いいから座れ
夏:口止め失敗
蝉の声が降り注ぐ高原の木陰で、オレはハンモックに揺られうつらうつらといい気分んでまどろんでいた。 真夏でも木陰は涼しく快適で、時折吹き抜ける風は爽やかで最高、今にも眠りに引き込まれそうだが、オレはぐっと頑張って目蓋を抉じ開け踏ん張っていた。 というのも、すぐ隣には斉木さんがいて、さっきまで読んでた本を腹に乗せて、同じようにうたた寝中だからだ。 すぐ傍に愛しい人の寝顔があるのに、眺めず寝ちゃうなんてもったいないっス。 無防備に眠る顔、とても無防備でその癖隙が無くて美人さんで、いくら見ても見飽きない。 飽きないどころかどんどん惹かれていく。 ああ、可愛いな、綺麗だな…幸せだな。 チューしよっかな。 でもなあ。こんなに気持ちよさそうに眠ってるのに、起こしたら可哀想だ。 そっと、頬っぺたにするくらいなら、いいかな。 頬っぺたくらいなら、起こしちゃわないよな。 オレは少しずつ姿勢を変えて、ゆっくり顔を近付けていった。 ゆらりゆらりとハンモックが揺れる。 もうあとほんのわずかというところで、突然の落雷がオレの身体を貫いた――! 「いでぇっ!」 突如眉間を襲った鋭い痛みに、オレは目を覚ました。 何が何だかわからず、痛みに悶絶しながらがばっと起き上がる。 チカチカする目を凝らして見やると、拳を構える斉木さんの姿があった。 ああ、落雷じゃなくて、斉木さんの拳骨だったか。 わかったのはいいが、一体何事だ。なんでオレ、殴られたんだ。ガンガン痛む眉間を撫でさすり、涙目で抗議する。 「痛いっスぅ……何スか」 『なんだじゃない、いつまで寝てるつもりだ』 「えっ……?」 いつまでって、今何時? てかなんで斉木さんがオレの部屋にいるんだ? てかここオレの部屋だっけ? そもそも何してたっけ――そうだ! 『やっと思い出したか。さっさとこっち来て座れ』 「はっ……はいっ!」 オレはどたばたとベッドから転げ出ると、斉木さんが指差す方…教科書の置いてあるテーブルの前に正座した。 今は放課後夕方近くで、ここは斉木さんの部屋で、そもそも何をしてたかというと、宿題を見てほしくて斉木さんちに寄ったのだった。 教科書出したまではよかったが、隣で教えてくれる斉木さんに見惚れたり説明の鮮やかさに聞き惚れたりいい匂いだな近過ぎだなとか何やかやあって・・・になだれ込んでしまい、そして流れで眠ってしまい、つまり一問も宿題解けてないのだった! 「まじですんません!」 外はまだぼんやり明るいが、夏は日暮れも遅いから、きっとそれなりにいい時間になってることだろう。 つまりそれだけ、のんきに眠りこけていたって事だ。 それも、斉木さんのベッドを占領して、我が物顔で。 ひぃ〜っと血の気が下がる。 『僕は別にいいんだがな。お前が宿題ほっぽり出そうと、なんだろうと、ちっとも関係ないからな』 「さ、斉木さん、そんな事言わずに、どうか頼んます!」 オレは力強く両手を合わせ、頭を下げて一心に願った。 『やれやれ…お前に流された僕にも責任はあるからな』 出来るまで、ちゃんと見てやる。 『ただし、終わるまで夕飯抜きだ』 深夜までかかろうが飯抜き、寝るのも禁止。 それを聞きオレは苦い顔になる。でも、とはっとする。 斉木さんがそこまで付き合ってくれるというのだ、そこまで覚悟しているのだ、ならオレだって、ガッツを見せねば男じゃない。 『そうだ、頑張れ。ま、僕は寝るがな』 お前に、寝たら電気ショックが走る呪いかけて、眠るけど。 「うっぐすっ……」 超能力者にとって、それくらいの呪い朝飯前でしょうね。 そんでアンタは、言ったからには確実にやるお人。 オレの恋人、マジおっかねえ。 『嫌なら帰れ』 「かっ帰りませんっ!」 アンタは確かにおっかないけど、その何百倍も何千倍もかわいいもの! オレ、どうあってもアンタにベタ惚れだから帰るわけない! どうか鍛え直してください。 『はぁ……めんどくさい』 そ、そんな事言わず、最後までよろしくお願いします。 『そのつもりだ。そら、さっさと始めろ』 はは。 なんだかんだ言っても見捨てないでくれる斉木さん、大好き。 『僕は…どうかなぁ』 「ちょ、そういうのやめて!」 オレは泣き顔になって斉木さんを見上げる。 『鬱陶しい。茶番はもういいから、さっさとやれ』 「はいっス」 オレは筆記用具を構え、問題に向かった。 叱責を受けつつも宿題範囲の半分を超え、段々と終わりが見えてきた。 オレは、最初に言いつけられた通り無駄口をたたかず最低限の質問だけにとどめ、黙々と問題をこなしていった。 残りあとわずかというところで、斉木さんがぽつりと零す。 『救いがたい変態クズの癖に、お前、馬鹿じゃないんだよな』 飲み込みは決して悪い方じゃないから教え甲斐もあるし、はぁ……本当に残念だ。 「なんかすごく残念がられた。なんかすんません」 釈然としないが、ひとまず謝る。 『やれやれ、やっと終わるか。