君の隣で
夏:校外授業
ハンカチ、ティッシュ、帽子、タオル…。 明日は遠足、一年から三年まで、学年ごと別々の場所にお出かけの予定です。 お天気お姉さんの予報では、明日は全国的に晴れの良い一日となるそうです。 てことで、準備をしましょうね。 てことで持ち物チェック、行きますよ。 「てことで……あとは何がいるっスかねえ」 修学旅行でも使った、見た目以上にたくさん荷物が入るリュックに、オレは用意した品を一つずつ詰め込んでいった。 「にしても、高校生にもなって「遠足」って、おもれーっスよね」 前のガッコにはんなもんなかったな。 作業しつつ記憶を掘り返していると、斉木さんから指摘が入った。 『校外授業』 「はい?」 『落語観賞、行ったんだろ』 「……あー、あーあー!」 はいはいはい、それなら確かに行きました。中々おつで、面白かったですよ。 そっか、なるほどね、小中だと「遠足」で、高校だと「校外授業」って変わる訳ね。 じゃ「遠足」そのままのPK学園、やっぱちっと変わってんな。 ま、なんたって斉木さんが通う学校だもんな、普通じゃないよな。 なんて、ははは。 それはそれとして、持ち物チェック、と。 『へえ、お前、車酔いする性質だったのか』 知らなかったと、斉木さんはコーヒーゼリーを食べる手を止め、オレの持つ小さな薬の箱に視線を注いだ。 「あー、これですか。いえね、公共のバスとか電車とかは平気なんですけど、学校行事で乗るあの手のバスは、どーも苦手で。昔から。なので手放せないんスよ」 『ふぅん、大変だな』 「まあ、気分的なものもあると思います」 オレ、小学校の頃その…いじめられてて、その時の記憶が強く染み付いてるからかあんまり観光バスとか好きじゃないんです。 「どーもね、思い出しちゃうんスよ」 仲間外れにされたこと、ヒソヒソされたこと、数えると結構あって、中々堪えましたから。 「それもあって、ああいうのに乗ると具合悪くなるんじゃないかって思い込んじゃって、思い込みで更に悪くなっちゃうんですよね」 『ふうん』 「でも、多分ですけどこれからは、そうはならないと思うんスよね」 なんたって斉木さんとお出かけ出来るわけですから! 『調子いいな』 「いえいえ、ほんとに。実際思い返してみると、そうですもの」 この学校に転校して…というか斉木さんを好きになった頃から、オレ、世界が明るいですもん。 「もうきっと、酔い止めなんていらなくなってると思います」 斉木さんのお陰っス、ありがとうございます 『しらん、勝手に感謝するな』 「感謝しますよ、感謝感激っス。なんたって斉木さんと中華街スイーツ巡りするわけで、万全の体調で行けるなんて感謝以外ないっス!」 そう、明日の行き先は横浜中華街。 斉木さんは、コーヒーゼリーを食べながら最新情報の乗った雑誌をチェックするのにいとまがない。 さっきから、ページのあっちでお目目キラキラ、こっちでお目目キラキラと可愛いったらない。 (ほんとに可愛い人だよなあ) (好きなものが顔に出やすくて、可愛い) 『出てない』 たちまち斉木さんはむすっとして眉間にしわを寄せるが、はいさーせんとオレが謝って、一応納得して雑誌に目を戻すやキラキラし始めて…もー、だからそういうとこだって。 可愛いんだって! そんでまた斉木さんは『しまった』と気まずい顔をするけど、雑誌を読んでる限りお目目キラキラは止まないご様子。 いいじゃないの、好きな物楽しんでキラキラ出来るなんて、幸せだよ。 斉木さんに幸せな事があって、オレ、ほんと嬉しいし。 だからもっとキラキラして。 あー、食べちゃいたいほど可愛いなあ、キラキラ可愛い、斉木さん可愛い。 撮っとこ! オレは即座にスマホを取り出し激写した。 しかし、オレが激写するより斉木さんが仏頂面になる方が一歩早かった。 「あぁん、もう」 『あぁん?』 「いえ…すんません」 『破壊しないだけありがたいと思え』 「……はい。やっぱ…嫌いっスか?」 『大嫌いだぞ』 「うっ……そっスよね」 目立つ事が嫌い、超能力者だと知られたくないから、わずかな証拠も残したくない。よって写真に納まるのも出来る限り避けてきたという斉木さん。 「あぁ……じゃあ、これ持ってかない方がいいよな」 実は兄さんから、ちょっといいカメラを借りているのだ。それで明日斉木さんを撮りまくろうと思っていたのだが、留守番させた方がいいかな。 『別に構わないぞ。お前は特別だ』 「……えっ」 特別って、え、斉木さん、それって。 舞い上がっていいのかと、笑いかけの複雑な顔で戸惑っていると、言葉は続いた。 