約束

秋:腐れ縁第一歩

 

 

 

 

 

(あー…モニュモニュ中の斉木さん、可愛いなあ……しみじみ)
(斉木さん、今まさに「至福の時間」なんだろうな……しみじみ)
(色んなしがらみから解放されて、斉木さんにとってこの時間が一番の癒しっスかねぇ……しみじみ)
 何につけしみじみとしながら、向かいの席でほんわかゆっくりコーヒーゼリーを楽しむ斉木さんに見惚れ続ける。

 放課後、斉木さんと一緒に、駅向こうまで足を延ばしてやってきたカフェにて。
 幽霊情報で、最近ここに新しく入ったバイトの女の子が可愛いと聞き付け、それで来た次第だ
 しかし今日はお休みの日なのか、どれだけ探してもポニーテールが可愛い明るいオレンジの髪は見当たらない。
 ちょっとがっかりだが、また曜日を変えてくればいい。それだけ斉木さんを誘う口実が増えるんだからまあいいか。

 気持ちを切り替え、オレはカフェオレ、斉木さんはコーヒーとコーヒーゼリー、その三つを、二人でのんびり楽しむ。
 熱々のカフェオレをちびちび啜りながら、また冒頭のようにオレはじっくりしみじみ斉木さんを味わった。
 と、いつもなら食べ終わるまで止まる事のない斉木さんの手が、止まった。かと思うと、それまでほっこりしていたのが嘘のように悪鬼のごとき形相でオレを睨み付けてきた。
『何が、色んなしがらみから解放されて――だ。そんなわけあるか!』
 ひっ!
 雷めいたテレパシーに、オレは震え上がる。
 な、何がそんなに気に障ったんでしょ。
『お前の何もかもに。いいか、僕は起きてる限り、周りの人間の心の声を浴び続ける』
 はい、それは、一度目のお宅訪問で衝撃と共にオレの心に刻まれました。忘れてませんよ、覚えてますとも。
『そういう状況で育ってきたから、ある程度はちょっとやっかいな耳鳴りとして処理する事は出来る』
 はい、ええ、超能力者の知られざる苦労っスよね。
『だがな、お前の思念は他より強い、きつい、耳障りなんだよ』
 耳障りって、そんなぁ。
『いや、うん、少しな、少しだけ。とにかく、大半は雑音として聞き流す事が出来るが、そこに僕の名前が差し込まれたら、どうしても意識を向けてしまう。お前がそういうものだってのは僕も大概慣れて受け入れたが、それでも、目の前でわーわーひっきりなしに騒がれたら、さすがに疲れるってものだ。わかるか?』
 はいわかります。わかりました。だから斉木さんの邪魔にならないよう口を噤んで静かに眺めて…あ、それじゃ駄目なんだった。
 オレは情けなく顔を歪めた。
 腐っても寺生まれ、心を無にする修行だとかあれこれ研鑽してきましたが、斉木さんを前にするとどうしてもダメなんス。頭が、どこまでも膨らむ風船みたいに、斉木さんで一杯のパンパンになって果てしなく大きくなっていってしまうんです。
『まあ、それがお前だしな』
 わかってはいるのだが。そんな顔で斉木さんは唇を動かした。

 食べるのを再開した斉木さんにしょんぼりと肩を落とし、オレは小さくなったままカフェオレを啜った。
 気分がしょぼくれたからか何なのか、やけに周りの喧騒が耳にくっきりと響くようになった。
 特に、隣の女子二人の会話が、まるで耳元で繰り広げられているように鮮明に聞こえた。
 どうやら、彼氏への不満暴露大会のようだ。

 向こうの子が「うちの彼氏、こんな感じなの」というと、こっちの子が「うちもそんな感じで!」と返す。
 こっちの子が「こういうとこがやなんだよね」というと、向こうの子が「あるある、やだよね!」と返す。
 やっぱり別れた方がいいかなぁ。
 うん、ねー。

 ……あらら、あれまぁ。
『おい、聞き耳立てるんじゃない』
 思わず耳がダンボになったところで、すかさず斉木さんが注意。
「そっ……」
(そうはいっても、聞こえてくるんだからしょうがないじゃないっスか)
 思わず口に出しそうになり、オレは慌てて口を噤んだ。代わりにテレパシーで会話する。
『聞き流せ、それが最低限のマナーだ』
「斉木さんは、全部聞こえるからいいですよね」
 あの子の気持ちが知りたくて、夜も眠れず悩む――なんて事、ないもんね。いいなぁ。
『馬鹿言え、何がいいもんか。暗く沈んだマイナスの声は、つらいものだぞ』
(んん……そうですよね、さーせん)
 言い過ぎましたと、オレは即座に頭を下げた。
 でも、ぼそぼそと聞こえてくる恋模様に、他人事ながら胸が痛くなる。
 だってなあ…自分にも当てはまるとこあって、グサグサと刺さるんだよね。

