特等席

冬:抱っこして

 

 

 

 

 

 僕はオーブンの中をじっと覗き込んでいた。
 すぐ傍では、鳥束が淀みなくお喋りを続けている。
 そいつを半分聞き流しながら、僕はじんわりと火が通っていくひと口パイの行方を見守っていた。
 焼き上がりはまだまだ先、なにせ今さっきオーブンのスイッチを入れたばかりなのだから。
 鳥束は語っている。まったく完全に無視していいのに、僕は反射的に頷いてしまう。
 少なからず興味はある、なんたって、今作っているジャムパイのジャム…冬苺という、今の時期に採れる今だけの美味しさの果実を、どのように見つけたか、収穫はどうしたか、ジャムの加工はどうやったかを語っているのだ、ついつい、聞き耳を立ててしまうのも無理はないだろう。
 僕は甘いものに、その、目がない。ちょっとばかりおかしくなる自覚がある。だから、鳥束の語る顛末も、甘いものが絡むだけに無視するのは難しい。
 だからこうして、要所要所で反応してしまう。

「んでこれが、グツグツしてる最中のジャムっス」
 スマホの画面を、また見せられる。確かに、グツグツしている。立ち上る白い湯気に乗って、甘い匂いがこちらにまで漂ってきそうだ。
 ああくそ、その場に立ち会いたかった。
「はは、斉木さん顔かわいっ」
 僕は慌てて口を閉じる。油断すると、すぐ緩んでしまうのだ。
 だが仕方ない。さっきから、コイツの見せてくる画像がいちいち美味しそうなのだ。
 実家の裏山にこんな風に茂ってるんスよ、から始まって、
 大きさはこのくらいと一粒を手に乗せたもの、
 たっぷり収穫しましたとザル一杯の一枚、
 これからジャム作りまーす、
 そんなものを次々見せられては、いつも出来てるスルーも難しくなるというものだ。

 特に、綺麗に水洗いしてザルにあげた一枚が強烈だった。
 光の当たり具合も良かったのだろう、一粒一粒が光を反射して鮮やかに輝き、その真っ赤な姿に目が釘付けになった。
 今さっき味見させてもらった甘酸っぱさが、また口の中にひろがるようであった。
 ――良かった、上出来って顔してる
 嬉しがる鳥束の声と相まって、極上の味わいだった。
 それをそのまま伝えるなんて何とも癪だったが、こと甘いものに関して僕は隠し事は難しい、実に困難極まりない。
 どれだけ黙してもこうして表情で伝わってしまうし、鳥束は見誤らず読み取ってしまう、隠すなんて無理だ。
 だから僕は開き直り、よだれも気にせずジャムを味わった。
 鳥束はますます喜ぶ。癪ではあるが、美味いものは美味い、無駄な抵抗はやめよう。

 あ、段々膨らんできたな。
 不覚にもドキッとしてしまう。
 市販の冷凍パイシートをただ四角に切り、中央にジャムを乗せて焼いただけ。溶き卵も塗らずさっさとオーブンに放り込んだ。
 いつもならば洒落た形に結んだり型抜きしたり、艶出し卵を塗ったりするが、今回は全てすっ飛ばした。一刻も早く食べたかったからだ。
 慌てたせいでスイッチの押し間違いをしてしまい、鳥束に「斉木さん、落ち着いて」と笑われたが、元はと言えばお前がこんな美味しいものを持ってくるのがいけない。
 余裕をなくすに決まってるだろ。
 こうなるなんて、初めからわかっていただろ。
 わかった上で笑ってんのか?
 睨みをくれるが、その顔も可愛いと不意打ちのキスを寄越され、うやむやにされた。

