お留守番

夏:ただでないただ働き

 

 

 

 

 

「はぁ……留守番とか…かったりーなー」
 ま、一人は気楽、エロ本見放題だしいいけどね
 誰もいない部屋で一人呟き、オレは、さっそくと隠していた愛蔵本をあっちからこっちから引っ張り出し、久々にトーナメントでも、と鼻息を荒くした。
 するとタイミングの悪いことに、燃堂父が「をっをっ」言いながら部屋に入ってきて、オレの周りをぐるっと飛んだ。
「もー、お前いいとこでくんなよなあ」
 これからお楽しみなんだから、外で昼寝でもしてろよ
「ヒマか、零太、んじゃしりとりでもすっか! を!」
「しねぇよ!」
 しないしない、ほら、出た出た!
「なぁに、遊ぶの?」
「あたしも入っていい?」
「じゃあ私もお仲間に」
「わたしも入れて下さい」
「を! みんなでやろうぜ、をっ!」
「えー……」
 騒がしさに他の幽霊たちも集い始め、さっきまで一人だった部屋がたちまち賑やかになる。
 賑やかなのはいい、シンと静かなのよりよっぽどいいが、オレはオレでやりたい事あったのに。
 まあいいか、しりとりはやんないけど、駄弁って暇をつぶすとしますか。

 賑やかで楽しい、けど、けどね、斉木さんに会えないのは寂しいなあ。
 今日は前々から言い付けられてた寺の留守番があるから、遊びのお誘い出来なかったし、斉木さんも来たそうな顔してなかったし、あぁ、寂しい。
 いっつもいっつも誘うのはオレからで、斉木さんからだと必ずと言っていいほどお財布係だし、オレって、オレって。
 なーんて深刻そうなこと言っちゃうけど、実際は全然そんな事ないんだよね。
 斉木さんがどんな人かしっかり把握出来てるから、不安も不満もなんもないんだけど、ない筈なんだけど、時々何だか変な塊が胸に詰まったみたいになって苦しかったりするんだよな。
 原因不明の心配が込み上げたり、わけもなくドキドキしたり、たまにおかしくなる。
 なにこれ、やだねぇ。

「ところで零くん、外のお掃除、頼まれてたよね」
「うー……はいはい」
 ちぇ、よく覚えてる事で。
 幽霊の一人に指摘され、オレは渋々腰を上げた。
 がんばってねとにこやかに応援され、はいよと笑顔で手を振る。
 幽霊の優しさに胸がほっこり。
 でも。
 あー、部屋出たくねえ。
 暑いし何もやる気しねえ。
 オレはわざとらしく両腕を身体の前に垂らし、裸足をペタペタ言わせて廊下を進んだ。

 日向では雑にざっと、日陰ばかりを選んで掃き掃除を終え、オレは中に引っ込んだ。
「……さて」
 そろそろ昼だけど、飯の準備…たるいなあ。
 でも、ちゃんと食べないとまたぶっ倒れっかもだし。
 それはやなんだよなあ。
 斉木さんを心配させるのだけは嫌だ。
 あの人言葉はキッツイけど、何だかんだ気を配ってくれて根っこは優しい。
 そんな優しい人を心配させるなんてよくない。
 あんな慈悲深い人、そういない。
 本人はぜーったい認めないけど。
「ふふっ……」
 思わず、声に出して笑う。
 絶対認めない斉木さんの顔が、ふっと思い浮かんだからだ。
 これ、本人に知られたら絶対ぶっ飛ばされるやつ。
 内緒、内緒。
 オレは声を潜めて笑い、台所に向かった。

 こうして、腹減ったから始まり、斉木さんが浮かんで、それをきっかけにどんどん脳内は斉木さん一色で染まっていく。
 ま、オレのいつものだね。
 いつでもオレは斉木さん一色だ。
 斉木さんを中心に生活が成り立ってる、と言っても過言ではない。
 いやだってなああの人、オレいなかったら色々危なっかしいとこ結構あるもんな。
 スイーツ絡みだと思いの外ポンコツになっちゃうし、なんつーの、超能力あるからちょっとくらいへいきー、で割と雑だし、オレに会う前はどうしてたんだろ。
 ん、そう考えると、あっちも、オレがいて生活成り立ってるとも言えなくないか?
 んー、いやー、そこまでは思い上がりかね。
 でもなあ。
 思い出すのは、春先のとある休日。
 斉木さんが、留守宅を預かったある一日のこと。
 それまでも、ご両親が留守だからとご飯係頼まれて張り切って腕まくりした事はあったけど、あの日は特にひどかった。
 オレが来るまでほぼ飲まず食わずとか、食事疎かにしすぎ!
 そんな事して、斉木さんこそバテてぶっ倒れるっての。
 まああれは、オレに甘えての事だから、ふふ、悪い気しないけどね。
 本人は頑として認めないけど、オレにはお見通しっスよ。
 あー、可愛かったなあ。
 スイーツトーストむしゃむしゃ食べる斉木さん…可愛かった。
 一つひとつ鮮明に思い出しながら、オレは冷蔵庫を覗いた。
 これといって食べたいものが思い浮かばないので、オレは何も手に取る事なく冷蔵庫を閉めた。
 腹が減ってるか減ってないかで言えば、減ってる。
 前の、ぶっ倒れたあの時みたいに感覚がマヒして何も受け付けない、腹が減ったかもわからないって状態ではない。
 はっきり「腹減ったなぁ」だが、暑さのせいでめんどくさくて、後でって気分だ。

