お留守番

秋:嫌になるほど大好きだ

 

 

 

 

 

『明日、学校休む』

 それは、ごくふつーの水曜日の放課後、帰り道の事だった。
 オレは六限数学、斉木さんは化学と、どっちも眠たくなる事間違いなしの授業で、それでも何とか終礼まで起きぬいたご褒美にと、純喫茶魔美でコーヒーとコーヒーゼリーという王道の組み合わせを心から満喫し、斉木さんちの前まで来た時のこと。
 突然の休み宣言、それも斉木さんからとあって、オレは一瞬混乱し「誰が?」と返した。
『僕が』
「えっなんで?」
『休むから』
 なんでの質問には答えず、休むからの後に『ご心配なく』と続け、斉木さんは何でもない顔で正面を見やった。
「いやいや、何スか突然、もっと早く言ってよ」
 てかどっか、何かおうちのご用でお出かけとかですか?
『いや。純然たる、ずる休みだ』
「はぁあ?」
 そんなの聞かされて、じゃあまた明後日ね、ばいばい…なんて出来るわけもなく、オレは「!?」の顔で固まって、更なる説明を求めた。
『やれやれ、めんどくさいな』
「いやいや、ちょ、オレにまでそんな、めんどくさいってそんな……」
『わかったわかった、説明してやるからちょっと寄ってけ』
 寄りますよ、お邪魔しますよ。
 オレは斉木さんに続いて玄関に入った。
 おかえりくーちゃん、いらっしゃい鳥束君と迎えるママさんにびしっときりっと頭を下げ、オレは上がり込んだ。

 さて――今更も今更だが、斉木さんは、超能力者である。
 読心、念動力、透視、予知、瞬間移動、千里眼…大抵の事なら出来るし、どんな不可能も可能にしてしまうすごいお人だ。
 どんな望みも思いのままの、マジのガチで世界の半分狙える魔王みたいなとんでもない存在。
 でも本人は、目立たず静かに暮らしたいってのが一番の望み。
 であるからして、無遅刻・無欠席・無早退の生徒に送られる皆勤賞などに選ばれ、親と一緒に全校生徒の前で表彰されるなんてのは、もってのほかなのである。

『という訳だ』
「はあ…はい」
 理由を説明されたが、納得いくようないかないような。
 ママさんに振舞われた、ママさんが最近はまっているというミックスジュース…頂き物で作った梨と柿のジュースをごくりと頂き、あ、これ美味しいと唸ってから、また元のように渋い顔に戻る。
 椅子の高さの斉木さんを、不満顔で見やる。
『まあそういった訳で休むが、心配は無用だ』
「ああ、まあ、そういうことなら」
 ずる休みというのがオレの心にがっしり引っかかって未だ納得には遠いが、ひとまずわかった。
 わかったけどさ。
 身体も心も健康そのものなのに、一日部屋でダラダラ過ごすだなんて、うらやま嫉妬である。
 そもそも斉木さん、怪我も病気も風邪一つ引いた事ない超健康優良体で、それは超能力者ならではで、まったくうらやま嫉妬である。
 オレが一日、かったるい授業を受けてる間、この人は昼寝も漫画もゲームもやりたい放題なんて、本当にうらやま嫉妬である!
 てか、それより何より明日斉木さんが学校に来ないの、寂しい!
 明日一日会えないなんて、寂しいにもほどがある。
 暗く深い穴に落ち込んでいく気分、身体が芯から冷えるようであった。

