ポケットの中に
レモン
テーブルの上には、ガラスの器に注がれたホットレモンが二つ、ほかほかと湯気を立てて並んでいる。 片方はオレの、片方は斉木さんの。 鮮やかな輪切りを浮かべたホットレモン、蜂蜜たっぷりで、喉と心に優しい甘さ。 斉木さんはそっと器を持ち上げると、静かに口をつけた。 オレも同じタイミングでひと口啜る。 酸っぱさに頬がきゅっとするけど、甘さにすぐとろける。 斉木さんも、きっと同じ。ほっと口からもれたため息が、同じであることを物語っている。 |
斉木さんが遊びに来てくれた。 ただの、秋の何にもない日曜日だけど、斉木さんが遊びに来たので特別な日になった。 この数日、いかにも秋を感じさせるもの寂しい冷たい風が吹くようになったから、オレは蜂蜜入りのホットレモンを作ってみた。 春も夏も世話になりっぱなしだし、ここらでお返ししないとね。 「てことで、風邪予防に、どうぞ」 『僕は風邪引かないぞ』 超能力者舐めるなと、斉木さんが憎たらしい顔で鼻を鳴らす。 そりゃ知ってますよ、知ってますけどね。 「そうは言っても万が一ってありますし。備えておくに越した事ないでしょ」 それにほら、見て斉木さん、美味しそうでしょ、いい匂いでしょ。 「斉木さん好みに蜂蜜たっぷり入れましたからね、どうぞ飲んで下さい」 匂いも味も甘い誘惑には勝てないと、斉木さんの顔が蜂蜜みたいにとろける。 そんな自分に、斉木さんは憎々しげに舌打ちを一つ。 『……っち』 「こら、もう、舌打ちめっスよ」 無駄な抵抗はやめて、一緒にあったまりましょうよ。 飲むとたちまち顔が緩む斉木さん。 オレもニコニコしながら、自分の器に口をつけた。 「美味しいっスよね、これ」 ハチミツ甘〜い、レモン酸っぱ〜いがちょうどいいし、ホットだから身体も温まって更に美味しいし。 『うん……悪くない』 ちらっとオレを向いた目は、柔らかい。 ああ斉木さん…その顔、とっても綺麗っス。 アンタって何やっても絵になるね。 「そうだ斉木さん、ちょっとおもしろいものがあるんスよ」 見てくれと、オレはスクールバッグを引っ張り寄せ、外ポケットに無造作に押し込んでいたあるものをテーブルに出した。 小サイズの折り紙である。 「コンビニで買った日本茶のペットボトルに、おまけでついていたのなんスけどね」 『へえ』 「オレ、鶴ならちゃんと折れるっスよ」 絵もダメ、工作も苦手なオレだが、折り紙はそこまで不器用じゃない。 取り出した綺麗な薄青色の紙に、きち、きち、と折り目を付けて、オレは鶴を折り上げていった。 斉木さんはちびちびとホットレモンを啜りながら、オレの作業を横目に見ていた。 「どうっスか」 出来上がった鶴を、斉木さんに掲げる。 少しは胸を張ってもいいだろうか。 斉木さんは変わらない目線で折り鶴をひと通り眺めると、よそに向けてため息を吐き出した。 『変態クズの手によるものなのが、残念でならないよ』 本当にもったいないって風にため息ついて、斉木さんは目線を落とした。 「なにそれ、素直に褒めてくれたっていいのに」 ほら、角もぴしっとなってて綺麗でしょ。 ちょっとは自慢出来るんじゃない? そんなオレに斉木さんは可哀想な子を見る目を寄越してきた。 こういう時だけ表情豊かで、もう…ほんと演技派なんだから。 折り鶴の羽根を左右に引っ張り、胴体を慎重に膨らませる、思った通りの綺麗な仕上がりにオレは満足し、そっとテーブルに置いた。 「あとは、やっこさんとか、だまし舟とか」 『だまし舟か』 オレの発言に、斉木さんはほんの少し表情を緩めた。 「なんか、思い出あるみたいっスね」 『ああ。お前の親父さんが、昔お前とそうして遊んだように、うちでも全く同じ事をしていたのを思い出して、ちょっとな』 「あ、やっぱり斉木さんちもやった口っスか」 一緒に遊んだ? 