特等席

秋:応援してくれ

 

 

 

 

 

 昼休み。
 この時間をオレはどれだけ心待ちにしたか。
 一刻千秋の思いで授業を乗り切り、ようやく迎えたこの時間、オレは清々しい解放感を味わいながら弁当片手に隣の教室に向かった。
 斉木さんが待ってる、早く行こう。
 朝のおはようの時に、今日は一緒にお昼にしようと、早々に誘った。それからこの昼休みまでだから、相当長い。
 待ちわびた昼休みである。

「斉木さん、お待たせっス」
 賑やかな教室内で、静かにお行儀よく座る斉木さんに向けて、オレは弾んだ声を投げかける。斉木さんは、ああとうとうこの時間になったかとうんざり感を前面に押し出して、オレへと顔を向けた。
 ふんだ、なにさ。
 その癖目が合うと、ちょっとだけ、本当に一瞬だけ嬉しさを過らせるんだから、ほんと参る。
 あの恋人ひねくれ者で参る。
 ほら、もう、渋々で構わないからこっち来て、お昼にしますよ、屋上行きましょう。
 オレは斉木さんと正反対に、嬉しさを前面に押し出してため息をついた。
 楽しみの余り少し息切れを起こしてしまったのだ。
 なんせ、それまでの授業が非常に苦痛だったからね、この時間を楽しみに乗り切ったのだから、体内に溜まった毒素もため息となって出ていく。

 ようやく斉木さんは立ち上がった。
 そこでオレは、斉木さんの周りに見知った二人チワワ君とヤス君がいる事に気付いた。
 ああやべ、どんだけ斉木さんしか見えてないかね。いや、周りに誰かいるなってのはわかってたよ、けど、斉木さんにしか焦点が合わなくて全然見えてなかった。
 そういやオレが声かけた時、二人も何かしらの反応したの、見えてた気がする。
 ほんとオレゲロヤバ。
『お前ほどの変態クズになると、世界の見え方もそうなるんだな』
 いや、ちょ、これはオレに限った事じゃないと思う。好きな人に集中するあまり他がぼんやり曖昧になる現象、みんなにもきっとあるから。
 ねえ、斉木さんだってあるはずっスよ、あなたしか見えないっていうの。
 オレしか見えないっていう時。
『さぁな』
 その返答って事は、あるんスね。
 どんな時かなあ、斉木さん。

 ごまかしきれない恋人をにやにや見つめていると、チワワ君たちが「一緒にいいか」と声をかけてきた。
 オレはチワワ君と斉木さんと交互に見やった。
「邪魔はしねぇからよ」
 オレをにやにや見つめ、ヤス君は肩を叩いた。
「瞬が、たまには斉木たちと昼食べたいってんだ、んで斉木は今日は屋上行くって聞いて、じゃあ俺もってなってさ」
 ヤス君の説明をふんふん聞きながら、オレはちらっとチワワ君の様子をうかがった。斉木さんに何やら話しかけ、目をきらきらさせている。
「あの顔さっきもしてよ、ちっとムカつくけど、でも可愛いだろ」
 お願い、聞いてやらない訳にはいかないだろ、いかなくなるだろ。
 ヤス君のノロケめいたものにうげっとなるが、まあでもわかるとオレは頷いた。
 そうね、チワワ君ちっちゃいし表情豊かだし、わかるけど、可愛い度でいったら斉木さんのが断然上ですけどね。まあこれは言っちゃ野暮だから胸にしまっとくけど。

