また後で
夏:顔を見よう
「え、うわ、こんなにっスか!」 オレの部屋にやってきて、オレが用意していたコーヒーゼリーに満足げに頷いた後、斉木さんは手にした買い物袋をどこか誇らしげに渡してきた。 中には、某メーカーのチョコ菓子が数種類入っていた。 『近所のスーパーで、今日の最安値だったんでな』 「わあ、お買い物上手」 オレは素直に褒めた。褒めてって顔してる斉木さん、可愛すぎる。 そしてそれ以上に、斉木さんが甘いものくれるとか…それだけで零太カンゲキ。 『なんでもな、鳥束、夏バテにチョコが効く「らしい」んだ。試してみようと思ってな』 「へえ、テレビで?」 『いや、先日買った雑誌にそうあった。物は試しだ。人体実験な』 「ははは」 それでもいいっス、ますますカンゲキ、もう泣きそうっス。 『だがただでは渡さんぞ、貴重な少ない小遣いで買ったものだからな』 「え、何スか、じゃんけん勝負とか?」 『今日は十時から見たいテレビがあるんだ』 「ふんふん」 今日はオレんちにお泊りですよね。後で一緒に見ましょうね。 斉木さんの事だから、なんかのスイーツ特集だろうな。 『でな、それまで、暇つぶしに、ゲームしたい』 「あ、いっスね、つまり勝った方が食べる負けたらチョコ無しってやつっスね」 『そうだ。せいぜい頑張れよ』 「はぁー……オレがアンタに敵う訳ないっしょ」 オレは「チョコゼロ」の未来予知をする。 斉木さんが買ってきてくれたチョコ菓子…紙筒入りの懐かしいのや、山か里かでよく不毛な争いが起こるあれや、アーモンド入りのチョコを見つめ、オレは力なく首を振った。 『そうでもないぞ。僕はハンデとして、これを持ってきた』 小さなチャック付きの小袋がかざされる。中には、例の指輪が収まっていた。 なるほど、オレの思考をシャットダウンしての勝負ってか、でもそれでも、オレが勝てるビジョンが見えない。 「ま、やってみますか」 最初は負けが込んだオレだが、回数をこなすうち段々斉木さんの癖みたいなものがわかってきて、ひょっとしたらと希望が持てるところまでくるほどになった。 それでも、あと一歩で負けてチョコレートを食べられてしまうのだが。 「斉木さん、これじゃオレ今年も夏バテ確定っスわ」 冗談交じりに笑う。 斉木さんは、今度はアーモンドチョコをぽいっと口に放った。 『そうだな。だがそいつは困るんだよな』 「あ、心配してくれるんスか?」 『別に。余計な手間かけさせられるのが嫌なだけだ』 「あっそう」 まー、斉木さんだからそうだと思ったけど。 わかってましたよとため息をつくと同時に、何の前触れもなく唇が塞がれた。 「!…」 思いも寄らない展開に目を白黒させてると、口の中にアーモンドチョコを押し込まれた。斉木さんが今しがたパクっといったやつだ。 『お前に迷惑かけさせられるのは絶対に嫌だからな。適度に糖分をくれてやるよ』 「………」 あざっス オレはナッツをボリボリ噛みしめながら、心の中で丁寧に感謝を述べた。 言い方から何からひねくれてるけど、愛情は充分感じられた。頬がぽぽっと熱くなる。 「よっし、斉木さんから最高の愛情と最高の糖分貰いましたからね、次こそ勝ちますよ!」 オレはコントローラーを握り直した。 『お前が僕の癖を読むように、僕も読んでるぞ。テレパシーで先読み出来ないからって、侮るんじゃない』 「へーんだ、そう云ってられるのも今の内っスよ、次もチョコはオレのものっス」 オレは視えた希望に賭けた。 結果三連敗だった。 三連続で、目の前でチョコを食われた。 三度目、お前さっきの威勢はどこいったって目で、斉木さんに冷ややかに見つめられた。 「……ほんとにね。でもでも、中々いいとこまではいってるんスよ!」 『まあな』 あ、斉木さんが素直に認めてくれた! ちょっとは遊び相手になれた事に、オレむずむずする頬で笑った。 『しょうがない、この辺りでもう一度残念賞をくれてやるか』 斉木さんの指先がちょいっと動く。それに合わせて、紙筒の中からチョコが一粒浮き上がり、オレの口にすいっと向かってきた。 「えへ、あざっス!」 オレは大喜びで口を開けた。 お情けのチョコだけど、全然構わない。