お留守番

春:週末はお前の手料理で生き延びる

 

 

 

 

 

 斉木さんちの夫婦仲の良さは、幽霊たちの間でも広く知られている。
 まず、斉木さん自体が霊界で大人気…超能力者なんて本当に珍しいからね…だからね。アメージングな現象の数々を見る為、あちこちから集まってくる。
 そうやって出入りしていれば、ご両親にも自然と視線が集中する。
 斉木さんちは本当に、夫婦仲、家族仲がいいから、斉木さんに注目すれば、当然その親であるパパさんママさんにも注目が集まる。
 お二人には特筆すべき能力はないけど、仲の良さでは誰にも引けを取らないだろう。
 斉木さんからたまに聞く話と、幽霊たちからもたらされる話を総合すると、お二人の愛情はある意味能力者に匹敵すると言っても過言ではない。
 そんなに仲良しさんなら、じゃあ喧嘩なんて一度もした事ないだろうねと微笑ましく想像すれば、それがね、と幽霊たちから衝撃の事実を聞かされオレはおったまげた。
 マジか……。

 うちの親父とお袋も、それなりに仲睦まじい。でもやっぱり元は他人同士だから、譲れない部分てものがあって、そこでぶつかる事も多い。
 結構、多い。
 まあ、朝に勃発しても晩にはもう元の二人に戻っているので、ああまたやってらとほっといてるけど。普段が、根っこが仲良しだから、安心して見守っていられるのだ。
 気が滅入るような口喧嘩とか、手を出すとか、離婚の危機とかに怯えるような険悪さはないので、その辺は呆れつつも二人の愛情にやれやれしてる。ちょっとだけ斉木さんの真似。
 翻って、斉木さん夫婦は…喧嘩となると、普段仲いいだけに激しいらしい。
 しかもパパさんがたじたじらしい。そこはうちと同じだな。でも、あのママさんが…なんて、まったくもって想像つかない。
 大げさに言ってるんでしょ、騙されませんよと横目に見やると、お前が見たら、腰抜かして漏らすだろうな、って斉木さんに脅された。
 うそぉ、やめてよ。漏らすとか誰かさんじゃあるまいし。
 でもその一言で現実味を帯びた。
 マジだったか……。

「――にしても、あんなにも仲の良いパパさんママさんが、一体どんな理由で喧嘩するんスか?」
 あるで想像つかないっス。
『これ以上身内の恥をさらしたくない』
「あ、そっスか」
 いいよーだ、帰ったらこっそり幽霊たちに聞くから。
『そうか、そんなに幽霊の仲間入りしたいのか』
「いっいえ!」
 まだまだ生きてたいです、ナマの身体で斉木さんとあれやこれやしたいので遠慮します!
 オレは椅子をガタつかせておののいた。
 大勢の生徒で賑わう昼時の食堂、みんなそれぞれ好物を腹に収め楽しいお喋りに花を咲かせて盛り上がっている中、オレだけここだけ氷点下。
 斉木さん、どうか穏便に。
『……ふん』
 ため息を零し、斉木さんはカレーライスを口に運んだ。
 オレも盛大に息を吐いて、箸を握り直した。

「それで、今度の週末っスけど、ご都合どうです?」
 そう、話題はこれが始まりだった。
 今度の週末、一緒に遊びませんかと誘ったところ、まずいつも通り『外に出るのかったるい』と返された。
 なら遊びにお邪魔してもいいですかと言葉を変えると、非常にがっかりした顔になって、せっかく一人で気ままに留守番出来ると思ったのに、と零された。

 斉木さんちは、夫婦二人でお出かけというのが結構多い。
 先も言ったように世界一と言っていいほど仲が良いので、ほぼ毎日が何かの記念日だったりする。
 そしてそれを祝う為二人で出かける。昼前からだったり、午後からだったり、泊りがけだったり、とても仲睦まじい。
 留守を任された斉木さんが、あの広い家で一人ぽつんとご飯食べるのかと思うと、中々胸に来るものがある。
 本人は、割と本気で気楽だ、清々すると言ってくるのだが、オレはどうにも苦手なものなので、つい自分の感覚で考えてしまう。
 しかもこの人、一人になるとかなり食事がいい加減になる。
 超能力者舐めるなと凄まれるけど、そうは言っても、コーヒーゼリー好きなだけ、腹が膨れるまでとか、身体に悪いったらない。
 寺生まれにそんなもん聞かせるとか、ふざけんな、である。
 ふざけてないし、一食くらい好き放題したっていいだろと開き直るのダメ、いいだろってよくない、禁止!
 オレの目の黒い内は、そんなん許しませんからね。

