窓の向こうに

夏:名前も呼んでくれないけど

 

 

 

 

 

 カラカラとグラスの中の氷をストローでかき混ぜて、オレはアイスカフェオレをひと口すすった。
「はぁ……」
 喉を通って身体の奥までしみ込んでいく心地良い冷たさに、思わずため息が零れた。
 冷たくて美味い、生き返る。
 ようやく人心地ついたと、オレは背もたれに身体を預けた。
 向かいには斉木さんがいて、たった今運ばれてきたコーヒーゼリーに顔中キラキラと輝かせていた。
 ああ、相変わらず可愛い人っスねえ。
 オレはもうひと口カフェオレを味わう。


 そろそろ夏休みというとある放課後、オレたちは、普段通らない住宅街の中にある喫茶店に来ていた。
 幽霊に教えてもらったもので、コーヒーゼリーが結構人気のようだよとの情報に斉木さんを誘い訪れた。
 店構えはいかにも昭和レトロといった感じで、ソファーやテーブル、照明といった内装もとても落ち着く空間となっており、初めてなのにどこかほっとする雰囲気が漂っていた。
 道中幽霊が案内してくれたので迷う事はなかったが、なにせ夏の盛りだ、日差しは強く、ちょっとの距離でも汗が噴き出してしようもなかった。
 着いたら冷たいものを頼もうと頭はそればかりになっていたオレは、メニューのアイスの項目一つ目のアイスカフェオレを注文した。
 斉木さんは、真夏でもホットとブレンドを選択、そしてお目当てのコーヒーゼリーを注文した。
 店内はお客もまばら、それぞれ静かに会話しているようで、話し声はほとんど聞こえてこなかった。
 だからオレも店の雰囲気を壊さないよう口を開かず斉木さんに話しかけた。
 こういう時、超能力者は便利だね。
(このクソ暑いのに、よくホット飲めますね)
 斉木さんならそうするだろうと思ってたけど、やはり感心してしまう。
『寺生まれが何言ってんだ』
(いやあ、今それ出されましても)
(それとこれとは話が別なんスよ)
 オレは苦笑いでごまかす。
 そうこうしていると、まずコーヒーが運ばれてきた。
 オレは早速口をつけ、ほてった身体を癒した。
 これで、落ち着いて斉木さんのコーヒーゼリーモニュモニュが楽しめるってもんだ。

 件のコーヒーゼリーは、レトロ感漂うデザートグラスに収まっていた。上に柔らかそうな生クリームがたっぷりとのせられ、チラチラとココアパウダーが振りかけられている。
 うーん、美味そう!
 さて、お味の方は…斉木さんの手にしたスプーンが、コーヒーゼリーをすくい上げる。
 それが口の中に運ばれて行くのを、オレは固唾をのんで見守った。
 この人は、あまり大げさに喜びを表現しない。
 静かに深く感動して、喜色を表す。
 うっとりほころんだ目尻の表情にオレはホッと胸を撫で下ろした。
(良かったっス)
 幽霊情報はやっぱりあてになるな。
『そうだな。礼を言っておいてくれ』
 最上級の言葉に、オレは満面の笑みでこぶしを握った。
 ほんと、良かった。

 店内は適度に冷房が効いており、ここに来るまでにほてった身体も段々と鎮まっていく。
 ようやくいつもの元気を取り戻したオレは、涼みつつ、今日一日あった事をテレパシーで斉木さんに伝えた。
 今更言うまでもないが斉木さんはコーヒーゼリーが大好物で、この世でオレの次に好きな物だから『おいそこふざけんな』…ちょっと混線したみたいだけど気を取り直して、まあとにかく斉木さんはこよなくコーヒーゼリーを愛している、ので、オレのお喋りはあまり取り合っちゃくれない。
 へー、ほー、と生返事で転がして、じっくりコーヒーゼリーを楽しんでいる。
 まあこれはいつもの事なので、オレもめげずにあっちへこっちへ話題を変えちゃ、お喋りを続けた。
 そうやって他愛ないお喋り…一方的…に花を咲かせていると、下校途中の小学生の男子二人が窓の外を横切っていくのが目に入った。
 オレは「おっ」となって注目した。
 二人が、一つの石を交互に蹴りながら進んでいるのが見えたからだ。
 そういえばオレも昔、あんな事したっけ。
 懐かしく思い返す。
(ねえ斉木さん、あれ)
 オレは窓の向こうを指差した。
 食べる手を止めなかったが、斉木さんはちらりと目を向けた。
(あれ、何が楽しかったんスかねえ」
 でもめちゃめちゃ熱中してたんだよな。
 暑いのも寒いのも構わず全力で走り回って、端から見たらゴミ同然のものを大事にして、とにかく毎日力一杯生きてたっけ。
 窓越しだから内容まではわからないが、二人は真剣な顔で何やら言葉を交わし、石蹴りに熱中していた。