 チワワ君と斉木さん、オレとヤス君の二人ずつで廊下を進み、階段に差し掛かったところで、堪えきれなくなったのかヤス君がチワワ君を引きはがし、嫉妬丸出しの態度で肩を組んで何やら喋り始めた。
 しかしチワワ君は気付かない様子で、何かおかしかったか、と、ますますヤス君をやきもきさせた。
 お二人さん熱々っスね、どうっスか、どこまで進んだ?
『ゲスな目で見るな、変態クズ』
 聞きたくてむずむずニヤニヤ見てると、余計なくちばし突っ込むなと斉木さんからお叱りを貰う。
 へいへい
 まあオレも、いくらこっちを知ってる二人だとて、色々聞かれるのはこっぱずかしいしな。
 とはいえ聞かれたら喋っちゃうだろうけど。
 主に斉木さんの可愛らしさを。
 夜はどんなふうに可愛くなるか、喋りたがりになっちゃうだろうな。
 いやどうかな、実際は違うかもな。
 それはオレだけの秘密にして、教えない〜ってなっちゃいそうだな。
 だって本当にすごいもんな、夜の斉木さん。
 まあ昼間にもあるけど、オレが見境ないからそうなっちゃうんだけどとにかく、あれやらこれやら、語り出したら止まらない可愛らしさで満ちてるんだよな。
 うっかり階段を踏み外しそうなほどデレデレな妄想に耽っていると、目に余ると、斉木さんから軽くボディを撫でられる。
「おごっ……!」
 横っ腹にめり込む拳に、オレは息を詰めた。
 すごい音とオレのうめき声で、二人が振り返る。
「ほんとお前ら仲良しだね」
 それとなく事情を察したヤス君が、しょうがねえなあと笑った。
「お、おい斉木、鳥束置いてっていいのか?」
『構うな、あの汚物はもう手遅れだ』
 ああチワワ君優しい、斉木さん厳しい!
 オレは手すりを頼りに屋上を目指した。

 適当な日陰に四人で座り込む。
 オレは、まだ痛む横っ腹を庇って、斉木さんの横に腰を下ろした。
『なんだお前、生きてたのか』
「そりゃ、斉木さん置いていけませんからね」
 青息吐息でオレはにやっと笑った。残念そうに斉木さんがため息をつく。
 そこでヤス君が、持ってきた雑誌を斉木さんに手渡した。
「これ、さっき言ってたやつな。上に折り目つけてるとこがそうだ」
 斉木さんは待ちかねたように受け取った。
 表紙はバリバリのバイク雑誌だけど、斉木さんの目のとろけ具合は、スイーツを目にした時とそっくり。はて?
 斉木さんの肩越しに覗き込んで、一緒に記事を読む。
 それで謎はとけた。
 スイーツツーリングなるものがあって、ヤス君の買った雑誌にその特集が組まれており、甘いものと言えば斉木さんという事で、借りる事になったんだそうだ。
「へえー、スイーツツーリング、ねえ」
 バイクで走ってって、穴場のカフェとか有名な甘味処を巡るというものだ。
 ふうん、中々おつじゃないの。

「そういや斉木さん、夏休み中に免許取ったんでしたよね。見して!」
「おお、斉木すげーんだぜ、俺らが実技や筆記に四苦八苦してる中、余裕の一発合格だからな」
「なにせ斉木はこの漆黒の翼の右腕だからな。その程度、容易いものだろう」
 斉木さんはめんどくさそうに財布を取り出すと、そこに入れていた免許証を渋々見せてくれた。
「おぉー、これっスか」
 斉木さんの名前、生年月日、写真…見てると何だかむず痒くなってくるな。
 あ、この写真ちょっと悪ぃ、せっかくの美人さんが残念さんになってるムカつく。
『あほか』
 もっとちゃんと撮れよなと内心で零していると、冷たいひと言が飛んできた。
 アホじゃないです、恋人のまっとうな抗議ですー。
 ほんとに、斉木さん可愛くて美人で最高なんだから、しっかり写し取ってくれないともったいない。
『やっぱりあほだ』
 アホじゃないから!
「どうも、あざっス」
 免許証を返す。受け取る時、斉木さんは今さっきの続きの、呆れた顔をオレに見せてきたが、ちょっと嬉しそうにも笑ってくれた。
 これ、今のそれ!
 今のを写真にするべきだよ。
 百倍可愛い、千倍綺麗!
『救いがたいあほだ』
 もう、斉木さん!

