんでも、お目当ての新作スイーツがあって、しかし時間が悪いらしくここ数回空振り続きだそうで、それで苛々が溜まってるのだそうな。
「あれま。そりゃ確かにイライラしちゃいますね」
『……ああ』
 そして三度の空振りのあと、これじゃいつまで経っても出会えない、闇雲に突撃しても時間の無駄、仕入れの時間をしっかり調べるべきだと思い至り、そうしたところ駅前のコンビニの補充サイクルがわかった、それがこれからの時間…遅くがねらい目とわかったので、だから行きたいと言い出したのだ。

「そっスか、じゃ行きましょ、急いで行きましょ」
 オレは財布とスマホを手にさっと立ち上がった。
 斉木さんと夜のデートに洒落込む…うは、ちょっと何これテンション上がるな。
 そんなオレを挫く斉木さんのひと言。
『お前はもう寝ててもいいぞ』
「なっ。なーに言ってんスか、斉木さんみたいなカワイ子ちゃん、こんな遅い時間に一人で歩かせるとかないっスわ!」
『大声出すな馬鹿』
「……あ、ああ、さーせん……」
 パパさんママさんはもう寝てるんでしたね。オレは慌てて口を押えた。オレの周りだけ蒸し暑さが倍増した感じで、どっと汗が噴き出した。

 

 

 

 大半の人が寝静まった時間帯、斉木さんとお月見デート、なんて内心浮かれて歩き出したオレだが、五分どころか五秒もしないで打ち砕かれる事になる。というのも、斉木さんの歩みが尋常でなく速いからだ。って何あの人、あれが徒歩とか嘘だろ、バイクより速い早歩きとかないわ。
 夜のあの独特の空気を感じるとか空を見る余裕とか全くないまま、オレは必死で追いかけ続けた。
 情緒も何もありゃしねえ!
 行き先はわかってるから見失ったら最後とかはないんだけど、視界から斉木さんが消えてしまうのは嫌だったので、オレは意地でもついていった。
 そのせいで、コンビニについた途端どっと汗が噴き出した。まただよ、あー参った。
 斉木さんは脇目もふらずスイーツコーナーへ。オレも後に続く。
 綿密に調べた甲斐がある、品出し直後のスイーツぎっしりの棚を前にして、斉木さんの顔が真昼の太陽のように光り輝いた。
 あーカワイイ、ほら、こんな可愛くて無防備なカワイ子ちゃん、一人になんて絶対出来ないわ。
「よかったっスね。ちなみにお目当ての新作ってどれスか?」
 尋ねると、斉木さんは秘密の宝物を見せるみたいな顔で容器を一つ持ち上げた。
 ぐぅ……可愛いよ!
 これは悶え死ぬ。
「美味しそうっスね」
 うんうん、よかったよかった。じゃあ帰りますか。
 と思ったら、いつものコーヒーゼリーや他のスイーツをさっさっカゴに入れていく。
 こ…こらこら、いくら選り取り見取りの取り放題だからって、アンタの財布は無限じゃないでしょ、ちょっとは我慢しなさい。
『ちゃんと計算している』
「ほんと? お小遣いもらったばっか?」
 ならオレが口出しするとこじゃないけど。
 と思ったら、計算の予算はオレの財布も込みでのものだった!
 斉木さんは『いいや』と首を振り、オレを指差してきた。
「!…」

 ダメー、無駄遣いめっスよ!
 ちょっとおっかない顔で引き止める。
「……え?」
 絶望のどん底って顔の演技が本当にあの、真に迫っててね、オレは思わずうっと息を詰まらせた。
 わ、わざわざ声まで出してオレの哀れを誘うとか、斉木さんアンタって人は――!
 ああもういい、流されてもいいやって思える威力がある。
 完敗だよ斉木さん。
 うん、無駄遣いじゃなかった。必要経費だね。っスわ。
 いいよと、上限ギリギリまで買いなさいと目配せすると、またしても真昼の太陽が現れオレの心をパア―っと照らした。
 あー…癒される。
 すると斉木さん、いい顔の端で『コイツチョロい』て笑ってやんの。
 いいんだ、どうせオレはチョロ束っスから。