『遊んだというか、遊んでやったというか』 ああ、超能力で見通せちゃうものね、そこら辺で楽しくはなかったのかな。 『楽しくないどころか、イライラしたな』 「そんなにっスか」 確かに、超能力者相手じゃ種も仕掛けも丸見えですもんね。 喋りながらオレは、ほかけ舟を折った。 ほかね舟、だまし舟。 オレは、わかっても尚楽しくて、もう一回、もう一回とせがんだのを覚えている。 「て事で斉木さん、はい」 出来上がったほかけ舟の帆の部分を、斉木さんに差し出す。 斉木さんはやれやれとばかりにぐるりと目玉を回したが、それでもオレに付き合ってくれた。 「持った? じゃ、目を閉じて」 斉木さんが目を閉じたすきに折り目を変えて、だまし舟を完成させる。 「どこ持ってるんスか」 このセリフまでがお約束のだまし舟である。 斉木さんは静かに目を開けた。 オレの方を向いているが、見ているのは今のオレじゃない。 ガキの頃、初めて「だまされた」オレが驚いて、なんでなんでと親父や、周りで見ていた幽霊たちに聞いたのを、昨日の事のように覚えている。 その記憶を、斉木さんは見ている、そんな気がした。 オレは、自分で言うのもなんだが小ズルい怠け者で、宿題とかテストとかでよく嘘をついちゃ親からゲンコツを食らっていたが、幽霊に関して親から嘘吐き呼ばわりされた事は、覚えている限り一度もない。 オレがいると言うのだからいるのだとして、存在を確かなものにしてくれた。 だからこのだまし舟の時も、オレが聞いて回るのを見て、絶対シーだぞって、オレからするとてんででたらめの方向だったけど、みんなの存在を守ってくれた。 幽霊たちもこの遊びを気に入ったようで、あるいはオレが驚きはしゃぐのを見るのが楽しかったようで、親父の言い付けを守り「なんでだろうねぇ」なんて言っていた。 まるで昨日の事のように、鮮明に思い出せる。 感慨にふけっていると、今度は斉木さんが仕掛ける番に回った。 無言で差し出された舟の帆を、オレはあの頃よりは薄れたけれどもやっぱりワクワクしながら掴んだ。 「はい、いいっスよ」 目を閉じる。 折り目を変えるささやかな音が耳に届く。 オレは、ふふ、ってくすぐったい気持ちになった。 が――。 音は一回どころかしばらく続くし、斉木さんは中々目を開けろって言わないし、何がどうなってるんだと訝る事数秒。 『どこ持ってんだ』 ようやく合図が来て、オレはぱっと目を開けた。 「――!?」 直前までほかけ舟の帆の部分を摘まんでいたはずなのに、目を開けるとオレの指は違うものを摘まんでいた。 折鶴の羽根を摘まんでいた。 しかもただの折り鶴じゃない、大きな紙を、千切れるギリギリまで切って作った、連鶴というものだ。 羽根の部分で繋がった四羽の折り鶴、それの羽根の部分を、オレは摘まんでいた。 えー、なんだこれ、である。 一体いつの間に…今のほんのわずかな時間に、この作品を作り上げたというのか。 しかもオレはすり替えられた事に全く気付いてないし。 超能力者、マジでパネェ。 澄まし顔で連鶴を持つ斉木さんに参ったと眉を下げる。 オレがさっき折り鶴折ったから、対抗して連鶴を作ったのかな。 斉木さんて結構負けん気強いしな。 そんな事を思いながら改めて見やると、そんなつもりはないって感じに目を逸らした。 「……ん?」 ところで、この大きくてカラフルな紙はどこから調達したのだろうと思いながら連鶴を眺めていて、とうとうオレは気付いた。 「あぁ――!」 気付いた途端、オレは全身で叫んだ。 アンタ、なんて事すんの! これ、この紙、オレのグラビア雑誌のじゃん! 「なんてことすんの……」 中綴じ本のちょうど真ん中を、ホチキス開いて取り出して、切って折って細工して…斉木さん、やる事がもう――。 『よく気付いたな』 「そりゃ気付くよ!」 