斉木さんと一緒に同じものを食べて楽しんでいる、それだけで充分心が満たされた。 チョコレート、ほんと美味いな。甘いものはそれほど好かないオレだけど、チョコは別だな。無限にとまではいかないがそれでも他のスイーツに比べたらたくさん食べたいって思う。 もぐもぐと噛みしめながら、ふと斉木さんを見やる。可愛らしい顔でうっとりと、勝利のチョコを味わっていた。 可愛いなあ、チョコモグモグしてる顔エロイなあ。 あの行儀よく閉じた口にチューしたい。 斉木さん、チューしたい。 チューしよ斉木さん。 反応はない。 オレは座る位置をずらして近寄り、チューしたいしたいと念じ続けた。 それでも無反応だったが、オレが肩を抱くとさすがに斉木さんは動いた。 『やめろ。もうすぐ十時になる』 「そっスね、テレビ見るんでしたよね……でも」 でもじゃあ、せめてチューだけでもしたい。 こっち向いてと手を添える。振り払う斉木さん。 めげずにオレはもう一度頬に触れたが、斉木さんを怒らせるだけだった。 『いい加減にしろ、女の子になりたいなら協力は惜しまないぞ』 「ちょ! そんな事したら斉木さん泣かせちゃうじゃん!」 『馬鹿言え』 「あいたっ!」 頭をはたかれた。 「馬鹿じゃないっス〜だってそうでしょ、いつもアンタをあんあんひいひい言わせてるこれなくなったら――」 『それ以上言うなら本当に実行するが?』 恐れおののいてオレのアレがかつてないほどに縮み上がる。 『うん、よし、静かになったな』 「……もーひどいっ、もう斉木さんキライ!」 『そうか、見終わったら相手をしてやろうと思ったが、嫌いなら仕方ないな』 「え、そ……ウソ! 今のウソウソ! 好き、好きです!」 やりたいのもそうだけど、斉木さんに悲しい顔させるのがつらくてたまらない。 オレはグスグスべそをかきながら一心不乱に唱え続けた。 斉木さんの腰にしがみ付き、斉木さん好きです愛してますと何度も繰り返した。 斉木さんに嫌われたら生きていけない。 そう思ったら本格的に涙が出てくるわ、走馬灯めいたものがぐるぐるするわ、大変な事になった。 『おい、僕は別に悲しんでなんかいないぞ。だからその汚い顔さっさと何とかしろ』 心配しなくても嫌いにはならない 「あ……あぁ……すんませんしたぁ」 慈悲深さに感謝し、オレは床にへばりついた。 『ただし、口から出まかせ言った分はきちんと思い知らせてやるがな』 たちまち放たれる凄まじい殺気にオレは命の危機を感じた。 「あ、謝りますから! 何度でも土下座しますから暴力反対!」 それ以外なら何でもしますから! 『うるさい、夜中に騒ぐんじゃない』 胸ぐらを掴まれ、ぐいっと引き寄せられる。 「ひいぃ……んんっ!」 情けない声が喉から漏れ出た直後、柔らかいもので口を塞がれた。 始めはチュッとささやかに、すぐに濃厚になって、口の中を舌で舐め回された。 これが思い知らせる? 斉木さん、とんだ逆効果だ、オレ嬉しくて盛っちゃう! それこそが斉木さんの思惑だった。 オレ、斉木さんの超能力というか身体能力というか、色々まだよくわかってないのな。 オレはすっかり興奮してギンギンギラギラになったけど、斉木さんはしれっと涼しい顔をしていて、アレ?ってなった。 やせ我慢とかじゃなくて、本当にまったく何にも響いてないの。今オレとあんなにすんごいエッチなキスしたのに、なんで? どうなってんだと解明する間もなく、斉木さんお待ちかねの特集が始まった。 『じゃ鳥束、後でな』 あぁ、そんな殺生な! 終わるまでの一時間は、本当に地獄だった。生き地獄。 せめて斉木さんがオレを一切無視してくれるなら、オレもまだ過ごしようがあった。最悪トイレ行っちゃえばいいんだから。 でも斉木さん、この番組にさもオレが興味あるみたいに、オレも見たがってた番組みたいに、事あるごとに振り返っては、感想を求めたり共感を求めたりしてきた。 またその顔がキラキラ眩しくてさ、可愛くてさ、どうにか落ち着かせたいオレを煽るのなんの。 誘ってんのかって思うけど、違うのよ斉木さんだから。 単純にオレと楽しみたいの、それだけなのよ。 