特等席
夏:肩寄せ合って
六月になった。 その途端「今日から夏だね! 暑くするね!」とばかりに、日差しと空気がいきなり変わった。 朝からむっと蒸した空気、強烈な日光、昨日までは涼しくて過ごしやすかったのにと、オレはうんざり顔で空を見上げた。 空気ぬるい、日差し強い。 昨夜までは確かにひんやりそよそよ気持ち良かったのに、明けた途端これかよ。 あー、動くの怠いなぁ。 そんな休日の昼間は、心頭滅却して瞑想…ではなく、冷房ガンガンに効かせた部屋でエロ本トーナメントを開催するに限るっス。 てわけで見事頂点に輝いた一冊を、オレはベッドに腹這いになってたっぷり楽しんでいた。 斉木さんが訪れたのはそんな時で、段々と良いものが溜まりつつあった頃だった。 この時間最高だなぁと熱中していて、ある時ふと、こういう時に限って斉木さんに邪魔されたりするんだよなと、虫の知らせのような直感のようなものが過った。 直後、部屋に冷気が出現した。 すぐさま脳がフル回転するが、ある一点を中心に少し動きづらくなっていたオレは、そのせいで対応が遅れた。 ちぃ、このままではやられる――! 腹這いでエロ本読んでる分際でカッコつけるとかなんとも間抜けな限りで、現れた斉木さんも、どこの海藤だと冷え冷えとしたテレパシーをぶつけてきた。 まったくその通りだと汗をダラダラ流していると、背中にどしんと衝撃が走った。 衝撃は一度で終わらず、何だなんだと見やるオレの目に、橙色の塊が降り注ぐのが見えた。 「いた、いたい、痛いよっ!」 容赦ない攻撃にオレは叫んだ。 何この重い物体はと目を凝らせば、グレープフルーツ…いや、夏ミカンか、よく育った大きな丸い柑橘がそこにあった。 「マジ痛いっス斉木さん」 『手が滑った』 「嘘ばっかり、もぅ!」 抗議するオレから目を逸らし、わざとらしく天井を見上げたりするものだから、オレはそれ以上怖い顔を維持出来ず、笑ってしまった。 テーブルの上に、斉木さんが持ってきた甘夏が五つ並んでいる。 「綺麗っスねえ、ピカピカで良い熟れ具合で。夏の良い匂いがする」 斉木さんいらっしゃい、コーヒーゼリー食べます? 『食べる』 「じゃあすぐに」 部屋から出て行こうとするオレを、斉木さんが引き止める。 『鳥束』 「はい?」 オレはピタッと足を止めて振り返った。 『ジャムが終わった』 「ああ、だからそれ持ってきたんスね」 斉木さんは座って頷いた。 春の盛りの頃である。オレは頂き物の甘夏でジャムを作り、斉木さんにお土産として持たせた。 皮や白い部分、苦くなる部分は徹底して取り除き、斉木さん好みを目指して仕上げた。 斉木さんは大層気に入ってくれて、パンやヨーグルトのお供にするだけでなく、ジャムを使ったチーズケーキまで作り、オレにお返しとして振舞ってくれた。 あれは感激したなあ。 まさか斉木さんからそんな風に返ってくるなんて夢にも思ってなかった…ていうと失礼だけど、どこかちょっとオレのが上だって思ってた部分もあった。 なんせオレ寺生まれだから、料理の腕はちょっと自信あった。 斉木さんはそんな次元じゃなかった。 そりゃうぬぼれとか少なからずあると思う、なんたって天下無敵の超能力者サマだし。 けど、そういうのを超越して、オレを圧倒した。 純粋に愛情でオレを溺れさせた。 まあオレだって寺生まれなんでね、負けっぱなしという訳にはいかないっスけど。 て事で斉木さんの意向をくみ、何を欲しているか推測する。 答えは簡単だ。 「また作ってほしいんスね」 『ジャムが終わった』 むすっとした…というか、悲しむ顔だな。美味しいものが尽きてしまい、楽しみが一つ減ってしまったと嘆く顔。 オレは慌てて慰める。 「わかりました、すぐお作りしますから、ね、そんな悲しい顔しないで」 『別にしてない』 「してたでしょー、たった今、もうアンタって人はもうー」 『それより鳥束、コーヒーゼリーまだか?』 テーブルの上で握り拳を作り、斉木さんが催促する。 「ふふ……はいはい、今すぐに」 オレは斉木さんを伴って、一緒に台所に向かった。 テーブルの椅子を引いてそこに座ってもらい、冷蔵庫の買い置きをはいどうぞと差し出す。 最高級品でなくても、この人はきちんと感謝していただいてくれる。 そういうのオレ弱いんだよね。感激しちゃうなあ。 オレはモニュ顔を眺めながら、早速ジャム作りに取り掛かった。 「いい甘夏っすね、斉木さん」 『三十個ほどあったのを一つひとつ確かめて選んだんだ。いいに決まってる』 ずっしりと重たいみかんに感心していると、そんなの当たり前だとばかりに返答があった。 少しでも美味しいものを食べたい斉木さんの執念、感服です。 ようし、オレも腕を振るうっスよ。 がちっと締まった皮に、むきやすいよう包丁で切り込みを入れる。一個ずつ丁寧に、気を付けて。 段々と夏の匂いが強くなってきた。むき始めたら、もっといい匂いするだろうな。 切り込みを入れたら皮むきだ。オレは、むいた皮を入れる袋を持って、斉木さんの隣に腰を下ろした。 