あなたを想う花
夏:リンゴ
斉木さんのお宅は、結構広い。お庭もとても広い。 実を言うと、会う前に想像していたのはテレビで見る芸能人の豪邸をも遥かに凌ぐ大御殿で、超能力でやりたい放題ウハウハのがっぽがっぽが至る所に見える、そんなお城のようなものを思い浮かべていた。 夜にこっそり手紙を入れる為訪れて、暗い中見えたごく普通の家屋に、ちょっと肩透かしを食らった。でもでも、もしかしたら中はとんでもなくハイテクかもと思い直したが、実際訪問したら中も外見通りごく普通の邸宅だった。 メカメカしい事もないし、使用人百人なんて事もない、当然秘密の地下室なんて存在しない、何の変哲もない一般家屋。 へー意外、せっかくの超能力がもったいない、そう思った。 (バカな事思ったよなー) 斉木さんちのリビングから外を眺め、オレはふっと過ったあの頃に我ながらバカだと苦笑いを浮かべた。そういうバカな「メガネ」を外せば、斉木さんちはゆとりある大きな邸宅で、お庭も広々している。 ほんとまったく、バカだった。 『そうだな』 「きゃっ!」 もー斉木さん、人の回想に当たり前の顔して割り込まないの。 オレはドキドキ速まった胸を押さえ、振り返った。 『今もあまり変わりないがな』 「えー、そっスか?」 オレは納得いかないと、腰に手を当てた。 斉木さんはリビングのソファーに収まり、オレの手土産であるコンビニスイーツの一つコーヒーゼリーを上機嫌でモニュモニュしていた。オレの言葉は全くと言っていいほど届いていない。 オレは短く息を吐いて、テーブルに置かれた冷えてないスポーツドリンクを取りに行く。斉木さんが出してくれたものだ。更に特別大サービスだと、コップに汲んだ水も添えてくれた。 この家のサービスはとてつもない。ありがたくて涙が出るね。 『出すな、水分補給が無駄になるだろ』 「へーい」 つい、ニヤニヤ。だってこのぬる〜いスポドリもただの水も、嫌がらせのようでいて斉木さんの愛情によるものだもの、ニヤけるのは当たり前だ。 『今の方が数倍馬鹿で気持ち悪いな』 ちょっとー、斉木さんひどすぎ、お顔も雰囲気も甘くとろけてほんわかしてるのに、こんな辛辣なテレパシー飛ばせるんだからマジパネェわ。 さて。戻って。 斉木さんちのお庭だ。 広くて日当たりが良くて、植物には天国みたいな場所だろう。 今日は残念な事に朝から曇りで、さっき、オレがここに到着すると同時に雨が降り出しお天道様は拝めないけど、適度な雨なら恵みだろう。 「いただきます」 オレはスポドリの蓋をひねった。 窓から外を眺めながら、常温のそれをゴクゴク二口三口。 結構本降りになってきたなぁ。 草花なんかは雨粒の重さに俯きがちになってるけど、葉の色は青々として目に鮮やかだ。 ここからじゃどう頑張っても見えない玄関先のあの鉢植え、お邪魔する時に目にしたけど、春と比べたら格段に成長してモリモリに茂っている。 こんな時一番映えるのはやっぱり、アジサイだ。 斉木さんちの花壇でも、雨に濡れしっとりした風情でアジサイが咲き誇っていた。 立派に育ってますね、何年目なんでしょ。 アジサイだけでなく、この家の庭には人より背の高い木が結構植わっている。 前に斉木さんから聞かされたが、パパさんママさんが、何らかの記念日ごとに樹木を植えて、それでああなったのだそうだ。 記念日は例えば、お二人の結婚記念日、家族の誕生日などなど。お二人で見つけた苗木を植えて、育ち、そして現在。 「なるほど」 『どれも最初は僕の腰くらいもない背丈だったが、今じゃあれだ』 「なるほど!」 どれも見上げるほどに立派に育って葉を茂らせ、素晴らしいこと。 大きな樹は花壇を取り囲むように塀際に、花壇は背の高いものを奥に生い茂り、鉢植えのものもいくつか点在している。 リビングの窓から、雨に煙る庭を眺めていて、ある事に気付いた。 「あれ……ねえ斉木さんあれ、あのアジサイ一株っスよね?」 一つの株なのに花の色がピンクや紫になってる! 振り返ると、手土産の中で一番食べるのが難しいと思われる「ぎゅっとクリームイチゴクレープ」を、念力でふんわり丁寧に包んで持ち、垂らす事なく綺麗に食べている斉木さんが目に入った。 つい、気が逸れる。 斉木さんはオレといる時、結構遠慮なく力を使う。 主にオレを『不届き者め』としばく為だが、たまにああして平和に使うことがある。 オレとしちゃ実にもったいない使い方だけど、本人にとっちゃ不幸の元凶、呪いの力と悩みの種で、人生の大半を「超能力者とばれないように生きる事」に腐心してるわけで、何かと神経細る毎日なんだよね。