バスタイム

夜はこれから

 

 

 

 

 

 斉木さんが遊びに来てくれる日、オレはいつも遠足に大はしゃぎの園児みたいになってしまう。
 前日からドキドキで、朝も早くから目が覚めて、訪問の時間までそわそわ落ち着かない。
 もう何度となく経験してるのに、毎回おんなじように緊張して興奮して、にやにや緩んでしまう。

 今日も同じく、早くに目を覚ましてそれからずっと舞い上がりっぱなしで、お茶菓子の用意とか抜かりなく準備して、他の事は何も手につかない、早く時間にならないかなと待ちわびた。
 いい加減落ち着いてもいいのにと思う、実際何度か、今日こそ余裕を持ってと心持ちを変えた事もあるけれど、斉木さんの顔を見ると全部吹っ飛んで忘れて、すっかりのぼせてしまう。

。いつになったら、余裕をもって斉木さんを迎えられるんだろうか。
 はぁ。
 ため息をつきつつ、壁に寄せたチェアに腰かける。
 たまには渋めに控えめに、ゆったりお迎えしてみたい。
 たとえば…そう、斉木さんが惚れ直すような大人の魅力とか、出せないもんかねえ。
 あー、超能力欲しい。
 斉木さんがオレにメロメロデレデレになるような能力が!

 と願うオレの脳裏に浮かぶのは、渋い大人の魅力とかは一切なく、オレのエロテクにあんあん喘ぐ斉木さんだったりするのだが。
 しょうがないね、普段見てるものが見てるものだしな、想像するのもそっち方面になるよな。
 ほんとしょうがない、想像の幅が狭いのしょうがない
 オレはどうせ煩悩の塊だ!

『うるさい』
「いだっ!」

 突然のテレパシーと共に紙の束でバシッと横っ面をはたかれ、オレは悲鳴を上げた。
 なに、だれ!
 突然の衝撃にくらくらする頭を押さえ、オレは慌てて顔を上げた。
 紙の束は雑誌、誰かなんて問うまでもなく斉木さんその人。
 痛いなあ、もう。
 抗議を込めて見上げるが、斉木さんはオレなど構わず、手にした雑誌を気にしていた。
『ああもう、お前のせいでちょっとよれたじゃないか』
 気にするとこそこかい!
 こいつぅ〜と握り拳を作るが、気持ち悪いもの聞かせる方が悪いと、冷えた視線の前にただ震えるしかない。
 どうか機嫌直して下さいと恐る恐る見やると、ほんのりのぼせた顔がそこにあった。
 あれ、あれあれ、オレの豊かな妄想にあてられて、赤くなっちゃったとかですか、もしかして。
 オレはだらしなく緩む顔を隠しもせず、染まる脳内の赴くままに妄想を暴走させた。
 そしてもちろん妄想だけでなく、実行するべく立ち上がって斉木さんへと身体を寄せる。
 そしてもちろん、オレが調子に乗れたのはそこまでで、いつものごとく顔面を掴まれはぎ取られそうになるのだが、
『いい加減にしろよ、お前』
「はい! ほんとすんませんでしたっ!」
 オレは涙を飛び散らせながら、図に乗った事を心底後悔した。

「だって……斉木さんが可愛い顔するから」
 オレはがんがんズキズキ痛む顔面を押さえて床にうずくまり、しくしくと泣き濡れた。
 あんまり可愛い顔するものだから、キスしたくなっちゃったんですよ。
 抱きしめてチューして、あわよくばその先もぐふふ…
 そっち方面にはすぐフル回転する脳みそを花盛りにすると、斉木さんの動く気配がした。
 今度はかかと落としだと身を硬くして備えるが、攻撃はやってこなかった。
 その代わり。
『いただきます』
「……は?」
 オレはそろそろと顔を上げた。
 すると、コーヒーゼリーに手を合わせる斉木さんの姿が!
 オレは、一旦床におでこをくっつけた。力抜けた。
 まあ、斉木さんどうぞって用意してたものだから、いただいちゃっていいんですけどね。
 ちゃんといただきますしたし、全然、何の問題もないですけどね。
 ないですけど――。
「でも! オレほったらかしってひどくない?」
『うるさい寄るな、変態クズが移る』
「ひでぇ!」
 ほんと容赦ないんだから。
 でも、照れ隠しだってわかってるしそこがたまらなく可愛いから、好き。

