本当にうるさい

 

 

 

 

 

「うわあー……」
 オレはぽかーんと口を開け、目の前に広がる景色に見入った。
『そら』
 と、斉木さんからどしんと荷物が押し付けられ、そこの木陰にでも置いておけと指で示された。
 オレはまだ驚きのただなかにあったので、素直にハイと返事をして、てくてく木陰まで運んだ。
「ここ、どこっスか? 日本? 海外?」
 辺りを見回しても人っ子一人見当たらない。海岸の具合も波の勢いも、海水浴場とはまるで様相が違っていた。
『日本の、太平洋側の…どこだったかな。とにかくその辺りだ』
 地理に疎いオレあてだから説明が雑なんだなと肩を竦めたが、口調の感じからして本人も実際はよくわかっていないように感じられた。
 珍しい、あの斉木さんが慌てて瞬間移動するなんて。
 トイレだったし、虫でも出たか?
『出てない』
「そうなの?」
『出てない。とにかく、日本なのは確かだ』
 叩き付けるように言って、斉木さんはずんずんと海へ入っていった。
「へえー…日本のどっかの、無人島かあ」
 たとえばこれが船の難破で、自分一人ここに流れ着いたのだとしたらとんでもない絶望感に襲われるところだが、斉木さんがいるならば見知らぬ場所でもひと安心だ。
 斉木さんの安心感は絶大だなあ。
 そんな事をしみじみ思いながら、オレは改めて目の前に広がる光景を見渡した。
 うーん、波と風の音しか聞こえない、静かでいいとこだけど、オレとしちゃカワイ子ちゃんの一人もいないとかとほほっス。
 まるでこの世の果てって感じ。
 確かに、海は綺麗空も綺麗、これ以上ないくらいいい場所スけど、でもなあ…まあ、一人いるからいいけどさ。
 一人いるカワイ子ちゃん…斉木さんたら、あんなとこに突っ立ってぼんやりしちゃって、何が楽しいやら。
 うむ、やっぱり斉木さんが一番だな。
 ああオレってば本当に斉木さん一筋だ

 

『嘘つけ』
 さすがに黙っていられなかったのか、斉木さんのツッコミが鋭く切り込む。
「な……嘘じゃないもん、ほんとだもん!」
 波の音風の音しかしないのが少しつまらないと思っていたので、聞こえてきた斉木さんの声にほっとして、ついむきになる。
『僕の事なんて、ほんの一割程度だったくせに』
「あ、つぁ……いやいや、それでもオレは斉木さん一筋ですー!」
 何でも見通すめちゃくちゃ怖い超能力者に向かって苦しい言い訳を重ね、オレは斉木さんの元へばしゃばしゃと波をかき分け走った。
「さっきは色々目移りして悪かったス! この通り謝るっスから、怒らないで斉木さん!」
『寄るな変態煩悩小僧』
 もうあと少しに迫ったところで、斉木さんは逃げ出した。
 遠浅なのか、沖に向かって軽快に駆けていく斉木さんを追いかけ、オレも走る。
 しかしその足はすぐに波に取られた。
 遠浅なんてとんでもない、超能力者にまんまとしてやられたのだ。
 あっという間に肩までになった波に揺られながら、思いきり片手を斉木さんに伸ばす。
「待ってくださいよ斉木さあん!」
 こうなったら、泳いででも追いついてやる。
 ちくしょう、待ってろよ、今捕まえてやるからな、そんで捕まえたら、オレの言葉が本当だと教える為にああしてこうしてこうしてやるから、覚悟しとけよ斉木さん!
 煩悩小僧を舐めるなよ!
 そう勢い込むが、海水浴場の穏やかな波とはまるで違う海の威力に、オレはあっという間に飲まれがちになった。
 まずい、よっぽど気を付けないと、下手をすれば溺れてしまう。
 斉木さんを捕まえるどころではない。
 オレは、四方八方からかぶさってくる波に翻弄された。
「う、うわ、ちょっと……」
 もう駄目だ、追いかけるのは中断だ。一度戻ろうと、オレは何とか身体の向きを変えた。顔に頭に容赦なく押し寄せる波の合間にどうにか浜を見つけ、そちらへ向かって泳ぎ出す。
 と、足首を掴む感触があった。
 誰が掴んだかなんて明白だ、斉木さん以外いない。
 それ以外思い浮かばない。
 こんな沖でこんな事をするなんて、斉木さんしかいない。
 水中に引っ張り込む気だと、直感で悟る。
 もっと浅瀬で、あらかじめ言われていたらいくらでも付き合えるが、こんな沖では危険な遊びだ。
 本当に溺れる、命の危機だ。
『僕がいて、溺れるものか』
 まあそうだろうけどさ。
 オレはわずかな隙で目一杯息を吸い込み、引っ張り込まれるに任せた。
 一分もつかわからないけど。
『何時間でも楽しめるぞ』
 頭まで完全に海中に潜ったところで、斉木さんがキスしてきた。
 オレは目を丸くして、すぐ近くにある斉木さんの目を覗き込んだ。
 明らかに笑っていた。
 楽しげな笑顔はいたずらっ子のそれで、この、とオレも笑いながら怒った顔をしてみせた。
 胸がひどくどきどきする。そりゃそうだ酸素が足りないんだから、全身どきどきするのも当然だ。
 いや違う、斉木さんの笑った顔にどきどきしたんだ。
 あんな綺麗な顔で笑っているの見て、平然としていられるか。
 まいったと、オレは深いため息をついた。
 そこで、完全に水中なのに地上と同じように呼吸が出来る事に気が付いた。
 傍で、斉木さんが人差し指を立てているのが見えた。
 なるほど、これも人差し指一本程度の事なのか。
 ホントすげえ、斉木さんすげえっス。
 と、斉木さんの手が肩にかかり、向こうを見ろと合図してきた。
 言われた通り身体の向きを変えて、オレは目を見張った。