 二人の口から零れ出る愚痴を聞きながら、自分も自戒せねば、生かさねばと思ってしまう。
 斉木さんと長く一緒にいたいから、謙虚に受け止めたい。
 彼女らの彼氏が何が悪くて、こじれてしまったのか。
 どういうところが、別れたいと思わせるのか。
 それがわかれば、長続きの秘訣が見えてくるだろう。

『参考にするもんじゃない。一人一人違うんだ、あの二人と自分たちとは、まるで違う』
 斉木さんが云う。
 ん、でも、共通点もありますよね。
(斉木さんから見て、オレの「ここはどうしても嫌だ」とか、ありますよね)
 オレだって、全く無いとは言えないですし。
 それに、斉木さんはオレの事筒抜けで丸見えで、何も悩む事なんてないでしょうけど、オレはそうじゃないから、色々心配なんスよ。
 少しでも、参考になりそうなら取り入れたいっス。
『いらん、しなくていいし必要ない』
(えー! ねえそれって、斉木さんに我慢させてるとか、無理させてるとかじゃないっスか?)
 そういうのは嫌なんですよ。そういうのが。だからオレは少しでも知りたくて――
『いい加減にしろ、僕が必要ないって言ってるのに、いつまで赤の他人の話に気を取られてるんだ』
 あ、え……。

『嫌な部分なんてあって当たり前だ、違う環境で育った、全く別の、赤の他人だった二人が付き合うんだからな。色々面倒な事は付きまとう。僕だって、何度ため息を吐いたかわからない。それでもお前と居続けてるのはなんでだ? 何だかんだ言いながらお前が僕と居続けるのは、どうしてだ?』
(あの、えっと……)
(それは…それは…)
「すんませんしたっ!」
 思わず声を張り上げる。
 一瞬店内がしんとなるほどだった。
 隣の二人は目を真ん丸くした後、くすくす可笑し気に笑い出した。
『……馬鹿が』
(重ね重ね……)
『いいか、鳥束。お前が不安に感じて、二人の約束だのルールだのにこだわるのもわからんではないが、何だかんだ僕たちは今の状態で上手くいってるんだ。それでいいだろ』
(はい、いいです)
 オレは何度も頷いた。

『悩むくらいなら行動しろと、最初に言ったろ。それは今も変わらない。大体、お前ごときが悩むとか生意気なんだよ』
(むぅー…斉木さん)
 そりゃちっと言い過ぎじゃないっスかねと、目付きを険しくする。
 斉木さんは涼しげにコーヒーを啜っていた。
『全然言い過ぎじゃない。むしろとてもソフトな方だ』
 なにおぅ〜。
 ほんとこの人、オレにだけは遠慮ってものがねえんだから。
 でも…そこが気楽で、特別感もあって、好きな部分だったりする。
 人間の心って本当に複雑で不思議で、面白い。

 隣の二人が、取り出した財布を覗きながら今日はどっちが払う番だの、細かい分は次回でまた調整しようだのと言い合って、慌ただしく退店の準備を始めた。
 どうやら二人とも、件の彼氏とデートらしい。
 ふうむ、何だかんだ言ってもラブはあるんだねぇ。うんうん、いいねえ。
 またしても聞き耳立ててしまう。
『だからやめろと』
(すんません、もう見ませんから。斉木さんだけ、見ますから)
 オレは何だか晴れ晴れとした気持ちになって、笑顔を向けた。
『誰がそんな事言った』
 苦々しい顔で、斉木さんは睨んできた。
 ひっ…もう怖い、けど可愛い。可愛くてたまんないから、もう一品ご馳走しますよ。
「なんにします?」
 初めは、そんなものでごまかされるかと突っぱねた斉木さんだが、開いたメニューを向けるや顔付きを変え、オレを心底和ませた。

 女の子たちは、彼氏との待ち合わせ場所へと急ぐ。
 オレたちは、もうしばらくここでのんびりお茶を楽しむ。
 斉木さんは、秋限定メニューが載った方もじっくり目を通すと、これでもかと高く盛られたモンブランパンケーキを指差した。
 標高も高けりゃ価格もお高いと内心引き攣る。そこでふと斉木さんを見ると、眩しそうに目を細めててさ、その顔のままオレを見てくるものだから、オレは大張り切りで「ご馳走します」なんて答えちゃったり。
 その返事に斉木さんは満足げに頷いちゃったり。

 きっとこれからも、こんな風に何だかんだありつつ上手くやっていくのだろうな。
 それはとっても貴重なものなんだと、オレは肝に銘じた。

 

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