ひと口分の

春:春がそうさせてる

 

 

 

 

 

 昼時、日差しが気持ち良いので、屋上に斉木さんを誘って一緒にお弁当タイム。
 いつもの場所みたいになった階段室の壁に寄りかかって、二人並んで弁当を広げる。
 食べる合間オレは、午前中にあった事を思い付く順に斉木さんに話して聞かせた。
 斉木さんはいつもと同じく、聞いてないようで聞いてる姿勢で、弁当を口に運びつつオレの話に耳を傾けていた。

 食べ終わって、ひと息ついたところで斉木さんがオレの方をじっと見てきた。
『お前、なかなか良いもの持ってるじゃないか』
「えっ?」
『それはいつ食べるんだ?』
「はい?」
 斉木さんの見てる、手元?
 オレもそこに目を向け、つまりカラになった弁当箱を見つめ、はて、何か斉木さんの心をくすぐるもの持ってたかなと首をひねる。
『違う、ポケットだ。忘れてるとか……?』
 自分の持ち物忘れるとかありえないだろと眉をひそめる斉木さんに戸惑いつつ、オレはポケットを探った。
 ああ!
 出てきたのは、三限の後の休み時間、タケルからもらったソフトクッキーだ。
 もらったはもらったが、その時ちょっとばたついててすっかり忘れてしまっていたのだ。

 というのも、まずタカユキが、小腹が空いたと言い出した。そこでタケルが、じゃあこれ食えよと件のソフトクッキーを鞄から出した。
 いつも大抵さきいかとかチータラかわはぎが出てくるところが、ソフトクッキーしかも春限定のイチゴ味ときたもんだ。
 意外さにその場にいたオレやみんなわっと湧いた直後、松崎が来るぞとの声にオレらは慌てふためき、みんなして大急ぎで各々のポケットに隠して事なきを得たのだ。
 隠し、しらを切り遠し、どうにかやり過ごせた直後授業開始となりバタバタしたせいで、すっかり頭から飛んでしまったのだ。

 ああオレ、両方のポケットに入れてたか。左右から一つずつ出てきたソフトクッキーににやつき、オレは包みの上に置いた。
「斉木さんこれ、どうぞよかったら」
 タケルがこれ出した時、オレ「斉木さんの好きそうなイチゴ味!」って真っ先に思ったから。
「だから斉木さん、もらって。食べて」
『なら遠慮なく貰う』
「ええ、どうぞどうぞ」
 オレはニコニコして差し出した。
 二個とも渡すが、一個返ってきた。
『そこまで図々しくない』
 むぐ、そいつぁ斉木さん流のギャグかな。
『そうかそうか、おまえ、そんなに命を粗末にして』
「こらぁー」
 ソフトクッキーの一枚でこんなとか、あんまりっスよ斉木さん。
「いいから手引っ込めて、ほら、クッキー上げますから。その手はオレの心臓握り潰す為にあるんじゃなく、美味しいスイーツ持つ為にあるんですよー」
 あと、オレを抱きしめる為とかー。
『お前の返り血で真っ赤に染まった手で食べるスイーツは罪の……』
「わーやめやめ、何それ、チワワ君ごっこスか?」
 もーおしまい!
 じわじわ迫ってくる手を掴んで宥め、あやし、なんとかおさめてもらった。

『じゃあ、二枚貰う』
 ほっとした微笑にオレもニコニコだ。
「うん、それが嬉しいっス」
 食べ切れないオレが無理やり食べても、食べ物がもったいないしさ。
『そこまで嫌いじゃないだろ』
「え、ああ、ひと口なら美味いっス」
 丸々一枚は、オレにはちと多い、重い。でもひとかじりならちょうどいい、美味しく食べられる。
『じゃあほら、口開けろ』
 だからって、斉木さん自らちぎってくれたひと口を食べるなんて恐れ多くて――
『うざい』
 乙女モードでモジモジしてたら躊躇いなくガっと詰め込まれ、オレは目をむいた。
 えーうざくてすんませんね!
 モグモグしながら抗議するが、斉木さんはオレなど構わずソフトクッキーに夢中になってる。
 モタモタしてさーせん、早く食べたかったよね。
 イチゴ味、春の匂い、爽やかな甘酸っぱさと優しい歯ごたえにオレはうっとり「美味いっスね」目を細めた。
『うむ……全然嫌いじゃない』

 はー。
 もうため息しか出ないよ。
 日差しはぬくぬくあたたかくて、浴びてるとぽかぽかしてきて身も心も春だなってゆるんで、そんで隣では斉木さんがまさにその春みたいな穏やかさで甘いものにうっとりしてて、ほんとため息出る。
 イチゴと、あとクッキーの甘〜い匂いもたまんないな。
 斉木さんにぴったりだなって顔がたるんでくる。
『不味くなるから、こっち見るんじゃない』
 冷たくあしらわれても、それさえため息が出て緩むんだから相当重症だ。
 てか斉木さんがどうかしてる。この人どうなってるんだろう。

