おまけ
雨の日のおまけのコロッケ
夏:お肉屋さん
夏にしては涼しい、肌寒い雨の日。 そんな日にお使いに出るのは結構だるい、だるくて億劫で面倒。 しかも夏だってのに何だかうすら寒くて、雨も冷たいし、ぶるぶるっと震えがくる。油断すると風邪を引きそうだ。 まあ仕方ない、これも修行ってか。 「じゃ、行ってきまーす」 オレは傘を差し、てれてれちんたら商店街目指して歩き出した。 途中、顔なじみのじいちゃん幽霊が、車に気を付けてと降りしきる雨も気にせず声をかけてきた。 霊体だから、雨だろうが風だろうが槍だろうが、全然影響ないものな。 オレは了解と手を上げて応じ、通り過ぎる。 幽霊は相変わらず優しい。心がほっこりする。肌寒い雨の日だけど、少しあたたまった。 このいい気分のまま、とっととお使い済ませて帰ろう。 だというのに、一方通行の狭い道で、通り過ぎる車に水たまりをばしゃりとかけられた。身体半分びしょぬれというわけではなく、靴がびっしゃりする程度だからまだマシだが、先程までのいい気分がもう台無しである。 はぁ〜あ……。 思わずため息が出る。 やれやれ、斉木さんじゃないけどやれやれだ。 ただ、肌寒いのでいつもの下駄をつっかけるのではなくちゃんと靴を履いてきてたので、不幸中の幸い、ともいえる。もし下駄だったら、足の裏が気持ち悪くてたまんなかったろうな。 ポストに封筒を投函して、葉書と切手を買って、これでお使い完了、後は帰るだけ。 さて、せっかく外に出たのだから、コンビニでちょこっとイイ本立ち読みでもしていきますかね。 さっきのびしょ濡れ分を取り戻さないと、気分がしょんぼりだ、まったく。 そう思ってまっすぐ商店街を進んでいると、角にある精肉店でお買い物中の斉木さんが目に飛び込んだ。 雨で人の少ない商店街、店もあちこち閑古鳥で、だからよけい、濃桃色は鮮やかにオレの目を引いた。 肌寒さにちょっと縮こまっていた身体が、たちまちカッと熱くなる。 にやける顔を何とか引き締めて、オレは斉木さんが出てくるのを待った。 斉木さんの事だからオレの事きっともうわかってるだろうけど、さて、どんな顔を向けてくるかな。 ふっと春の事が頭を過った。斉木さんも、こんな感じでオレの背中見てたのかな。 ついにその人が店から出てきた。 「よーっス斉木さん」 これ、偶然? それとも斉木さんが呼んだ? 斉木さんはオレを見るなり小さく目を見張り、それからぎゅっと狭めて、睨み付けてきた。 『知らん。わざわざそんな事するか』 「え……オレの接近、気付いてなかったんスか? ほんとに?」 すると斉木さんは気まずそうに唇をむにゃむにゃさせ、そっぽを向いた。 『うるさい、おまけに気を取られて何も聞こえてなかったよ』 むきになって吐き捨てる斉木さん。ああこりゃマジなやつだ。 わかった途端、オレはおかしくてたまらなくなった。 「おまけって?」 『……コロッケ』 雨の日限定で、おまけに一つつけてくれるんだそうだ。 オレはますます腹筋が痛くなった。引き攣りそうなのを我慢して、斉木さんに目を見張る。 「ちょマジっすか。おまけのコロッケに舞い上がるとか、斉木さん可愛すぎだろー」 オレは肩を震わせた。 そんなオレに斉木さんは、ここでひき肉になるか、とばかりに恐ろしい形相になった。 まあまあ収めて収め。 「でも、わからないでもないっスよ」 オレがよく覚えてるのは、豆腐屋でもらったおからクッキー。 母親に連れられて、幼稚園の帰りに寄った豆腐屋でもらったあのクッキーは心躍りました。今でも鮮明に覚えてます。 『……なんだ、園児と一緒って言いたいのか』 「あーえー…いやじゃなくて、おまけにワクワクするのわかるって事が、言いたいだけっス……」 『まあでもわかる。僕も小さい頃、母と一緒に買い物に行った肉屋でもらったおまけのコロッケに、……』 「心躍ったでしょ」 思い浮かぶようだと、オレは同意を求めた。