「というわけで、今週末、お邪魔するっスよ」
『やれやれ……勝手にしろ』
 食べ終えたスプーンをカランと皿に置いて、斉木さんはテーブルに視線を注いだ。
 へ、そんなさ、わざとらしくつまんなそうにしてさ。オレ見ましたからね、オレが週末お邪魔するって言った時、アンタがほんの一瞬だけ目を見開いたの、しかと見ましたからね。
 それが嬉しがる表情だって、オレとっくに見破ってますから。
 本当に一瞬、見間違いかってほどの瞬間だけど、オレ、ちゃんと見ましたから。
 アンタの表情が変わるところ。
 そしてそれが、歓喜方面だって、見ましたから。
 もう、斉木さん――大好き。

 どうにか話はまとまり、午後から斉木さんちにお邪魔するってことで決定した。
 ご両親はその日の内に帰ってくるが、夜遅くなるので、食事は済ませておいて、だそうだ。
「では、斉木さん、食べたいもののリクエスト、どうぞ」
 オレはテーブルに少し身を乗り出して尋ねた。
『わからん』
「んんっ」
 今は満腹なので、丁度いいものが浮かばないと斉木さん。
「まあ、しょうがないっスね」
『当日までに考えとく』
「うん、そうっスね」
 その日の分の食費は渡されるので、お邪魔してから二人で考える事にした。


 というわけで週末、斉木さんちにやってきました。
 当日午後、約束の時間五分前にチャイムを鳴らす。
 なんでも今日は、記念すべき二回目デートの日、だそうだ。
 うん…パパさんママさん、やっぱり最強だわ。
 斉木さんを生み育てただけの事あるわ。
 チャイムを鳴らしドアの前で待っていると、斉木さんが顔を覗かせた。
 オレはにこやかに告げる。
「では斉木さん、二人で留守を預かりましょう」
『なあ鳥束、留守を狙って変質者が家に入り込もうとしてくるんだが、どこに相談したらいい?』
 はっ?……えー、えと」
 斉木さんの言う『変質者』が自分の事だとすぐに気付かなくて、たっぷり一秒真剣に悩んでしまった。
「もうこら斉木さんー!」
 警察かそれとも役所か、なんでか郵便局まで浮かんでしまって、軽くパニクったオレの脳みそに謝って。
『変質者につけ狙われてる僕に謝れ』
「変質者じゃなくて、アンタの好きな人っスよ!」
 オレ、オレ、あんたの恋人!
『オレオレって、新手の詐欺か』
「じゃなくて!」

 どうにか上がり込んでリビングに通されたオレは、ご両親から預かったという食事代を示され軽く頷いた。それが乗ったテーブルを挟んで斉木さんと相対して、晩ご飯何にしましょうかと、軽く頭を捻る。
『うん、そうだなあ』
「ところで、朝と昼は何を食べました?」
 それによって、被らないよう考えよう。
 すると。
『何も食べてない』
「……はっ?」
 というのも、パパさんママさん、起きて、顔を合わせた瞬間から盛り上がって、急遽予定を変更してすぐお出かけしてったからだとか。
「いや…はぁ?」
 いや、うん、熱々なのはいいよね。オレも斉木さんと、そんな風に何年経っても新婚さんみたいに熱く盛り上がれる二人を目指したいなって思うよ。
 理想も理想、いつまでも熱い恋心を忘れない秘訣を知りたい。
 で、それはひとまず置いといて。
「アンタ、なんで何も食べてないの!」
 今何時だと思ってんの!
『午後の二時だな』
 正直に言やいいってもんじゃないの!
「あ、あ、朝は何時に起きたの!」
『七時半』
「そっからずっと、飲まず食わず!?}
『うん』
「マジで!?」
『嘘、コーヒーゼリーは食べた』
「何個っ!」
『……うん』
「うんじゃなくて、一個でも十個でも怒らないから、言いなさい!」
『もう怒ってるのに、嘘つき』
「いや、だってねアンタ、見たところあっちにパンもあるし缶詰あるしレトルトスープだってあるのに何も食べてないとか、何考えてんの!」
 そりゃ怒るよ、そこに怒るよ。

