特等席
春:応援してやる
決して朝寝坊じゃない。 朝はちゃんといつも通りの時間に起きたんだ、そこからいつものお務め諸々もちゃんとこなして、いつも通り順調だった。 筈なのに、気付いたら朝飯前になんでか二度寝してしまっていた。 春のぽかぽか陽気に誘われるように、眠りに引きずり込まれていた。 気付いた時にはいつもの登校時間目前で、しかしまだ朝飯を食べていない。 どうにか用意してかっ込んだものの、弁当を作る時間がなかった。 それは最悪学食行けばいいと、身支度もそこそこに下宿先を飛び出した。 時間ギリギリだったせいで斉木さんに朝のおはようも出来なかったし、すべり込みセーフでひやひやしたし、梅干をおかずにかっ込んだ質素な朝飯は学校までの全速力で使い果たしてもう腹ペコだし、参ってしまう。 しかし災難はそれだけじゃなかった。 昼休みを目前にしてオレは、財布を忘れた事に気付いた。 四限前の休み時間、タケルとタカユキがパックジュースを買いに行くというので、じゃあオレもと鞄を探って判明した。 さぁっと血の気が引く。 あ、やっぱいいわと二人を見送り、オレは血相変えて鞄を探った。 いやいやよく探せ、内ポケットにすっと紛れ込んでるかもしれないだろ。 大体いつもスクールバッグに入れっぱなしなんだから、忘れるなんて事…あるわ。 昨日寺の買い出し頼まれて、そっちの買い物袋に移したまんまだったのを思い出した。 更に血の気が引いた。 なんて間抜けなんだ。 オレピンチ! どうしよう、誰か昼分けて…くんないよなあ。 金の貸し借りも気が進まないし。 いっそ授業サボって帰ろうか。 んな事したらすぐ斉木さんにバレて殺されんな。ダメダメだ。 あー…しゃあない、我慢すっか。 昼休みのチャイムが鳴った。 たちまち教室内は活気づき、あっちで食堂行こう、こっちでご飯食べよと賑やかになる。 (居づらいなぁ) (周り中からいい匂いしてきてつらいなぁ) 昼休みが終わるまで、トイこもってエロ本でも読んでようかな。 いやトイレは寂しすぎるな。せっかく天気も良いのだし、屋上行くか。 オレはエロ本を隠し持って、屋上へと避難した。 「あ、ねえそこのあんた」 顔見知りの幽霊に、松崎が来たら教えてとお願いし、オレは階段室の陰に腰を下ろした。 あぁ、腹減ったな。 弁当がない、昼が食べられないと思うと、余計空腹が迫ってくるようだった。 こういう時は、おっぱいお姉さんに慰めてもらうのが一番スね。 そう思って開こうとした時、幽霊から呼びかけられた。 「!…」 松崎かと素早く隠したと同時に、斉木さんが姿を現した。 「さいきさん……」 オレは大げさにほっと肩を落とした。 「どしたんスか」 『佐藤君のお弁当事情が気になって行ったら、お前の姿がない、またどこぞで悪さでもしてたらいけないと、止めに来たんだ』 「悪さなんて……」 返ってきた答えに、オレは苦笑いを浮かべた。 『してるじゃないか』 「え?」 『学校に関係ないもの持ってきて、没収だ寄越せ、今すぐ燃やしてやる』 「やー、ダメダメ! 見逃して斉木さん」 制服の下に隠した本を庇い、オレは丸くなった。 てか勘弁して、空腹でちょっと目が回りそうなんです。 オレに構ってないで、普通君観察に行けばいいんスよ! 腹が減ってるせいか、いつも以上に腐ってしまう。 『まあいい、面倒だから見逃してやる』 すぐに斉木さんは興味を失い、オレの横に腰を下ろした。 『鳥束、お前、嫌いなものはあるが好き嫌いはしないんだったな』 「え…ああ、はい」 好きじゃないけど、出されたらちゃんと残さず食べるっスよ。 『春巻きは平気だよな』 「え、ああ、割と好きっスよ。好物かな」 『よし』 斉木さんは一人頷くと、弁当包みを互いの間に置いた。 「んん? なんかいつもよりでっかいっスね」 てか高さがある。 かろうじて結ばれた結び目を解くと、何と三段重が現れた。 