斉木さんは照れくさいのか、どこかふてくされたような顔でうんうん頷いた。 『それまでも食卓にコロッケが並ぶ事はあったが、おまけで貰ったあのコロッケ、帰り道母と半分に分けて食べたあの味は、忘れられない』 ああ、斉木さんもそういう思い出があるのかと、オレは胸が暖かくなる思いだった。 『よしお前、ちょっとツラ貸せ』 斉木さんは鋭い目でオレを見据えると、顎をしゃくった。 あれあれ、え、今すごくほっこりしてたじゃない? なんで急にヤス君モード? さっき笑ったの、やっぱり怒ってます? どこへ連れて行こうというのか、斉木さんは先に立って歩き出した。 精肉店から少し行った商店街の外れの方、一方通行の狭い路地とバス通りとを結ぶ50メートルもない短いアーケードの路地に入り、すぐのところで、斉木さんは足を止めた。 え、なになに、ここでオレシメられちゃうとか? アーケードはまっすぐではなくくの字に曲がっていて、入ってすぐのここには雑居ビルの二階に上がる外階段があって死角にもなりやすく、つまりここなら多少ボコってもすぐには発見されないってわけだ。 うわ、ちょ、斉木さんマジっすか。 まさかそんなんじゃないですよね、でも手放しで安心も出来ない、やるといったら斉木さんは間違いなくやるお人、関節極めたり内臓ぶちまけるパンチくれたり、容赦ない。 そう、やる時はやるのだ。その潔さはすごいと思うが、ちょこっと笑っただけでそんな仕打ちはあんまりだ! 戦々恐々と背中を見守っていると、斉木さんは傘を畳み外階段の手すりにかけて、何やらごそごそ荷物を探り出した。 オレもならって傘を畳み、同じように引っ掛けて、出方を待つ。 と。 『そら、やるよ』 斉木さんは振り向きざま、オレに何かを差し出してきた。 思わずびくっと大げさに反応する。そんなオレを鼻で笑い、斉木さんはよく見ろと手を軽く動かした。 「……ころっけ」 我ながら間抜けな声だと、オレは少し遠くなった耳で思った。 『出来立て熱々だ』 綺麗に半分に切り分けられたコロッケ。包みの紙も半分こ。オレはおずおずと手を伸ばし受け取った。本当だあったかい、熱い。美味そう。 『これで春の借りは返したな』 「えっ」 そんな、いいのに。なんて律義な人だろう。 それに引き換え、オレの妄想のひどさときたら。 情けなさにオレは小さくなった。 『まったくだ、なんだ、人を所かまわず噛み付く狂犬みたいにいいやがって』 「さーせん、いただきます!」 ご馳走になりますと、オレはかぶりついた。 うまーい! オレは小躍りせんばかりに喜び、頬張ったポテトコロッケを噛みしめた。噛みしめるほどに幸せが胸を満たしていく。 『これでわかっただろ』 「ええ、はいわかりました、美味いっス! さーせんっした!」 さっきは笑っちゃって本当にすみません。斉木さんが夢中になる理由、よくわかりました。 斉木さんは「調子の良い奴だ」と鼻を鳴らすと、自分もコロッケにかじりついた。 オレの目の前でみるみる険しさが解けていく。やがて花が咲くように顔がほころんで、オレはますます幸せを感じるのだった。 それにしても本当に嬉しそうな顔するな、この人。そんなに美味しいんだな。 オレもすごく美味しいですけど。なんでだろ、家で食べるのとはまた違った美味しさ、なんだろう。 『僕と食べるからだろ』 「え……へへっ、自分で言っちゃいます?」 言われて、ズバリその通りだと思ったけど何だか気恥ずかしくて、オレはごまかしにちょっと茶化した。 『言う。僕も、お前と食べていつもよりずっと美味しく感じてるからな』 「んっ……もっう」 『子供の時食べたのよりも、ずっと』 「………っ」 あまりの事に息が詰まった。あっという間に熱くなる顔を手の甲で擦る。よくまあ恥ずかしい事をさらっと言えるもんだ、超能力者はやっぱり違うなと、どうせ余裕の顔してんだろと目を向けると、言った当人も赤くなってた。