でもオレといる時は、気にせず使う。何の心配もなく自分のしたい通りに使う姿はオレには心がほっとするもので、なんか言いたい事うまくまとまらないけど、素の斉木さんが見られるのは嬉しいって事だ。 「あぁ…美味そうっスね、ひと口貰いたいんスけど」 あむっとかぶりつき、行儀よくお口を閉じてモニュモニュ満喫してるの見たら、思わず喉が鳴った。 『ん、はい』 「もー、食べガラ寄越さない!」 『見るもの乞食が』 「ぐっ……」 何でも欲しがって、すんませんねえ。 でも、でもだって斉木さん、ことスイーツに関しては特に美味しそうに見えるんですよ。この、甘い物に弱いオレさえも動かしちゃう威力があるんスよ。 だからつい、欲しくなってしまって……。 「すんません」 ちょっと甘えが過ぎました。 『やれやれしょうがない、あんまり無碍にしてまた倒れられたら厄介だからな』 はぁっと大きな息を吐き、斉木さんは指先でちょいちょいとオレを招き寄せた。 夏は殊更に優しくなる斉木さん、ありがとう! オレは出来るだけ済まなそうに肩を竦め、厚意に甘えにいく。 ぎゅっとクリームの端っこと、クレープの端っこと、イチゴ一粒とが、ふわふわ宙に浮いている。 「……いいスか?」 『遠慮せずいっとけ』 では、あーん……あざっス! 「うん、美味しいっス」 『うむ、全然嫌いじゃない』 『あのアジサイだがな』 「ええ、あれ面白いですね、一つなのにピンクで白で紫で」 『実はちょっと興味が湧いて、実験してみたんだ』 「へぇー」 聞きながら、オレは再び窓辺に寄った。 『アジサイの色と、酸性アルカリ性の関係は、お前でもわかってるよな』 「ええ、それくらいなら」 『だが植物としてはもう一段複雑らしいんだ』 その成分をよく吸収するしないもその株ごと、更には枝ごとにあるようで、一つの鉢に植わっていても、ああして発色が異なるようだ。 「へえー、そこまでは知りませんでした。植物って、やっぱり不思議ですごいっスね」 ガラスに鼻息の跡を刻みながら注目していると、食べ終わった斉木さんが隣に並んだ。 『そうだな』 横顔にじっと視線を注ぐ。 斉木さんの目がちらっとオレを見て、また窓の向こうに行った。 「ね、へへ、オレの言いたい事、わかってますよね」 『知らん。変態クズの考えなど僕にはわからん』 「もーう、斉木さん」 聞こえてる癖にぃ。 そんな実験して、オレと自分の色とを並べるなんて、ねえ斉木さん、どんな思いでアジサイ見たりするんです? 『うるさい』 そう云う斉木さんの頬が薄ピンクに染まっている。 あんまり可愛くて、オレは唇を寄せた。 ぎろりと横目に睨まれた。 『お前の顔を紫に染めてやろうか』 髪の色よりもっと鮮やかに。 「物騒な事言わない!」 震え上がると、満足したように目を細めた。 『そんな事より鳥束、見ろ。右の方見ろ。あの鉢植えを見ろ』 斉木さん、本題に入りましたね。 「ええ、順調に育ってますね」 雨がかからないよう、軒下に一つ置かれている大きな鉢植えに、オレは注目する。 薄緑のサクランボをたわわに実らせたそれは、リンゴの木。 ふつうリンゴといったらオレよりずっと高く育つものだが、斉木さんちにあるのは「姫リンゴ」って品種で、それはそこまで背が高くならない。鉢でも栽培が容易なものなので、ああして鉢に植えられているのだ。 それを見ろ…『見ろ見ろ!』と、斉木さんは子供のようにはしゃいだ。 最初に見せられたのは、忘れもしない四月の終わりごろ。 あの、元気な明桃と涼しげな薄紫が寄り添う花に斉木さんの愛情を感じ深く感動したあの日。 前後がちょっと不明瞭だが、何かしらお喋りをしていてその途中、斉木さんがはっと思い出したように目を見開いたのだ。 そして、今みたいに見ろ見ろとある鉢植えの植物をオレに示してきた。 枝一杯に白い花を咲かせた、正体不明の木。 背丈は小学生くらいで、梅に似た白い花が清楚で可憐で、オレは屈んで可愛いですねと素直に口にした。 花は梅そっくりだが梅にしては時期がおかしい、桜とも違うだろうし、さてこれは何だろうと首をひねっていると、姫リンゴだと正解を告げられた。 ああ、リンゴ、これリンゴの木かと見入ってると、斉木さんにしては珍しく興奮気味に説明を始めた。 何でも、パパさんの知り合いが引っ越しするのでと譲ってくれた五年物の木だそうで、ご覧の通り花付き実付きの良さは保証付き、つまり十月半ばには収穫可能! 