『じゃあ、やる』 その内の二つをオレに寄越してきた、 「え、え、いいんスか? 悪いっスよ」 『悪くない。むしろ助かるというか助けてくれ』 え、ちょ、あの斉木さんが助けてくれとか、どんだけ大変な事に? オレはどぎまぎした。 開けろ、と仕草で伝えてくる斉木さん。 『開ければわかる』 なに、何がこの中に? ごくりと喉を鳴らす。 オレはびくびくしながら恐る恐る蓋を開けた。 「おぉ……」 春巻き云々からある程度予測はしていたが、こうまで容器にびっちり春巻きが収まってるのは、なんというか笑いを誘う。二つの内の片方は春巻きがぴっちりで、もう一方は白飯がぎっしりだった。 「あのどしたんスか、これ」 斉木さんは自分の弁当の蓋を開けた。 「お、相変わらず、ママさん特製弁当可愛いっスね」 春らしいお弁当、そのままお花見に持っていけそう。 あ、そっちにも春巻き入ってますね。 んーいい匂い。 オレは一杯に吸い込んだ。 さっきまで空腹でぐうぐう鳴って辛かったから、本当に嬉しい。 『母さんは時々、間抜けな事になる』 斉木さんは説明を始めた。 『学校のない日だというのに弁当を作ったりする、それもカレーを大鍋でたっぷりと。そしてご飯を炊き忘れる』 「うわ、はは。微笑ましい」 『この春巻きもそうだ。今朝、うんと早起きして、張り切って作った。その数ざっと十人前』 「ええっ、それはそれは」 『父さんも頑張って弁当に詰めていったが、それでもたっぷり余った』 それがこれだと、オレの前にある容器を指差す。 『お前、頑張れるな。朝からずっと、腹が減って倒れそうだなんだうるさかったんだ、これくらい、軽くいけるよな』 「ああ、はい、なんとか食べ切れると思いますけど…もらっちゃっていいんスか」 『母さんの失敗とお前の失敗、上手い事重なってくれてほっとしてる。じゃ頑張れ、鳥束』 割りばしが差し出される。 オレは受け取り、いただきますと頭を下げた。 半分を超えたところで、少し苦しいなと心配になったが、オレは最後まで美味しく食べ切る事が出来た。 多分これ、一人黙々とーだったら絶対食べ切れなかっただろうな。 正面に斉木さんが…斉木さんと向かい合ってるから、ただそれだけが嬉しくて身も心も弾んで、どんどん入っていったんだろうな。 ああ美味しかった、半年分の春巻き食べた気分だ。 「ごちそうさまでした」 『本当に入るとは思ってなかったぞ、やるじゃないか』 「いやいや、まじで美味しかったですよ。だから食べ切れちゃいました」 こんな事言ったら怒られそうですけど、たまには弁当忘れてみるもんスね。 「ママさんにお礼言わないとっスね」 『じゃあ今日、帰り寄ってくか』 ついでに夕飯も食べていけと斉木さんが誘う。いつになく積極的だ。 そこでちらっと、嫌な予感が過った。 『勘が鋭いな』 にやっと斉木さんが笑う。悪い顔だけど、ちょっと疲れも混じって見えた。 「え、え、まさかオレの予想通りなの?」 『ああそうだ。今夜は春巻きパーティーだよ』 「!…」 やっぱり。 『十人前はあるといっただろ。まだまだ余ってるんだよ』 そう告げる斉木さんの顔に、どんどん疲れがたまっていく。 『いつもお前にご馳走になってるからな、たまにはこっちがご馳走してやるよ』 「うわあ……嬉しいな斉木さん」 オレは力一杯笑ってみせた。 午後の授業は体育だ、ちょっと気合入れるかな。 そんな事をちらりちらり考えていると、斉木さんが意味ありげに見やってきた。 『今、千里眼で家を覗いてみたんだがな』 「はい、ええ」 一種類だけじゃ物足りないと思った母さんが、色んな春巻き作ってるのが見えた……。 「――!」 二人して息を止め、同時にはふぅと吐き出す。 「そうすか、ママさん……」 マジで春巻きパーティーだ、わあい。 『夜も応援してやるから、働きに期待してるぞ』 オレはむず痒い顔になり、よろしく斉木さんと返した。 |