夕焼け小焼けで

夏:疲れた時には

 

 

 

 

 

 オレが出来る事は、幽霊を視る事と話す事だけ。

 その日はいつもとさして変わらなくて、特別大きな何かがあったわけじゃない。
 そう、いつもと変わりなく、良い事もあったしヤな事もあった。ただ受け止める心が安定さを欠いてて、いちいち、いちいち揺らいで疲れる事が重なった。
 いつもの日々と起こる事はさして変わらないのに、どうして今日に限ってこんなに色んな事を考えてしまうんだろう。
 こういう時、触りたいって強く思ってしまう。
 誰かをと他人を求めるし、なんなら自分でもいい。
 明け透けに言うと、多分だけどオレは人より自分を触る回数多いと思う。ひとりあそびのことね。あるいはみんなも同じくらいやってるかもしれない。でも明らかに、意味合いが違うのはわかる。まあ気持ち良いから、溜まったからってのが一番の理由だけど、同じくらい重要なのが、触れるってこと。
 何よりわかりやすいだろ、そんな状態になったってのはつまり生きてるって証だから、それでオレは触りたいんだ。自分が生きてる事を実感したい。欲まみれなのが生きてる証拠、それを実感したくて触る。
 視て話せる彼らにはないもの。
 生きてるオレだけの特権。
 そう、こうやって疲れるのも、気分が打ち沈むのも、生きてるからこそ。
「はは……」
 まったくもう、頭ぐちゃぐちゃだ。
 早く帰って、風呂入って飯食って寝よう。

 そう思ったら一刻も早く横になりたいって思いにとらわれたが、それ以上に無性に甘いものを口にしたくなった。
 滲んだ涙を少し苛々しながら拭って、ちょっとだけ顔を上げる。
 確か曲がったすぐそこにコンビニがあったよな。

 疲れた時は甘いものだと、普段は絶対買いそうにない砂糖べったりの見るからに甘そうな菓子パンを、三つばかり衝動買い。
 遊歩道のベンチでかじりつくが、案の定ひと口でギブアップ。
 不味くはなかった。でも、ひと口で充分だ、満足した。
「あー……どうしよ」
 食べ物を残すなんて絶対出来ないからこれは何とか食べ切るとして、残りはどうしようか。
 砂糖べったりのドーナツと、袋に入った二つの菓子パンを前に、途方に暮れる。
 憎らしいほど綺麗な夕焼け空が頭上に広がっていた。

 ベンチって言ったけど、正確には違う。と思う。
 長椅子で普通に座る事も出来るけど、端っこに何やら短い鉄棒が飛び出していて、つまりそこに足首引っ掛けて寝転がって、腹筋とかするかんじ?
 そういう類の機能がついたベンチモドキにオレは座っている。
 実際ここでトレーニングしてる人は、まだ見かけた事ないけどね。
 でもここらにいついている幽霊たちは見慣れてるんだろうね、本来の使い方からはかけ離れてるけど、その棒掴んで逆立ち状態になって、更には腕の曲げ伸ばしをしている。
 身体つきを見る限り、生前はしっかり鍛えてた人なんだろうな。
 微笑ましく眺めながら、オレは口元にドーナツを持っていっちゃ戻しを繰り返した。
 ほんと、どーしよこれ。

『じゃあこれと交換だ』
 次のひと口になかなか行けず躊躇していると、横からずいっとコーヒーゼリーが差し出された。
 オレは首が吹っ飛んでいきそうな勢いで隣を見た。
 手から菓子パンがもぎ取られ、代わりにコーヒーゼリーが押し付けられる。
「え、えっ、さい……さい、さいっ?……え?」
『僕の名前は斉木楠雄。超能力者だ』
「あぁ……?」
 なにもう、いきなり懐かしの冒頭モノローグかまして。別に名前がわからなかった訳じゃないっスから!
 ずっと隣にいたとシレっとした顔で、斉木さんが並んで座っていた。
 当たり前の顔して座って、オレの食べかけの砂糖べったりドーナツをムシャムシャ美味しそうに食べていらっしゃる。
 あの甘いのをよくも、って思うが、幸せそうに緩んだ顔を見てたらオレもつい食べたくなってしまう。今さっきえらい目にあったばかりなのに、斉木さんすごい。
 ぐすっと鼻を啜る。

