ポケットの中に

グレープ

 

 

 

 

 

 今日は、学校が終わったらそのまままっすぐ鳥束のとこに遊びに行く予定であった。
 週の初めにその約束を交わし、毎日ウキウキ浮かれる鳥束の声に当てられ自分も似たような心持ちになって、それがとても気に食わないがしかし弾む心は止められず、金曜日を密かに心待ちにしていた。
 が、当日、ちょっとした用事が発生し学校を休む事になった。
 といっても半休で、午後からは出席したが。
 昼休み、ざわつくクラスメイトに紛れてひっそり自分の席につくが、いつもつるむメンバーがそれを見逃すはずもなく、また照橋さんのセンサーもとても優秀なものだから、一瞬にして取り囲まれ、風邪か、通院か、親の用事か…なんだどうしたと質問攻めにあった。

 首を振ったりスルーしたりしのいでいると、幽霊情報で聞き付けた鳥束がやってきた。
 隣のクラスからわざわざご苦労さん。
 鳥束は、僕の周りの包囲網が思いがけず厚いのを見て少し怯んだようで…もしくはムカつきめいたものを感じたようで、戸口で足を止め、そこからテレパシーで呼びかけてきた。
 奴がまずしたのは、身体の心配だった。
 僕は、四方八方から浴びせられる声を遮断して鳥束だけに集中し、ひと通り答える事にした。
 それで勘弁してくれと願うが、具合が悪い訳でも医者に行ったわけでもないと返すと、じゃあサボりっスか、と、いくらか顔付きを険しくした。
 ずるい、という感情の色が見え隠れする。
 詳しい説明はお前んちに行ったらするから、今しばらくは勘弁してくれ。
 見ての通り騒がしくて、しばらく収まりそうにないのでな。
 鳥束の不満は更に色濃くなる。
 もう一度、本当に具合が悪い訳じゃないんですね、と繰り返された。
 ああ、自慢じゃないが生まれてこの方病気一つしたことがない。
 今も、うるさいせいでちょっと辟易しているが、身体の方は問題ないぞ。
 でも…と鳥束は歯切れ悪く食い下がる。
 でもなんが、疲れて見える。
 いつもの連中がうるさくしてるからってだけじゃない理由がある、ように思えると、鳥束にしては中々鋭い観察眼が繰り出される。
 ふん、お前に心配されるほど落ちぶれちゃいない。
 あとでな、鳥束。
 さっさと自分の教室に戻れと、わざと視線を外す。
 鳥束はむすっと唇を突き出し見るからにふてくされた顔になって、渋々歩き去った。

 

「結局今日って、サボりだったんスか?」
 放課後になった途端、荷物を背に鳥束はやってきた。そして、たった今終わったばかりでこれから帰り支度の僕に向かって、そう口を開いた。
 ここじゃまだ説明は無理だな。
 だからちょっと黙ってろと目配せすると、鳥束はまたも不満げに唇を尖らせた。
 なんだ、今日はずいぶんと怒りっぽいな。
 昨夜なんかあったなこりゃ。
 唇もむずむず動きたがっているし、頭の中もかなりごちゃごちゃと絡まっていてよく聞き取れない。
 わかったわかった、お前んちいったらちゃんと聞いてやるから、もう少しだけ待て。
「早く帰りましょ」
 そう急かすな、僕だって、早く身体を休めたいんだ。
「ねえ、大丈夫なんスか?」
 鳥束の目が不安そうに揺れる。
 今の今まで、自分の内に溜まった不満できつく尖っていたのに、それでも細やかに僕を気遣うんだな。
 変な奴。
 まあいい、早く帰ろう。