 気を取り直して隣に座る。
「待ってたっスよ斉木さん」
 コーヒーゼリーに夢中で、オレの方なんかちらとも見ない。
 全然問題ない、斉木さんがモニュモニュしてるの見てるだけで最高に幸せだし。
 そんなオレの前に、斉木さんが何かを置く。
『手土産だ』
「!…」
 ことりと差し出された容器を、オレはまじまじと見つめた。
 商品名のシールより、新発売の赤いシールが先に目に飛び込んだ。
 スイーツ、コンビニスイーツ、それもオレの好きな和風の!

「あざっス、ありがとう斉木さん!」
 ああ、かわいいねこれ。食べるのもったいないっスね。でも食べちゃう。
「いただきます」
 オレは心底感謝して手を合わせた。
 いざ口に運ぼうとした時、やけに頬が熱く感じて隣を見やる。
 熱線の正体は斉木さんの眼差しであった。

 アンタはコーヒーゼリーがあるでしょ

 なんて野暮な事は言いません。
 これもいつもの流れですから。
 そういつも、斉木さんはさりげなくオレのも食べたがる。
 なんたってスイーツですからね、そりゃ食べたいでしょうよ。
 本当なら、二つとも自分で食べちゃいたいでしょう。
 そこをぐっとこらえてオレにくれるんだから、オレは感謝して半分こするのは当たり前。
 なんだか素晴らしく良く調教されてる気がしないでもないけど、同じものを分け合って食べるのはとても幸せだから、オレは全然かまわないのだ。
 むしろ、一つ食べ切るのが危ういオレを助けてくれるのだから、感謝しかない。
 食べ物を残すなんて言語道断、寺生まれのオレとしちゃ――
『うるさい、早く寄こせ』
 オレの思考をぶった切り、斉木さんは当然とばかりに口を開けた。
「もぉ、その可愛らしいお口に、別のもの食べさせちゃいますよ」
 斉木さんの口が静かに閉じ、続いて、ほのかな笑みの形に変わった。
「あ、嘘、ウソウソ嘘です!」
 ごめんなさい!
 オレは大急ぎで白玉を口に運んだ。
 待ち構えていた口が、それをモニュモニュと噛みしめる。
 いつも白けて、どこかつまらなそうな顔が、この時ばかりはほんのり色付いてとろける。
 斉木さん幸せ、オレも幸せな時間。
 ではオレも、あらためて、いただきます。

 オレが幸せ全開の顔で目を向けても斉木さんは見ない振りで無視するけど、美味いっスねって言いうと、柔らかい表情で頷いてくれる。
 それだけで大満足。

 ごちそうさまでした。
 大変美味しゅうございました。
 オレは手早く後片付けすると、出掛ける支度に取り掛かった。
 というのも、おやつを食べている途中、斉木さんが、レンタルビデオ屋に行きたいと言い出したからだ。
 今日は準備万端と、例の指輪を見せてきた。
 テレパシーを遮断してくれるもので、斉木さんにとって非常に好ましい状況を作りつつ、非常に困った事態に陥れてもくれる天国と地獄の指輪。
 テレパシーを感知出来ないのはありがたいが、なきゃないで周りが恐ろしくなるんだそうだ。
 ネタバレ対策に持ってきた指輪でガード、オレはそんな斉木さんをガード。
 お任せください。
『頼んだぞ、燃堂N』
 ちょ!
 なんで燃堂、なにがエヌ!?

