ひと口分の

夏:してやられた

 

 

 

 

 

 もうあと十数歩で店ってところで、ザーッと強烈な雨が降ってきた。
 オレらの目的地である、駅向こうの甘味処に、オレと斉木さんは駆け足で滑り込んだ。
「ひえー、ギリギリセーフでしたね」
 バケツをひっくり返したような、という表現がぴったりの土砂降りを軒越しに見上げ、オレは少し濡れた両手をぶんぶん振った。
 ね、斉木さんと振り返ると、あの人ったらもう自動ドアの向こう行ってて、ちょっとの相づちくらい付き合えよってのと、さすがだねってのとが入り交じった顔でオレは笑い、後に続いた。

 今日は朝から、どんよりとはっきりしない空模様だった。
 カンカン照りでないからマシかと言えばそんな事はなく、分厚い雲で湿気が閉じ込められたようなもので、ジメジメ具合はいつもと変わりなかった。
 せめて雨でも降ってくれりゃ、ちょっと変わるかもな。
 雨の予報は出ていた。
 お天気お姉さんも、今日の傘マークの多さを指差し傘を忘れずにって念を押していたので、帰りの心配がないのはいいけどね。
 そう、ちゃんとお互い傘は持ってる。折り畳みでなく長いのを。
 お天気お姉さん、マジサンキュ。

 あー、店内涼しー。ホッとする。
 窓際のテーブル席に案内され、向かい合って着席したオレは、斉木さんにメニューを開き逆側から覗き込んだ。
「今日はなんにします?」
 先週はこの特盛かき氷、抹茶白玉あずきバニラアイスのせにしましたっけね。
 夏のメニューに切り替わってすぐ、斉木さんに引っ張られるようにして、ここに来た。
 その時はまだそんなに夏って気候でも暑くもなくて、だから特大のかき氷をパクパク口に運ぶ斉木さんに、オレはちょっとブルっと寒くなったりもした。
『そんでお前は、あったかいメニューにして正解でしたってお汁粉選んで、やたら伸びる餅に四苦八苦してたな』
「はは。あの餅がね、いや口の中はまだいいんですけど、唇にくっつくとやたら熱くって、でも全然切れなくて、ほんと苦労しました」
 餅は伸びまくるし、あずきは落ちそうになるし、もー、コントみたいでしたよね。
『こんな感じでな』
「や、真似しないで、顔赤くなっちゃうから、ちょ、やめて斉木さん」
 向かいの席で、小さい動作ながらオレの再現とかいって、滑稽な動きを始めた。オレは苦笑いで引き止める。

『じゃあ今日もお汁粉か』
「うん、えー、なんか腹減ってるんで、お食事メニューいこうかと」
『ああ、カレー南蛮うどんか』
「え、えあ、じゃあシャツ脱ぎますか」
 オレは制服のシャツに手をかけた。
 好きだが、カレーうどんとオレはどうも相性が悪く、いっつも跳ねシミが出来てしまうのだ。中に着てる紺のTシャツなら飛んでも目立たないだろうから、脱ぎましょうか。
『好きなのにしろ』
「あーでも…言われたらカレーうどん食べたく…どうしよ」
 メニューを睨み、うんうん唸る。

「斉木さんは?」
『僕も悩んでる』
「なんです?」
『このな、和パフェにな、わらび餅を後乗せ出来るそうなんだ』
「お、わらび餅いいじゃないっスか」
 オレ大好きわらび餅。ついつい頬が緩む。
『いいだろ。でな、パフェを抹茶にするかほうじ茶にするかで悩んでるんだ』
「あー…そりゃ悩みますね。今日はどっちの気分っスか?」
『それが決まらなくてな』
「ん−、来週また来た時、もう片方頼むとして、今日はどっちにしますかねぇ」
『うむ…なあ。追加で頼んだわらび餅を、お前の目の前でこれ見よがしに食べてやるのは、決定なんだが…うーむ、パフェ』
「おいちょ、こら、斉木さんよ」
 いい性格してるよなあ、ほんとに。
「へっ、構わないっスよ。オレはぐっと堪えて、帰りにコンビニでも寄って買ってきますから」
 だから通用しないよと、唇を尖らせる。
「ふん、やるじゃないか寺生まれの癖に」
 そこ今絡めないの。
「もー、オレの事はいいから、美味しいもの食べて幸せになってね」
 やべ、本心だけどちょっと子ども扱いしちゃったかな。
 斉木さんは得も言われぬ顔になって、オレを斜めに見やった。
 さーせん。

 オレは結局けんちんうどんにして、斉木さんは抹茶パフェにわらび餅を追加して、注文した。
 おしぼりで手を拭ってさっぱりしていると、帰る客が自動ドアを開けた。その瞬間、ドガガーンてな具合にやけに近い雷鳴が轟いて店内を揺るがせた。
 小上がりでお喋りしてたおばちゃん三人が揃って「キャー」と悲鳴を上げるほどで、オレも一瞬息をのんだ。
 今、丁度上空を雷様が通過中らしい。
 通り雨ならいいんだけどな。
「もし食べ終わっても雨がひどいようなら、弱まるまで休んできましょ」
 この降りですから、お店の人もわかってくれるでしょ。
『そうだな、まあただじゃお店に悪いから、追加して貢献はするが』
「あ、ひょっとしたら今日の内にほうじ茶も食べられるかもとか、思ってるでしょ」
 あからさまに斜め上を見上げる斉木さんに、下手くそだなとオレは肩を揺すった。
『お前に二回も見せびらかしが出来るかもと思うと、楽しみでな』
「もー、意地悪はめっスよ」

