おねだり
左端の常連
昼休み、食休み。 満腹いい気分になったところで、昨日の帰り書店で、コーヒーゼリーの文字に釣られて買ったスイーツ雑誌を取り出し、丁寧に開く。 時期も時期だからか、ひな祭りのスイーツ特集が数ページに渡ってのっていた。 某有名ホテルの綺麗な三色ロールケーキ、某カフェの可愛らしい苺モンブラン、桜と抹茶の三色ムース、桜、苺、抹茶…ああ、どれもこれもよだれが止まらないな。 春らしい柔らかな色合いのケーキに目移りしてしまう。 もちろんコーヒーゼリー特集もたまらない。雑誌に載るだけあって、洗練されたその完璧な見た目、佇まい、色合い、どれも心をくすぐる。 ああ、ここが教室だという事を忘れて顔が緩んでしまいそうだ。 実際すでにそうなっているらしい。 昼休みになるなり突撃してきて、僕の正面に陣取った鳥束の思考がそう言っている。可愛いとエロいを行ったり来たりしていて気持ち悪い。どんだけたるんだ顔してるんだと目をやると、思った以上にとろけていて思わずぞっとした。 僕は慌てて自分の顔を引き締めた。 教室内は暖房が効いてて過ごしやすいのに、一瞬冷気を感じるほどだった。 くそ、鳥束め。 気を取り直してスイーツ特集に没頭…と行きたいところだが、集中が途切れたせいかやたら鳥束の思念がうるさく響いた。 まず聞こえたのは、学校に関係ないもの持ってきちゃいけないんだぞ、オレのエロ本には厳しい癖に斉木さんズルい、なんていうものだった。 その癖、斉木さんのこんなとろけた顔拝めるなら野暮な事は言いっこなしだよな、とすぐ撤回するのだから、ほんとうるさい。 わかったよ今度からは見逃してやる。十回に一回くらいはな。 それ以外には、体育教師の松崎に見つからないようにね、という気遣いと、他の連中にあんまり安易にその顔見せないで、というものだった。 見せてるつもりはない、ちゃんと引き締めてる自覚はあるぞ。あるよな。 それと見つかる心配だが――。 (まあ斉木さんの事だから、松崎の見回りはきちんとセンサー働かせて、没収を逃れるだろうけど) (ただこの人、この状態の時はガード激甘だからなあ) うるさいぞ鳥束、僕を舐めないでもらいたい。 (オレも注意しないといけないっスね。まあそこは、幽霊たちにも協力してもらってますけど) まあそうだな、僕とお前の言う幽霊たちの二段構えなら、そうそう没収の憂き目にあう事はないだろう。 僕も、テレパシーなら常時発動しているから接近を感知出来るが、それでも他に気を取られて緩くなってしまう事がある。 その時は幽霊たちの伝達と鳥束のフォローで事なきを得る、彼らは中々精度が高く、僕も少なからず信頼している。 ただ残念な事に、たまーに松崎の襲来と幽霊の伝達とが同時だったりして、完璧ではないのがいたいところだが。 まあそれでも、超能力者がそう簡単に大事なものを取られるわけがないのだが。 それよりもな、鳥束、お前の思念が邪過ぎて気持ち悪いんだが。 松崎も重要だけど、こっちも重要だよ、斉木さんのうっとりとろけ顔がクラスの連中に見られるのも重要! 二人きりの時からすれば多少は引き締まってるけど、読む内に没頭して薄れちゃうんだろうね、今にもよだれ垂らしそうな、すれすれの顔になっちゃったりするから危ない。 斉木さん危ない。 そんな顔見せて、誰かに襲われたらどうすんですか! どうすんですかじゃねぇよ、そんな変態クズお前だけだ。 …って以前言われたけど、どこにオレ以上の変態クズが潜んでるかわからないんですからね、警戒は怠らないでほしいっス、斉木さん! わかったわかった、わかったから鎮まれ鳥束。 テレパシーを投げかけて沈黙させたいところだが、下手に返すとコイツ調子に乗ってより騒がしくなるからな。 今の状態でも充分うるさいが、更に拍車がかかるんだ。 今の方が、比較的静かといえる、ので、僕は藪はつつかず雑誌に集中する事にした。 コーヒーゼリー特集と、ひな祭りのページを行ったり来たりして心を満たす。 今回の本もなかなか当たりだな、食べに行きたいところが一杯だ。 遠方で直接出向くのが難しいところは、お取り寄せに頼るのも手だな。 店の雰囲気ごと味わうのも良いし、家でのんびり誰に気兼ねすることなくスイーツを楽しむのも良い。 「今度は、どこにお供しましょうか」 うっとりと浸っていると、鳥束がそう割り込んできた。今度のデートはどこ行くのだろうと弾む声が、僕までその色に染めようとしてくる。 やめろ、うるさい、僕は一人で楽しみたいんだ、邪魔をするな。 そう思いを込めて追っ払う目付きをしてみるが、鳥束は紙面から顔を上げず、ここもいい、こっちもいいと指でたどっては僕を翻弄した。 そうなんだ、そこもここも行こうと思っているんだ、気が合うな…じゃない。 うぅむ、また鳥束に引きずり込まれるところだった。 コイツに奢らせるのは大前提だが、ここらで僕からも何か出さなくては気が済まない。 