おねだり

有能な有害図書

 

 

 

 

 

 斉木さんの素顔が見たい。
 その願望は急に起こったものじゃなく、前々から意識の底の方で静かに流れているものだった。
 常にその事で頭が一杯というほどではないが、ずっと思い浮かばないという事もなく、何かの折にふっと過るのだ。
 しかしこの願望はおそらくずっと叶わない。
 仕方のない事なのだと心に留めて、想像で補うしかないのだ。

 ところが今日に限って、オレの頭にそいつがこびりついて離れなかった。
 今の顔、眼鏡なしだとどんなだろう。
 そのモニュ顔、眼鏡なかったらもっと可愛いかな。
 果ては、バカを言って凄まれた時にまで思う始末。

『今すぐ石化するか?』
 凄みの延長で、斉木さんは左右のレンズを繋ぐ部分を摘まむと、オレに詰め寄った。
「それは勘弁! ほんとごめんなさい!」
 調子に乗ってすみませんでしたと、オレは懸命に拝み倒した。
 そう、斉木さんは見た生物を石化させてしまうのだ。その能力を封じる為に眼鏡をしている。
『本当に悪いと思っているのか?』
「思ってます! 思ってますから、何でもしますからどうかご勘弁を」
 そもそもの発端は実に下らないもので、いつもやるような他愛ないやり取りが少し長引いたことで斉木さんの不興を買い、そこでオレが「ふざけてスミマセン」となってればこんなに怒らせる事はなかったのだが、つい勢いで斉木さんの禁句を口に出しかけてしまったのだ。
 事実だろうが、言われて嫌な事は誰にでもある、二度と言うな思うのも禁止だと、少々厳しくはあるが言い渡され、オレもそれを承諾した。にも拘わらず口にしかけたのだ。激怒されて当然だ。
 だというのに、張本人がのほほんと「今の顔、眼鏡なしで見たらもっと迫力あるだろうな」なんて思えば、死人も同然の石化を持ち出したくなるのも納得だ。
『なんでもか、じゃあ転がってろ』
 拳を構えるのを見て、オレは腹に力を込めた。こんな程度じゃ何の抵抗にもならないが、オレは目を瞑って衝撃に備えた。
 腹に重いパンチを食らう事はなかったが、代わりに頬っぺたマジで取れるんじゃってほどつねられた。
 痛い痛い!
 ちぎれるちぎれる!

 床に転がるまではいかないが、しゃがみこんで、オレはしくしくとむせび泣いた。
 こんな目にあって尚、頭には浮かんでくる。
 どうやったら斉木さんの素顔を見られるだろう、見てみたい、どうしても。
『しつこいな』
 斉木さんの顔が歪む。怒りでというより、困惑だ。少し悲しいようにも見える。
 そりゃそうだ、望んで得た能力ではないのだから。
 斉木さんの持つ超能力ほぼ全て、本人の意思に関係なく発動する。
 テレパシーはオンオフが効かず起きている限り発動するし、透視も、数秒で服を透かし皮膚を透かし骨となっていく。
 どれ一つとして、欲しいと願った物ではない。
 本人だって忌々しいと思っていて、でもどうしようもなくて、その事でオレがわがまま言って、そして悲しませた。
 胸がズキズキと痛んだ。
「ごめんなさい……斉木さん」
 ちょっとわがままが過ぎました。
 オレは床に正座して、神妙な顔で謝った。
 斉木さんは天井を見上げ、大きく息を吐いた後、心当たりがないでもないと小さく述べた。
『透明化だ』
「……ああ」

 透明化すると、テレパシー以外は超能力が使えなくなる。その状態で生物を見た事はないが、ひょっとするといけるかもしれない。
 お前は透明化しても唯一僕を見る事が出来るし、ひょっとしたら…というのだ。

「今までやった事はなかったんスか」
『自分一人で試せるものならいざ知らず、生物が絡むからな。それに、今までそんな…眼鏡を取った顔を見たいなどと、言われた事もなかったしな』
 なるほど。能力の事を知られてはなるまいと、人と関わるのを徹底して避けてきたんだものな、そりゃ知らないよな。試す必要もなかったし、そもそも言われる事もなかったのだから。
 眼鏡取ってみせてとか、かけてみたいとか、ある程度親しくなって打ち解けてきたら、大抵は行われるやり取りだと思う。
 でも斉木さんは、そういった人間をこれまで作らなかった、とにかく徹底して遠ざけてきた。
「斉木さんて、実はあんまり自分の事知らないっスよね」
 と言う自分自身も、実のところあんまり自分をわかってはいないのだが。頭では思っていても、いざその状況になったらどう思うか、どう行動するか、その時になってみないとわからない。
 それでいえば斉木さんも、淡白に見えて実はとても性欲が……あっ!
「あ、あっあっ……ごめんなさい!」
 言及される前に自分から謝るが、さっきの今とあっては斉木さんも見逃すのは難しいと、オレの前にゆらりと立った。

 今度こそ、床に転がる目にあわされた。
 目の前がキラキラグルグルする……。
『じゃあな』
 また明日と、斉木さんはちらっとだけ見て去っていった。
 あい…斉木さん…また明日学校でね。
 オレは手首の先を痙攣ほどに振って、見送った。

 