 途中、小さなスーパーに寄っていつもの三個パックコーヒーゼリーと、珍しく缶入りコーヒーゼリーを見かけたのでそれも買って、鳥束に出させて…出したいと言うのでありがたく受け取って、鳥束が厄介になっている寺に向かう。
「寒いけど、いい天気っスね」
 だから日向がすっごくありがたいと、鳥束は歯を見せて笑った。
 そうだな。
 風もなくて穏やかだし、雲はのんびり浮かんでいるし、本当にいい天気だ。
 鳥束もつられて空を見上げる。
 あ、飛行機が飛んでると、のどかな思考が流れ込んできた。
 鳥束の他にも見つけた通行人がいるようで、声は重なった。
 昼間はとっくに過ぎたが夕方とも言えない時間帯の空は少しばかり見入る色をしていて、薄い雲があちこちに散らばって煌めいていた。
「さむ、早く行きましょ」
 何とはなしに感慨に耽っていると、鳥束の震える声が耳に飛び込んできた。
 僕は顔を正面に戻し、急ぐ鳥束について家路をたどった。

 

「斉木さんて、親に怒られたりってなさそうっスね」
 鳥束の部屋にでんと鎮座するこたつで、買ってきたコーヒーゼリーを楽しみながらぬくぬく温まっていると、鳥束は不満もあらわに言ってきた。
『なんだ、藪から棒に』
 どうやら、先程の教室での苛々がぶり返したようだ。
 鳥束は、表面上は笑顔で取り繕っているが、内心では怒りや嘆きが渦巻いていた。
 読み取ってわかったが、どうやらまた罰当たりな事をして、説教と拳骨をもらったようだ、
 なんだ、自業自得じゃないか。
 文句を言う資格もない。
「そりゃそうだけど、さあ」
 零しながら、鳥束は、今回の件をきっかけに、これまでのやらかしと叱責とぼやきと諸々とを頭の中でぐるぐるかき混ぜていた。
 記憶は子供の頃まで遡り、そういやあんな事あったな、こんな事あったな、と思い出しては涙目でため息をついた。
 っち、めんどくさいな。
 慰めればいいのか?
 それとも、昔話をしてやれば気が済むか?

 っち、やれやれ。
 僕は息を吐き出した。
『僕も、あれこれ怒られたぞ』
「ええー! た、たとえば?」
 鳥束は、さも意外だと云うように目を丸くした。
『僕だって、ごく普通の…普通の子供だったんだ。物事の良い悪いが聞こえてわかっても、その通り素直にいかないのが子供だろ』
「うん、ええ、そっスね」
『やっちゃダメだと言われても、好奇心から突っ走って怒られる、子供にありがちだな。僕もそうだった』
「ふんふん……」
 鳥束は興味津々と耳を傾けた。
 だから僕は、覚えている限りの失敗を指折り披露した。
 バイクに直結して怒られしたり、先生の脳操作してテストの点数細工して怒られたり……
 ふと見ると、鳥束の顔が固まっていた。
 そいつは普通じゃないまったくもって普通じゃないと脳内で騒いでいる。
 ああくそ、わかってるよ。

 そうだ、これがあった。
『家の壁紙に直接落書きして怒られた、どうだ』
「おお、それは子供らしいっスね!」
 パパさんママさんに怒られたんスね。
『ああ怒られたぞ。言われる前に一日戻しで元通りにしたのに、結局怒られた』
 鳥束の顔が微妙に歪む。
 僕としては、ありがちな子供の失敗を話したつもりなのに、くそ。

『あと、こんな事もあった』
「何スか」
 鳥束はぐいっと身を寄せた。
『僕はこれまで、数回地球の危機を救ってる』
 某国の陰謀だの、隕石だの、地球外生命体の侵略だの……。
「はぁ……そっスか」
 なにそれ、ふつうじゃない
 少し呆れた声は、僕の話を疑ってるからではなく、規模についていけなくなっているからだった。
 お前、普通じゃないってまた言ったな、もうわかったよ、でも僕にしたら普通に子供の頃の失敗談だ。いいから聞け。
『それは、初めて地球を守った時の事だ。小学校の頃だ。よく覚えている』
 下校途中だった。あと数時間で隕石が地球に落下する事に気付いた僕は、すぐに砕きに行った。
 帰宅すると、母に怒られた。
「そんな危険な事するな、とかっスか?」
『いや。親に行先も言わず出かけるのはダメよ、って』
「怒るとこそこ!?」
 くそ、これも駄目か。しかも母さん込みでか、自分としてはよくある怒られ話だと思うんだがな。
「えー……もうね、全然まるで規模が違うっスよ。さすが超能力者を生み育てたママさんっスわ」
 まるで規模が違う…まあそうだな。でも、当てはめて考えればそう変わりはないだろ。
『小学生が、親に無断で出かけて怒られる、よくある話じゃないか』
「うー……んん?」
 鳥束は難しい顔で唸った。なんとか当てはめて考えようと努力していた、しかし規模が違い過ぎて、考えるのが難しいようだ。

