夕焼け小焼けで

冬:見せたい時には

 

 

 

 

 

 さて、昼だ、何にしよう。まだ券売機の列が短い今の内にさっさと決めよう。
「斉木さんは今日なんにしますか?」
 うちは今夜唐揚げだと言っていたな、じゃあ今日の定食は外すとして。
「こう毎日寒いと、やんなっちゃいますね。うどんとかあったかいものが胃に染みる季節っスね」
 昨夜はジャンボ餃子特盛で、父さんと一緒にかなり頑張ったからな、しばらく餃子は見たくない。だから餃子定食はやめよう。
「オーレーはー……っと、あれいいな、チキンカツ丼、あれにしようかな。斉木さんは?」
 よし、ハンバーグランチにしようか。
「なんにします?」
 それにしてもさっきから、隣の変態クズがうるさいな。

 食券を渡す時も、受け取ったトレイをテーブルに運ぶ間も、変態クズは僕にまとわりつき途切れる事無く滑らかにお喋りを紡いだ。
 やれ、何限目の授業がどうだった、休み時間はこうだった、今日は一度も当てられずにラッキーだった、幽霊たちがどうしてた…全て僕には興味のないものばかり。
 そんなどうでもいい話はどうでもいい、それより佐藤君の話をしろ。あいやいいやっぱりいい、自分で見に行く。

 こんな感じで、いつも僕のお昼は始まる。
 奴の厄介な頼み事を聞くのも大抵この時間で、果たして今日はなんだと、定食の味噌汁を啜りながら神経を尖らせる。
 意外というか、今日は面倒ごとは起きなかった。
 ただ、一緒に帰りましょうと、そう誘われた。まあいつも通りだな。
 気を張っていた分どっと疲れが込み上げ、つい、やれやれとため息がこぼれ出た。
 奴はそれを、一緒になんて帰りたくない…の表れと受け取ったようだ。慌てて、コーヒーゼリー奢りますからとご機嫌取りをしてきた。
 む、それを出せば僕が釣れると思ってるんだな、馬鹿め。
 でもまあ今日は比較的気分がいいから、乗ってやらんこともない。
「やったぁ、じゃあじゃあ、放課後教室行きますんで」
『ただ今日は、僕は日直なんだ』
「あそっスか。まあ、お席でお待ちしております」
『それは構わんが、変な落書きとかするなよ』
「し、し、しませんよ! した事ないでしょ!」
 したいな、描こうかなって何度も思ってるの、見逃してやってるの、忘れるなよ。
「はいっ!」


 その後は何事も起きず、放課後を迎えた。
 あとは日直の仕事を片付ければ終わりだ。
 黒板は灰呂が率先していつも請け負っているのでよし、窓の施錠も灰呂が以下同文、日誌も念写で即終了、面倒なのは明日の授業で使う資料の類の準備だ。
 ああだるいな。さっさと終えよう。
 いや別に、鳥束と一緒に帰りたいからじゃない。
 コーヒーゼリーが楽しみなんだ。
 それにしても「まだかなまだかな」鳥束うるさい。
 今、何やってんだアイツ。
 や、これはそう、イタズラ書きされないか視るだけだ。
 資料室に入り、そっと千里眼を発動させる。
 僕の席に座って、ぼんやり窓の外を見ていた。
 冬の夕暮れを、僕を待ちながら眺めている。
 帰り道、何を話そう…途中でコンビニ寄ろうか、本屋に寄ろうか…寒くなってきたからコンビニだな、中華まんを…斉木さんはあんまん一択、ふふ…そんで食べる時は……――。
 二人でどんな風に時間を積み重ねようか、それはどんなに素晴らしいものか、信じて疑わない心の声が、さざ波となって僕に押し寄せる。
 相変わらずうるさいな、頭痛がするようだ。
 だというのに、口の端っこがじわっと持ち上がるのは何故だろう。