 ええいもういい、もうすぐ焼き上がるジャムパイに集中しよう。
 十分は短いものだが、この十分は長いな。
「もうすぐっスよ、斉木さん」
 また、顔に表れていたのだろう。子供をあやすような物言いに顔が熱くなる。パンチの一つもお見舞いしようかといきり立つが、焼き上がりが間もなくに迫っていて、気が気じゃない。
 オロオロそわそわしてしまう。
 僕としたことが。
 まあいい、溜めといて、鳥束にはあとでまとめてお見舞いするとしよう。
 そうこう思っている内に、オーブンが焼き上がりを伝えてきた。
「んー……いい匂いっスねえ!」
 ドアを開けると、更にキッチンに充満した。
「あ、さいきさ……熱いっすよ、ヤケド、あつあつ、気を付けてっ!」
 我慢出来ず一つを口に運ぶ僕に、鳥束は焦った声を上げた。ふん、常人なら大火傷を負うところだろうが、あいにく僕は超能力者なんでな。心配は無用だ。取り出すのにミトンはいらないし、大火傷とも無縁だ。
「だいじょぶ?」
 ハラハラと見守る鳥束に、一つ頷く。それから、上出来の意味を込めてもう一つ頷く。
 その様子で伝わったのだろう、顔の強張りを解くと、鳥束はたちまち幸せそうに頬を緩めた。
「まあ、大丈夫なのはわかってますけど、でもちょっとヒヤヒヤしましたよ」
『大げさだな』
 ビビりすぎだと目線を送ると、鳥束はちょっとむっとしたあと、食いしん坊と言ってきた。こちらもむっときたが、事実なので言い返す言葉がない。
 なら、食いしん坊らしくジャムパイを独り占めするとしようか。
 用意していた皿にのせ、お部屋でゆっくり食べましょうと持っていこうとする鳥束の手をぺしりと叩き、しっしっと追っ払う。
「えー、オレだって食べたいっス」
『そりゃ残念、僕は食いしん坊なのでな』
「ちょっと言い過ぎましたから、ね、一緒に食べましょ」
 身体でガードする僕の肩を抱き、鳥束は顔を寄せた。まったく、なんだって僕はこんな幼稚な真似をしているやら。

 また、鳥束に乗せられてしまった。コイツといると似たような思考になるから厄介だ。すぐ我に返るけれど、気付くと一緒になってやいやいやり合ったりする。そして、それを悪からず思ってもいる。
 後から馬鹿らしい、恥ずかしい真似と悶絶するが、一向に収まらないのだ。
 こんなの、コイツとだけだ。

「斉木さん、行きますよー」
 鳥束の号令にやれやれと肩を竦め、僕は後をついていった。鳥束を先頭に階段を上り、部屋に入る。
「さあ、おやつタイムっス」
 楽しい楽しいおやつタイム〜鳥束は歌いながらテーブルに置くと、テレビのスイッチを入れた。
 ここに来る途中借りてきたDVDをセットし、再生する。
「楽しい楽しいおうちデート、今日のタイトルは、うぅん――」
 鳥束は一つ咳払いをすると、地を這うような声でタイトルを口にしようとした。
『うざい』
 僕は速攻で邪魔をする。手元で、親指と人差し指を合わせるそれだけで、鳥束の口はぎゅっと閉じ合わさった。
「むむむー」
(斉木さんひどい!)
(言わせて、SILENT CYBORG言わせてー)
(斉木さんがこれ借りるって言うから練習したんスよ!)
(CM何度も見たから、モノマネ結構自信あるっスよ!)
 もう聞いたからいいです。
 口を塞いでも意味がないんだから、本当に超能力は厄介だ。
 テレビの前で、鳥束は抗議の目線をぶつけてきた。
『いいからさっさと座れ』
 鳥束以上に殺伐とした視線を投げかけ、黙らせる。
「……へーい」
 尚もブツブツ零しながら、鳥束は渋々とテレビの前からどいた。僕の後ろに回り込んで座ると、ぴったりくっついて抱きしめてきた。
 またこれか……邪魔くさい。
 せっかく集中して映画を見たいのに、鬱陶しいな。

 落ち着かせようと、僕は皿に盛ったジャムパイに手を伸ばした。
 ジャムがとろっとしたそれに喉を鳴らしながらかぶりつく。
 ふうん……うん、うん、悪くない
 味見の時も思ったが、面白い食感だな。プチプチしてて面白い。
 こんな味は初めてだ。

