また後で

秋:食べよう

 

 

 

 

 

『おい、鳥束』
「なんでしょ」
『これが見えるか?』
「や、見えますよちゃんと。てかさっきからちゃんと見てるでしょ、アンタと一緒に。これ旅雑誌でしょ、有名な。知ってますから」
『そうか、じゃ、これ』
「はいはい、これね」
『この某観光地にある小さなお茶屋のな、コーヒーゼリーがな、絶品だそうだ』
 だからどうしても食べたいと、斉木さんは旅情報の雑誌をオレに見せてきた。
 ここはオカルト部の部室。学校に持ってきちゃいけない雑誌をこっそり持ち込んでるから、大っぴらに読む為に部室に潜り込んだのだ。
 二人で静かにのんびり弁当を食べ、食休みがてら、同じ雑誌を覗き込む。ああ、いい時間だなぁ。

 季節はすっかり秋めいて、紅葉狩りだの楽しみも目白押しだ。
 でも斉木さんは花より団子、美しい紅葉よりも美味しいものが欲しい人。景色を愛でる情緒も持ち合わせてるけど、一番心を震わせるのはやっぱり甘いものだね。
 なんたって食欲の秋だもんね。
 で、オレにぐいぐい雑誌を押し付けてくるその意味は。
「わかりました、土曜日なら空いてるんで、お供しますよ」
『鳥束見ろ、このコーヒーゼリー、素朴でいいな』
「そっスね。なんだか懐かしい感じしますね」
 なんていうの?…ばあちゃんちの麦茶のコップに感じるような、あれ。いやコップそのものもそうだけど、その時の空気とか匂いとかコップにくっついた水滴とかに感じる、なんかあれ。言葉にしにくいけど、ぶわっと感覚が来るあれ。
『わかるぞ』
「ねー、わかってくれますよね」
『これを味わうにはやはり、はるばる電車を乗り継いで行くべきだろうな』
 斉木さんは紙面から目を上げると、その情景を思い浮かべているのか、穏やかな表情になった。
「あれ、瞬間移動じゃないんスか、本気っスね」
『ああ本気だ、が迷ってはいる。本当は、今この瞬間にも行って食べたいくらいだが、面倒にも電車に揺られた末に出会う感動も、味わいたい』
「ふぅ〜ん」
 超能力者ならではの葛藤か。この世でただ一人だ、そんなのは。
 オレには想像も出来ない遥か彼方の感覚だけど。てかオレだったら、即手に入る方を選ぶかな。欲しいのにわざわざ苦労するなんて、時間がもったいない。
『欲しいものを前に、一年もグズグズした奴のセリフじゃないな』
「うぐぅっふ!」
 それ持ち出されると弱いっス。

「そうして考えると、斉木さん、オレのものになったんだなあ」
 なってくれたんだなあ。
『なってない。誰が、お前なんかに』
「えぇー、違うんスか?」
『さぁな』
「もぉー。ね、こっち向いて」
 チューしたいから、こっち見て斉木さん。
『触るな。僕はしたくない』
「そんな寂しいこと言わずに、ね」
 顎に手をかけるが、思いの外抵抗は激しい。というかビクともしない。
 あぁ、超能力者に力で敵う訳ないか。
「んっ……んん!」
 諦めて手を引っ込めたタイミングで顔が近付いた。
 そのまま鼻をがぶりとかじられ、目をむく。もちろん手加減してくれただろうが、割とマジで痛い。アンタの歯どーなってんの。
『顔動かすなよ』
「すんません、でもまさかかじられるとは」
 骨までジンジン響いて痛い。鼻血出した人みたいに押さえ、オレは涙目になる。
『よし、今度はちゃんと唇かじってやるから手をどけろ』
「嫌っス、キスして、ちゃんと」
 してくれるなら手をどけますけど。
『ふん、まだるっこしいな』
「ちょちょ、いたいたいぁ!」
 強引に手をはがされ、人間の手はそっちに曲がらないって方に力を入れられ更に涙目になる。
『さっさと言う通りにしないから、そうなるんだよ』
「お、オレのせい?」
 釈然としないと目線で抗議すると、今度はちゃんとキスを寄越された。
 それですぐ気分よくふにゃっと笑っちゃうんだから、オレってとんでもなく易いよな。
『お前ごときにキスしたくなる僕に比べたら、まだまだだな』
 ……ん?
 それってどっちがどうで、どういう勝負?
 まあいいや、今度の土曜日、美味しいコーヒーゼリー食べに行きましょうね。
「楽しみっスね」
『うん』
 クスクスと笑い合いながら、オレたちはしばらく唇をくっつけたまま過ごした。