「そうだ、なあ亜連、斉木たちも、こんどの連休、そのスイーツツーリングってのしてみようぜ」
 チワワ君の提案がすぐには飲み込めず、オレはぱちぱちと目を瞬いた。
 チワワ君は、最高の思い付きだとピカピカに顔を輝かせている。
 つまりこの四人でバイクに乗って、スイーツ店巡りしよう、て事だ。
「えーっと、そっちはバイクに強いヤス君がいるからいいとして……」
「ああ、いつも瞬を後ろに乗せて走ってるぜ」
「斉木は器用だから、二人乗りも難なくこなすだろ」
 二人の、信じて疑わない晴れやかな顔。
 オレはそろーっと斉木さんに顔を向けた。
 斉木さんはどこか虚空を見つめ、力なく首を振っていた。誰が行くか、という意思表示である。
 だよなあ、そういう集まりとか集まるとか、斉木さん大の苦手だもんな。
『その通りだ鳥束。断固拒否する』
(わかってますって。斉木さんは、オレと二人で行くのが好きなんですものね)
(あ、ちょま……いたい!)
「いだいだいだい――ああぁ!」
「なん、何だどうした!」
「どうした鳥束!」
 照れ隠しじゃない、マジの怒りを滾らせた斉木さんに脇腹を力任せに握り込まれ、千切れそうな痛みにオレは絶叫した。

「だ、大丈夫か寺生まれ」
「はは、平気っス。もう慣れっこっスから」
 たっぷり五分は悶絶した後、オレはようやく身体を起こした。
 チワワ君優しいね、斉木さんなんて全然心配してくんないっスよ。あいやいや嘘ウソ、いつもオレの事見てくれてる。うん、本当に。迸る殺気にオレは慌てて言い募った。
「なあ、んでどうする? 行くか?」
「えーと、いえ」
 今回は二人で楽しんでくれと丁重にお断りしようとした時、斉木さんの身に異変が起きた。
「む、どうした斉木? 頭痛い?」
「頭痛か?」
 気遣う二人の口から出たその単語に、オレはもしやと小さく目を見開いた。
 斉木さんのその能力は大抵眠っている時に発動するが、起きている間も、頭痛と共にやってくる事があった。
 予知である。
 未来に起こる出来事を、断片的に知る事が出来るのだ。
 それだろうと様子を見守っていると、斉木さんはどんよりと曇った顔でスイーツツーリングに参加する旨を伝えてきた。
「え、ほんとかっ」
「おお、行こうぜ斉木、共に風になろうぜ!」
「じゃあ、時間と待ち合わせ場所決めようぜ」
 詳しい日時を取り決め、締めに「寝坊するなよ鳥束」と付け足され、オレは苦笑いで応えた。
『ということでよろしくな、鳥束』
 今にも命つきそうな顔で斉木さんが云う。
 オレは黙って頷くよりなかった。

 斉木さんの説明によると、当日二人だけで行かせると、何らかの事故に巻き込まれる未来が見えたそうな。
 それがどういったものか、あまりに断片的でよく掴み切れなかったがとにかく、二人きりでは危ないので、自分も行く事にしたという。
『仕方ない。ツーリングなんて糞だるいが、スイーツの為だ。気分を切り替えよう』
 スイーツの為でもあるし、二人の為でもあるでしょ。まったく、素直じゃないねアンタは。ふと笑うと、ヤス君に匹敵するほどの形相で睨まれた。
(ひぃっすんません!)

