ポケットの中に
ソーダ
オレが今厄介になってる寺の近くに、文房具と駄菓子を売ってる店がある。 オレがこっちに来る少し前に改築したとかで見た目はぴかぴか新しいが、ここに店を構えて結構長いのだそうだ。 こっちに来た当初は、いかにも駄菓子屋さんにいそうな可愛らしいお婆ちゃんが店番をしていたが、ここ最近は若いお姉さんも見かけるようになった。 聞けばお孫さんだそうで、道理で笑った顔がそっくりなはずだ。 どっちもとても可愛らしいのだ、 なんでも、最近足腰が弱ってきた祖母を見かねて、時間がある限り店番を請け負ってるそうだ。 お婆ちゃん思い偉いねえ。 若いムチムチのお姉さん好きのオレだけど、お婆ちゃんのにこにこ朗らかな感じも意外といける。 あっちの意味じゃなくてね。 ほっと安心するって意味ね。 まあ、オレが駄菓子屋に通うようになったのは言うまでもなくお姉さん目当てなんだけど、お婆ちゃんに会いたいのもちょっと含まれてる。 それと純粋に、駄菓子懐かしくて楽しくて美味しいからってのもある。 そりゃ、目が飛び出るほど美味しいってのじゃないけど、なんともいえずほっこりするのだ。 行きや帰りに見かけ、立ち寄って駄菓子を選んでいる時、斉木さんと寄りたいなあって思うけど、斉木さんち通り越した先だし、あの人の好みそうな甘いものってそうなくてしょっぱめのお菓子ばっかだし、ちょっと難しいだろうな。 |
ある休日、蝉しぐれを聞きながらの昼下がり。 オレはいつものごとくダラダラゴロゴロ部屋で過ごしていた。 いや、これでもちゃんとお務めはしてるし掃除だのの雑用だってこなしてるが、何しろ暑いのだ、長い事外にはいられないくらい暑い、熱い。 休み休みでないと身体が持たない。 休み過ぎだろって、斉木さんのツッコミの幻聴が聞こえた気がしたがとにかく、夏はゆっくりするに限る。 でないとまたいつぶっ倒れるかわかんないし。 斉木さんに看病してもらえるなんて滅多にないからそれ狙いもいいかもだけど、申し訳ないからやっぱり元気に過ごしたい。 元気に過ごして、いつも通りに、バカだのクズだのあしらわれるのが一番いい。 という事で涼しくした部屋でエロ本三昧だ。 やっぱり休み過ぎだって幻聴が、また聞こえた気がした。 まあとにかく、おおむねいい気分で休日を過ごしていたのだが、途中で買い出しを頼まれた。 暑いしめんどくせーなーとちんたら用意して、足を引きずるようにして買い物に出る。 用事を終えて店から出たオレは、向かう先に見知った濃桃色の後ろ姿を目にして、たちまちはしゃいだ気分になった。 頑張ると報われるんだな、なんてウキウキ弾む足取りでオレは駆け寄る。 きっと、オレの思考でわかったのだろう、その人物斉木さんは、オレに追い付かれまいと早足になった。しかし信号待ちに引っかかり結局はオレに並ばれ、不満たっぷりの顔で睨みつけてきた。今にも舌打ちが聞こえてきそうだ。 「いやいやお使い頼まれたんスよ、別にブラブラ遊び歩いてるわけじゃないっスから」 そういう顔をしている斉木さんに、慌てて説明する。証拠である買い物の品も見せる。 「斉木さんもお買い物っスか?」 軽く覗き込むと、猫缶がいくつか袋に見えた。それに混じってコーヒーゼリーも入っているのは、実に斉木さんらしい。見慣れたいつもの三個パックのコーヒーゼリーに、思わず笑顔になる。 今度こそ舌打ちされた。 もぉ、めっ。 聞くと猫缶はパパさんに頼まれたお買い物だそうで、何でも、斉木さんちの近くに住み付いた猫にやるものだそうだ。 歩道の信号が青になった。 『じゃあな』 「あ、ちょと、方向一緒なんだから一緒に行きましょうよ」 『嫌だ。変態エロ坊主と知り合いだと思われたくない』 「なにそれ、斉木さん……斉木さん!」 早い! あの人早足もう駆け足! もう向こう側に着きそうな勢いに、オレは半ば感心しつつ小走りになる。 その時、斉木さんとすれ違うお婆ちゃんに目が引き寄せられた。 ええとあれ誰だっけ、すごく知ってる人、よく見かける人で、あのお婆ちゃんはええと――。 そうだ駄菓子屋のお婆ちゃんだと、思い出せた自分に喜んでいると、物凄い勢いで突っ込んでくる車が目に飛び込んだ。 