窓の向こうに

春;なんの変哲もない

 

 

 

 

 

「斉木さぁん、春っスね!」
 放課後、斉木さん宅にお邪魔したオレは、弾む気持ちそのままに声を張り上げた。
 斉木さんは、オレの手土産の新作コーヒーゼリーを優雅にモニュモニュお楽しみ中。
 オレは床に座り、定位置の椅子に収まった斉木さんの麗しいそのお顔と、お顔の向こうに見える窓とを交互に見やった。
「っスね!」
 重ねて声をかけるが、案の定というか、斉木さんはモニュで忙しくてオレの声など右から左。
 あぁもう…でも可愛いっスねえ。
 今すぐあの唇めがけて突進したいくらい可愛い。エロイ。エロ可愛いったらないエロさ!
 妄想の中で斉木さんのプルプルお口をペロペロしていたら、モニュモニュを中断して斉木さんに視線で半殺しにされた。
「……さーせん!」
 オレは即座にひれ伏した。
 その頭に足が乗っかる感触があったが、実際の足ではなく斉木さんの念力による圧迫だ。
 ひーん、なにこれ、何この女王様と下僕ごっこ、ひどい!
 オレはごく真っ当に純粋に心に正直に生きてるだけなのに。
 てか、恋人と部屋で二人きりになったら気持ちも盛り上がって、あれやこれやが膨らむのは当然の事でしょ。
 気持ちもそうだし、妄想もそうだし、股間もそうだし、ねえ!
「……てか斉木さん、そろそろ『足』どけてほしいんスけど」
 ちょっと前から抵抗してるのだが、これ全然ビクともしねぇ。
『お前はこの先ずっと木目だけ見てろ』
「ひどすぎっ!」
 なんで、なんで恋人とのチョメチョメをちょこっと思い浮かべただけでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
『お前のそれは「ちょこっと」どこじゃないだろ』
「オレにはちょこっとですぅー。てかあの、なんかあの、頭だけじゃなくて首とか背中まで重くなってきてるんですけど」
『気のせいだろ』
「いやマジ重っ、重いっス! なにこれ、何してんのこれ!」
『何もしてないぞ。お前に木目の偉大さを教えてるだけだ』
「はい、はいもう充分わかりましたから!」
 段々と脂汗が滲んできた。シャレにならないから、斉木さん、シャレにならないからもう勘弁して!
「いやいやマジで、膝、膝にもきてるから!」
 そんなこんなの茶番を経て、ようやく圧迫感が去ったのは、斉木さんが一つ目のスイーツを食べ終わる頃だった。
 美味しいもので気持ちが満たされたので、オレを許す気になったのだそうだ。
 は〜ぁ、斉木さんと過ごすのも楽じゃない。
 けど、そこも好きなんだけどね。

 今日はパパさんママさんがデートでお出かけで、その隙にってわけじゃないけど、斉木さんと二人遅くまでのんびり過ごせる。
 晩ご飯は、作るもよし食べに行くもよし。
 作るなら、一緒に作りながらイチャイチャしたいっスねえ…ぐふふ。
 新婚さんみたいな…そう新婚さんみたいな!
 そんでその時に、今度の週末どこかお出かけしましょ、なんて話し合うのもいいっスね。
 梅の花がほころんで、菜の花も満開になって、ついに桜の季節がやって来たわけだから、どっかお出かけの予定を立てたいな。
「ねえ、斉木さん。どっか行きたいっスね」
『とうとう塀の向こうに行く決心がついたか。よし、今すぐ送ってやるぞ』
 斉木さんは二つ目のスイーツ…いちごのクレープをモグモグしながら、念力でオレの腕をぐいぐい引っ張り出した。
「へぇ、ぃい? いやいや、違う違う! 違うから!」
 また連行で遊ぶし!
 オレは必死に抵抗して引っ張り返した。
「違いますよ斉木さん!」
『なんだ…違うのか……』
 あからさまにしょんぼりしないの、もう、めっ。
「じゃなくて、せっかく春なんですし、お出かけしたいなあって」
『やれやれめんどくさいな。まあ聞くだけは聞いてやるか、どこに行きたいって?』
「いえ、何か、どこかって訳じゃないんですけど……」
 厳しい冬を乗り越え過ごしやすい季節になったのだ、春めいた装いで仲良くお出かけしたい。
 桜の名所とかの行楽地でなくてもいいから、斉木さんとお出かけして、美味しいもの食べて、楽しかったねって思い出作りたい。
「……んですよ」
 そう提案すると、とあるゲームソフトを手渡された。
『コイツを、最初のセーブポイントまで攻略出来たら、行ってやらん事もない』
「えっ……」
 そんなんでいいのかと一瞬浮ついたが、すぐにハッと思い直す。
 斉木さんが言うって事はこれ、相当えぐいクソゲーっスね。
「おるふぁ…ナントカ」
 ケースを警戒丸出しで眺めていると、とってもエエ顔でにっこりされた。
『頑張れ、鳥束』
「ぬぅ…ええい、やったろうじゃないっスか」
 オレはテレビの前に腰を据えた。がオープニング画面でもう、後悔が過った。