 斉木さんが気持ちを切り替えたなら、オレも気分を盛り上げるとするか。
 ツーリングか、バイクの二人乗りか。
 思った以上にワクワクしてきたぞ。
 斉木さんと、バイクに乗って出かける。
 斉木さんと二人乗りで出かける。
 自分でも、こんな楽しみが味わえるとは思っていなかっただけに、気持ちはどこまでも膨らんでいった。
 普通ならここで、ちょっとは不安が紛れるところだ。運転技術や生身で走る怖さにいくらか竦むところだが、なんたって相手は出来ない事はない超能力者だ、命の危険は絶対にない。ああこの安心感、どこまでも楽しさだけが手放しで膨らんでいくこの高揚感、たまらないっスね。
 オレは改めて妄想してみる。
 ちょっと想像が追い付かないので、ネットに頼る。
 えーと、カップル、ツーリング…かな。
 いや違った、オレの求める二人乗りはこれじゃない、こっちは、一人一人でバイクに乗ってるのだ。
 まあでもこれもいいっスね。
 さてじゃあ、タンデム…と
 そうそうこれこれ、この密着!
 うひょー彼女のおっぱいが背中越しに…むふふーたまりませんなあ。
 てか、今回はオレが後ろなんだよね、ちょいカッコわる。オレも免許、取るっスかねえ。
 そんで斉木さんを後ろに乗せて颯爽と――。

『絶対乗らねえ』
 凍てつくテレパシーに顔を向ければ、相応しい虚ろな目がそこにあった。
(えー、乗って下さいよ。てか斉木さん専用シートにしますから、是非!)
『いやだ命が惜しい』
「いえいえ、ちゃんと安全運転心掛けますから」
 一緒に風になって下さいっス。
『というかお前は、坊主らしくスクーターに乗ってろ』
(あ、スクーターはでも便利だそうですよ)
 オレは乗るとしたらどうだろう。車は考えたりするが、バイクは視野になかったなあ。やっぱりモテを目指したいから、そういう感じのがいいかな。今度ヤス君に聞いてみようかな。
『やめとけ、軟派野郎がバイク乗るんじゃねえとボコられるのがオチだ』
(ああ、ダメか。まぁヤス君だもんなあ)
 オレは、チワワ君とバイクの話で盛り上がっているヤス君をそれとなく眺めた。

 再び想像の旅に出る。
 今度の連休、斉木さんとツーリング。
 何らかの事故の心配はあるけど、斉木さんがいる限り絶対心配はない。
 絶対安全心配ご無用のバイク旅、スイーツ巡り、楽しみだな。
 バイクの二人乗り、どんな感じなんだろ。ちょっと調べてみるっスかね。
 オレは弁当を口に運びながら、体験談のページをいくつか読み漁った。
 後ろに乗る時の心得か、これ重要そうだな。読んどくか。
 ああ、どんどん楽しみが膨らんでくなあ。いつものお出かけとはまた違った期待感にワクワクが止まらない。

 そういや斉木さん、免許は取ったけどバイクはないよな。さすがに。
『さすがにないな』
(ですよね、じゃあ今度一緒に見に行きましょ)
『お前一人で行ってこい。僕はごめんだ。自分の早歩き程度の乗り物なんか興味ない。時間の無駄だ』
(うむぅ…はぁ)
 わかりました、じゃあなんか、それっぽいの調べて見とくっス。
 ヤス君に聞くのも手かな。詳しそうだし。あーあ、あっちはマジのガチの恋人同士でキャッキャウフフして、こっちはなんでこんな冷え冷えしてるんだろね。
 ま、乗せてもらえるだけ、ありがたいかな。
 下手したら置いてかれたかもしれないし。
『ああそうか、お前を連れてかないって手もあったな』
(ウソー! もうー!)
『冗談だ。まあ半分本気だが』
(斉木さん)
 オレはちょっとばかし悲しい目をしてみる。
(後ろ、乗ーせて!)
 オレだけを、一緒に連れて行ってほしい。他の誰でもなく、一人きりでもなく、オレと一緒に出かけてほしい。
 恥ずかしさに身悶えした挙句、オエっと戻してしまいそうな己の幼稚さに、腹の底がもぞもぞと熱くなる。けれどそれでもオレは思わずにいられない。
 