『今日は、お寺の人たちは?』 「夕方まで用事で出かけてるっス」 『そうか』 「ええ、なんで斉木さん、夕方までゆっくり出来ますよ」 もちろんしてきますよねと、硬い皮をちぎり取りながらオレは笑いかけた。 そんなオレを待っていたのは――。 「ひぃっ!」 見るものすべて氷漬けにするかって殺気に満ちた目の斉木さん。 オレは悲鳴を上げた。 『やる気なくした』 「えっ?」 『自分も長居するつもりだったが、お前が言うからやる気なくした』 「そんな…斉木さん」 そんな、風呂入りなさい、宿題やんなさいって言われた小学生じゃないんだから。 「斉木さん」 身体を寄せ、逸らされた目をじっくり見つめる。 「ね、もっかいやる気出して下さいよ」 美味しいジャム、お作りしますから。 「斉木さぁん」 こつんこつんとおでこをくっつけて呼ぶ。 斉木さんは鬱陶しいとばかりに身体を揺すり、唸った。 『うるさい、邪魔だ、コーヒーゼリーが食べられない』 「美味しいっスか?」 『お前のせいで美味しくない」 「ええー」 どれどれと、食べるふりをする。もちろん、すぐ斉木さんに取り上げられるの前提だ。思った通り、斉木さんにすぐさまスプーンを奪われオレはふっと噴き出した。 『ますます美味しくなくなった』 むすっとした顔でモニュモニュも、可愛いなあ。 ぴたっと閉じたお行儀のよい唇がちょこっと動くの、可愛い。 コーヒーゼリーを大事に包んでいるほっぺたも可愛い。 飲み込んでくりんと動く喉も可愛い! コーヒーゼリー食べてる斉木さん、エッチで可愛い。 食べちゃいたくなるくらい可愛い。 本当に美味しそうに食べるの、可愛いなあ。 とうとう最後のひと口になった。じっくり目に焼き付けようと思って見ていると、観念したというようにため息をついて、斉木さんはスプーンを差し出してきた。 え、やだ、本当に食べたかったんじゃないんだ、ごめんね斉木さん、惑わせてゴメンね。 『うるさい、いいから早く食べろ。食べて鎮めろ』 迫るスプーンにオレは素直に口を開ける。 冷たくて、さっぱりした甘さ、美味しいなあ。 「ごちそうさまっス」 ああ、ますます斉木さん食べたくなったよ。 じっと目が合う。 あ…いい雰囲気。 さっきから少しずつ騒がしくなっていた鼓動が、一気に跳ね上がる。 出来そう、出来るかも 『な訳ないだろ』 ぐいーっと顔を押しやられる。 遠慮もへったくれもない力強さ。 『ジャムはどうした、おい、実を取り出すどころかまだ皮むきも終わってないじゃないか』 はいっすんませんっ! 『ふざけやがって、この僕を待たせるとはいい度胸だな』 「もー、怖い怖い! 斉木さん、もうちょっと我慢を覚えてほしいっス」 『お前こそ覚えろ、どこでも構わず盛りやがって』 「んーそりゃだって、斉木さん前にしたら我慢なんて吹けば飛ぶっス」 『いいからさっさとジャム作れ。五秒以内にだ』 「無理っスすよぅ、だから斉木さん、我慢して」 『うるさい、してる!』 鋭いテレパシーと共に睨み付けられ、オレはびくっと怯んだ。別の意味で鼓動が跳ね上がった。 いやそれ、とてもしてるようには見えないっスよ。 『今すぐジャムが食べられなくても暴れたりしない、充分我慢強いだろうが』 「ええー…」 もう、なんて暴君だろうね。 『それに、お前と!』 「……はい」 『キスしたいのだって、こんなに我慢してるんだぞ』 「――!」 いやいや、そりゃ我慢しなくていいんじゃないっスか。 オレだってしたいわけだし 『駄目だ!』 キスだけじゃ済まなくなると、頬を朱に染めて、斉木さんは睨み付けてきた。 「ああー…すんません」 オレもそうだね、キスしたら、そこからなんやかんやアレやコレやしたくなるね。 キスしながら斉木さんの服はいで、身体触って、舐め回して、突っ込んで、ぐちゃぐちゃドロドロにして、満足するまで止まらないね。 『やめろ!』 斉木さんの手がオレの頭をがしっと掴んだ。 「うわーごめんごめんごめんなさい!」 『ジャムが先だ』 「はい……」 オレはぐっと堪え、頷いた。 斉木さんも、そうだと云うように頷いた。 けれど、その端から欲求が浮かんでくる。 昼日中に赤い顔付き合わせて、オレたちは本当にもう。 『こんな近くに座るお前が悪い、離れろ』 「さーせん!」 でも、斉木さんももう我慢の限界でしょ…ああほらやっぱり 触れた股間にはひどく熱がこもっていた。 お前のせいだとばかりに睨まれる多少怯むが、自分も同じだと手を取って示し、薄く笑いかける。 「夕方までまだまだ時間ありますし、ちょっと、ねえちょっとだけ」 『ちょっとで済むわけないだろ』 そう言って斉木さんはオレを抱き寄せた。 そうだね斉木さん、だから心行くまで楽しみましょう。 『鳥束……ジャム』 斉木さんの目が、葛藤で揺れる。 甘酸っぱいあのジャムも欲しいが、お前も欲しい…そう訴えて、斉木さんの瞳が潤む。 はいはい、後で必ず仕上げますから、まずはオレを食べて。 目を見合わせ、オレはそっと笑いかけた。 |