「っくぁー!」
 悪い予想は大当たりで、これ本当に世に売り出されてるものかよと投げ出したくなるほどのクソっぷりだった。
 全然頭に入ってこないダラダラ説明、ひでぇグラ、フリーズの嵐…何度コントローラー叩き付けたくなった事か。
 はあー!
 また死んだよトム!
 しっかりしてよトム!
 この…おじいちゃんが!
 おじいちゃんが!!
 握り締めた拳に噛み付き、オレは再度始めからスタートした。

 やっと……やっと最初のセーブポイントにたどり着いたぞ!
 うおおーオレはやったぞー!
「やりましたよ斉木さんっ!」
 オレはぐっと拳を握り締め、喜びにむせび泣いた。
 どんくらいかかった?
 えーと……うわもう日が暮れてんじゃん。
 はぁーひでえゲームだまったく。
「でもやりまたよ斉木さん、見て見て、褒めて!」
 何から何までクソ、あらゆる部分で要らぬ苦労を強いられ、さすがは斉木さんのお眼鏡に敵ったクソゲーだよと何度も泣かされたが、今は達成感で一杯だ。
 オレは感涙しながら振り返った。
 するとそこには、ベッドにもぐりこみ眠りこける斉木さんが!
「なんで寝てんの!」
 思わず叫んだ。
 いや…まあね、部屋に二人でいて、片方がゲームに熱中してたらそりゃ退屈で眠りたくもなるでしょうが、でもこれアンタが言い出した事っスよ!
 オレに任せっきりで寝ちゃうとかそりゃあんまりじゃないの?
『起きてる起きてる』
 血の涙を流さんばかりに歯ぎしりするオレの前で、斉木さんはのんきに大あくびしながら腕を伸ばした。
 嘘つけー!
「今起きたところじゃないっスか!」
 人が苦労してる横で、アンタって人は…オレがどんだけ精神削られたと思ってんスか!
「……とにかく、ちゃんと攻略しましたからね。最初のセーブポイントまで、言われた通り進めましたよ」
『うむ、ご苦労。じゃあ行くか』
「え……どこに?」
『どこか行きたかったんだろ?』
「え……ええそうっスけど、でもまだどこって、決めてはなくて」
 なにせクソゲーにかかりっきりで、他の事など考える余裕もなかった。
 でも、斉木さんはどこか明確な目的地があるようだ。
 どこか、連れていってくれるみたいだ。
 オレの中にじわじわと喜びが湧き出す。
『丁度夕飯の時間だな。公園前のファミレスでも行くか』
「はぁ……ええ」
 湧き始めた喜びは、いびつな膨らみでオレの胸を圧迫した。
 夕飯の時間と言われて、オレも空腹を感じた。空腹を満たすのも大事だが、それも重要だが、どこかにお出かけと浮き立った気持ちが中途半端なままで、オレは微妙な喜びしか表せなかった。
 そりゃ、どこでもいいとは言ったけどさ。
 斉木さんからしたら、どこか行きたいをクリアできるし空腹も満たせるしで一石二鳥かもだけどさ、だけどさ。