 あそっか、といい案を閃いた瞬間、それを打ち消すように斉木さんの声が飛んできた。
『お見舞いとかで来るなよ、鬱陶しいから』
「うっと……!」
 ちょっと、ショックである。
『一日くらい、何も気にせず眠りたい日もある。寝かせてくれ』
 昼間の住宅街は、比較的静かな方なんだ。余計な心の声も、そんなに聞こえてこないんだ。
「ああー…」
 オレはショックと理解とが入り交じる複雑な顔になった。
 大抵は環境音として聞き流せるが、常にざわざわ本音が聞こえる状態って、ひどく疲れるだろうな。
 ただの話し声ならまだしも、斉木さんが聞くのは人が本来包み隠している本心だものな、精神を病むような、聞きたくもない心の声が起きてる限り聞こえるなんて、つらいどこの話じゃない。
『ま、わかったら来るなよ』
「えー……はい、まあわかりましたけど、でも斉木さん、寂しくないスか?」
 平日なのに、オレと会えなくても平気なんスか?
 オレはちょっと拗ねて、唇を突き出し気味に見やった。
『だから一日寝るんだ』
 起きてるとそれだけ余計な事を考えからな。
 突き出た唇は即座に引っ込んだ。代わりに、だらしない笑いになる。
 なんだ、同じだったか。よかった。
 オレは立ち上がり斉木さんの前まで寄って、じっと顔を見つめた。
 眼鏡越しの眼差しは一見するとつまらなそうにオレを向いているが、しきりに瞬きを交えているところからも、つまらないなんて事はこれっぽっちもないことがわかる。
 何度でも瞬きしたくなるほどオレを見つめたい。
 そこまでしてオレを見ていたいって、ああ斉木さん、キスしたい。
『っち……もうしてるだろ』
 いつもいつも…脳内に響く呆れた声にますます笑って、オレはよりしっかりと唇をくっつけた。
 斉木さんは、一度オレの背中を拳で叩いてから、そっと抱きしめてきた。
 オレはその何倍もの力で、まるで閉じ込めるようにして抱き返した。


 翌日。
 放課後になるや学校を飛び出し、オレは今季一番かってスピードでコンビニに駆け込み、買うもの買って斉木さんちに向かった。
 来るなよって言われて、はいって言った、でもお邪魔するオレ。それは別に、斉木さんの言葉を「押すなよ、絶対押すなよ!」として受け取った訳じゃない。
 行きたい気持ちは八割、九割まで膨れ上がってたけど、一日くらいは何も気にせずのんびり過ごしたいってのを尊重して、ぐっと、ぐぐぐっと我慢していた。
 けど、まあ反則技かもしれないけどオレは寺生まれの霊能力者なんでね、使えるもんはなんでも使いますってなもんで、斉木さんの昼間の様子を、顔なじみの幽霊に見にいってもらったんだ。
 で、戻ってきた幽霊の話聞いたら、もういてもたってもいられなくなってさ。
 それが五限目の授業開始後で、今すぐ早退しようかまで考えた。
 でも、来るなってのを無視して行く訳だから、無視した上にサボりが発覚したら、マジで斉木さんに殺られかねない。
 あの人、マジで出来るからね。
 まあ、絶命寸前で復元してくれるだろうけど、そういう余計な怒りは買いたくないし、心労も負わせたくない。
 違反は一個で済ませたい。
 ので、オレは放課後になるまで何とか辛抱した。
 そんで現在、斉木さんちに到着した。
 オレはぜいぜい焼き切れそうな喉を必死に抑えて、鳴らしたチャイムの返答を待った。

 心の中で「失礼しますよ」と唱え、オレは部屋の扉をそっと押し開いた。
 一歩二歩しずしずと歩を進め、扉にかけられたプレートが鳴らないよう静かに閉める。
 部屋の中は、とても静かだった。
 というのも、部屋の主の斉木さんが、ぐっすり眠っているからだ。
 なんだか不思議な気分であった。そして、少々、罪悪感が付きまとう。
 先程チャイムを鳴らし、出てくれたママさんが、丁度いいところにと目を輝かせた。
 これから買い物に行こうと思っていたので、留守番頼めるかしらと言ってきたのだ。
 オレはお任せ下さいと答えつつ、二階にいる斉木さんに「てわけでよろしく」と送った。
 しかし返答はなかった。
 だよな、来るなっつったのに来たオレに、怒ってるだろうな。
 内心の冷や汗を隠し、ママさんを見送って、オレはちょっとびくびくしながら二階に向かった。
 怒りを鎮めてくれと何度も繰り返しながら部屋の扉を開いて、オレは、返答がない理由を理解した。
(寝てた……)
 ひどくホッとして、それから、罪悪感。
 オレは音を立てずに鞄を下ろし、そろりそろりとベッドに近付いた。
 横向きになった顔を覗き込もうとした時、それまでの静寂が破られた。