 そうこうしてると、テーブルにまずオレのうどんが運ばれる。
『冷めたらまずいだろ。先に食べろ。僕のももうすぐ来るようだ』
「そっスか。じゃ、遠慮なく」
 オレはもう一度手を拭い、手を合わせて、箸を持ち上げた。
 食べる前にふっと、窓へ目を向ける。
 誰かがふざけてホースで水をかけてるような、そんな土砂降り具合。
「すっげ…全然外見えないっスね」
 そういや昔ガキの頃、こういう大雨の日に、外でお風呂ごっことかしたがったっけ。
『で、実際にやって、大風邪引いたとか。馬鹿なのに風邪を引くとかとんでもないな』
「ぐ…ガキはバカなのが正常なんですー」
 やれやれと頭を振る斉木さんに、オレはいーっと歯を見せた。
『いいから早く食べろ』
「ハイハイっス」
 オレはいただきますとうどんに手を付けた。
 モチモチの歯ごたえを噛みしめていると、言った通り斉木さんのパフェがやってきた。

 甘いものを前にキラキラお目目になる斉木さん。大好きな瞬間だけど、甘いものにちょっと嫉妬しちゃうんで複雑である。
 いただきますと手を合わせ、スプーンを持ち上げて、さあどこからひと口目いこうかと、右から左から見つめる斉木さん…可愛いなぁ。
 あー、オレまでニコニコしてきちゃう。
『なあ鳥束』
「ひゃいっ、すんません見過ぎました!」
『違う』
「違うの……?」
『なあ鳥束、このわらび餅一つやるよ』
「……え」
『そうしたらコンビニで買う分が浮くよな』
「あー……ははは」
 段々話が見えてきたわ。
『それで僕に何か買う気になったりするか?』
 はい大当たりだった。
「もー斉木さん、出来ない事は言わないの」
『出来なくは……ないぞ』
 二つあるのだから、一つお前にやるくらい、ナンテコトナイヨ・・・
「ほらもー、無理しない無理しない!」
 軽い気持ちで鼻で笑ってたら、斉木さんがカタカタ小刻みに震え出した。オレはすぐに引っ込め、宥めにかかる。

「いやほんと別に、そんなしなくても斉木さんの欲しいの、買いますよ」
 あとで一緒にコンビニ寄りましょうね
『うん。お前はいい奴だな』
 たくもー、こういう時だけ、調子のいい。

 黒蜜がたっぷりかかったクリームから、斉木さんは食べ始めた。
 深く静かに感動する様に、オレはうっとりと見入る。
 わらび餅、食べたいは食べたいけど…どうせ食べるなら斉木さんに「あーん」で食べさせてほしいから、どっちにしろ無理なんだよな。
 斉木さんから甘味を奪うのは心苦しいし、こんな人一杯の店内では無理だし、しょーがない。
 帰りにコンビニで見つけるか。

「美味いっス」
『うむ……全然嫌いじゃない』
 オレはうどんの歯ごたえやだしの美味さに唸り、斉木さんはアイスの濃厚さに嘆息し、各々幸せな時間に浸る。
 雷雨はまだまだ収まらない。
 オレはつい、わらび餅の行方に目を凝らす。一つはもう、斉木さんの腹に収まった。
 後で買うしって思ってもついつい見てしまう。だってね、それだけね、斉木さんが美味しそうに食べるから、ついつい目が引っ張られちゃうんだ。
 わらび餅の歯ごたえをじっくりしっかり噛みしめるお口の動きとか、ほんわか和んだ頬の赤みとか、ついね。
 根菜たっぷりのけんちんうどんを味わいながら、オレは夢見心地で斉木さんに見惚れる。

 激しい雨と風のせいか、来客もないのに自動ドアが開く事があった。
 一度目、こんな雨の中よくも来たなあと反射的に目を向け、誰も入ってこない事に首を捻り、ああ風のせいかと納得する。
 二度目もまた目を向けたが、三度目ともなるともう気にせず、まだ雨降り続いてるなと思う程度になる。
 その三度目、ドアが開くと同時に雷鳴が轟き、さっきのおばちゃんたちとは別のお客が驚いてコップを倒してしまった。
 きゃあ、わあわあ、にわかに店内が騒がしくなる。
 客や従業員の視線がそちらに集中した隙を縫って、オレの口元にわらび餅が一個、すうっとやってきた。
 オレは何の疑問も持たず自然と口を開けて受け入れた。
 もぐっと噛みしめたところでハッとして、斉木さんを見る。
 勝ち誇った美しい微笑に、オレはしてやられたと顔を赤くして見惚れるのだった。

 

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