「っ……!」 斉木さんと、お婆ちゃんに、ぶつかる! 車は、二人にぶつかる事はなかった。 その代わりというか、どんなテクニックでも車では無理じゃなかろうかという動きで二人を避け、ガードレールに激突して止まった。 たちまち辺りが騒然となる。 『鳥束』 車に気を取られていたオレは、はっと我に返り斉木さんに目を戻した。 見ると、びっくりして腰を抜かしたらしいお婆ちゃんを、斉木さんは支えていた。 『騒ぎに巻き込まれる前に、行くぞ』 (今の、斉木さんっスよね) (てか怪我無いっスか?) (お婆ちゃん大丈夫?) オレは駆け寄り、びっくり仰天しているお婆ちゃんの背中をさすった。 「ええ…大丈夫よ。大丈夫、零太君」 オレの名前が言えるならひとまず安心だが、歩いて帰るのは無理のようだった。 ここから駄菓子屋までそう遠くないし、家族に連絡して迎えを待つより、送り届けた方が早いだろう。 斉木さんも、早くここを立ち去りたいっていうし、オレは、負ぶっていく事にした。 重いからいいよってお婆ちゃんは遠慮したが、こんな炎天下に放っておけないし、負ぶってみたら意外とオレもいけた。 斉木さんが手助けしてくれてるのかな。顔を向けると、さりげなく目を逸らされた。ああ、間違いないわ。 ありがと斉木さん。 『知らん。荷物は持ってやるから、さっさと行け』 オレの分の買い物袋をひったくると、斉木さんは急かした。 ほんとありがとね。 |
送り届けると、家族から代わる代わる礼を述べられた。 お礼をしたいから是非上がってくれと住居の方に招かれる。 お店に置いてるよく冷えたラムネやお菓子を始め、頂き物だという上等な水羊羹にゼリーに焼き菓子の類を次々と振舞われた。 かえって恐縮してしまう程だった。 お婆ちゃんを負ぶって炎天下を歩くのは確かにちょっときつかったけど、冷えたラムネ一本で充分だ。 斉木さんも、なんだか居心地悪そうにしながらも、断るのも失礼だからと瓶を傾けた。 二人で一緒に、中のビー玉をカラカラ鳴らす。 喉を下りていく爽やかな炭酸が、とても心地良かった。 |
帰りに、何本もラムネをお土産に持たされた。 こんなに貰っちゃかえって申し訳ないとお断りはした、けど、若い子が遠慮なんてしないで持っていきなさいってニコニコ顔のお婆ちゃんに言われては、いりませんなんて言えないから、袋に入るだけ貰ってありがとうとお礼を言って、駄菓子屋を後にした。 お土産はラムネの他に、ポケット一杯のソーダ飴。 ラムネと、ソーダ。 そして蝉時雨の帰り道。 夏が一杯だ。 「斉木さん、ありがとう」 オレは、隣を歩く斉木さんに顔を向けた。 アンタのお陰で、お婆ちゃんこれからも家族と一緒に元気にお店やっていける。 感謝を込めて見つめると、斉木さんはつまらなそうに目を逸らした。 『別に。よそ見運転がムカついたから、ちょっと止めただけだ』 オレは笑いが零れた。 「普通の人はムカついたって、走り去ってく車に恨みをぶつける事しか出来ないっスよ」 下手したら死んじゃって、恨みも忘れちゃう。 辛い事忘れられるのはいいかもしんないけど、残された家族がやるせない。 「ほんと、アンタがいてくれて良かった」 『そんな事より、僕の隣にいるらしい幽霊の口を何とか閉じさせろ』 「えっ」 オレは苦笑いを浮かべた。 通常、斉木さんは幽霊が見えない。当然声も聞き取れない。 オレを介してならば見えるし聞く事が出来る。 でも今はサイコメトリーしてないので、見えないし聞こえない。 けれど、幽霊の声が聞こえているオレが思い浮かべる思念は、聞き取る事が出来る。 なので、斉木さんを挟んだ向こうで、一部始終を見ていた幽霊が斉木さん自慢してる、のを聞いてるオレが、あれこれ思い浮かべている事は、筒抜けって訳だ。 だから、斉木さんは口を閉じさせろと言ったのだ。 しかしなぁ、彼の勢いはまだまだ止まりそうにないっス、斉木さん。 むしろ喋れば喋るほど興奮して、あと半日は止まりそうにない。 ――やっぱり斉木くんすごいね、片手で車止めちゃうんだからほんとすごい! こいつは斉木さんのファンで、斉木さんちに入り浸ってる幽霊の一人だ。 