 でも、にしても、何でいるんだろ。
 オレを慰めに来てくれた…はないな。オレの菓子パン目当てだろう。

 オレがひと口で参ったドーナツを、斉木さんは至福の表情で平らげる。
 オレはその様子をじっと見守っていた。
 手にはコーヒーゼリーがあって、ついさっきまで冷蔵庫にあったのは確かなひんやり具合、でも開けて食べるわけにもいかず、いや食べたかったけどさすがにとどまって、同じ姿勢のまま座っていた。
『ごちそうさまでした』
「……どうも」
 食べてもらえて、良かったっス。
 斉木さんは丁寧に両手を合わせた。オレは頭を下げる。

『どっか不思議な世界に生える木になる実』
「え、なにが?」
 いきなり何の話だろう。と、斉木さんの手がオレの顔に伸びてきた。
『お前の、濃紫のまつげにぶら下がった、涙が』
 目のすぐ間際まで来た指先に反射的に瞬きすれば、涙はこぼれて、斉木さんの指先に乗っかった。
『なあ、お前、今まで何回そうやってまつげで涙堪えた?』
「あー……え、や、覚えてないっス」
 そんなにね、人の泣き顔まじまじと見ないで下さいよ。たとえ斉木さんでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。
『そうか。まあ僕も、数えきれないほどあったよ』
「あ!?…ったんスね」
『まあ、そりゃな。おい、しっかり持ってろ』
「あ、はい」
 オレの手にあるコーヒーゼリーの蓋を開け、斉木さんはスプーンにひとすくい。
 それは斉木さんの口の中に納まるんだろう、ぼんやり思いながら行方を見守っていると、オレの口元にまっすぐやってきた。

「え、だってこれ、お取り寄せのいいのだって」
 ついこないだ聞きましたよ。田舎のじいちゃんばあちゃんからの荷物で、有名どころのコーヒーゼリー詰め合わせ貰ったって、アンタえらくはしゃいでたじゃないっスか。
『別に、はしゃいではいない』
 うん、まあ、そういう事にしときましょ。
『ほら、いいから』
 嬉しいような悔しいような。
 でも、確かに、涙の意味が変わったように思う。

 コーヒーゼリーは、普段コンビニで食べてるような、甘さの勝るタイプのものではなかった。
 はっきりと苦みを感じ、しかしいつまでも残る訳じゃない。上等なコーヒーを飲んだかのような後味で、何とも深い満足感を得られた。
「……おいしい」
 思わずといった呟きがもれる。
 何故か斉木さんは勝ち誇った顔をした。
 いや、うん、ええ美味しいですはい。

『これからもそこに悔し涙が溜まること、あるだろうな』
 そっすね
『でもそれ以上に、嬉し涙を滲ませてやる』
「へっ……」
 間抜けな声だと、自分の事ながら思う。

『こんなひと口で簡単に切り替わるお前だ、僕からしたら悔しいと嬉しいの逆転なんて朝飯前だ』
「はーん…斉木さん、やる気満々っスね」
『そりゃな。お前の不細工な泣きっ面、どうせ見るなら嬉しいことの方がいい』
 あー…はは、やっぱり悔し涙かも。
 オレは袖口で乱暴にこすった。

『そら、もうひと口やるぞ』
「い、いっスよ、悪いっス」
『食べて落ち着け、そんで泣け。僕に感謝しながら泣け』
「ふっぅく……もー、自分で言うかな」
 胸が詰まる。コーヒーゼリーふた口で完全に詰まった。
 オレはしゃくり上げながら、汚いだろう顔で笑ってみせた。
『言うぞ。それだけのことをしてやってるんだからな』
「アンタって……ほんと、オレの事好きっスね」
 斉木さんは肩を竦めた。
 そいつはどうかなって仕草に少し眉を寄せた時、思いがけない衝撃を食らう。
『お前が思うより、ずっとな』
 息が止まって、代わりに涙が溢れた。
 涙腺ぶっ壊れたみたいにボロボロと。

 う、ちょっともう、反則だこんなの。
 オレをもてあそんでぇ。

『責任は取るつもりだ』
「……どうやって?」
『わからん、これから考える。だから思い付くまで付き合え』
 そりゃ、こっちのセリフっス。
 とことんまで付き合ってもらうっスからね。

 

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