『ちゃんと復元してやるから、そう怒るな』 「してくんなかったら、たとえ斉木さんといえど許しませんからね!」 『大体、僕だってこんな紙使いたくなかった』 「だったら最初からやるな!」 『たとえ超能力でも触りたくない。でも大きい紙がないから仕方なく』 「もおー!」 プリプリカリカリ怒りを飛ばして詰め寄る。さすがにまずいと思ったのか、斉木さんは早々に雑誌を元に戻した。 『そら、ちゃんと戻してやったぞ。だからもう怒るな』 割かれた紙は一枚に、切り離された一ページは雑誌に戻り、買った当初の姿に直った雑誌が、オレの足元にばさりと放られる。 オレはそれをすぐさま拾い上げ、ベッドの下に避難させると、再び斉木さんに詰め寄った。 『なんだ、戻したんだから、もう文句はない筈だろ』 斉木さんは眼光鋭くオレを睨んだ。その癖ちょっと顎を引いていて、悪かったと思う分だけいつもの勢いがない事に、オレはつい笑いそうになった。 素直に謝れない人がオレはどうにも愛しくて愛しくてたまらなくなって、斉木さんの顔を両手で掴み顔を近付けた。 それを片手で押しとどめ、斉木さんは顔を背けた。 『盛るなら雑誌でも見てろ』 「えーもー! そんな拗ね方しないの!」 拗ねてなんかない。 ぎろりとオレを捉える斉木さん。 「それが拗ねてるってんですよ」 『うるさい。いいから、お前の作ったもの持ってこい』 「……え?」 作ったものといわれ、オレの意識はテーブルに散らばる折り紙に向く。 斉木さんが云ったのはそれらではなく、オレが今日斉木さんに振舞う為に作ったおやつの事だ。 オレの脳内からそれを読み取り、持ってこいといったのだ。 「すぐ持ってきますよ、だから、キスしてもいい?」 返事はないが、拒む手の力が少し弱まる。 オレはその手を掴み、自分の首に回させると、改めて唇を寄せた。 ほんとにひねくれ者なんだから、もう。 そこも含めて全部好きだわ、斉木さん。 唇が重なる寸前、うるさいってテレパシーが飛んできた。 オレはちょっと笑って、それからむきになって、じゃあもっとうるさい事してやるって、腕の中の超能力者を床に寝かせた。 |
キスだけでは収まらずやる事やって、それからおやつにした。 最中はすっごくノリノリの斉木さんだったけど、熱が引くと途端に不機嫌になってしまった。 理由は明らかだ、原因はオレ。おやつまで長引いたからだ。 ちぇ、やってる間はあんなに可愛くあんあん喘いで、自分から腰振ってたのに…なんて思ったが最後、地獄の顔面はぎがオレを襲った。 「ギブ! ギブ! ごめんなさいほんとごめんなさい!」 おやつ持ってくるから! すぐに取ってくるから! 今日こそ頭蓋骨粉々になるんじゃってほど締め上げられ、オレはひたすら謝った。 どうにか機嫌を直してもらい、オレは最速でおやつを振舞った。 はちみつ漬けしたレモンを使った、簡単なカップケーキがそれだ。 綺麗に丸く盛り上がったカップケーキを前にして、斉木さんの目がキラキラと光り出す。 『本当にもったいないな、お前は』 「あー、意地悪言うと引っ込めますよ」 『問題ない。いくらでも分捕れる』 斉木さんは微笑を浮かべた。それを合図に皿からケーキが浮き上がり、ふわりふわりと斉木さんの元へ飛んでいく。 目の前までやってきたケーキに、斉木さんはうっとりと目を細めた。 見るからに、良い匂いって顔になっていた。 もうほんと可愛い、アンタ可愛すぎる、抱きしめて撫でまわしたくなる可愛さ。 あーやばい、さっきたっぷりやったのにまたなんかきそう、まじやばい 『やめろ、せっかくのケーキがまずぐなるだろ、静かにしろ』 「へーい」 とは言うものの、斉木さん見るだけで煩悩駄々洩れ、溢れまくり。 てっぺんにかぶりつく思い切りのよさとか、その時ちらっと見えた白い歯とか、唇を舐める仕草とか、口の端っこについたかけらを人差し指で拭うとか、見るにつけどんどんなんか溜まってく。 