 

 選んだのはちょい古めのパニック映画。
 地上波でも何度か放送された事があって、すげぇ面白かったのを覚えてる。でもだいぶ記憶がおぼろげなので、それを見る事にした。
 斉木さんは初めて見るんだって。
 借りた直後からワクワクしちゃってて、オレはそれ見てドキドキしちゃった。
 見た事ないって聞いた瞬間に、オレの頭の中は面白いよの大合唱で、指輪してて本当に良かったとホッと胸を撫で下ろした。

 帰りにコンビニに寄って、映画の定番のポップコーンとコーラ、そして大定番のコーヒーゼリーと他デザートいくつか購入。

 テーブルにお菓子類をセット、部屋も灯り消して雰囲気もばっちり、今一度指輪を確認し、ではいざ、観賞開始。

 ところどころ忘れてて、ところどころ覚えてて、その覚えてる場面に差し掛かる度、ここでこの人××なるんだとか、この後この人××なんだとか、いちいち言いたくなって口がむずむずした。
 普通ならそこで口を噤んでいれば絶対伝わる事はないけど、斉木さんは何でも聞き取っちゃう超能力者。
 そのせいでこれまで、一体どれだけのものを諦めて見送ってきたのだろうな。
 今回、純粋に楽しめるの良かったなあ。
 斉木さんの人差し指に収まる指輪に、オレは、最後までしっかり口を閉じていようと誓った。
 映画に引き込まれつつ、同じように画面に食い入る斉木さんを見て、胸がじーんとあたたまる。

 

「あー…面白かったなあ」
 エンドロールを見ながら余韻に浸っていると、思わず呟きが零れた。
 視界の端にある濃桃色の頭が、素直にこくりと動いた。
 そんなちょっとの仕草がなんだか大いに嬉しくて、オレは、ね、と顔を向けた。
 斉木さんはコップに残ったコーラを一気に飲み干すと、身体の向きを変えオレに寄りかかってきた。
「なんすか、お疲れっスか」
『いや別に』
 じゃあこの甘ったれは何スか。
『たまたま近くにあるから寄りかかっただけだ』
 単なる椅子代わりだって、アンタってばもう、素直じゃないんだから。
 そこも可愛いからいいっスけどね!
 オレは腕を回して抱きしめ、頭同士をくっつけた。
 映画一本分を集中して見るのは誰でも多少は疲れるもので、どんなに面白い物であってもそうだ。
 それに加えて斉木さんは、指輪のせいで余計肩が凝った事だろう。
「じゃ、風呂に入って、疲れを流すとしますか」

 

 一緒に湯船に浸かり、さっき見た映画の感想で盛り上がる。
 たくさんの見どころ、名場面があった。
 オレは最初の方は、お姉さんのおっぱいばっか追っちゃってだけど、そういや以前見た時もそうだったの思い出した、けど、途中からはストーリーに引き込まれていった。
『本当に? お前の脳内に残ってるのは、見事に女性の胸ばかりだが』
 風呂に入る前に指輪を外しているので、今のオレの思考はいつも通り駄々洩れ斉木さんに筒抜けだ。
 その斉木さんが言うのだから間違いないだろうが、でもほんとのほんとにちゃんとストーリーも楽しみましたよ。
 オレは少々むきになって、ちゃんと見ていた証拠の感想を口に上らせた。

 見た順にではないけど、印象に残った場面、セリフを口にして、自分の感じたままに述べる。
 斉木さんがそれに応じて、オレに賛同したり、別の意見を述べたり、ぶつけ合う。
 ああ、これ、ほんと楽しいな。

「ねーねー斉木さん、明日の朝ご飯は、絶品完璧オムレツにしましょうね」
『ああ。卵は三個じゃなく二個、牛乳は入れるな…てやつだな』
「そうそう、絶対作りましょうね」
 以前見た時から、あの場面は妙に頭に焼き付いている。
 斉木さんの頭の中にも同じように残ったかと思うと、またオレは愉快な気持ちになった。