さっきエッチなキスしかけといてよくも――っても思うけど、でもあれってオレが悪いわけじゃん。思っても無いのに弾みとはいえ「キライ」なんて言っちゃったオレが悪い。 それに対して斉木さんの答えが、あのエッチなキスなのよ。ボクは嫌いじゃないつまり好き。そういう事なんだよ。 うん…オレはよく反省しないといけないんだよ。 それはよくわかるんだ。どんだけ幸せで満たされてるか、斉木さんがすぐそこにいるって事をしっかり噛みしめないといけない。 夏はとりわけ優しくなる斉木さん。 さっきもいつも、へそ曲がりな言い方してばっかのくせに、本当のところはこんなにもオレを好きでいてくれることに、泣けて仕方ない。 科学的根拠は危ういかもしんないけど、でも効果があればとオレにチョコくれてさ、ほんとはオレと言えど好物の甘いもの分けるの、断腸の思いだったんじゃないかな。 それでも斉木さんはしてくれた。そんな情け深い人に、オレってやつは…あぁ。 せめて出来る事といったら、この一時間を有意義にすることだ。 一緒に同じもの見て盛り上がって、一個楽しい思い出を作ること。 邪魔しないこと、こんなに近くにいるのだから触りたいけど、我慢我慢。 無駄にはしたくないから、オレは楽しさ一杯の横顔を見つめ時間を過ごした。 特集が終わり、コマーシャルが流れ、そこで斉木さんはついにオレの方を向いた。 目があった瞬間思いがけず胸がずきんと高鳴って、オレは中坊かよと少し恥ずかしくなった。 『そんな可愛いものじゃないだろ』 そっスね、そんな可愛いものじゃないね。 恥じ入って縮こまっていると、立ち上がった斉木さんに手を差し出された。 オレはその手をおずおずと取り、テレビを消して明かりを消して、ベッドに向かった。 真っ暗だけど、この部屋で暮らしてるんだ、物の距離とかもう身体に染み付いてるから無様にぶつかる事はない。 斉木さんの方も、超能力で昼間のようにオレが見えてることだろう。 お互いスムーズにベッドにもぐりこんで、無言で見つめ合って、そのまま何も喋らずお互いの服を脱がしあって、キスをしてそれから――。 「キライじゃないっスよ!」 何事か叫んで、オレは飛び起きた。 自分でも何を口走ったのかわからず混乱しながら、部屋の中を見回す。 夏は日の出が早いから、まだ起きなくていい時間にもかかわらず部屋の中は相当明るい。そして暑い。 オレはひとまず横になり、大きな大きなため息を吐きながら顔を押さえた。 隣に眠る斉木さんへ顔を向け、ゆっくりと昨夜の事を思い出す。 昨夜は、ひどくて、最高の夜だったな。 危うく貴重なお泊りを無駄にするところで、すんでのところで回避出来たけどあの一時間はきつかったな。 まあそのお陰で盛り上がった訳だけど。 ねー斉木さんと、寝顔を見つめる。 盛り上がりましたよね、充分に。 アンタだって、オレとする気持ち良いこと、好きですもんね。 一人ニヤニヤ顔をたるませ、つつ、起きたら昨夜の事をあらためて謝ろうと心に誓う。 斉木さんは許してくれたけど、オレの気持ちが済まないし自分が許せないから、起きたら即座に謝ろう。 起きたら絶対挽回するぞ。 斉木さんに昨夜の事謝って、許してもらえたら、美味しい朝ご飯作って一緒に食べて、今日いい天気みたいだからどっか出掛けたりして、せめて今日は楽しく過ごそう。 半分寝ながらつらつらと考えていると、尿意がぶるっとやってきた。 静かにベッドを抜け出そうとしたが、オレが壁際じゃどうやっても起こしてしまうだろう。 それでも頑張って、四苦八苦しながらベッドを下りたところで、鳥束と呼び止められた。 オレはびくっと震え上がる。思いがけずやって来たタイミングに、緊張感が走る。どうにか堪え、枕元まで行って小声で話しかけた。 「昨日はキライなんて言ってすんませんでした、許して下さい」 しかし、斉木さんの反応は鈍い。やっぱりそうすぐには許してくれないかと眉間に力が入る。 でも実際のところは違った。 『なんだ…どこいく?』 何これ噛み合わないな、もしかして寝惚けてるのかな? 「えーとあの、…トイレっス。すぐ戻ります」 しょうがないので謝るのは後に送り、素直に告げる。 斉木さんはうっすらと開けた目でオレを睨み、どこにも行くなとぐずりだした。 