 部屋に戻り、ベッドを背もたれにべったり座る。
 いや、よし、あと一時間したら、飯にしよう。
 これで飲まず食わずなんてなったら、斉木さんの事言えないからな。
 斉木さんに何言われるかわかんないからな。
 あーあ、こうやって脳内を斉木さんで一杯にしたら、腹も一杯に膨れたり…しないよなあ。
 したらいいのになあ。
「零ちゃんなになに、何かいいことあった?」
「えー、へへっ、内緒」
 いや、しないってのは錯覚で、実はなるかもしれないな。
 よし、いっちょやってみるか
 斉木さん…斉木さん…斉木さん――

『うるせえな』

「おわぁっ!」
 目を閉じ一心に祈っていると、本物の斉木さんが目の前に現れた。
 実際には背後だが。
「やひっ……!」
 オレの背後に瞬間移動で現れた斉木さんは、現れると同時にオレの頭をがっしりと片手で掴んだ。
『お前の、煩悩が一杯に詰まったこの頭、今すぐ粉砕してやろうか』
「ひいぃっ……お許しを」
 オレはすぐさま胸の前で手を合わせ、一心に祈った。
 と、部屋の中にいい匂いが立ち込めた。
 なんだろう、鰹節のいい匂い、と思うと同時に、腹の虫がぐうっと鳴った。
「な、何スか?」
 振り返って匂いの正体を確かめたいが、頭を掴まれているせいで動けない。
「斉木さぁん、何なんスか、この、すっげぇいい匂いなぁに?」
『ふふふ』
 斉木さんは意地の悪い含み笑いをするばかりで、教えてくれなかった。
 教えて教えて!
 オレは夢中でふがふが鼻を鳴らした。嗅ぐほどに、腹もぐうぐう落ち着かない。

『春に、一人じゃ料理も出来ないポンコツと思われた屈辱を、晴らさせてもらおうと思ってな』
 焼うどんを作って、お前を唸らせにきた。
「焼うどん!」
 なにそれ!
 嬉しさはもとより、焼うどんという言葉と、香ばしい匂いに、オレは今にもよだれが出そうになった。
『八割ほど目的が達成出来たんでな、このまま帰らせてもらう』
「ちょちょちょ! おーい! 良い匂いだけおいて帰るってか! やだーふざけんなこら、斉木さんっ!」
 どうにか振り返ろうと、オレはじたばた抵抗する。
『ふざけてるのはお前だろ』
「すんません、土下座でもなんでもしますから、せめてひと口だけでも!」
 お慈悲を!
『言ったな』
 ひと口でいいんだな
「……あ」
 と、斉木さんの手が頭から外れる。しかし身体は相変わらず動かない。喋れるので、口とあと舌は自由だが、目玉もまっすぐに固定されててなんとも不自由だ。
 斉木さんが正面に立つ。
 その手には、皿に盛られた焼うどん。
 削り節がたっぷり乗った、お出汁のいい香りが胃袋に染みる焼うどん。
『鳥束、あーん』
 嬉し泣きにむせぶ場面だが、オレはオチを先読みして別の意味で泣きたくなった。
 泣き真似でもしようかと思った瞬間、ぼろぼろっと涙が溢れた。
『……何だお前、こんくらいで』
 どんだけ情緒不安定だ。
 さすがの斉木さんも引き気味だ。
「ですよねっ……」
 オレもびっくりしてる。
 けど、一人で留守番てのが結構きいてるみたいだ。
 幽霊が話相手になってくれて、全然寂しくなかったけど、でもやっぱり、斉木さんに会えないのって堪える。
 泣くほど堪える。
 寂しくて腐ってたら、斉木さんが来てくれた。
 しかも手料理付きだよ。
 オレなんかの為に、わざわざ斉木さんが…泣くほど嬉しい。

『はぁ…やれやれ。座れ』
「はい…ずんばせん」
 ずびっと鼻を啜り、オレはテーブルについた。
 その前に、ことりと皿が置かれる。
『そら、出来立てだ。しっかり食べろ』
「ひっく、い、いただきます」
 オレはぱちんと手を合わせた。
 あ、これ駄目だ、ますます泣けて喉通らないあれだ。
 うぐうぐ痙攣する喉を何とか押さえつけ、オレは箸を手に取った。
「うぅっ……う」
 あぁ…美味しい、美味しいです斉木さん。
 美味しいよぉ
 オレは夢中で頬張った。