 それからオレはまたお喋りに戻る。あの場面が面白かった、あそこは息が詰まりそうになった、脱出のシーンは一緒に息を止めちゃったと、興奮からやや早口になって喋り続けた。
 言いたい気持ちに急かされるままオレは口を動かし、斉木さんの返答になるほどと目を瞬いてまた喋り、語って語って、ふと苦しくなって息を吸った。
 訪れた不意の静寂にため息をもらし、オレは一旦落ち着こうと口を噤んだ。
 面白かったし、楽しいし、ああ止まらないな。
 浮き立つ気持ちを一度鎮めようと、オレは肩まで風呂に浸かった。
「風呂、熱くないっスか?」
『丁度いい』
 応える斉木さんの目元にはいくらか疲れが滲んでいるように見えたが、心配して気を寄せると、必要ないと強気に振り払うから、オレは小さく笑ってはいと答えた。
『内も外もお前がうるさいから、疲れたんだ』
 それはオレも自覚してて、でも斉木さんとこうして過ごすのとても楽しいから、申し訳ないと思いつつ止まらないです、すんません。
『別に、嫌いじゃない』
 うるさくて疲れるが、全然嫌いじゃない。
「そっスか」
 胸にじわっと広がる何かに頬を緩め、オレは笑った。

「ところで斉木さん、あのセリフって、映画の中のネタっスかね」
『なんだ』
「相対性理論がどうのっていう」
 わからんと、斉木さんは軽く片眉を上げた。
「え、なにそれ、器用っスね」
 自分でも挑戦してみるが、鏡の中の自分は鼻の穴が膨らむばかりで、思うように顔を動かせなかった。
「うわ、難しいっスよ」
『ちょっと、とある表情を作りたくて、鏡の前で色々練習したからな』
 そのお陰で動くようになったと、斉木さんはちょっと得意げに片眉を上げた。
「えー、へえ、ちなみにどんな顔練習したんすか?」
 これだと、迷惑顔を披露される。こいつは見た事があるぞ。
「うわ、わかってても済みませんって謝りたくなる顔っスね」
 早く戻してと、オレは頬を揉んだ。その口の形はまじでヤバイっス。
 斉木さんの可愛いお顔が台無しだ。
 宥めていると、馬鹿かと憎たらしい顔をされた。
 あ、その顔は割と好きかも。
 堪えない奴だと、斉木さんは呆れ顔になった。

「それで、さっきの話っスけど」
 オレは続きに戻る。
 フィクションでも本物でも実にその通りだとオレは思うのだ。
 ――つらいものは長く感じ、楽しい時はあっという間に過ぎる。
 本当にその通りではないだろうか。
 今日だって、気付けばもう外は真っ暗だ。
 たまらない物寂しさに、オレは自然とへの字口になった。
 そんなオレを、斉木さんが鼻先で笑う。
『秋はつるべ落とし、日が暮れるのが早いだけで、夜は長い』
 夜はまだこれから。そうだろ鳥束。
「ん……うへへ」
 オレのとろけ切った目を見て、斉木さんは今までにないくらい顔を歪ませた。
『映画よろしくお前の目を×××したい』
「ひでぇっ!」
 瞬時にひゅっとあそこが縮む。
「あ、でもオレも、もしもの時の為に首から下げとこうかなって、あの場面見て思ったっス」
『坊主が……』
 斉木さんはあきれ果てた顔で天井を仰ぎ見た。
 いやだって、海には危険が一杯じゃないっスか。
 いつどこであんなのに襲われるかわかんないでしょ。
『とにかくお前にはいらん。僕がいるから』
「うわっ……!」
 胸とあそこにビリビリっと来た。
 今さっき縮んだのに急に元気になるものだから、オレちょっと頭くらくらっときた。
 そんなオレを見て斉木さんが妖しく笑うから、余計目が眩んだ。
「もぉ……襲っちゃいますよ」
 あんな誘い方ってない。
 それでもどうにかオレは抑え、冗談ぽく襲う素振りをする。
『やってみろ、返り討ちにしてやるよ』
 そして大人しく僕に食われてしまえ
「――!」
 すこい事言うねアンタ。
 オレはすっかり腰が抜けてしまった。
 斉木さんの方に倒れ込んで、そのまま唇を重ねる。

 ああもう情けない、夜はこれからだっていうのにオレの身体もつかしら。

 

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