「それ、オレがもらったやつっスけど」
『ひと口やった分は、もう見終わっただろ』
「ちょ、もっ、…もー。じゃあもうひと口ください、その分延長しますから」
『駄目だ、いやだ、却下』
「そう言わずに」
『これはもう僕のものになったんだ』
 お前もそれでいいと言ったじゃないか。
「それでいいって言いましたけど、でもあとひと口、どうかお慈悲を」
 オレは人差し指を立てて頼み込み、斉木さんの膝にあるクッキーに手を伸ばした。
『お前、どうなっても知らんぞ、僕は忠告したからな』
「ちょ、なに、アンタがやる癖にそんな他人事みたいに」
『あれは僕であって僕ではない』
 何なのさっきから、そのチワワ君ぽいのってなによ、クラスで流行ってたりすんの?
 春がそうさせるの?

「あいだっ」
 持ってこうかどうしようか迷っていると、クッキー掴んだ手をバシッと叩かれた。
 多分斉木さんとしては、軽くペチンの意識だと思う、けど、加減して加減してそれでも、オレには重大なダメージ。
 本人はあくまで軽くのつもりだから、オレも出来るだけ平静を装う。心の中までは偽れないので、全てお見通しの斉木さんにさすがにやり過ぎたかって顔されて、オレの方が済まなくなるんだけど。
「や、ぜんぜん、平気っス」
 骨までは折れてないから、大丈夫っス。
『やれやれ、それもお前の計算通りか』
「はぁっ……んな訳ないっしょ」
『僕の罪悪感を揺さぶってひと口ぶんどろうとは、やるな鳥束』
「だからしてませんて。深読みしすぎっスよ」
『仕方ないな』
「いやほんと、すんません、調子乗りました……――!」
 慌てて謝るオレに斉木さんの顔が近付き、息が止まる。
『これは詫びだ』
 呼吸を忘れた口に柔らかいものが重なり、心臓まで止まりそうになる。
 実際は逆で、うるさいくらいフル稼働だが。

 入り込んできた舌は熱くて柔らかくて、甘くて美味しいから、夢中でペロペロした。
 斉木さんがゆっくり元の位置に戻る。何が起こったんだとオレはぼう然と正面を見つめていた。
「さいきさ……もぐっ!」
 ハッと我に返り横を向いた途端、ひと口がまたガっと押し込まれ、再びオレは止まった。

 ひと口分減ったソフトクッキーを、斉木さんは大事そうに口に運んだ。
 オレはそのかけらをゆっくり噛みしめ、徐々に熱くなっていく顔に弱り果てる。
 もぐ…もぐ。
 春の日差しと、イチゴの甘いクッキー。
 斉木さんと、オレ。
 高熱にうなされ、夢でも見てる気分だ。

 なんだろ、斉木さんとのキスってオレにとってこんなに特別なんだな。
 もうそれこそ数えきれないほどしてるのに、たまにこうして特大のショックを与えてきて、自分にとって斉木さんがどれだけ特別か、あらためて教えてくれる。
 膝を抱えて頭を抱えて、オレは甘い匂いのため息をはいた。
 やばいやばい、顔がどんどんにやけてく。
 あ…トイレ行きたくなってきた。
『さいてー』
 その意味を読み取り、斉木さんが冷たいテレパシーを送ってくる。
 身体の芯は興奮で熱くて、どっと冷や汗が噴き出したから表面は冷たくて、どっちに振っていいのかわからずオレは混乱する。
「なっ…や、斉木さんにも責任あるっスよ」
 アンタがキスするから!
 してくれるから!
『してない』
「し、したでしょ!」
 随分大胆にしらばっくれるなあ。
『あれは僕であって僕ではない』
 だから、さっきから何なのそれ!
「もー、斉木さん!」
 今更照れ隠しは遅いでしょ。
 赤くなったオレが言うのもなんだけどさ。

「……何スか、オレとキス嫌っスか?」
『だったら最初からしない』
「っスよね」
 うんうんと納得すれば、怒ったからか照れてるからか、斉木さんも赤い顔になってら。
 迫力あっておっかないけど、これは多分照れ隠しの方の表情だから、そこまで心臓はビビらない。
 その代わり、鎮まりかけたざわめきがまたも込み上げてきて、オレを熱した。

『きっと春がそうさせてるんだ』
「あー……じゃオレも、木の芽時って事で、お互いにね」
 そうだな。
 そっスね。
 お互い赤いまま神妙な顔で頷き合う。
 二人して無言でコクコクやってて、それが妙に可笑しいから、オレはついつい噴き出した。
 斉木さんもちょっとだけ笑ってた。
 あーもー斉木さん、好きだ好きだ好きだ!

 すごく馬鹿馬鹿しくて下らないのに、愛しくてなんか泣きそう。

 

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