薄暗いアーケードでもわかるくらいの赤面ぶり。 もうなにこれ、二人して赤い顔付き合わせて、汗滲ませて、オレらが食べたのって激辛コロッケでしたっけ? 雨の音がやけに大きく響く。アーケードがトンネルみたいな役目を果たすからか? ざあざあと降りしきる雨音を聞きながら、しばらく立ち尽くしていた。どうにか最後のひと口を飲み込み、オレはごちそうさまでしたと小さく告げた。 おもむろに斉木さんが手を伸ばしてきた。包み紙を寄越せというので、オレは「ああすんません」と慌てて渡した。紙がどこへ行くのか見送ると、買い物袋の中に消えていった。 そこでオレは、いつまでもこんなぬるい空気の中にいたら、買った肉が傷んでしまうなとはっとなり、帰る頃合いだと手すりに引っ掛けた傘に手を伸ばした。 一歩斉木さんに近付いた時、かすめるように唇同士が触れ合う。 「!…」 さいきさん! 人が見てない一瞬を縫い、斉木さんがキスしたのだ。 だからさ、もうさ、本当にもうこの超能力者めが! オレはじわっと滲む視界で斉木さんを見つめた。 素知らぬ顔でアーケードを出て行こうとするのを追って、オレは早足になる。 何から何までお見通し、オレがキスしたいって思ったのも、アンタと食べるから美味しく感じたのも全部お見通しで、その癖いちいち照れちゃって、なんだよその可愛さは! オレを殺す気っスか斉木さん! 斉木さーん! 大好き大好き大好き! 『うるせえ、どっか行け』 やだ行かない、常に斉木さんの傍にいるっス。 気付けばいつもあなたの隣に。 「今日はもう、おうちにお送りするまでの間っスけど」 傘を差し、雨の中歩き出す。 「いつだって、斉木さんの隣にいますからね」 『はぁ、鬱陶しいな』 やれやれと首を振る顔は、思いの外柔らかでとても甘い。三日で人類を滅ぼせる魔王みたいな超能力者なんかじゃなく、年齢相応の素直な顔。 オレの前だと、気兼ねなく本音をむき出しにする斉木さん。 だからってその顔は反則だ! どっか物陰に連れ込んでキスしたい、それも今すぐ! そしてキスだけじゃなくその先もしたい、あれもこれもしたい欲で一杯になっちゃうじゃないっスか。 ねえこれ、この気持ち、どうしたらいいでしょ。 『知らん、一人で何とかしろ』 「えー、責任取って下さいよ斉木さん」 『よし、責任もって切り落としてやる』 「なっ何を!?」 『そうすればお前はあらゆる悩みから解放される、良かったな』 「いや、ちょ、マジで何する気?」 『痛くないようにしてやるから安心しろ、一瞬で終わる』 「いやいや、結構です」 どんどん血の気が引いていく。歩きやすくなったのは大助かりだが、どこまで本気なのやら。 オレは、前を行く物騒な恋人に口をへの字に曲げ、お手柔らかにと目を細めた。 歩く先に斉木さんちの屋根が見えてきた。 「ねえ斉木さん、もしまた雨の日に出会ったら、今度はオレがコロッケお分けしますね」 『出来れば会いたくないな。雨でも晴れでも』 「えー…また。オレは会いたいのに」 『僕は会いたくない。この瞬間があまり好きじゃないんでな』 足取りを一切緩めず、斉木さんは振り返りもせず家の中に入っていった。 好きじゃないって言葉に思わずドキッとなったが、前後の繋がりと斉木さんの真意を遅れて読み取り、オレは零れんばかりに目を見開いた。 斉木さん、斉木さん! 明日また会えますから、何ならおうちまで迎えに行きますから! 寂しいのはちょっとだけです、それまで待ってて下さいね。 扉の向こうに全力で念を送り、オレは寂しがり屋の恋人を一生懸命励ました。 繰り返し念じていると『うるせえ帰れ変態クズ』なんてテレパシーが飛んできたが、オレはめげずに沢山呼びかけ、明日まで持つくらい呼びかけて、絶対見てると信じて斉木さんの部屋に向かって手を振り、それから家路についた。 |