斉木さん、前も言いましたけど、アンタほんと霊界で有名、超有名、照橋さんにも匹敵するくらいっスよ。 『ありがたくない』 言いふらせる存在じゃないのが救いだが、と斉木さんは短く息を吐いた。 「まあ、そうっスね。今んとこ聞けるのはオレだけっス」 にしてもこの幽霊、ほんと斉木さん大好きだな。オレ二号みたい。ちょっと笑える。 待てよ、斉木さんちに入り浸りって事は、寝起きはもちろんごはんも風呂もトイレも一緒って事だ。 なんと羨ましい! 『……おい』 その思考を読み取り、斉木さんがものすげぇ目を向けてきた。 「……はっ!」 怖い怖い! 大丈夫、何でも見ちゃってるけど、何でもオレに筒抜けって訳じゃないから安心して斉木さん。 こいつはアンタが大好きで見てるだけで悪意はないよ、だから許してやって! 口をへの字にして、斉木さんはどうにか納得してくれた。 怒らせちゃったかなと幽霊が心配するから、オレは、大丈夫と笑顔を向けた。 横で斉木さんが小さくため息をつく。 「ねえ斉木さん、部屋寄ってって下さいよ。オレからもお礼がしたいですし。ね、コーヒーゼリーを食べる分だけでも、休んでってくださいよ」 でないとオレの気が済まないっス。 誘うと、コーヒーゼリーがあるんじゃ行くしかないなと、渋々の体を取りつつキラキラ顔で、斉木さんはやってきた。 コーヒーゼリーを口にすると、顔はもっと光り輝いた。 オレはそいつを、すぐ傍でニコニコしながら眺めていた。 テーブルには、手提げのビニール袋に入ったたくさんのラムネの瓶。 「斉木さん、このラムネ、半分こでいいっスか」 『駄目だ、お前また冷たいものばっか飲んで夏バテになるから、全部没収だ』 「えー」 『えーじゃない。飴で我慢しろ』 斉木さんは、ポケットが不格好に膨らむほど詰め込んだソーダ飴を取り出した。 テーブルにポケット一杯の飴の雨が降る。 「二人のを合わせると、結構貰ったんスね」 『飴も、お前にやるのもったいない気がしてきたな』 「え、もお。いいっスよ、なんたって斉木さんのお陰っスからね」 オレは、次また買いに行けばいいんだし。 こんなに貰っちゃったお返しは、買い物ですべきだよなあと考える。 『しかし、一度やるといったからな』 斉木さんは人差し指を軽く動かし、テーブルのソーダ飴をオレのポケットに押し込んできた。 ちょ、千切れちゃう千切れちゃう、ポケット千切れちゃう。 ああん、お兄ちゃん、そんなに入らないよう。 ついそんなおふざけが頭を過る。 次の瞬間、見えないゲンコツがオレの頭に振り下ろされた。 「い……たぁ!」 痛い、斉木さん! ちょっと思っただけじゃないっスか。 恨めしく見やると、斉木さんに睨まれた。 『どっちが悪い?』 「……オレっス」 渋々謝る。 「それはそれとして斉木さん、駄菓子屋さん、一緒に行きましょう」 『そうだな、行くか』 「え、行きます?」 『ああ。こんなにはさすがにもらい過ぎだしな』 お返しに買い物に行くべきだと、斉木さんは言った。 「そうっスね。嬉しいな、いつか一緒に行きたいって思ってたんで、ちょっと、今からすげえ嬉しいっス」 オレはとろける顔を隠しもせず、喜びを表した。 斉木さんは、そんなオレを少し嫌そうに見やった後、駄菓子屋か、ともらした。 「行った事あります?」 『もちろんあるが、……』 何やら気まずい思い出があるのか、斉木さんは目を泳がせた。 訊くと、当たりくじを次々当てて、行きづらくなったのを思い出したんだと。 「へえ、超能力者も、子供だったんスねえ」 欲しいと思ったら何としてでも手を尽くして、なんて、子供らしくってとても微笑ましい。 そんな苦い思い出があるから、今は隠す方向なのかな。 でもオレに対してはその頃と今と、あんまり変わりないようだけど。オレにだけは全然遠慮がなくて、力も隠さずばんばん使って。ねえ。 『っち。言うんじゃなかった』 「そんな舌打ちしなくっても。そういや斉木さんの子供の頃の話って、あんまり聞いた事なかったでしたね。教えてくれません?」 『気が向いたらな』 「うむぅ。ね、じゃあ今度行く時、お話聞かせて下さいよ」 『気が向いたらな』 「うむむぅ。