『少しでも気に入らなければ即破壊し、お前の記憶も操作する。その事に一切の躊躇はないぞ。お前にはためらわず何でも出来るという意味で、特別だ』 「げぇっ……」 『今のところ僕の危惧する事態に向かう事はないようだから、黙認している』 ……ほっと胸を撫で下ろす。 「あでも、夜のおかずにしちゃおっかなって思ってますけど…これについては……」 恐る恐る申告すると、がつんと脳天に衝撃が走った。 『そのたんこぶ一つで勘弁してやる』 「……はい」 頭くらくら〜 ピヨピヨしてると肩を組まれ、写真を撮られた。 「てかこんなみっともないとこ撮るなんて、斉木さんひどいっ!」 『いい思い出になったろ』 こんな時だけ爽やかな笑顔で、憎たらしいったらない。 明日、一杯恥ずかしいとこ撮ってやるから、覚悟しとけよ斉木さん。 決意を胸に、借り物のカメラを慎重にリュックに収めていると、猛烈な既視感に襲われた。 「斉木さん……オレ」 『さぁな』 半ば無意識に口から零れ出た問いに、斉木さんは軽く肩を竦めた。 オレが聞きたかったのは「こんなやり取りしたの、何度目ですか」というものだった。 そう、明日の遠足の準備をしながら斉木さんと他愛ないお喋りをする、こういう事、もう何度も繰り返してきた気がする。 そしてそれは気のせいではなく、実際に繰り返しているのだ。 斉木さんがループさせた回数だけ、オレたちはこうやってオレの部屋でのんびり過ごしている。 明日の遠足の準備をしつつ、斉木さんがコーヒーゼリーを食べる様に見惚れて、それを何回も何回も。 その事に思い至った時、何とも言えぬ大きな塊を感じ、塊に圧し掛かられる息苦しさに見舞われ、軽い目眩を感じた。 嫌だとか、怖いとかの感情ではないが、どうにも言い表しにくい状態になった。 寒い、ともまた違う。 でも、何かを感じたのは確かなのだ。 『足りない頭でそう考えるな』 「ひっで!」 そりゃまあちっと足りないでしょうが、そんなズバッと言わないで下さいよ。 『何度目だとか、どうだっていい。お前が言った通り、これが二年最後の遠足だ』 「んっ…うん、ええ、そっスね」 上手くはぐらかされた気もするが、斉木さんの言う通りこれが最後、それが重要。 これまでは、斉木さんのマインドコントロールで何度も高二があるのが当たり前だったけど、真相を聞かされたオレには当たり前じゃない。 でも、うん、どうだっていい事だ。 どうだってよくないのは――。 「今回初めて、カメラ持ってくの許可してくれましたよね」 斉木さんはコーヒーゼリーの最後のひと口を、殊更ゆっくりモニュモニュ味わう。 『本当は今回も、壊してでも断るつもりだった』 「そりゃひどい」 何度も実力行使に打って出られた過去のオレたちを思い返しながら、オレはゆっくり笑った。 「ね、なんで今回は許してくれたんです?」 尋ねるが、うっすらと理由はわかっていた。 わかってて聞くな、って返答がくるんだろうとぼんやり思う。 斉木さんはそんなオレを鼻先で小さく笑うと、春にお前が言ったから、と返してきた。 ――今度こそ本当に最後の二年生 ――悔いのないように、思いっきりやりたい事やりましょう 『お前の言う通りだと思ったから、許可したんだ』 ああ、やっぱり思った通りだったか。 その嬉しさと、はぐらかさず答えてくれた嬉しさとに、オレは喜びながら少し涙ぐんだ。 恥ずかしいし気まずいし、どうしたものかとしきりに瞬きしていると、斉木さんがコーヒーゼリーのお替りを言ってきた。 これ幸いと、オレはすぐさま腰を上げた。 上げようとした。 そんなオレの襟首を引っ掴み、斉木さんが力任せに引き寄せる。 急に近くなった顔に、慰め…キスの予感とオレはどぎまぎした。 しかし斉木さんはそんなもの容易にへし折る。 『さっきも言ったように、僕の気分次第で容赦なく破壊するからな。心しておけよ』 「……はい」 充分承知しております。 がっかりとどっきりに鼓動が速まる。 『わかっているならいい』 わかってますよ…斉木さんが、そう簡単にキスしてくれない事くらい。 とほほな心境でいると、またも裏切られる。 しないと思ったタイミングでキスを仕掛けられ、ますます心臓が跳ね上がる。 どんな顔すりゃいいんだと、ぽーっと斉木さんを見つめる。 『あんまり変なとこは撮るなよ』 「………」 『返事は?』 「はい……」 遅れてやって来た喜悦に、オレは顔中とろけた。 「斉木さん…好き」 『乙女キモイ』 「そんなとこも好き」 『わかったわかった』 変なとこなんて、絶対撮りませんから。 一生の思い出になるような、素敵な写真を残しましょうね、斉木さん。 |