 たどり着いたファミレス、入り口の大きなドアを引き開けると、丁度夕飯時という事もあってほぼ満席状態であった。
 こりゃー待たされるかと思ったが、窓際のテーブル席が運よく空いていた。
 そこに案内され、ふと窓の外を見ると、丁度いい具合に街路樹の桜がよく見えた。
 街灯の白色に照らされた桜も中々風情がある。
 桜はほぼ満開で、この席からだと枝ぶりもあってより美しく見えた。
 自然と頬が緩む。
「この席、いいっスね」
 ちょっとしたお花見、夜桜見物、おつっスね。
「うまいこと空いててラッキーでしたね」
 小さな偶然に感謝し、オレはウキウキで話しかけた。
『偶然じゃない。僕が空けといた』
「え……まさか予約とか?」
『いいや。ちょっとサブリミナル送って、誰も案内しないようにしておいただけだ』
 開いたメニューを目で追いながら、斉木さんは何でもない事のように言ってのけた。
「だけ、って…え、……えっ!」
 わかった途端、どこまでも歓喜が膨れ上がっていく。
『うるさい、ちょっと思考鎮めろ。ここはただでさえ人が多くて騒がしいんだ』
「あ……すんません、でもでも、でも斉木さん」
 こんな形でオレの希望叶えてくれるなんて全然思ってなかったから、もうオレ嬉しくてうれしくて!
 止まらないっス!
『こんなもんでそんなに喜ぶなんて、簡単でいいなお前は。扱いやすくて助かるよ』
 またもう、そんな言い方して、アンタって人はもう。
 こんなもんでもなんでもないっス、すごくニクイ演出です。
 あー嬉しい、ああー嬉しい!
 苦手なのに、オレの為にわざわざ人が多いとこ来てくれるなんて。嬉しくてたまらない。
「斉木さん、ありがとうございます。お礼に何でもご馳走しますよ」
『それを聞きたかった』
 斉木さんはにやりとすると、ウキウキ顔でメニューをめくった。
 うわ、堂々と使うなあ。
 まあうん、オレ確かに簡単ですね。
 でもいいですよ。
 オレも嬉しい斉木さんも嬉しい、これ最高じゃん!

 鼻歌が聞こえてきそうなご機嫌斉木さんをしばし見つめた後、オレは窓の外に目をやった。
 そりゃ、どっか有名な行楽地とか嬉しいよ。
 ちょっと気取った格好して、ご馳走の詰まった重箱ぶら下げて、二人でのんびり優雅にお花見とかしたりさ。
 窓の向こうに目を向けたまま、横の席に置いた鞄を気にする。
 中には、駅前で取ってきたお花見ツアーのパンフ各種が入っている。
 時間があったら斉木さんと一緒に見て、盛り上がろうかと考えていた。
 その前にクソゲーの先制攻撃くらって、出しそびれたんだけど。
 とにかく、近隣でも、遠方でも、斉木さんならどこでも「すぐそこ」になるし、土下座でもなんでも拝み倒して一緒に行こうと心に秘めていた。
 けど、どこだっていいって言ったオレの言葉に嘘はない。
 どこだっていい、アンタとならばどこでもいい思い出になる。
 なんの変哲もないファミレスのハンバーグセットもアンタとなら極上の晩餐になるし、排気ガスにまみれても頑張ってる街路樹の桜でも、アンタとなら天上の花に見えてくる。
『鳥束、鳥束、見ろ、コーヒーゼリーだ』
「痛い痛い斉木さん、耳引っ張んないで、見るから、コーヒーゼリー見るから引っ張んないで、伸びちゃう」
『よし見ろ、ほら、この魅惑の色合い。グラスの七分目までという絶妙な分量、上にのったクリームとバニラの色合いもぐっとくるな、そっとのせられたミントが、控えめな色合いを引き立てている。何もかも素晴らしいな』
 なんて完璧なんだと、斉木さんがうっとり顔をほころばせる。
 オレはそんな斉木さんに魅了される。コーヒーゼリーの事となると本当に嬉しそうで、エロ可愛いったらない。
 こんなに可愛い人、世界に二人と居ない。
 そんな人がオレの好きな人――オレを好きな人。
 オレは慌てて窓の外へ目をやってごまかした。
 ああどうしよう、嬉しくて幸せで涙が出そうだよ斉木さん。

 

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