 よし、いい具合に落ち着いてきたな。
 さあ映画を楽しむか。
 一度劇場で見ているが、中々の出来だったから、もう一度見るのも悪くない。
 鳥束は初見という事で、今日は指輪をしていない。
 ネタバレの心配は不要だが、後ろからの余分な体温と悪戯には気を付けないとな。
 と思っていると、早速奴は仕掛けてきた。
 二つ目を食べるかというタイミングで、丁度良く食べさせてきたのだ。
 お、中々気が利くじゃないか。
 背もたれとしてなら不満はないし、仕方ない、好きにさせておこうか。

 観賞を始めてしばらくは気もそぞろで、女性キャラが少ない、女性の胸が少ないと文句ばかりだった鳥束だが、ストーリーが進むにつれ段々と静かになっていった。
 だから僕も集中度が上がり、背中が嫌な熱さなのも忘れて見入った。
 やっぱり面白いな、原作はもっと面白いんだ、そこの本棚に揃ってるから興味を持ったなら鳥束も読んでみろ。
 いちファンとしてそんな事を思いながら、二人して引き込まれる。

 そして迎えたクライマックス、鳥束はボロ泣きした。
 さっきから妙な振動があるかと思えば、それだったか。
 最初は堪えていたようだが、いよいよ別れのシーンにさしかかり、我慢出来なくなって決壊したようだ。
 まあ僕も、初見はぐっと来たからな。危うく号泣するところだった、気持ちはわからんでもないが、服に鼻水着けてほしくないのでティッシュを渡す。
「すんません、あざっス」
『お前って、結構涙もろいよな』
「はは、お世話かけます」
『うわ、きたなっ』
「ざいぎざんひどいっ!」

 鳥束はザカザカと束にして取り出したティッシュでちーんと鼻をかむと、まだうっすら涙の残る目をぎゅっときつくして、詰め寄ってきた。
「なんスか斉木さん、斉木さんだって、泣く事の一つや二つあるでしょ」
 そりゃあるぞ、邪険にして悪かったな、そう怒るな。
「てか斉木さんてどんな時泣くんスか」
『それはもちろんお前が――』
「あーわかりました! 聞いたオレがバカでした」
 急にデカい声を出すんじゃない。
「あれでしょ、オレが死んでくれた時ってんでしょ、嬉し泣き!」
『当たりだ』
「いい笑顔しない! もぉ、斉木さん意地悪ばっか言う」
 そう言って鳥束は抱き着き、ぎゅうっと腕に力を込めた。泣いたばかりのせいか、身体全体が熱い。
(斉木さんのばかばかー)
 頭の中ではまだべそをかいてる。
 わかったわかったと、腰の辺りを適当に叩いて宥める。

 鳥束はぐすんと鼻を啜り、大きく息を吐き出した。
「そうやってさ、しょっちゅう死んでほしいとか言うけどさ、斉木さん、オレが本当に死にそうになったら、何としてでも助ける癖に」
『当たり前だろ。わざわざ聞くまでもない』
「うっ、ぐ……斉木さん愛してます!」
 鳥束の力がますます強くなる。
 おいやめろ、身体が上下に別れちゃうだろ。
『助けるに決まってる。そして生かさず殺さず、じっくり可愛がってやるよ』
「ええー……そういう意味だったんスか」

 お前を助けるかどうか。
 死ぬべき時じゃなけりゃ、いくらでも手を尽くす。
 でも本当にどうにもしようがないなら、それが天命なら――。
「泣いてくれます?」
 ちょっとの期待を込めて、鳥束は聞いてきた。
 僕は首を振る。
『一緒にいってやる』
 息を飲む音が耳に届いた。
 ふん、なにが「泣いてくれます?」だふざけるな、何で僕一人こっちに残るのが当たり前みたいに言うんだ、この馬鹿が。
 本当にふざけた奴だ。
 ここまで僕にまとわりついて散々迷惑かけておいて、あっさりいけると思うなよ。
 そう簡単に一人にさせるか。

 

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