『来るなって言ったのに』

 斉木さんは鬱陶しそうに目を開き、オレを見上げた。
 いつもの何倍もの殺意を込めて睨まれ、ひゅっと息を飲み込む。
「た、狸寝入りとは、お人が悪い……」
 オレは何とか笑顔を浮かべ、ぼそぼそと呟いた。
『お前の心の声で起こされたんだ』
 ほんと、お前の声は誰よりうるさいな。
 起こしちゃってすんません!
「あっ…ほら、でもほら、コーヒーゼリー」
 オレは大慌てでコンビニ袋を探り、器を掲げた。
「しかも新発売ですって」
 ほらほら、この赤い丸シール、いいでしょ、これでどうか一つ勘弁して。
 しかし、斉木さんのお顔は険しいままだ。
(うわ……ああ、さすがにまずったかなあ)
(でも、会いたかったんだ斉木さん)
(今日一日、つまんなくてつまんなくて、息もロクに出来なかった)
(今やっと、満足に呼吸出来るよ)
「斉木さぁん……」
 やれやれとため息零して、斉木さんは起き上がった。

 斉木さんは定位置の椅子にどさっと腰かけると、コンビニ袋を指差した。
『お前、何だそれ。何買ってんだ』
「え、何ってお粥っス。レトルトパック、梅と卵と。どっちでも好きな方どうぞ。そうそうこれね、あっためなくても頂けるんですよ」
 すごいでしょとニコニコしながら語るが、斉木さんの顔はどう見ても『はぁ?』だ
 や、ほら、病人つったらお粥でしょーよ。
「だって斉木さん、アンタ超能力で絶対風邪なんて引かないでしょ」
『まあな。厳密には引くが、即座に追い出せるし。うん、引かないな』
「でしょ、だからまあ、気分だけでも、看病プレイ、ね。こんな時でもないと、アンタを看病するなんて無理ですし」
 さっきまで、申し訳ないだの罪悪感だの渦巻いていたが、そこはオレ、はいお粥あーん、からのあれこれゲッス下衆が脳を真っ赤に染めた。
『下らん』
「まあそう言わず」
『気持ち悪い』
「斉木さぁん」
『不潔よ鳥束』
「そこまで!」
 オレは、意気揚々と掲げていた両手をばっと下ろし、はぁっと嘆きのひと息を吐き出した。
 まあ当然と言えば当然だよな。
 来るなっつってたのに強引に押しかけて、頼んでもないお粥押し付けて、大迷惑にも程があるよな。
「すんません…悪乗りしました」
 悪ふざけが過ぎた。お粥を買ったのは、ちょっとした遊び心からだった。
『ほんと、お前は滅茶苦茶だな』
 今日は際立って支離滅裂だ。
 頭が痛くなると、斉木さんは額に手を当て、やれやれと零した。
 急激にいたたまれなくなり、オレは床に目を落とした。
 どうやって許してもらおうか考えあぐねていると、鳥束、と呼びかけがあった。
 オレは反射的に顔を上げた。

「これでいいっスか、斉木さん」
 言われた通り、食器棚にあった白い小鉢とレンゲ、持ってきました。
『ああ』
 斉木さんは小鉢を机に置くと、レトルトパックの中身を流し入れた。
 よく見ると、ほんのり湯気が立ち上っている。
 すげえ、超能力者すげぇ。
 オレは子供の無邪気さで目を見開いた。
『そら、用意出来たぞ』
 斉木さんは椅子から立ち上がり、ベッドに戻ると、心底めんどくさいって顔で肩を落とした。
 オレは一拍遅れて斉木さんの意図を読み取り、満面の笑みを浮かべた。
「あざっス斉木さん、もー好き、大好き、愛してるっ!」
 オレはすぐさま小鉢とレンゲを手に取り、斉木さんの元に急いだ。

 では、失礼して……あーん。
 レンゲを近付けながら斉木さんを伺うと、今さっき裏山にバラバラ××埋めてきましたって顔で睨まれた。
 ひっと手が痙攣するが、オレは奮い立たせてあーんを敢行した。
 今にも舌打ちしそうな顔だったが、それでも斉木さんは口を開けてくれた。
 オレはむずむずする胸を躍らせながら、レンゲでひと口、梅がゆを食べさせた。
 食べるまでは嫌々だった顔が、もにゅもにゅ味わう内にだんだんほどけていく。
『ん……へえ、こんな味なのか』
「あ、斉木さん、お粥初めてっすか?」
『どうだろうな……離乳食?…はこんな感じだったと思うが、それ以後は多分一度も口にしてないな。覚えてない』
「あー、そっスよね」
 オレ、寺生まれなんで、いやって程口にしてます。
 でもじっくり味わうとお米のうまみが感じられるんで、嫌いじゃないっス。
『うん……悪くないな』
「良かったっス。最近は、レトルトもだいぶ進化してるって聞きますし、割と食べられるでしょ」
『ああ、確かに』
 他愛ないお喋りを交わしながら、ひと口、もうひと口食べさせる。

