君の隣で

春:身体測定

 

 

 

 

 

 ガラスの割れる音、宙に投げ出された身体、急速に遠ざかる青い空白い雲…
 二階から地上にダイブはだいぶきついけど、よっぽどじゃない限り死なないよね…グッバイ斉木さん!
 ――やれやれ
「あ……ぐへっ!」
 背中にドシンと衝撃が走る。しかしそれはその場ではっ倒されたくらいの軽いもので、オレは一瞬呼吸困難になるだけですぐに回復出来た。
 ヒハヒハ呼吸を整え、オレは起き上がって辺りを見回した。
 どこだここ――。
「屋上……だな」
 高いフェンス、あっちとこっちにある階段室、そして床の形状から見て、本校舎の屋上に間違いなかった。
 と、誰かの影がオレの顔にかかる。
 オレは弾かれたように見上げた。
「!…」
 斉木さんだとわかった瞬間、オレの顔はだらしなく緩んだ。

『お前、懲りないな』
 斉木さんは、心底呆れたって顔でため息つきながら顔を左右した。
 オレは小さく笑い、眉尻を提げた。
『前回と全く同じ事して、全く同じ制裁食らって、それでも懲りずに保健室を覗こうとは』
「呆れちゃいますね」
 オレは頭をかきかきへへへと笑った。
「ワザとっスよ」
 身体の後ろに手をつき、足を投げ出した格好でオレは続けた。
「女の子大好き…大っ好きです、オレ」
 斉木さんを好きになっても、やっぱりおっぱいに夢見るのやめられないっス。
 この辺、ちょっと心配でもあったんスよ。
 すっぱり興味なくなっちゃうのか、心配でした。
 それはそれで、も、いいんですけど、でも、オレずっとガキの時分から好きだったから、あの煌めきみたいなのが褪せちゃったら嫌だなって思ってたんです。
 まったく興味なくなるって事もなく、でも前ほどギラつく事もないけどやっぱり、好きは好きっス。
『早く本題に入れ』
 ほんの少しイラついた様子で、斉木さんが促す。
 オレは一旦口を噤み、あらためて開いた。
「斉木さんが言ったんじゃないっスか。いつも通りにしてろって。オレがいつも通りしてる方がいいって」
『それだけじゃないよな。
「うん、すんません……あの、同じ事してんのは、斉木さんにハッパかける為っス」
『……なに?』
「ワザとやってるんですよ。わざと同じ事やったら、ループ、嫌でも意識しちゃうでしょ」
 斉木さんの眉がぴくりと動いた。


 この世界が、一年を何度も繰り返していると斉木さんに聞かされたのは、今から一週間ほど前、春休みも終わろうかという頃に遡る。
 その日斉木さんは、まるで軽く飲んできた人みたいにやけに陽気な面でオレの部屋にやってきた。
 オレはちょうど布団に入ったとこで、もう寝るって時の急な訪問にそりゃあ驚いた。
 でも、斉木さんならいつだって大歓迎だから、眠気なんてすぐに吹っ飛んだけど。
 正直言うと、まったく、こんな時間に非常識だなって気持ちも、少しはあった。ちょびっとだけ過った。
 でも嬉しさのが勝って、腹立ちなんてすぐどっかに吹っ飛んだ。
 なんであれいつであれ、恋人が会いに来てくれたのだ、眠気も吹っ飛ぶ怒りも消え去る。
 たとえ、明日始業式であろうとも。
 斉木さんはオレを寝床から引っ張り出すと、ちょっと散歩しようと適当な服を見繕ってオレに着せ、有無を言わさず連れ出した。
 ――ど、どこ行くんスか?
 ――夜景の綺麗な場所だ
 それを聞いてオレはどこかの高台を想像し、いやいや斉木さんだから高層ビルのてっぺんにでも連れていくのだろうと想像を広げた。
 とんでもない、行った先は宇宙だった。
 日本列島の輪郭が、光によってくっきりと浮かび上がる。
 こんな規模の夜景初めてだ。
 ぽかんと口を開けたまま、ただ突っ立っていた。
 宇宙空間なので正確には浮いていたのだが。
 はっと我に返り、呼吸やらなんやらにようやく思い至ってあたふたする。
 その辺は斉木さんが手配してくれたので何の問題もないが。
 ――はあ……きれいっすね
 やっと口からそれだけ出せた。
 本当に綺麗だと思っているが、頭がついていかないのだ。
 混乱のさなか、ループの事をしらされた。