まったく、こんな時間になってしまったじゃないか』 「あぁ…それはもう、素直にすんませんです」 途中で余計な事して…まあ余計じゃないですけど、オレには全然余計な事じゃなく本筋でメインで最重要課題でしたけど…更に昼寝に突入したオレが全面的に悪いです。 「なんだったら斉木さん、途中で叩き起こしてくれてもよかったのに」 あの遠慮のない眉間攻撃、もっと早めにしてくれてよかったのに 『ぐーすか寝といて、よく言う』 「はい……さーせん」 心底呆れたとため息を漏らす斉木さんに、オレは縮こまって詫びる。 と、白けた顔がある一点を見た途端急に焦り出し、なんだどしたと思う間に頬が朱に染まっていった。 そっちに何かいるのかと同じ方に目をやれば、オレの守護霊燃堂父が、やたらニヤニヤ顔でオレらを見ていた。 「へへ、わかってるって相棒、さっき約束したもんな」 任せろ、と、頼もしく親指を示す燃堂父。 あぁ、オレが寝てる間に何か約束したのか、なんだよ気になるじゃん、一体どんな約束したっていうんだ――と思う間に、燃堂父から正解が語られる。 「おめーが零太の寝顔見つめてニヤついてたのは、オレと相棒二人だけの秘密だもんな、を!」 「――!」 「!…え、ちょ…え……斉木さんが?」 オレは思い切り腰を浮かせ、燃堂父に詰め寄った。そのすぐ傍で、斉木さんが真っ赤な顔で歯ぎしりしている。 オレも同じように真っ赤になって、思いきりにやけて、斉木さんに顔を向けた。 え…まじで? 本当に、あの斉木さんが…この斉木さんが? オレの寝顔見つめて、その――うそぉ! なんだろこの人、ああぁどうしよ、嬉しいのと愛しいのとで心臓破裂しそうだ。 やだもうどうしようとドキドキを抱えるオレに、斉木さんは赤い顔のままバールのようなものを手にして無言で振り上げた。 「わー待った待った! 消すのなし! 待って待って!」 頭を庇うオレに、躊躇なくバールが振り下ろされる。ギリギリで避けると、空を切る音が耳をかすめ、オレは一気に青ざめた。 『鳥束、存在ごと消されるのと記憶をちょっと消されるのと、どっちがいい?』 「どっちも嫌っス!」 どっちもオレには等しく大事だ、消されてたまるか! 『うるさい…いいから座れ、大人しくしろ、一瞬で済む』 「いやだー!」 必死に首を引っ込める。そのすれすれを、バールのようなものが通り過ぎる。 ひぃっ……! 次は鼻先、また顔の横と、バールのようなものが過る。 オレは、さっきとは違う意味での真っ赤な顔で、必死に避け続けた。もちろん口寄せしてる。だってオレのままじゃこんなのかわせないし! そんなオレたちの攻防は、階下からのママさんの「ご飯よ」という呼びかけでお開きとなった。 「ほらほら斉木さん、ご飯ですって、いきましょ!」 オレは精一杯明るい声で斉木さんを誘う。 しかし斉木さんの殺気は消えてくれない。 バールのようなものも消えてくれない。 ああもう、それ恋人に向けていいものじゃないでしょ、めっ! 「なんで消そうとするんスか、オレ…すごく嬉しいのに」 斉木さん、わかってくれたんでしょ。 オレ、自分からは言ってないですけど、最近暑い日続いててちょっと寝不足だから、それもあってゆっくり寝かせてくれたんでしょ。 で、その時にオレの寝顔を――。 デレ現場を自分の目で見らんなかったのは残念で仕方ないが、想像だけでも顔がはれるほど熱くなって、胸が熱くなって、たまらなく嬉しい。 自分はその時夢の中だったけど、その夢で、斉木さんの寝顔見つめてたんですよ。オレがそれにどれだけ幸せを感じたか。 斉木さんだってきっと、幸せ感じてたに違いない。感じててほしい。 どーでもよきゃ、燃堂父に口止めせがむなんてありえないしな。まあ、燃堂父なので、結局約束は叶わなかったけど。そこはすんませんと謝ります。 それはそれとして、口止めするくらいオレをニヤニヤ見つめる斉木さん…ほんとレアだわ。 あ、そか、そんな自分が「らしくない」から、腹いせにオレに拳骨くれたんだな。 なんだか全てが繋がったようで、オレは少しおかしくなった。 斉木さんの表情が一瞬にして悪鬼に変わる。 「ひっ……! す、すんません!」 『……ふん。今日のところは勘弁してやる』 斉木さんはふいっと顔を背けると、手にした得物を引っ込め、部屋を出ていこうとした。 その顔付きはまだ全然険しかったけど、照れ隠しのそれだと把握出来たので、オレはほっと胸を撫で下ろした。 斉木さんに続いて部屋を出ようとしたところで、お前は駄目だと阻まれた。 「なん…なん、なんでっスか!」 『終わるまで夕飯抜きだと言っただろ』 「え、あっ……でもでも、もうちょびだから、そこは勘弁してくれても……」 斉木さん頼んますと拝み倒し、どうにか食卓につく事を許された。 『やれやれ仕方ない、さっさと座れ』 はいっス! えへへ、やっぱり斉木さんは優しいよ。オレもう斉木さんの優しさに溺れっぱなし。 そう、とっくの昔に。 |