 やっぱり駄目か。
 なんと説明すればわかってもらえるやら。
 それとも、いい加減諦めるべきか。
 腕組みして考えていて、ふと、ある事を思い出した。鳥束のぼやきのせいですっかり忘れていた。
 昔話をして思い出せた。
 確か、ポケットに――。
 右と左と探り、左側に入れていたあるものを鳥束に向かって突き出す。
『やる』
「なんです? なにこれ、石?」
 手のひらに落とされた黒い塊に、鳥束は目をぱちぱちさせた。
 宇宙空間ではただ真っ黒に見えたが、明かりの具合によって黒にも紫にも見えるな。面白い欠片だ。

(なんだこれ)
(まさか)
(えーまさかウソだろ)

 今しがたの話の内容から、鳥束が連想する。
 まさか、突飛だけど、でも斉木さんならと、正解を頭に思い浮かべている。
『そのまさかだ鳥束』
 正真正銘、隕石の欠片だ。
「うわー…」
 告げると、鳥束はかすれた声をもらした。
 初めて見るわ
 こんななんだ、感触
 へーおもしれー
「いつのです?」
 昔のを取っておいたのだろうかと、鳥束が見やってくる。
『僕が砕かなければ、今から二分くらい前に某海域に落ちてたものだ』
「えっ……は?」
 絶句した顔が、云っちゃ悪いが少しおかしかった。
 思わず頬が緩む。
 というのも、予知夢では、隕石のせいで地球はかなりひどい有様になって、こんな風にのどかに笑うなんて出来なくなるからだ。
 でもその悲惨な未来は回避された。してやった。
 誰も隕石で死なない、地形は滅茶苦茶にならないし、海も蒸発しないし、何年間も空が見えなくなるなんて事もない。
 コイツのこんな顔も、だからこそ拝める。
 それを思うと、気も緩むってものだ。
『今日の午前中休んだのは、それを砕きに行ってたからだ。という事で、最新の、取れたてほやほやだ』
「そんなアンタ……海の幸じゃないんだから」
 鳥束は隕石の欠片に目を落とし、口の中でもごもご呟いた。
 あらためてまじまじと眺めている。
 まあまあ大きな方だったな。
 制御装置を外せば、難なく対処出来るが、付け直した後の疲れがなかなか厄介なんだ。
 だから、コイツごときに心配される羽目になった。
 鬱陶しいし、自分も後味悪いし、ほんと休めばよかったよ。
 休んで部屋でごろ寝すればよかったのに、なんでわざわざ登校したんだっけ。
 コイツんとこに行く約束はそのままだったから、時間になれば会えるけど、それだと足りない気がしたからだったな、確か。
 要するにコイツに会いたかったというわけだ。
 ああ、自分としたことが、まったく不甲斐ない。

「斉木さん!」
 情けない情けないとなじっていると、いつになく真剣な声で鳥束が呼びかけてきた。
 ふと目をやると、声だけでなく眼差しもえらくきつい。
 余りの迫力に思いがけず気圧された。
 超能力者を圧倒するとは、変態クズのくせに中々やるじゃないか。
『なんだ』
「今度からは、オレにも行先告げて下さい」
『僕はもう小学生じゃないぞ』
「知ってますよ。オレの恋人ですよね』
 澄み切った目に浮かぶ真面目な色に、僕は大きく息を吐いた。
『そうだな、で、行く時に言うのか、今から隕石砕きにいってくるって』
「そうっス。あと、某国の人類滅亡計画止めてくる、とかもっス」
『異世界からの襲撃を防ぎに行ってくる、とかもか』
「当然っス」
 なんだか海藤じみてきたとふと思ったら、ほぼ同時に鳥束もチワワ君みたい、と過らせていた。
 思いがけず、同じタイミングで笑う。
『わかった、じゃあ言う』
「絶対ですよ。はい、指切り」
 差し出された小指に、自分のを絡める。

