夕焼け小焼けで
秋:夕焼け小焼けで
今、ちょっと、悩み事がある。 あー全然そんな大したことじゃない、人生に関わる重大な悩みなんてもんじゃなく、地味で些細なことなんだけど、地味ながらストレスになっていて悩んでいる。 時計の事なんだ。 オレの部屋、うんそう、下宿先の寺のオレの部屋のことね、あそこの模様替えをさ、モテ優先でインテリアを選んだんだ。 部屋の出来栄えは上々も上々、とても満足のいく仕上がりになった。 カーテンの色とラグマットは合わせるのがいいとか、観葉植物はこれがおススメとか、間接照明はこういう形が取り入れやすいとか、とにかく片っ端から参考にした。 ベッドの組み立てに結構手こずって一回投げ出しかけたけど、諦めなくて良かったぁ〜。 今までの畳に布団生活からがらりと変わって、正直自分の部屋感薄くて「落ち着けるかな……」って心配だったけど、自分が気に入ったならそこがくつろぎ空間になるのね、全然問題なかったわ。 が、一つだけ難点を挙げるとすれば、時計だ。 お洒落にカッコよく見栄えよくと突っ走り過ぎたせいで、今何時か、何時何分なのか、非常にわかりにくいのだ。 失敗した。 大失敗だ。 テーブルやチェア、照明、カーテン…どれもこれも選んだ甲斐があって非常に気に入っているが、時計だけは駄目だった。 とても悔しいのだが、教室にある時計がやっぱり一番見やすくて安心する。 あの円形の、白地に黒文字、赤い秒針の、クッソダサいあの時計が妬ましい。 だが、ここまで整えた部屋にあの時計はさすがにない。 やはり似合わない。 が、もしまた時計を買うとしたら、一目で何時何分がわかるアラビア数字のシンプルなものにしたいと思う。 その思いは日に日に強まっていった。 あのインテリア時計の電池が切れたら…を目安にしていたが、もう待てない。 待ってられない。 時計が欲しい。 わかりやすくて見やすい、かつこの部屋に似合う時計、あるかなあ。 いや、見つかるまで探す所存だ。 |
という訳で土曜日、オレは駅前までやってきた。 途中の商店街にも時計屋はあるのだが、外からちらっと覗いた限りでは思ったような品は見つけられなかったので、ここまで足を延ばした。 道中、掛け時計にするか、置時計にするか、大いに迷った。 駅前に到着してもまだ決めかねていた。ので、どっちでもよし、見つかったものを直感で買うとすることに。 駅前の百貨店に入ってる時計屋にまず寄って、ふーむと探す。 売り場も広いし、目当てのものが見つかるかと思ったが、残念な事にしっくりくるものがなくて、そこは店内ひと回りですぐに出た。 次に、百貨店から少し行った雑貨店に向かった。 うわっ、今日風強いんだな。 雑貨店、時計専門店ではないので目がキョロキョロしてしまったが、少し進んだ先に時計がまとめて置かれていた。 その中に、写真を飾れるフォトフレーム付きの時計というものがあった。 ひと目見て「これだ!」とビリビリっときた。 文字盤の数字も、デカすぎず小さすぎず、控えめだけど見やすい大きさ。 いや待て待てはやるな、ちょっと離れて見てみよう。この大きさならテレビの台に置くのがいいな、だとしたら見る距離は大体このくらいだ、……おお、ばっちりじゃないか。 なんて理想的なんだろう、これだこれこれ、こういうの探してたんだ。 これしかない! フォトフレーム付きの時計かぁ。 写真も一緒に飾れるのね。 時を刻むものと、時を留めたものが一つになる、って考えると、中々、うん、……洒落てるよな。 この四つのフレームに収めるとしたら、やっぱり斉木さんのだな。斉木さん一択だわ。 ちょうど四つ、春夏秋冬の斉木さんが飾れる、ふひひ最高だ。 斉木さん単体でもいいし、オレとツーショット…うーんうっとり。 考えるだけでよだれ出そう 『お前となんて死んでも御免だ』 なっ!…そんな事言わず、一緒に写真撮りましょうよ―― 「うぅえっ!」 隣に立つ斉木さんにオレは思い切り仰け反った。 なんで…極ナチュラルに話に混じって、なんてこったい。 「いつからいたんスか!」 『お前の後をつけてた』 「えぇっ!」 『というのは冗談だ。隣のパン屋に用があってな、僕が丁度店を出た時、お前は丁度ここに入っていった』 「あれ、そりゃ気付きませんで……斉木さんのこと、どんな雑踏に紛れようと絶対見つけられる自信があるだけに、ちょっとショックっス」 『まあ仕方ない、突然の風で砂ぼこりが目に入ったんじゃ、いくらお前でも見逃すのも無理はないな』 「はぁ……あー、アンタあれ、アンタ、あれっ」 文字通り目くらましかけてきた超能力者に舌がもつれた。 『あれあれうるさい』 そこまでしてまこうとしてたのに、なんだって自分から姿を現すかな。 「もー、そんなにオレが恋しいで――えっぅえっ」 また舌がもつれた。これもアンタ、あれ! 『だからうるさい。僕は早く帰って、パン屋で買った一日五十個限定お一人様三個までののチョコバナナデニッシュを食べたいんだ。買うならさっさと買ってこい』 オレは喋るのを諦め、こっくり頷いて、るんるんの足取りで時計を手にレジに向かった。 ――ありがとうございました 『そんなに嬉しいのか』 「え、はい、うん、はいそりゃもう!」 小さな紙袋をしっかり握って、今にもスキップしそうなオレ。 呆れたって顔だけど、そこまで呆れ果ててはなくて、どこか不思議そうな、楽しんでるような顔でもある。 「やー、やっぱりあの時計かなりストレスだったんスね。時間がぱっとわからないって、結構くるもんなんスね、自分でもちょっと驚くほど、嬉しいっス」 ホッとしています。 オレはニコニコと袋を見やった。 『今あるのはどうするんだ?』 「即、メルカリっス」 まだ新品だし、あーでもヤフオクもどーかなー。まあそれはどうでも後でいいや、今はこの時計で胸が一杯。 『これに懲りたら、身の丈に合わん事はやめるんだな』 ふわふわに膨らんでいた気持ちがあっという間にプシューと萎む。 うぅ、どうせ。 どーせ斉木さんには、モテたいって気持ちなんて、わかんないっスよ。 外に出ると、近くの児童公園から、夕焼け小焼けが聞こえてきた。 ――ゆーやけこやけで ひがくれて ゆっくりとした、音を一つずつ丁寧に鳴らすようなメロディーに、たちまち胸が詰まったようになる。 ああもうこんな時間か 斉木さんといると、時が経つの早いなあ もっとたくさん、ゆっくりしたいのに、いつもなんかあっという間に過ぎてっちゃう。 らしくなく陥ってウジウジするオレ、を置いてく勢いでさっさと歩いてく斉木さん。 はー…斉木さんはいつでも「らしい」ね。 置いてかれるのは嫌だから、オレは急いで後を追った。 あっち曲がってこっち曲がって、どんどん、どんどん、人通りの少ない狭い住宅街に入っていく。 斉木さんちの方だけど、でも厳密に言うと近付いてる訳じゃない。 なに、どっか目的地でもあるのかな。 もー、何も言わず連れ回すのはちょっと参るなあ。別にこの後用事はないけどね。だから、斉木さんと一緒に歩けるのは嬉しい限りだけど、どこへ、いつまでってのがわからないのは不安でもある。だって、もうすぐここで『はい着いた、じゃあな』ってなっちゃうかもしれないじゃん。どこまでってわかっていれば、多少は覚悟するし。踏ん切りもつく。 オレは怖さから、ちょっと苛々しつつあった。 ああ厄介だな。嬉しいのに不安で、だのにイラつくとか、わけがわからない。 ねえ…斉木さん、どこ行くんスか。 いよいよ細い路地だ。左右どっちも高いブロック塀が積み上がっていて、その向こうの家々に人の気配はあって、生活の匂いは濃いのだけれど、お互い姿を見る事のない遮蔽物のあちらとこちら。 あ、どっかの家、今夜カレーだ! そこに焼き魚も混じってきた。 いかにもといった夕方の匂いに、腹の虫が騒ぎ出しそうになる。 聞かれちゃったら猛烈に恥ずかしいな、これ。だからオレは、ごまかしも込めて口を開いた。 「ねえ斉木さんどこへ、……――!」 ちょっとせっかちになってる自分の声に、苦笑いを浮かべた直後、それは驚愕に変わる。 しっかりと繋がれた手が、にわかには信じられなかった。 うぇーっ! 「えー……」 うえぇーっ! 口に出せない分心の中で思いきり叫ぶ。 ぎくしゃく機械みたいに歩きながら、オレは繋がったお互いの手をまじまじと凝視した。 これが、春も夏も秋もオレの手を冷たく振り払ってきた、あの…えーっ! 『おい、もったいないことするな』 ぽーっと夢見心地で歩いていたら、何故か斉木さんに怒られた。 オレはそこでやっと起きたみたいにはっとなって、反射的に「すんません!」と謝る。 え、なんでオレ怒られた? というかそもそも、斉木さん、なんでオレと手を繋いでるの? まず目だけを向けて、それから首を曲げて、斉木さんを見る。 『僕だって、お前ともっと、ゆっくり』 そこまで伝えて、斉木さんは勢いよく顔を背けた。 「さいきさん……」 顔が熱くなる。熱い熱い、こりゃ赤くなってるなって思えば思う程にカッカと燃えていく。 「もー……反則だよ」 だってさ、斉木さん今、スイーツ持ってるわけでしょ。この人スイーツ絡むと一時的に頭アレしちゃって、普段なら半殺し確定のお願いだってほいほい引き受けてくれちゃったりするようなアレさ加減なのに、今はそれよりオレを優先してくれて…んのよ! ああ、どうしよう、今すぐキスしたいよ。 引っ張り寄せて抱きしめて、気が済むまでキスしていたい。 「じゃなきゃ泣きたいっス……」 『それは夏にやっただろ』 「うぅ……はは、そっスね」 この人、ほんとにオレの事好きね。 『じゃなきゃこんな事しない』 斉木さんはそっぽを向いたまま。 あー…ああ、オレは今世界で一番幸せだよ。 ――ゆーやけこやけで ひがくれて 歩きながら心の中で歌詞を辿る。 一節ごとに斉木さんから、音痴、下手くそ、歌うな、心が汚れる、等々ありがたーい合いの手を貰いつつ、最後までどうにか歌いきった。 もー心バッキバキ、でもホカホカあったかくて、フワフワ宙に浮くようで、しっちゃかめっちゃか。 でもこれ以上ないくらいの幸福を味わった。 |