(石蹴りの延長で、綺麗な石ころ探したりとかもやりましたっけ
(幽霊に教えてもらったりして、ガラスが混じってるような青白い石とか、つるんとした黒い石とか集めたり)
(斉木さんはやりました?)
『石蹴りは、一度やって電柱に当たり、結構なひびが入ったからやってない』
「ぉう…そっスか」
 思わず声が転げ出た。
(あそっか、子供の頃からかなり力が強かったんだもんな)
(今はだいぶコントロールも効くようになったけど、当時はまだ細やかな調節とか難しかったんだろうな)
『まあな。電柱はその夜こっそり復元しておいた』
(大変でしたね)
『石探しはけっこうしたぞ。隕石の欠片はもちろん、一時期希少鉱石探しにはまって、タンザニアとかの地中に潜ったりした』
「ぉおう……」
 超能力者すげー。
(斉木さんまじすげぇっス)
(隕石はもちろんとか、普通出ないっスよ)
(なにタンザニアとかの、って。タンザニアってどこよ)
 オレのお宝つったらガキあるあるで、綺麗な小石とか、牛乳瓶の蓋とか、蝉の抜け殻とか…今考えれば、何であんなものをって思いますけど、大事にしまい込んでましたね。
 ある日、全部、お袋にゴミだと思われて、大事にしまってたクッキーの缶ごと捨てられたっけ。
 甘いような、苦いような思い出を振り返る。
(てか、希少な鉱物とか、売ったらとんでもない事になるよね)
(ものによっちゃ億万長者も夢じゃない!?)
 ついよだれが出そうになる。
 斉木さんは呆れた顔でぐるりと目玉をまわした。
『馬鹿が勝負を持ち掛けたから石を探しただけだ。勝負がついた後は、それぞれ元の場所に戻した』
「はぁ〜」
(もったいなぁ〜)
(斉木さん、今からもっかい取りに行きません?)
 いいアイデアだと我ながら思うが、斉木さんは死んだ魚の目でオレを見てくるばかりだった。
 その目いやん。
 オレはへの字の口を小刻みに震わせた。
 アイスカフェオレを飲んで落ち着かせる。

(まあいいや。オレも希少な鉱石一つ持ってるし)
 斉木さんの目をじっと見つめる。
『は?』
(アンタのその瞳が、オレには何よりの宝物ですし)
『気持ち悪い』
「なっ……!」
(ひどっ!)
 そっぽを向いた斉木さんに、オレは思い切り頬を膨らませた。
『こんなもん、綺麗でもなんでもないだろ』
(そんな事ないっス!)
(木さんの目、すげえ綺麗っスよ!)
 そりゃまあ、大半は失望で輝きが鈍ってますけど、それでもアンタの目はちゃんと世界を映して光ってますよ。
 人間の醜い本音に翻弄されても傷つけられても、アンタは本当には希望を手放さない。
 その、稀な輝きを目に出来た時、オレはとても幸せな気持ちになるんです。
『妄想にもほどがあるな』
(ちょ、オレの勝手な思い込みじゃないっスよ!?)
『変態クズのお前を見る時はもれなく目が死んでるのに。何言ってんだお前は』
(いやいや。確かにオレを見る時の99%そうかもしれませんけど、それでもたまに瞬く時があるんですって)
『いや100%だ。お前を見る時はもれなく光を失ってる。というかそれ以外ありえない。そもそもお前なんか見てない説まである』
(やだもーこの人は…頑固なんだから。してますって。本当にしてるんです。ほんとーにごく稀ですけど。だから、会えた時は格別嬉しいんですよ)
『ああわかった、お前が寄越したコーヒーゼリーを満喫してる時だな。コーヒーゼリーに向けてるのをお前に向けてると勘違いしてるんだろ。それが正解だな』
(もー…斉木さん、観念して。オレの妄想でも願望でもないですから)
『ありえない。クズに向けるものといったら、殺意しかないだろ』
 うぅ、重ねて言われる内に、自分も段々そんな気がしてきた。
 カフェオレ飲んで落ち着こう。
 そうしよう。

 うん、そうだ、これだけは譲れない。
 そりゃ確かに、オレの口にする話題は斉木さん好みでないからあんまり光ったりしないけど、それでもごくたまに、オレを照らしてくれる事があるんだよ。
 固く閉ざされた窓が開いたようで、心が熱くなるのを感じる。幸せを感じる。
 そんな時が、本当に。
 オレには本当に、幸せに感じる瞬間なんだ。
『やれやれ、これだけ言っても納得しないんじゃしょうがない。お前の言う通りで、もういいよ』
 まったくもう、アンタって人は、本当に素直じゃないんだから。
 今まさにオレの言った通りの顔してるの、わかってますか。
 オレの事、どんな風に見ているか、わかってますか。
 こうやって呆れ笑いしてる思考が聞こえても変わらないんだから、オレってばどんだけ愛されてるんだか。
『暑さで目も脳みそも腐ったか』
 憐れむように首を振り、斉木さんは残りのコーヒーを啜った。
 そうやってわざとらしく振舞ったって光は消えない。
 弱まりもせず、オレに向かって力強く降り注ぐ。
 ああまずい、幸せすぎて泣けてきた。

 斉木さん――大好き。

 一心に念じていると『知ってるよ』とうんざり気味にテレパシーが返ってきた。
 その、やれやれってほのかな微笑が、オレをますます泣かせるのだった。

 

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