 資料を教師に届け職員室から出ると、窓から身を乗り出してまで空を撮ろうとしている生徒らがちらほら見受けられた。
 何だろうと横目にうかがえば、ようやく上がった小雨によるものか、夕焼け空に虹がかかっているとはしゃいでいる心の声が聞こえてきた。
 なるほどそれでかと納得すると同時に、この世で最も僕を揺さぶる奴の声が、早く戻って来てと悲痛な叫びを上げる。
 また頭痛がした。

 早く戻ってきてほしいのは、僕と一緒に虹を見たいからだ。
 正確には、この美しい景色を、僕に見せてやりたい…そんな気持ち。
 空を見上げながら、奴も必死に写真を撮ってるようだが、どうやら携帯機では思ったように綺麗に残せないようだ。
 悪態がひどい。もう、寺生まれの看板下げろってくらいひどい。
 まあ、それだけ焦ってる表れだから、そうつらく思うこともないのが幸いだ。
 それだけ僕の事で頭が一杯になってるわけだから、あまり無碍にも出来ない。

 ……やれやれ。
 僕も出来る事なら奴と並んで見たいが、廊下にはまだちらほら生徒の姿がある。教室にも数人居残ってる。瞬間移動は使えない。
 嘆きが聞こえる。
 虹がどんどん薄れていってるらしい。
 わかったわかった、見るから。
 面倒ながらも廊下の端に足を向け、窓から見上げる。
「っ……」
 うん、ああ、思った以上に綺麗だな。
 おい、鳥束、
 見た事、一緒に見てる事、伝えるから、そう悲しむな。
 テレパシーを送ると、一転して脳内は歓喜に染まり、鳥束はより熱心に虹を見つめた。
 綺麗、嬉しい、幸せ、良い事ある、天にも昇る気分――ああ騒々しい。
 いっぺんにそんなに物を考えるな、僕の頭痛にも少し考慮しろ。
 教室に戻ったら、一発ぶっ飛ばさないと気が済まない。
 本当に、あいつは。
 呆れるが、口の端っこがまたじわっと持ち上がった。

(ああ…見えなくなっちゃった)
『中々見応えあったな』
(斉木さん、ね、オレ久しぶりに見ましたよ、虹)
(夕焼けと一緒とか、初めてかも)
『そうだな、僕もだ』
(綺麗でしたね。見せられてよかったー)
『そうか。いきなり叫ぶから何事かと思えば、虹だった時は、軽く殺意を覚えたぞ』
(ちょ、えー、だってすっごく綺麗だったし、感動したでしょ。見せたくなるのは当然じゃないっスか)
(良いものを共有したいって気持ち、……わかんないっスか?)
 はいはい、わかったわかった。
 しょんぼりと沈んでいく思考に慌てて返す。
 わかったのは本当だし、殺意が湧いたのも本当だ。
(オレ、だって、斉木さんの事でいつも頭一杯ですから!)
 ヤケッパチのテレパシーに思わず口がへの字に歪む。
(あ、ところで、日直の仕事終わりました?)
『ああ。もう戻るところだ』
(そっスか。お待ちしてます)
 そう伝える傍から鳥束の脳内は、さっきのように、帰り道のウキウキで埋まっていった。
 この気持ち悪い事を考えてる時、あいつは一体どんな顔をしているのか。
 珍しく好奇心が湧いたので、一瞬だけとなんらかに言い訳して千里眼を使う。

 僕の事で頭が一杯になっている奴の事で、頭が一杯になる。

「――!」
 緩やかな瞬きと、夕日を反射してキラキラ輝く異様に澄んだクズ野郎の瞳が、何故だか急に、無性に愛おしく感じられ、僕は息を詰めた。
 じわりと目の奥が染みたように痛んだ。
 奴の目を通して夕日を見たせいだろうか。
 滲んだ涙の意味が、よくわからない。
 ゆっくり長く息を吐き出して、僕は止めた歩みを再開させた。

 

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