 これからお茶屋でコーヒーゼリー食べようってのに、お土産屋さんの試食つまんじゃうのが、斉木さんて人なんだよな。
 小さな、蓋つきのケースに入った細切れのお饅頭、それをつまんじゃうっとりほんわかする斉木さんを、オレは少し離れた位置から微笑ましく見つめていた。
 でも、二つ三つなら微笑ましいが、四つ五つ六つとなると話は別だ。まあそれも予想の範囲内だが、ほっといたらこの人二周目に入りそうだったので、きりのいいところで声をかける。
「ほーら、斉木さん、日が暮れちゃいますよ」
『待て、まだこっちのゴマ団子を味わってない』
「はいはい、後で寄りますから。帰りにまた来ましょ」
『絶対だな、忘れるなよ』
「忘れませんて。オレが、斉木さんの喜ぶ事、忘れるわけないでしょ」
『うむ。鳥束だしな』
「……もぉー」
『じゃ、また後で寄るとしよう』
「ええ、ではメインのコーヒーゼリー、食べに行きましょ」
 どうにか連れ出す事に成功した。

 道中はどこを見ても紅葉がとても綺麗で、オレは足が止まりがちだった。
 早く行きたい斉木さんに悪いとは思いつつ、抜けるように濃い青空と真っ赤な葉の組み合わせに、何度も見惚れる。
 当然、そっちは興味ゼロの斉木さん、行くぞとか、遅れるなとか、一応声はかけてくれるけど足を止めてはくれない。
 すんませんと謝って、オレは小走りに駆け出す。何度も。

 渓谷沿いの山道を進み、つり橋を渡った先にようやくお目当てのお茶屋が見えた。
 つり橋の中ほどからの景色も素晴らしく、オレはゆっくり歩きながら目に焼き付けようとした。
『鳥束』
「ひゃい、すんません!」
『帰りなら付き合ってやるから、まずはこっちだ』
「はい、……へ?」
『また後で見ろって言ってるんだ』
 え、いいの?
 時間くれるの?
『この先にある橋からの眺めも、絶品だそうだ。雑誌にそうあった。ここまで来たんだ、付き合ってやるよ』
「……斉木さん」
 ほんと珍しいな。
 この人がこんな事言い出すなんてさ。
『別に。お前がやりたいって事を、たまには僕もやってみたいと思っただけだ。悪いか?』
 いいえ、全然、ちっとも、まるで!
 オレは全力で首を振りまくった。
「悪いことなんてこれっぽっちもないですよ」
 悪いどころか嬉しくて、顔が緩んじゃうのなんの。
『じゃ、とっとと行くぞ』
「はいっス!」

 ほらな、斉木さんには敵わない。
『ふん。百年経っても、僕には勝てないよ』
「はい、その通りっス」
 オレはわざと悔しそうなフリをしてみたが、斉木さんが本気で気持ち悪がるくらい、だらしなく顔が緩むだけだった。



「でも斉木さんも、はるばる電車を乗り継いでたどり着いた絶品コーヒーゼリーに、だらしなく顔が緩んでたし、引き分けっスね」
『いや、お前の勝ちだ』
 もう一つ先のつり橋からの眺めを望んだ時のオレを指し、斉木さんはオレに勝ちを譲ってきた。
『二対一で、お前の勝ちだ』
「えー、でも斉木さんだって、あの土産屋さん行ったらわかんないっスよ」
 後でと約束した駅前の土産物屋を持ち出し、オレはやっぱり引き分けだと言い張る。
 今はそこへ向かってる最中だ。
『いいや、お前の勝ちだ』
「なんでー」
『僕の食べるところを見て、お前の顔ががたるむ予知が視えた』
「……あー。そっスね、じゃ、オレの負けでいいっス」
『いやだから、お前の勝ちだ』
「勝っても嬉しくねー」
 こればっかりは負けたい。好きな人にだらしない顔見せるのって、やっぱり恥ずかしいもんだし。
『僕だってそうだぞ。死んでも嫌だが、お前ならいい。だからじっくり見ろよ、特別だ』
「……アンタねえ」
 恥ずかしそうにしながらも、堂々としちゃって。
 ほんと可愛いんだから、この人は!
 あ、今、三対一になった気がした。
 それ以前に、斉木さんがはるばるたどり着いたコーヒーゼリーを味わって、ふんにゃり緩んだ笑顔を前に、オレもだらしなくたるんでたの思い出した。好きな人の喜ぶ姿見て、たるまないやつなんていないよ。
 四対一だった。

 あーもー勝った勝った、オレ圧勝。

 

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