 

(わあ……)
 綺麗なオレンジ色の、手のひらくらいの大きさの魚の群れが、悠然とオレの前を横切っていく。
 頭上は水色の海面で、ひと際眩しい光は太陽、ゆらゆらと揺れて、とんでもなく綺麗だった。
 小さな魚の群れ、その間を横切る大きな平たい魚、細長い魚、丸い魚…オレの目が、あっちへこっちへ引っ張られる。
 あっけに取られて見入っていると、斉木さんが手首を掴み、海底へと誘った。
 数メートルほどでたどり着いた海底を、地上と同じようにてくてく歩く。
 なんとも不思議な感覚だ。
 波の中だから髪はゆらゆら揺れるけど、足はちゃんと地に着いた感覚がある。
 見るものすべてが物珍しくて、オレはひっきりなしに斉木さんに語り掛けた。
 あの魚は何だ、この群れはなんだ、あれがサンゴ礁か、どう見ても岩だけどこれホントに貝なの?。
 時に面倒そうにしながらも、斉木さんはオレの問いかけに律義に答えてくれた。
 嬉しさと楽しさとにはしゃぎまわっていると、斉木さんの静かな声が響いた。
『本当にうるさい』
(もう、なんなんスかさっきから、うるさいうるさいって人の事!)
 せっかくいい気分だったのにと、オレは海底の砂を蹴散らす勢いで地団駄を踏んだ。
 何度も言われてはさすがに頬も膨らむってもんだ。
 けど斉木さんは、うるさいって言う割にはとても穏やかな顔でオレを見ていた。
 いつものあのゴミ虫を見る目でも、汚物を見る目でもない。
 穏やかに慈しむ眼差しに包まれ、オレの中で渦巻いていた怒りはたちまちの内に消えていった。
 ただたた、斉木さんへの想いで一杯になる。
 しばし見つめあった後、オレは身体を近付けた。
 斉木さんも同じ気持ちだったのか、すぐに唇が重なった。
 うるさいって言いながらキスするなんて、変な人だな。
 そんな不可解なところもひっくるめて斉木さんが好きだ。
 オレは腕の中に閉じ込めるように、ぎゅっと抱きしめた。
 斉木さんはなんの抵抗もせず腕に収まって、オレの唇に触れていた。
 とても心地よさそうに目を閉じるから、無性に嬉しくなって、オレも目を閉じた。
 そのまましばらくの間オレたちはくっつきあって、海中で揺られるに身を任せた。

 

 ああ、すっげえ楽しかったス!
 浜に戻り、オレは荷物のそばにどしんと腰を下ろした。
 カバンからレジャーシートを引っ張り出して座り直し、隣に斉木さんを誘う。
『ここは僕のお気に入りの一つなんだ』
「いいところスね、あんな光景見られるなんて、最高ス」
 連れてきてくれて、あざっス。
『可愛い女の子はいないがな』
「う……まあ、人っ子一人いないのは寂しいっちゃ寂しいけど、でも斉木さんがいれば充分ス」
 痛いところをつかれ、オレは息を詰めた。けどすぐに本心から語って、隣で同じように膝を抱えて座る斉木さんに視線を注ぐ。
 真意を測るように、斉木さんはじっと見つめてきた。
 そんな風に凝視されると自分でも心配になるが、自分の中のどこをさらっても、オレは斉木さんが好きで出来ているから、どんだけ見てくれても構わない。
『僕もだ』
 斉木さんの頭が肩にのせられる。完全に甘える仕草で身を寄せられ、胸と別の一部がどきりと脈打った。
『お前が百人分も千人分も騒がしくするから寂しくない』
「……え」
『全部自分に向かってくれるから、寂しくない』
 寂しいというはっきりした言葉を口にする斉木さんに、全身がかっと熱くなる。
 肩にあった重みが遠のいた。
「っ…」
 まっすぐ向かってくる唇めがけて、オレは自分のそれを押し付けた。

 

目次