 帰りの夜道、誰もいないのを良い事に手を繋いで歩いた。
 ダメもとで頼んだら、意外にも斉木さんはすんなり応えてくれたのだ。これはきっと、スイーツでいい気分だからだな。何にせよラッキー、オレもホクホク。
 いや、財布の中身は寒い事になったけど、心があったかいからへっちゃらだわ。あーあ、見事に斉木さんの術中にはまってんな。
 静かな小路を一歩ずつ二人でたどっていく。
「そういや斉木さん、考えてみたらこれ、この夜中のデートってお初ですよね」
『なんだ、昼の街を歩きたいなら、今すぐ行けるが?』
「え、は?……どこ?」
『どこでもだ。夜明けでも昼間でも夕暮れでも好きなの鰓べ』
「いやいや、あー…? 超能力者って、ほんと規模が違うわ」
『……ふん。わかったら、カワイ子ちゃんとか舐めるのやめろ』
「えー、怒らせたらすんません、そういうつもりはなかったっス」
 オレは慌てて頭を下げる。怒らせる意図も、侮る意図もこれっぽっちもないんです。
 ただ心配だっただけで。
『僕を誰だと思ってる』
「!…」
 得意げな顔でも、慢心でもなく、なんというか…どことなく寂しげに見えるのはオレの考え過ぎか。
 ひゃくっと、変な風に喉が鳴った。

「……ええ、アンタが最強無敵の存在だって知ってますけど、それでも心配は尽きないっスよ」
 夜寝る前の布団の中とか、馬鹿みたいに馬鹿な事、考えたりしちゃうんです。
 誰かに取られるんじゃないか。
 他の誰かに目移りするんじゃないか。
 オレに飽きるとか。
 振られるかもとか。

『ふうん。随分と時間の無駄を重ねてるんだな』
 四六時中女体の事で頭一杯だと思ってた。
 オレは、参ったとちょっと顔をしかめたあと、少し目を落とした。
「うん、ええ、ほんとにね……だからオレ、夜とかあんま好きじゃなかったんですけど」
 今日みたいないい夜過ごすと、ちょっと考え変わる。
『そうだな。馬鹿な事考えてないで、夜はさっさと寝ろ。ていうかお前、僕と一緒の時はそんなの一度たりとも考えた事ないじゃないか』
「そーっスね、そういえば。いやだって、斉木さん一色で考える間もないっスわ」
『いつか、一人寝の夜も安心できるようになるといいな』
「っスね」
 オレは、繋いだ手にほんの少し力を込めた。
 応えるように斉木さんの手にもわずかばかり力が入る。

 布団の中でグルグル責め立てられるの、結構しんどい。他でもない自分が責めてるんだけどさ。
 こんなオレでいいのかとか。
 斉木さん傷付けてるんじゃないかとか。
 でも離れたくないし誰にも渡したくない。
 どうしたらいいんスかねえ。
 見上げた先には細い細い月がぷかりと浮かんでいた。

「あ……、よく見える。綺麗っスねえ」
 すごい三日月、爪の先みたい
 残しておきたくなり、オレは尻ポケットを探った。スマホを取り出し一枚。
 撮っとこ、斉木さんと深夜デートで見た月。それだけで特別だ。

 繋いだ手がぎゅっと握られる。
「あ、すんません、早く帰って新作スイーツ食べましょうね」
 スマホをしまって、オレは笑いかけた。
『別に、アイスはないからそんなに急がなくていい』
「えだって、ずっと探してた物じゃないっスか」
『いいだろ、別に。ちょっとくらい無駄に遠回りしても』
「――!」
 斉木さんの顔が近付き、視界いっぱいになって、オレは目を閉じた。
 自分と違う体温が重なった唇が涙を誘う。

 あー。泣きたくなるほどいい夜だ。

 

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