 斉木さんはオレから顔を背けると、重たい荷物のようにどさっと椅子に腰かけた。
 ふてくされてるのか、はたまた空腹でかったるいのか。
 もー、なんで何も食べてないんだよ。
「本に夢中で億劫になった?」
『違う』
「じゃあ、ゲーム?」
『してない』
「え、じゃあ……」
『お前がくるのを、ひたすら待ってた』
 うっ…そりゃ嬉し――がってる場合じゃない!
「アンタね、いくら超能力者だからってね、もっと身体大事にしなきゃダメっスよ!」
『お前が来たら食べられるから、我慢してた』
「すんな! てか自分で出来るでしょーが!」
『お前の味が好きだから』
「!…怒りますよ!」
『もう怒ってるだろ』
「んー…だってアンタね」
 なんといってよいやら。いつもなら嬉しい文句も、ただただ腹が立つ。
 何なのこの超能力者、この…ばか!
 てかホント、こんな事してる場合じゃない、とにかくなんか食べるもの!
 ちらっと斉木さんをうかがうと、椅子に横向きに座って、肘の片方をテーブルに、もう一方を背もたれにかけて、しょんぼりうなだれていた。
 少し突き出た下唇に、笑ってしまうやら参るやら。

 さあ、とにかく腹に溜まるもの作らないと。
「失礼しますよ!」
 断りを入れ、冷蔵庫に顔を突っ込む。
 卵ある、ハムある、とろけるチーズありがたい、マヨネーズもいいね、よしいける。
 オレは六枚切りの食パン二枚にそれらを適当にちりばめて、トースターに押し込んだ。
 最速でよろしく、とスイッチを入れる。
 そんで、一杯分のお湯を沸かしてカップスープを用意する。
 冷蔵庫あらためて見たらちゃんとサラダあるじゃんラップしてあるじゃん、ミニトマトが彩りよく乗ったカラフルサラダ、せっかくママさんが作っただろうに、一人でも食べなさいよもう!
 あとコーヒーゼリーも出そうね。
 よしいいぞ、段々食卓が賑やかになってきた。
 お湯が沸いて、カップスープをぐるぐるかき混ぜていると、トースターが軽快な音を立てた。
 んー…いい匂いだ!
「あっつ…あっつ!」
 手をビクビクさせながら皿に取り出し、混ぜこぜ即席ピザトーストをテーブルに運ぶ。ぴったり重ねるんじゃなくてね、ちょっとこう、斜めにずらしてね。美味しそうだねぇ!
『まだ怒ってるか?』
「えっえ? いいえ。全然怒ってませんよ」
 本当なのだが、なんだか自分でも嘘くさい言い方だなと思う。
 だから、出来るだけにこやかに「怒ってませんよ」と言い直す。
『ならいい』
 いただきます
 手を合わせ、斉木さんは大きなお口でトーストにかぶりついた。
 それを見て、ふうっと安堵する。
 オレはちゃんと朝も昼も食べてきたが、引っ張られてか、ひどい空腹を感じていたからだ。
 もりもり食べる斉木さんを見て、オレも人心地がついた。
 本当にこの超能力者は、困りものだ。
 なまじ万能なだけに、思いがけないところで抜けるんだから、気が抜けない。

 旺盛な食欲を見せる斉木さんに、つい目尻が下がる。
『相当腹減りっスね。今度はジャムバタートーストでも作ります?』
 そっちしょっぱいから、今度は甘いのいきますか?
『うん、いく』
 あら素直、いい子ちゃん。
 オレは早速取り掛かる。
『鳥束、出来れば――』
「わかりました、いっスよ」
 斉木さんの指示通り、バターを塗って、砂糖を振って、焼き上がったらたっぷり蜂蜜をかける。
 見るからに甘い仕上がりでオレにはちょっとうっぷだけど、斉木さんにはたまらない美味しさだろうなと思うと、それだけで幸せな気分になった。
 実際食べるところを見たら、更に幸せ一杯になった。
 やっぱり甘い物だと極上に顔がとろけるね、何物にも代えがたい幸福だ、てな表情でうっとりとスイーツトースト頬張る斉木さん…いい!
 斉木さんの食べっぷりがあんまり素晴らしいので、つい食べたくなった。実際食べたら胸やけ間違いなしだろうな、味の想像つくし。それでも食べたくなる斉木さんの魔力、おそるべし。
『鳥束、最後の二枚は――』
「はい…はい、わかりました」
 板チョコを割ってパンにちりばめて、熱して溶けたら隅まで広げて、そこにスライスバナナを乗せる、と。
 これまた甘そーな逸品だね。
 てか、パンから果物からサラダから、食べるもの結構あるじゃんか!
 まったくもう、どんだけオレ頼みで横着するんだか。
 斉木さんの甘えっぷりに頬が緩んで仕方ない。
『甘えてない。こき使ってるだけだ』
 はいはい、いいから甘い物食べて、うっとりしてなさいな。