絶対ですよ」 『そんな事より鳥束、コーヒーゼリーのお替りが欲しいんだが』 「あっ、ごまかしてますね」 『くれたら、特別にラムネをやろう。まだほんのり冷たいぞ』 斉木さんは瓶の底をぐいぐいと頬に押し付けてきた。 「はいはい、確かに冷たくて、美味しそうっスね」 ごまかし方がおかしくて、オレは歯を見せた。 それが気に入らなかったのだろう、斉木さんはほの暗い顔で笑った。 『五秒以内にコーヒーゼリーを持ってこないと、お前のベッドをラムネまみれにする』 「ちょちょ、構えないの! すぐ持ってきますから、プシューやめて!」 オレは慌てて腰を上げた。 『五、四、三』 「はいはい、もう聞きませんから、持ってきますから、瓶置いて!」 斉木さんの手からもぎ取り、オレは持ったままコーヒーゼリーを取りに行った。 急いで戻ると、袋から取り出した別の一本を構えて、斉木さんは待っていた。 「もおぉ」 いきなりのいたずらっ子ぶりに、オレは肩を揺すった。 「はい、ほら、コーヒーゼリー持ってきましたから、イタズラはおしまい。これもお返ししますから」 持ってった分を差し出すと、やる、と短く告げられた。 「ありがと、斉木さん」 『なに、礼はいい。お前のビー玉絶対落ちない呪いをかけたしな』 「えー、また、もう。遠慮がないんだから」 斉木さんがそう言うからには本当だろう。オレは、瓶を底の方から覗き込んだ。 『昔、それをアイツにやって、泣きべそかかせた事がある』 「……え」 唐突な昔話に、一瞬喉が詰まった。斉木さんの言う「アイツ」に、オレは心当たりがある。 ぴたりと動きを止めたオレから、斉木さんは瓶を掴み取ると、玉押しも使わずラムネを開けてオレに寄越した。 カランという涼しげな音にはっと我に返る。 あざっス。 オレは口の中でもごもごと呟いた。 しゅわしゅわと炭酸の弾ける音がたまらなくて、誘われるままオレはぐいっとあおった。 美味しい! 『どっちが早く飲み切るか勝負とか言ってきたので、僕が飲み終えるまで、どうやっても開かない細工をした』 「……それで、泣いちゃったんスか」 お兄さん。 斉木さんは特に何の表情も浮かべず、静かにコーヒーゼリーを口に運んだ。 「多分、でも、半分は嬉し泣きだ」 アイツは色々気持ち悪いからな。お前とは違う気持ち悪さがある。 どういう表情を浮かべればよいやら、オレは曖昧に笑顔になった。 『それで、負けた方は飴玉おごるってアイツは言ってて、僕はいらなかったけど、無理やりポケットにねじ込まれた』 斉木さんは、テーブルに積み重なったソーダ飴を一つ摘まみ上げると、丁度こんな感じだったと付け加えた。 もしかしたら、その思い出のせいであまり好きではなくなっているのではと、そんな心配がふと頭を過った。 『いや、別に』 ただの子供の頃の話だと、斉木さんは飴玉をくるくると回した。水色の綺麗なソーダ飴が、明かりを反射してきらりと光る。 「斉木さん、まだまだコーヒーゼリーあるんスけど、食べます?」 『お前、コーヒーゼリー一つにつき一回聞けるとか思ってるだろ』 「えへへ、ダメっスか」 そんな単純ではないかと、オレは笑ってごまかした。 『気が向いたから話しただけで、コーヒーゼリーにつられたわけじゃない。まあ、お前が振舞いたいっていうなら貰ってもいいぞ』 話すかは別だがな。 うん、オレも、子供の頃の話もっと聞きたいって気持ちはあるけど、それ以上に斉木さんのうっとりモニュ顔が見たいから、お替り持ってきます。 『よし、三秒以内に持ってきたら話してやる。遅れたらベッドがラムネまみれだ』 「ちょ! さっきより短い!」 『二、……』 「しかも二からカウント!」 オレは落ち着いてと両手で宥め、部屋から飛び出した。 後ろで、斉木さんの笑う声が聞こえた。 急ぐオレの傍で、さっきの幽霊が、頑張れとのんきに応援している。 駆けた拍子に、ポケットからソーダ飴が飛び出して廊下をコロコロ転がった。 拾おうと屈めば、さっき飲んだラムネが胃の中でひっくり返りそうになった。 頭の中で、斉木さんのカウントが一に迫る。 オレはヤケッパチになって笑った。 ああ、昔話を聞くのも楽じゃない。 |