 翌日の放課後、同じようにオレの部屋にやってきた斉木さんは、同じように振舞ったおやつのコーヒーゼリーをじっくり味わって平らげると、何の説明も前触れもなく眼鏡を取った。
「え、うわちょ……」
 テーブルに置かれたおもちゃの眼鏡に、オレはあたふたした。
『昨日実験した限りでは、透明化中は石化が発動しない事がわかった』
「そっスか!」
 実はコーヒーゼリーを食べている最中から透明化の能力を使っており、今丁度発動したところだそうだ。
 それにしたって、何か言ってくれてもいいじゃん。
 ああびっくりした。
『という事で十分間、好きなように眺めろ』
「そっスか……」
 オレはうっとりと目を細めた。
 うわー綺麗…綺麗。斉木さん、美人さんっスね。
 ため息交じりに褒め称える。
 透けてるものでも視えるオレの目、こんなに嬉しいと思った事ない。
 正面からはもちろん、横から斜めから、オレは眼鏡をしてない斉木さんを心行くまでじっくり眺めた。
 ああ、ちょっと涙出ちゃうかも。だって、ずっと無理だろって思ってたものが叶ったんだもの、感激して涙の一つも零れるよ。
『大げさな』
 斉木さんの呆れた息遣いにちょっと恥ずかしくなるが、オレは開き直って鼻を啜った。
 本当に綺麗だ美人だと繰り返す。斉木さんはつまらなそうにしながらも満更でもないようで、だからオレはもっと気分が良くなるよう称賛しまくった。

 そん時オレの脳裏に何の脈絡もなくぶわっと、抱きしめられなかったばあちゃんじいちゃんが込み上げた。

「斉木さん――!」
 衝動に突かれるまま抱き着く。
『馬鹿お前っ……危ないだろ!』
 咄嗟に目を瞑って、石化を防いでくれたようだ。
 透明化の最中に誰かと接触すると、強制的に解除される。忘れた訳じゃない。ただどうにも触れたくてしょうがなくなったのだ。
「ごめんなさい、後でどんだけ殴ってくれてもいいっスから、ちょっとだけ、お願いします」
 ぎゅうっと力を込めながら頼み込む。
 耳元で、大きなため息。
『やれやれ…好きにしろ』
「すんません……」
 うわ、涙声になってる、情けない。
 でも急に不安になってしまったのだ。触って確かめずにいられないくらい、どうにも不安になったのだ。
 ああ…斉木さん、触れる。生きてる。嬉しい――!

「はい、あの……ありがとうございました」
 オレはおずおずと抱擁を解き、身体を起こした。
 すかさず拳が飛んできた。
「いてぇー! そこは感動して許してくれるとこじゃないの!?」
『随分甘く見られたものだな』
 斉木さんはにやりと暗く笑って、更に拳を構えた。
「待った待った、どうかお許しを!」
『ふざけるな、危うくお前との時間が無駄になるところだったんだぞ。あと一発いや三発は殴らないと気が済まない』
「えぇー、怖いデレもあったもんだまったく!」
『デレじゃない、純然たる殺意だ』
「お慈悲をー!」
 有無を言わさず胸ぐら掴まれ、オレはぎゅっと目を閉じた。目を閉じろ、歯を食いしばれ、それで乗り切れ――!

 そう身構えるオレにやってきたのは、唇への柔らかな接触だった。
 恐る恐る力を抜く。
 キスされたと気付いたのは、離れた後だった。
「さ、さいきさ……」
『三回といったからな。あと二回だ覚悟しろ』
 また唇が寄せられる。触れるだけだった一回目と異なり、とんでもなくエッチなキスが寄越される。
 ある意味、ぶっ飛ばされるより効くわこれ。
 顔を離した時、お互い息が乱れていた。
 こんな状態でもう一回だなんて、オレダメかも。
 我慢出来ずに斉木さん押し倒しちゃうかも。
『やれるもんならやってみろ』
「……言いましたね。覚悟出来てるって事っスよね」
『さあな』
 挑発しないで!
 オレは余裕もなく顔を近付ける。

 最後の一回は、一回じゃ終わらなかった。舐めて、吸って、噛み付いて、何度も離れては寄って、絡み合って、どんどん濃厚になっていった。
 そして気付けば斉木さんは床に横たわり、オレはその上に覆いかぶさっていた。
 斉木さん、じゃあ、いただきます――

 それからお互い、もう一回もう一回とねだってほしがって、中々終わりはやってこなかった。
 オレがいったん休憩とへばっても斉木さんがねだって乗っかってきて、それで体力限界になって倒れた斉木さんに今度はオレがもう一回とねだって、お互いきりがなかった。
 そんな感じでとことんまで貪り合って、今は、お互い抜け殻みたいになって寝転がってる。
 喉が擦り切れるくらい喘いで今にも息絶えそうだったが、それも段々鎮まってきた。

 

 ようやく身体を起こせるくらいまで回復したところで、斉木さんがコーヒーゼリーとねだってきた。
「じゃあ、あーんで食べてくれます?」
 オレは顔を覗き込むようにして身体を捻り、まだ寝転がっている斉木さんをにやにやと見つめた。
 それに対して斉木さんは沈黙で応えた。
「あっそ、じゃああげません」
『鳥束、なあ、コーヒーゼリー食べたい』
 いつもなら『さっさとしろ、さもなくば』とか脅してでもぶんどる癖に、上目遣いでオレの手をそっと握って揺するなんて!
 どこでそんなねだり方覚えたの!
『主にお前の本だ』
「なんて有害図書なんでしょ!」
 いや有能なのか?
『なあ、鳥束』
「くぅっ……!」
 そんな可愛らしい事されたら、超特急で用意するに決まってるじゃん。
 一つと言わず三つ取ってきたオレに大満足で起き上がり、斉木さんはあーんと口を開いた。
 そんでこうやって希望叶えてくれるんだから、オレの「斉木さん好き好き」はどこまでも膨らむ一方だ。
 オレは、さっき目に焼き付けた素顔の斉木さんを思い浮かべながら、ゆっくりコーヒーゼリーを食べさせた。

 

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