『昨夜は悪かった。僕が悪い』 「えっ……え?」 いえいえ、いえいえ! オレが悪かったんですよ、斉木さんが気に病む事ないですから! 思いも寄らない展開に全身が熱くなって、どっと汗が噴き出した。 『悪かったと思ってる……だからどこにも行くな…ここにいろ』 はい、はいとオレは頷いた。 ああもうなんだこれ、可愛いな斉木さん可愛いなあ! オレは心の中で大声を張り上げた。 「すぐ戻りますから、すぐですから」 五秒…は無理か、三分、いや二分で。 もうほんと一瞬で戻りますから。 『駄目だ…ここにいるって言え』 泣きそうな顔に変わった斉木さんに、オレも泣きそうになる。 別にトイレで差し迫ってるからじゃない。そうじゃない。 アンタの愛情に泣きそうなんだよ、わかってくれよ斉木さん。 と思う端っこに、さすがにこの年で漏らすのはさすがにつらいが居座る。 浸って大泣きしたいのと、現実的な切迫とのはざまで、オレはますます顔が歪んだ。 斉木さんっ……オレだってアンタを一人にしたくはない。 ああもう窓からやっちまおうか、さすがにそれはなー……しかし。 迷っていると、寝惚けている割に強い力でぐいっと引っ張られ、キスされる。 『いくらでもしてやるから』 いくな、いくなと繰り返しながら、斉木さんはキスを続けた。 ああそっか、昨日オレがチューしたいってのを拒んだの、気にしてたんだ斉木さん。それでこんなになっちゃったんだ。 斉木さんでもこうなる事あるんだ、うわぁ…嬉しいな。 オレは笑いたいやら泣きたいやらで大混乱だ。 親以外でオレをこんな風に望んでくれる人が、オレの人生に現れるとか、考えた事もなかった。 しかもこの世でただ一人の、最強無敵の超能力者だよ? そんな人の心の中で、オレの存在、かなりデカい。 ひょっとしたらオレが心に置くこの人より、デカいと思う。 オレ、どんだけだっつーの。 キス魔になった斉木さんに身を任せていて、はたと、この寝惚け具合ならひょっとしたら『好き』と言ってもらえるんじゃと閃きが過った。 よ、よし聞くぞと意気込んだところで、斉木さんの寝息が聞こえてきた。 狸寝入りとかじゃなく、しっかり眠ってらっしゃる。 欲張った罰が当たったな。 とても安らいだ寝顔にオレは、ガッカリしたのとホッとしたのとでどっと力が抜けた。おかげでちょっとちびりそうになった。危ない危ない。 はぁ…これ、起きたら覚えてないだろうな。 言ったところで信じちゃくれないというか『僕に限ってありえない』と断固否定するだろうな。想像に易い。 そう思ったらなんだか笑いが込み上げてきた。 だってさ、斉木さんが、あの斉木さんが、僕が悪かったとか、ここにいろ、だよ? はっきり耳にしたオレ自身も、寝惚けたか夢だったかと思うくらいのデレデレのデレだよ? 挙句昨夜素っ気なくしたお詫びにって、キス魔になっちゃってさ・・・あーもーちくしょー! オレの斉木さん最強に可愛いよおーだ! どっか山奥で思いきり叫びたいよ、まったく。 いいですよ斉木さん、オレはちゃんと記憶しましたから。 アンタから、熱烈にキスされた事、引き留められた事、ちゃんと脳に刻みました。 斉木さんの唇が触れたとこに手を持っていくと、たちまち顔がかーっと熱くなった。 あんまり熱いので、鏡で確かめたくなった。 ……おお! こりゃ立派に真っ赤だあ。 オレは、ベッドに眠る斉木さんを振り返った。 アンタね、人をこんな、りんご飴みたいな顔にしといてすやすや寝ちゃってからに。 「……斉木さん」 声に気を付けて呼びかける。 オレ、絶対どこにも行きませんからね。 アンタを置いてくなんて絶対しません。 アンタがうんざりするくらい、うんざりしたってなんだって、ずうっと傍にいてやりますからね。 だから、何も心配いりませんよ。 愛してます。 心の中でそっと告げると、熱い顔がますます火を噴きそうになった。 あまりの熱さに震えまできて、そのはずみでいい加減もらしそうになったのでトイレに駆けた。 すっきりして戻ったオレは、元のように斉木さんの隣に身体を横たえた。 静かに眠る顔を数秒見つめ、オレはまた後でねと心の中で呼びかけ目を閉じた。 |