『一つも落とさず運ぶのに苦労した』 「そいつぁ偉い、大変でしたね斉木さん」 『別に』 と言いつつエッヘンとばかりに胸を張る様がどうにもおかしくて、オレは一生懸命褒め称えた。 で、その時、嫌いじゃない…見れば美しいと思うし、はっと感心する事もある…けど虫を連想するってんであんまり進んで花とか愛でる事のない斉木さんが、やたら熱心に花を一つひとつ見つめてるものだから、オレ、ぴんときたのね。 「あー、斉木さん、見事熟した暁には、オレにリンゴ飴作れってんスね」 『ほう、さすが鳥束だな』 大正解だ。 「いやもー、その顔見ればわかるっスよ」 褒められても何も嬉しくね…嬉しいけど、複雑っス。 『お前が作ってくれれば、ほぼタダでりんご飴が手に入る!』 どうだどうだ、いい計画だろうと目を輝かせる斉木さんに、オレは何も言えない。 だってあれよ、キラキラニコニコの斉木さんとかめっちゃレアっスよ!? 滅多に会えない輝きっスよ!? 言葉失くして見惚れるっつーの! まあそんな事がありまして、知り合いから譲ってもらった花盛りの姫リンゴは現在、日ごとに大きく成長中。 「はいはい斉木さん、頑張ってお作りしますよ」 『僕もちゃんと、熟すまで毎日見守るぞ。お前だと思って、虫や病気から守るからな』 んん……斉木さん。 「すべてはリンゴ飴の為っスね」 『そうだ。それ以外あるか?』 「や、ないっスね」 とほー。わかっちゃいたけどさ。 ヤケスポドリゴクゴクやってたら、隣の斉木さんが窓ガラスにそっと指を添わせた。 『お前と』 窓の向こうにある姫リンゴに触れてるつもりなんだろうな、とても繊細で優しい。ちょっとムカつく。 「はい?」 『お前と一緒に育てたリンゴで作ったリンゴ飴を、お前と一緒に食べたら、さぞ美味いだろうな』 ふわふわキラキラの顔で思いを馳せる斉木さんに、本当に言葉を失う。 可愛いなあこの人。 はー…好き! 『僕も嫌いじゃない』 くわっと目を見開いて見やれば、リンゴ飴が、と付け足された。 「いやいや、そこは『オレ』であるべきでしょ!」 『うるさい、調子に乗るなクズ野郎』 「……もう、そんな汚い言葉使わないの。いつも甘い物食べてるんだから、もっと甘い事言って下さいよ」 愛してるよとか、世界一大切だよとか。 『気持ち悪い、もう死ね』 岩の下に潜んでいた虫を見るかの目付きに変わった横顔に、オレはへの字口になる。 「斉木さん」 『お前にやる甘い物なんかない』 と言いつつオレにキスしてくれる斉木さんは、ほら、やっぱり甘い。 胸ぐら掴まれてソファーに押し付けられた時は、このままタコ殴りかと死を覚悟したけど、リンゴに触れるより優しくオレに触れて、それから唇で触れて、とんでもない甘さに包まれオレめためたに溶けた。 じわじわと湧き上がる歓喜にだらしなくニヤついて、斉木さんの背を抱きしめる。 それを合図に斉木さんは身体を起こす。でも、オレの手を振りほどくまでは離れない。 間近の目を覗き込むと、プイっと逸らされた。 『……手間賃だ。リンゴ飴、作る際の』 「はは、そんなの、要らないっスよ」 『じゃあ返せ』 「え、うーん」 また難しいことを言いだす。 「……はい」 とりあえずもう一度キスをする。 「これでいスか?」 『駄目に決まってるだろ』 うん、はい、そういうお顔してらっしゃいますね。 後ろ髪をがっしり掴まれ、ちょっと引っ張られて痛い。と思ったらまたキスされた。 「んっ……ちょっと、あの……あんまされると、あの」 『されると、なんだ、言ってみろ』 「もー!」 わかってて言ってるねアンタ! その挑発的な目が何よりの証拠だわ。 『わからん』 うそばっかり、斉木さんてば。 何その顔、みえみえで、白々しいったらない。 思わずくすくす笑っていると、奇妙な浮遊感があった。あれだあれ、寝入りばなに足がガクッとなるあれ、あとあれ、飛行機でふわってなるあれ。 内臓まで落ち着かなくなるあの感覚にウっと息を詰めると、いつの間にか斉木さんの部屋に来てた。瞬間移動か。 ソファーの上でじゃれてたと思ったら、いつの間にか斉木さんのベッドに乗っかってた。 『なんでだろうな』 「くっ……ふふ、もー」 この期に及んでしらばっくれるの、可愛すぎるでしょ。 「じゃあ、遠慮なく手間賃、もらいますよ」 『やれやれ、好きにしろ』 はい、ではいただきます。 ねえ斉木さん、姫リンゴが綺麗に色付いた暁には、美味しい美味しい、世界一美味しいリンゴ飴、お作りしますね。 だからまずは、世界一美味しい美味しい斉木さんを、味わわせてね。 |