「斉木さん、食べてるとこになんですけど、夜はなんにしましょ」
『うん』
「昨日の晩は何を頂いたんです? それと被らないメニューにしましょう」
『うん』
「肉? 魚? 焼いたの? 煮たの?」
『うん』
「ねえ、斉木さん」
『うん』
「聞いてます?」
『うん』
 すっかりスイーツトーストのとりこになって、斉木さんはずっと生返事。
 なのでオレは今だと「オレの事好き?」とやってみた。
「うぅん!」
 突然の咳払いにオレはちょっとびっくりした。
「……もぉー、こういう時だけわざわざ声出して!」
 否定じゃないだけいいけどさ、そんなにオレで遊びたいかね。
『うん』
 楽しいからな
「斉木さんっ!」
 これ以上オレを弄ばないで!

『で、そうだな夜は』
 食後のコーヒーゼリーをモニュモニュしながら、斉木さんは思案した。
 さて何にしましょうか。
 夜まではまだ時間たっぷりあるし、ゆっくり考えましょう。
「それまで、軽く汗でも流します?」
 もちろんそれは、ジョギングだとかの類ではない。
 思いっきり、自分好みの方法だ。
 真向いからじっと見つめて、暗示をかけるがごとく熱視線を注ぎ誘う。
 オレの脳内でどんだけの欲望がぐるぐる渦巻いているか、わからない斉木さんじゃないのに、涼しい顔で…というかいつものうっとり顔でコーヒーゼリーを食べ切ると、綺麗さっぱりオレを無視して『ごちそうさま』と手を合わせ、がたんと席を立った。
 もおーねえちょっと斉木さん、しましょうよ。
 リビングを出て行こうとする斉木さんを追って、オレは身体の向きを変える。
「どこ行くんスかぁ?」
『食べたら眠くなった。寝る』
 えぇー、赤ちゃんか!
 オレはあからさまに唇を突き出し、ふてくされる。さっきの斉木さんみたいに、椅子に横向きに座って、片腕を背もたれに、もう一方をテーブルに乗せて、ふうっと息を吐き出す。
「あ! 添い寝、しましょうか!」
 そうだそうしましょうと意気込んで立ち上がるが、ぎろりと横目に睨まれ、ですよねと小さくなる。

「むぅ〜、はぁ…ほんとに寝ちゃうんですかぁ?」
 それとも、そういう誘い文句だったり?
 オレはすぐ背後に立ち、ちょっとだけ下にある斉木さんの肩を両手で掴み、するりと前に回して抱きしめ、顔を寄せた。
「あっあ! すみません! だったりしませんよねすみませんごめんなさい!」
 斉木さんの左手に顔を鷲掴みにされ、オレはヒハヒハしながら謝った。
『眠いのは本当で、添い寝はいらないのも本当だ』
「はい、ですよね、心得てます!」
 ぎりぎりぎり、と、万力のごとく徐々に指が骨を軋ませる。ひぃっと震え上がった直後、ぱっと解放された。
『起きるまで静かに出来たら、食事の礼をしてやる』
「……へ?」
『……別に、無理にとは言わないが』
 斉木さんは肩越しに振り返ると、オレの目を一秒見て、ふんとばかりに正面に向き直った。
 何でもないって顔してその癖、目付きだけはやたら情がこもってたりするものだから、オレはすぐには信じられずぽかんと立ち尽くした。
 斉木さんはその間にさっさと自分の部屋に戻っていった。
 はっと我に帰り、オレは大急ぎで後を追う。
 しますします、全力で静かにします、起きるまで息をひそめて待つ所存でありますです!
 だから斉木さん、安心して、ぐっすり眠って下さいね。
 そんで起きたら、今度はオレと寝ましょ!
 だらしなくたるむ顔をそのままに、オレは階段を駆け上がった。

 

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