「あぁそうだ斉木に鳥束、良かったら事前にバイクの二人乗り、練習やっとくか?」
『なに?』
「え?」
「まず斉木な、いきなり誰か乗せるんじゃなく、まず後ろに乗る感覚を知っとくのがいいと思ってよ。俺の運転でよければ、ちょっと乗ってみねぇか?」
『なるほど』
「んで鳥束も、後ろに安全に乗るコツ、読むより身体で覚えた方が早いだろ」
 ヤス君の言いたい事、理屈はよくわかった。
 当日いきなりぶっつけ本番ではなく、事前にミニ教習をしておこうというのだ。
「ああ、そうだな。せっかくバイクで出かけるんだし、より安全な方がいいもんな」
 それはいいと、チワワ君が推奨する。
「亜連の後ろはオレの指定席だが、まあ仕方ない、命には代えられないしな」
「はは、悪ぃな瞬。せっかくツーリング行くんだから、安全で楽しい方がいいべ、バイク好きが増えてくれるなら嬉しいしさ、どうだ二人とも」
 ごもっともである。
 しかし何だろうこのたまらない嫌悪感は。
 胸の内がグジャグジャと渦巻いて、たまらなく気持ち悪い。
 ああやだ、やだやだ、すごい嫌だ。嫌で嫌でたまらない。
 なんだこれ、なんなんだ。
 オレは、なにが嫌なんだ?

『二人で練習するから結構だ』
 そもそも僕には練習など必要ないしな。
 あまりの気色悪さに堪えきれず今にも叫びそうになった時、斉木さんのテレパシーが頭に響いた。
 前半は四人に、後半はオレだけにこっそりと、自分の意思を伝える。
 途端に身体から不要な力が抜けた。嫌なものが、さっと溶けてなくなった。あれほど悩ませたというのに、今は身も心も軽い。
 斉木さん、すげえ。
 そんでもってスミマセン。
 お手数をおかけします。
 まったくだと、舌打ち混じりに寄越される。オレは肩を竦めたが、顔はほっと緩んで仕方ない。ふと見ると、チワワ君もどことなく嬉しそうな顔をしている。
 そうだよな、いくらチワワ君にとって親しい友人とはいえ、自分の席はそう容易く譲りたくないよな。
「なんかわからねぇ事あったら、遠慮なく聞いてくれ」
「オレも頼りにしていいぜ」
 ほっとして、晴れやかな顔になったチワワ君が、ヤス君の後を引き継ぐ。
 ああ、オレの顔もほっと爽やかっス。

『僕だってそうだぞ』
(え? なんです?)
 その割にはおっかない顔ですけど。
『っち、鈍いな、吐きそうなのはお前だけじゃないって言ってるんだよ』
 さーせん、で、吐きそうな、って……え、やだ斉木さん、斉木さんもオレと同じ……後ろの席、オレの為に。
『お前以外いないだろ』
(はは…斉木さん)
 察しの悪い奴だとおっかない顔で凄まれるが、嬉しさが込み上げて仕方ない。
『お前なら、万が一僕が事故をよけきれなくても、何の後悔もしなくて済むしな』
(斉木さん! またそうやってもう、めっスよ!)
 わざと雑に扱おうとするの、やめて。
『乗せてやる代わりに、当日のスイーツお前の奢りな』
(了解了解、何でもお申し付け下さいっス!)
 オレは玉子焼きを噛みしめながら、親指でサインを送った。それはもう、力強く。

 あー、早く連休にならないかな。今から楽しみで仕方ない。
『僕は今から憂鬱で仕方ない。せっかくの連休にお前らのお守りだなんて』
 やれやれだと、斉木さんは大げさに首を振った。
 あ、そう、斉木さん。その割にちょこっと唇の端が楽しそうなのは、何でですかね。
 ぶっ飛ばされるのを覚悟の上で、オレはずいっと顔を近付けた。
『決まってるだろ、お前がいるからだよ』
 そんなオレを待っていたのは、思いがけないひと言だった。
 ちょっと…そんな柔らかい表情で言われたら、オレ――。
『お前の為に、後ろの席を空けといてやるよ。楽しみにしておけ』
 じわっと滲んだ感激の涙は、続く言葉と薄ら笑いによって氷のように冷えるのだった。
 お、おう…上等っスよ斉木さん、何でも来いってんだ。

 

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