「あ!」
 神妙な顔で約束を取り交わしている最中、思い出したと、いきなり鳥束は大声を上げた。
『今度はなんだ』
 思い切り顔をしかめる。
 一方鳥束の顔は、ひどく申し訳なさそうに歪んでいた。
「今日、サボりとか言っちゃって悪かったっス!」
 この通り、許して下さいと、鳥束は深々と頭を下げた。
 そうだな、今度スイーツバイキングでも奢ってくれたら、それでチャラにしてやろう。

 さて、今度からはお前にも「緊急時」の行き先告げるようにするとして、だ。
『僕がそれらの用で出かけてる間、お前は何してんだ?』
「コーヒーゼリーを作って、無事を祈ってます」
『お前の作ったのか』
「はい。てか、そういやオレコーヒーゼリー作った事はなかったっスね」
『そうだな』
 弁当だのの手料理や、憑依してのケーキ類はあったが、コーヒーゼリーはまだだったな。
『じゃあ練習しとけ』
「了解っス。ちなみに、味の好みってどんなっスか? 市販ので言うと、どれがいいんです?」
『お前の作るのならなんでもいい』
 お前の味なら、心配ないしな。
「んー、最高の殺し文句! でもそれはそれとして、たとえばゼリーは苦めがいいとか、そんでクリーム甘めがいいとか、硬い柔らかいプルプルもちもち、色々あるじゃないっスか」
『伝えるのが面倒だな、じゃあいらない』
「そっ、えー、ごめんごめん! ごめんなさい、研究するから、しますから教えて!」
『いい、安いのでもいいから買って、待っとけ』
「えー…斉木さん、機嫌直して、教えて下さいよ」
『そんな泣きそうな声を出すな。別に、意地悪で言ってるんじゃない。お前がいればそれでいいだけだから。コーヒーゼリーはおまけだ』
「うっ……!」
 いよいよ息が詰まった、てな顔になって、鳥束は胸を押さえた。
 ああ、調子に乗って少し喋り過ぎたようだ。
「……斉木さぁん」
 過った嫌な予感の通り、甘ったるい声で名前を呼ばれ、抱き着かれ、そのまま床に押し倒された。
『気持ち悪い顔を近付けるな、お前の頭を砕くぞ』
「気持ち悪いって、ひどいっス。あと、オレの頭隕石じゃないんで」
 砕いちゃダメっス。
 やたらニコニコと、上機嫌で鳥束は唇を寄せた。
 ああ、柔らかくて気持ち良いな。
「オレも、気持ち良いっス」
 少しだけ離れ、鳥束は嬉しそうに囁いた。
 声を耳にした途端、猛烈な勢いで感情が込み上げてきた。
 今にも目から溢れそうになって、どういう事だと自分でも訳がわからずうろたえてしまう。
 コイツに見られるのだけは回避したかったので、僕は咄嗟に抱き着いてごまかした。
 抱えきれないほどの幸福感に胸が一杯になる。
 なんなんだ突然、こんな。

「斉木さん?」
 さすがに少し息苦しいと、鳥束が伝えてくる。
 わかった、今引っ込めるから、ちょっとだけ待て。
 色々普通じゃない事をしてはいるが、感じる気持ちはごく普通なんだよ。
 嫌な声を聞けばつらくなるし、お前とこうして抱き合えるのがたまらなく幸せだって、泣きたくなるくらい、普通なんだよ。
 深呼吸を一つして、僕は力を緩めた。
 ますます涙が盛り上がり、もう、どうしようもない。
 コイツの頭を砕くか、石化せるか、それとも観念するか。
 ぼやける天井を睨み付けたまま、僕は腕をほどいた。
 鳥束は僕の顔を見て、何も言わず微笑んで、慈しむように抱きしめ口付けた。

 

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