 気が付くと、焼うどんの皿の他に、冷たい麦茶とか、サラダとかがテーブルに並んでいた。
 それらも持参してくれたの、斉木さん。
 なんかもう、胸が一杯でたまらないっス。
『いや、お前の財布の小銭と引き換えだ。アポートしてる』
「……えっ、しっかりしてんなぁ」
 ちゃっかりしてること。
『当然だろ。誰が、お前なんぞの為にただ働きするか』
 誰がって、斉木さんがしてるじゃん。それらしい言い訳くっつけてまで、オレを優しく包んじゃって。ホント、慈悲深い人。
 オレは可笑しくて、泣きながらふふふと笑った。
『ふん、やれやれ……汚い顔だな』
「……すんません」
『お前らしくて、ホッとするよ』
「あざっス」
 何故か頬っぺたが熱くなった。
 冷房効いてるのに、やけに顔が熱いや。
 すると斉木さんの左手がオレの手と耳の付け根と、順繰りに触った。
『ふん…まあ、通常の範囲だな』
 泣いたせいで体温の上昇がみられるが、おおむね健康だ。
 斉木先生の診断は正確無比で頼もしい。
 オレはにっこりと笑った。
 その顔を見て斉木さんが、ますます汚くなったと憎まれ口をきくが、その方が斉木さんらしくてホッとするので、オレはますます笑った。



 腹が満ちたら、やたら元気が出てきた。
 さっきまでのあのたまらない寂しさは、どうやら空腹のせいだったようだ。
 胃袋が空っぽで、心も空っぽだったから、あんな簡単に泣けてしまったのだろう。
 今はもう、すっかり回復した。
 斉木さんが傍にいるし、斉木さんの手料理でお腹一杯だし、気持ちも満たされた。
「ん……あれ、ねえ斉木さん、それって」
 焼うどん食べるのに夢中で気付いてなかったが、斉木さんも何やら食べていた。
 斉木さんが食べると言ったら、もちろんコーヒーゼリーだけど、やたらに高そうな器に入っていて、オレはひゅっと嫌な予感がした。
『見ての通り、コーヒーゼリーだぞ』
「ええ、そっスね。黒糖ゼリーじゃあないですよね」
 光の透け具合が微妙に違うので、そいつはどう見てもコーヒーゼリー。
 そしてその、見るからに高そうないでたちは、まさかの…最高級コーヒーゼリー!
「それは、自分で持ってきたものです…よね」
 まさか、オレのお財布アポートじゃないですよね
『そのまさかだが』
 とってもいい顔でモニュモニュしながら、斉木さんはしれっと答えた。
 さいきー!
 オレの手からかたんと箸が落っこちる。
『一人で留守番という寂しさを埋めてやったんだ、このくらい、安いもんだろ』
「……ええ、そっスね!」
 こうなりゃヤケだ。オレは満腹で力漲る全身を震わせ、張り切って頷いた。

 ごちそうさまでしたと手を合わせる。
「ほんっとうに美味かったっス。ありがとうございました」
 斉木さんはふんと一つ鼻を鳴らし、お粗末さまでしたと返してきた。
「じゃ、あの、このお礼は身体でお支払いしますんで」
『いらん』
 空になった食器を重ねながら、斉木さんはオレの方も見ずに答えた。
「遠慮せず、受け取って下さいよ!」
 こんなにされて、そのまま帰すなんてオレの気が済まないっス!
「ちゃんと、ご満足いただけるよう張り切りますから!」
『馬鹿言え、お前、自分がやりたいだけだろ』
「そっスけど、でも斉木さんもやりたいでしょ」
 はい、ほら片付けはいいから、こっち向いて。
 腕を引っ張るが、斉木さんは頑として顔を背けていた。
「ねえ斉木さん。ねえ」
 オレは辛抱強く呼びかけた。
 そっぽを向いたままだが、何だよと応じてくれた。よし、もうちょい押せばいける。

「斉木さん、ねえ聞いて下さい」
 オレが今どんだけ幸せを感じているか、残らず伝えたいのだ。
『あ、もう伝わってるので結構です』
 オレはむっと口を引き結んだ。まあ、超能力者に隠し事なんて無理、全ての思考は筒抜けで、オレの嘘偽りのない気持ちは全部斉木さんに流れ込んでる事だろう、けど。けどさ。
「それだけじゃ、オレの気が済まないっス}
『離せ、ゲス野郎が』
 冷たい声にますます口がへの字になる。
 それが次の瞬間、薄くほどける。
 オレに引っ張られるだけで、脱力していた斉木さんの手に力がこもり、オレの手をぎゅっと握ってきたからだ。
『口程にもなかったら、承知しないからな』
 よそを見てばかりいた斉木さんの目が、オレにまっすぐ向かってきた。
 そこには、はっきりとした欲望と期待が煌めいている。
 唇がむずむずと震え出す。
 もう、もうこの超能力者め、この!
「大丈夫っスよ、オレにお任せ下さい」
 オレは身体を引き寄せ、静かに唇を重ねた。
 留守番もたまにはいい。

 

目次