「ねえ、チューしたいっス」
『チューだけで済まないだろお前』
「よくおわかりで。アンタもしかして超能力者?」
『あほか……』
「アホじゃないですー、アンタの恋人! で、ねえ、チューしましょ」
『もうしてるだろ』
「ほっぺたじゃなくて、斉木さんのモチモチ唇食べちゃいたいの」
『あぁ? 僕は病人だぞ』
「あー、表面上はね。そうそう、汗かくと治りが早いんス……げふっ!」
 横っ腹に拳がめり込んだ。肉体的なショックに悶絶していると、精神的なショックが襲ってきた。
『お前、早漏だったか?』
「え? はっ? はぁ!? 何スかいきなり!」
 ええと、うん…いや? オレ、人並みの持ちじゃないっスか?
 てか、え?
「斉木さんまさか……オレに満足してなかったの?」
『じゃなくてだな。母さん、そんなに遠出した訳じゃないんだよ』

 ショックに遠のきかけた意識が、すうっとオレに戻ってきた。
「あ……あーはいはい」
 ママさんが帰宅するまでに済ませられるか、って事ね。
「それじゃ斉木さん、お薬飲みます?」
 コーヒーゼリーを持ち上げる。
「それともお注射します?」
 オレは自分の股間に目を向けた。
『人の話聞けよ』
 オレの手からふわっとコーヒーゼリーが離れ、斉木さんの元に向かう。
「わーダメダメ、食べちゃダメ!」
『なんだと? コーヒーゼリーお預けにするとか、いい度胸だな鳥束』
 凄まれ、怯むも、オレは言葉を続ける。
「だってそれ食べちゃったら――」
 しかし、怖くてその先が喉から出て行かない。
 怖いのは、凄む斉木さんもそうだけど、本当に怖いのは――。
 それ食べ終えたら、オレいる意味なくなって、帰らなきゃいけなくなるじゃん。

 まだ斉木さんといたい
 もっと斉木さんといたい
 帰りたくない

「……ふざけんな」
「え、肉声……!」
『だからお前、来るなって言ったんだよ』
 こっちだって帰したくない。
 お前がこの部屋から出ていくのなんて見たくない。
『だから来るなと言った』
「で……でもでも、顔見たいじゃん!」
『幽霊使って、昼間の様子知ってたろ』
 バレバレなんだよ。
「だ――それは、……すんません、でも、……でも斉木さんも、視たんじゃ?」
『視たが?』
「開き直んなよ…もう」
 泣き笑い?
 怒り笑い?
「……ああもう!」
 オレはぎゅうっと抱きしめた。
『ああ、本当に嫌だ。厄介だ』
 こんなもの僕に寄越しやがって、お前、本当に疫病神だ
「そりゃこっちのセリフっス」
 好きって気持ちに振り回されて、お互い、相手が嫌になるほど大好きだ。

「斉木さんちに入り浸ってる幽霊がね、言ってましたよ」
 昼間、つまんなそーに漫画読んでたって
『うるさい。お前は居眠りばっかりしてたな』
「そっ…りゃ、しますよ。つまんねーもん! く……もう、アンタね、自分がどんだけ可愛い事言ってるか、わかってんの?」
『おい、おい! 尻揉むなやめろ、やめろって』
「うっさい、揉ませろ」
『ひと揉み千円だ』
「えっげっ、……うっし、じゃあ十揉みいくか」
『馬鹿か』
「バカじゃないですー、アンタの恋人、アンタの心を癒す一番の特効薬ですよー」
 言いながらオレは、きゅうきゅう、ぎゅうぎゅう斉木さんのお尻を揉んだ。
 これ以上進む気は、とりあえずなかった。
 とりあえず、ママさんが帰ってくるまで、オレは斉木さんにしがみついて尻を揉み続けた。

 

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