コイツが嫌がる、苦手とするが、しかし感謝もされるような何かを…そうだな。 あれでいくか。 『鳥束、たまには、成績順位表の左端から抜け出してみたいと、思わないか』 我ながらいいアイデアだと思う。コイツには山ほど貸しがあるとはいえ、そう毎度毎度ねだる一方では芸がない。ここらで新たな貸しを作り、そいつを盾に気持ち良くスイーツを満喫したい。 「……藪から棒になんスか斉木さん」 たった今まで煌めかせていた瞳をあからさまに曇らせ、鳥束は訝しげに見やってきた。 『お前が、毎度判で押したように左端にいるのが、見てられなくてな』 「ええ、はぁ…… まあ確かに、いつまでも左端の常連はちとまずいと、自分でも薄々思ってはいたりする。 だがどうすればよいやらさっぱり見当がつかないので、今日までほったらかしにしてきた。 もしも斉木さんが超能力でオレの脳みそ大改造なり何とかしてくれるなら、藁にも縋る思いで頼みたい。 『ふむ、お前も何とかしたいって気はあったんだな』 「そりゃまぁあるっちゃありますよ――あっ!」 こんなオレではありますが、と苦笑いを見せた鳥束は、次の瞬間、閃いたとばかりにかっと目を見開いた。 「……わかっちゃいました」 ああ、わかっちゃいましたか。 「斉木さんの言いたい事、わかっちゃいましたよ」 そうか。まあそうだろうな。お前、不真面目で怠け者だが、実のところそこまで救えない頭をしてるわけじゃないものな。 『よし、言ってみろ』 「テスト勉強助けてやるから、その見返りにコーヒーゼリー奢れ、ってんでしょ!」 ちょこっとカッコつけたポーズしてるのが気に食わないが、正解なので褒めてやる。 「嬉しくねぇっス!」 『じゃあ次の問題だ』 「え、あ、まだあんスか?」 『まもなくひな祭りだな鳥束』 「え。そっスね。その特集ページも、可愛くて見応え充分っスよ、ね……はいわかりました!」 『正解だ。という事で、ひな祭りにちなんだスイーツが食べたい』 「すっ飛ばしすぎでしょ! もうちょっとこう、途中言い繕う努力してくださいよ」 楠子ちゃんにかこつけてひな祭りも楽しみたい、お祭りといえばケーキ…もいいやめんどくさい! 「ハイハイわかりました、それで、何をお望みですか?」 『何をだと? この特集ページの中からどれか一つを選べと、そんな残酷な事を言うのかお前は――!』 「なんでそんなショック受けた顔……いいですか斉木さん、これ全部食べたいのはわかりますが、いっぺんには無理っスよ?」 そんな、子供に言って聞かせる顔をするんじゃない。 『さすがの僕もそれくらいわかってる』 ただ、最終的には全部を網羅するがな。 「まあ、それが斉木さんだものな」 鳥束はどことなく嬉しそうな顔になって、笑いかけてきた。 「美味しいの、いーっぱい食べましょうね」 ふん、お前に言われるまでもない。 僕は一つ鼻を鳴らし、紙面に目を戻した。 鳥束の言葉はまだ続いた。 「斉木さんが楽しいと、オレほんと幸せ感じるんで」 お前…だったら言葉通り幸せそうにしろ、そんな泣きそうに笑うなんておかしいだろ。 こっちだって、お前が辛気臭い顔してるより、ゲスな妄想でもいいからヘラヘラしているのを見る方がよっぽどいいんだよ。 「まずどこから、行きましょうかね」 わかったわかった、鳥束わかったから涙引っ込めろ、僕にもちゃんとこうして楽しみあるから、な、ほら。 お前に奢らせて食べるスイーツは格別だと、大喜びする心もちゃんとあるから、だからめそめそやめろ。 「はぃ……いっぱい幸せ感じてくださいね」 馬鹿。 お前がそんなじゃ全然幸せじゃない。 いくら、僕の為にとはいえ、お前の泣き顔は本当に気が滅入る。 ボロボロ泣くとまではいかないが、涙ぐんですんすん鼻を啜る鳥束がどうにも鬱陶しく、僕は考えあぐねた末に手を重ねた。 奴はひどくびっくりした顔になって、それから、ゲスな妄想で一杯になった脳内に相応しい表情になった。 ああ、その方がずっといい。 やれやれ全く、面倒なやつだ。 あとできっちりコーヒーゼリーでお返ししてもらうからな。 「はい、五個でも十個でも、お申し付けくださいっス」 『さてさっきの続きだが鳥束。勉強見てやる、お前を左端から救ってやるから、コーヒーゼリーよろしく』 「あー…てか斉木さん、それだと結果出るまでコーヒーゼリー無しってなりません?」 『なりません。一回教えるごとに貰うから』 「しっかりしてんなぁ!」 『コーヒーゼリーの為なら何でもするぞ』 「オレの為でしょ」 『お前は二の次だ』 「またそうやって言う。斉木さんがどんだけオレの事好きか、もう知ってんですからね』 『そんなの、お前の勘違いだ』 「はいはい、そんじゃ斉木さん、イヤですけど勉強の方、よろしく頼みますね」 『そっちこそ、僕のスイーツ頼んだぞ』 まずは今日の分のコーヒーゼリーだな。 |