 斉木さんが、春になるごとに安定さを欠いて苛々したり沈んだりする理由が、やっとわかった。
 だのにオレときたら、何度も高二の春がやってくる事を不自然とも思わずのほほんと過ごして…そりゃ、怒りもするよな。落ち込むのも当然だよ。
 それが苛々や落ち込みの理由じゃないのはわかってるけど、でもオレはオレに腹が立つ。


 そんなオレに出来る事なんてこんなもんです。
「オレなんぞが舐めた真似しやがってー…てな具合で、超能力アップしちゃったりしませんかね」
『そんな単純なものじゃない。ただムカつくだけだ』
「ですよね……ああやっぱダメっスね。オレの頭じゃ、これが限界っス」
 斉木さんのお役に立つの…むり……ダメな弟子
 泣きそうに顔が歪む。オレは急いで両手で顔を覆った。そして、せめて口だけはヘラヘラしてようと笑いを浮かべる。
 これでも色々考えた。死ぬほど考えた。

 初めは、なんで言ってくれなかったんだって怒りが湧いた。オレにまで隠すのかよと、オレって何なんだよって直線的な怒りが心を貫いた。
 それからまた怒り。別の怒り。不甲斐ない自分に対する怒り。なぜって、こんなオレに言ったところで何が出来る、何も出来ない、だから斉木さんは言わなかった。だから怒りが湧く。何が右腕だ何が弟子だ、笑わせるな。
 本当に、ダメな弟子。

『まったくだな』
 はぃ……すんません、不出来な弟子で。
『そもそも、弟子にした覚えも、師匠になった覚えもない』
 視界を覆っていても、斉木さんが隣に座る気配は感じ取れた。

 オレに出来る事なんてこんなんで、たかが知れてますけど、もしも協力を頼まれたら、うんとめんどくさがってやります。
 アンタ以上のやれやれ発揮してやりますよ。もー連呼、やれやれの嵐っスわ。
『何言ってんだお前』
「いや、そしたらアンタもう後に引けなくて、何が何でも成功させるかと思って」
『ああ…そうだな。ま、お前ごときに協力求めるなんて、まずないだろうがな』
「そっスよ」
 卑屈でもなんでもなく、心から思う。所詮オレだ、どう頑張っても悪い未来しか見えない。

『……やれやれ』
 頭を抱き寄せられる。
 力強い腕に胸が痛いほど高鳴った。
 斉木さん。
 オレは引かれるまま斉木さんの肩に頭を乗せた。
『でも、その時が来たら頼むぞ鳥束』
「……は、はい」
『どうせお前の事だから、何かしら失敗するだろうがな』
「ハハ、その時はお世話になります」
 でも大丈夫ですよ斉木さん
 今度こそ上手くいきます。
 根拠?
 ないっスけど。ただの楽観ですけど。
 でも今度こそ上手くいくんです。
 アンタならそれが出来ます。
 次の四月十日は、晴れて大成功、正常に時は進む。

「さあ、今度こそ本当に最後の二年生っスよ、悔いのないように、思いっきりやりたい事やりましょう」
『お前はいつもやってるだろ』
「はい、お陰様で」
『ふん……やれやれ』
 呆れる斉木さんに抱き着く。
 鬱陶しいとテレパシーが突き刺さるが、斉木さんは振りほどく真似はしなかった。
 オレは調子に乗ってまとわりつき、大好きですと告げる。
 斉木さんはただ静かに、オレの隣で座り続けていた。

 

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