オレほんとやばいな、これ何ゲージ、何溜まってんのよこれ。 あーそれにしても可愛い。まったくもってエロ可愛い! 『いい加減にしろ。こいつは上出来なのに、お前を殺したくて仕方ないぞ』 この複雑な心境をどうしてくれると、斉木さんが零す。 ほんとごめんなさいー! オレはぎゅっと目を瞑った。 が、持ってきた三つのカップケーキを斉木さんが食べ終えるまで、オレの邪念雑念は止まらなかった。 二つ目の途中、北極か南極に捨てに行くぞと脅されたりしたけどダメで、三つ目でいい加減斉木さんも吹っ切って、ケーキを楽しんだ。 |
帰り際、支度したところで斉木さんが何か云いたげに見てきた。 『お供はいらん、このまま帰る』 「そっスか。じゃあまた明日、学校で」 軽く頷く斉木さん。でも、何故か行動を起こそうとしない。 どうしたのかと思って見守っていると、なんだか苛々した様子。 え、オレ、何かやっちゃいました? さっきの怒りがまだ長引いてるとか? 心配になって顔を覗き込む。 『お前じゃない。いや…お前か?』 「んん? なんです?」 『お前、何て今日ホットレモンにしたんだ?』 「え、なんでって、えー…」 オレは中空に目をやって、発端を思い出そうとした。 最初は、そう、ハチミツ大根作ろうと思ったんスよ。 オレのホントの婆ちゃんが、昔よく飲ませてくれたものなんスけど、知ってます? ゴロゴロに切った大根に蜂蜜入れただけなんスけど、咳によく効くんスよ。 で、まだ別に風邪は引いてないけど、このところからっ風が吹いてるから予防しようと、作ろうかなって思ったんス。 けど、そっから、斉木さんにも出せるおやつ的なもののがいいよなって考えて、ハチミツといったらレモンだよなってなって、作ったって訳っス。 『……そうか』 オレの説明を、斉木さんはポケットに手を入れたまま聞いていた。 どこかそわそわした様子で、一体何が引っかかっているのだろうとオレは首を傾けた。 っち。 斉木さんはいよいよ苛立ち、忌々しいとばかりに一つ舌打ちすると、ポケットから何かを取り出し、オレに放ってきた。 ぽーんと飛んできたそれを上手くキャッチする。 見ると、のど飴。はちみつレモンののど飴。 スティックタイプのもので、全部で11粒入ってる。 「!…」 斉木さんがそわそわ苛々してた理由、やっとわかった。 やっとわかって、全部繋がって、オレはじわっと笑いが込み上げた。 「はは、考える事一緒でしたね」 それが気に食わないから、斉木さんてば苦虫を噛み潰したような顔になったのか。 『最悪だ、お前なんかと』 「ハイハイ、しょうがないっス、短くない付き合いですし、オレもアンタも相手にメロメロだし」 『そんなわけあるか』 「ありますよー。じゃ早速、斉木さんの愛情いただきます」 オレはくるりとつまみを開き、ぽろりと取れた一粒を口に放り込んだ。傍では斉木さんが、実に面白くないって顔で空を睨んでいた。 『喉に詰まらせて死ね』 おい、物騒だな。 でもオレはにこにこ笑顔が崩れない。 だって、飴は美味いし斉木さんの愛情はもっと美味いし、栄養たっぷりだし、顔もほころぶってもんだ。 ちょっとやそっとの罵倒じゃ崩れませんよ。 「ありがと、斉木さん」 『なんで抱き着くんだ』 「お礼のキスがしたいんで」 『いらん、やめろ…おい、いらないと言ってる』 はいはい。 重たいパンチが飛んでこないのをいいことに、オレは唇を押し付けた。 たちまちお互いの間に、甘い匂いがふわっと舞い上がった。 それで斉木さんも観念したのか、拒絶気味だった腕が、オレの背中に回ってきた。 オレはますます幸せな気持ちになって、ハチミツみたいに身も心もとろけちゃって、レモンみたいに酸っぱくて栄養たっぷりの斉木さんをぎゅうっと抱きしめた。 |