ポケットの中に

イチゴ

 

 

 

 

 

 朝、起き抜けにごほんと咳が一つ出た。
 自分の咳で目が覚めたって感じだ。
 春先、季節の変わり目だからかちょっと喉がイガイガする――気がする。
 オレは起き上がって、首を軽く振ったり目玉を回したり、喉を押してみたり、どこかおかしなところはないか確かめた。
 特にないようだ。
 頭痛もしないし目も痛くないし喉も痛くない、ただちょっとばかり咳が出るだけ。
 大した事ないか。
 いやいや、油断は禁物っス。
 風邪なんて引いたらまた斉木さんに大目玉食らう、慎重にしないと。
 歯磨きしながら、さてどうすっかと思案する。

 その結果、オレは行きがけにあるコンビニで適当に袋入りキャンディーを買う事にした。
 一口にのど飴といっても色々あるんスねえ。
 いかにも効きそうな薬っぽいのから、美味しさを重視したものから、より取り見取りで逆に迷ってしまう。
 目が、右いって左いってまた右に。
 その時、黒糖飴の袋が目についた。
 黒砂糖の味は大好きだ。喉にいいっていうし、オレはこいつに決め、レジに持っていった。
 店先で早速一粒、口の中に放り込む。
 なんとも懐かしくあったかい味に、ほっぺたがとろけた。
 うん、よし。
 喉に優しい甘さを取り入れたから、これでもう大丈夫。
 病は気からって言うし、大丈夫だと思えば大丈夫なのだ。
 オレはお気楽にそう考え、歩き出した。

「あ、はよーっス斉木さん」
 角を曲がると、大体いつもそこで会うって地点で、今日もそのように斉木さんの後ろ姿に出くわした。
 オレは片手を軽く上げ、ちょっと駆け足で隣に並んだ。
 それに乗って飴の甘い匂いが伝わったからか、よっぽどでないと反応しない斉木さんの目玉がじろりとオレの方を向いた。
 甘いいい匂いさせやがって、って顔に書いてあるっス、斉木さん。
 そうなるだろうと予測していたので、オレはすぐに一掴み取り出し、斉木さんに差し上げる。
「これで、機嫌直してくださいっス」
『くれるというなら、貰っておこう』
 仕方なく引き取ってやったなんて顔してからに、もう、可愛いんだから。
 そういう素直じゃないとこ、可愛いから。
 早速飴玉を口の中で転がし、ささやかな幸せに浸る斉木さん、最高に可愛い!
 オレたちは同じ匂いをさせながら、学校に向かった。

 

 翌朝も、まだ少し喉がいがらっぽい。
 痛くないのが幸いだ。
 うーむ、身体も気持ちも元気一杯なんだけどなあ。
 早くどっか吹き飛んでくれないかな。
 オレは朝の支度を整えながら、そう願う。

 昨日買った飴は、昨日の間に何だかんだ斉木さんに持っていかれてしまっていた。
 全然、悲しくも悔しくもないんだけど。
 むしろ嬉しいけど。
 その前に、持っていかれたというのは正しくないな、オレがどんどん上げちゃったんだし。
 だって、斉木さんてば必ずほんのり嬉しそうにするんだもの。
 たかが…っちゃ悪いけど、でもたかが飴一粒でほっと幸せになる斉木さんの顔見たら、もひとつどうぞって言っちゃうって。
 飴玉の分だけほっぺたぷくっとなった顔の可愛い事!
 美味しいって和んだ顔で、飴玉右と左と行ったり来たりさせてさ、ただそれだけであんなに可愛いなんて斉木さんとんでもねえわ。
 口に入れる時は目をきらきらさせて、舐め終わるとしゅーんと萎れた顔で名残を惜しんで、新たに頬張るとまた煌めいて…どんだけ見てても飽きない。
 ずーっと見ていたい。

 その結果、袋にがさがさ山のように入っていたのが、一日でごそっと減ってしまった。
 その分斉木さんが幸せになって、オレも幸せいい気分になったので、何の不満もありはしないが。
 もともとはオレのイガイガ喉対策の飴だったけど、そいつはとっくに二の次三の次になっていた。
 とはいえ、大事なことに変わりはない。
 早く咳取れてほしい、鬱陶しいし斉木さんに心配させたくない。
 オレは今日の支度をしながら、軽く首をひねった。
 どうしようかなと飴の袋を覗き込む。この量なら帰りまでもつだろうから、帰り道でまた買っていけばいいかな。

 そんな事を思いながら通学路を辿る。進む道の先に、斉木さんちが見えてきた。
 斉木さん、もう行っちゃったかな、まだおうちにいるかな。
 とりあえずチャイム押してみようと門扉に手をかけた時、タイミングよく斉木さんが玄関から出てきた。
「はよーっス」
 軽く手を上げる。
 その手を見えない手に掴まれ引っ張られ、オレは門扉の内側におっとっととよろけた。
 斉木さんの仕業なのは明白だ。
「な、何スか突然」
 挨拶しただけなのに転ばそうとするとか、ひどいっスよ。
 このイタズラ坊主めって笑いかけるが、斉木さんはつんと澄ましたままだ。
 あぁまたそうやって、とぼけたって無駄っスよ。
 目線で追及するオレをちらっとだけ見て、斉木さんは無言のままオレのバッグの外ポケットに何かをねじ込んできた。
 オレはびっくりして目をぱちぱちさせた。
「ちょ、なになに、なんスか」
『苺キャンディーだ』
 ポケットに押し込まれたのは丸く平たい缶で、ちらっと、苺の絵が見えた。
 直感で、とても高級なものと覚る。
「ちょ…なにこんな」
 こんな上等な物、もらえませんよ。
 オレは畏れ入って斉木さんを見やった。
『昨日、貰いまくったお返しだ』
「いや、これ……」
 高いでしょ、と言いかけて口ごもる。
『まあ、安くはないな。大して量は入ってないのに、それなりの値段する』
「……そんなの、もらえませんって」
『いいから受け取れ』
 うぅ、斉木さん。
 オレは弱ってしまう。突っ返すのも無礼だし、かといってホイホイ受け取るのも躊躇する。
『ものは良い、とてもな。口にすればわかる』
「うん、あの――すげぇ嬉しいんスけど、でも……」
『ちゃんと味わって食べろよ』
「はい、ええ……」
 でも…どんな顔をすればよいやらわからず、オレは泣きそうに笑った。
 斉木さんは笑うでも嗤うでもなく、かといって真剣さもそこまで強くはなく、ごく普通の、いつも通りの目線でオレを見つめた。
『これが無くなるまでに治せ。治らなかったら承知しないからな』
 オレはいよいよ泣きそうになった。目の奥から熱いものが容赦なく込み上げくる。
 もう、なんでこの人いつもこうなんだろう。いつもこうだ、オレが上げた物を軽く超える愛情を寄越して、こんな風にオレを泣かそう泣かそうとするんだ。
『してない。お前が勝手に乙女モードで遊んでるだけだ。行くぞ、遅刻する』
 オレの脇をすり抜け、斉木さんはさっさと歩き出した。
 遊んでないっスよ斉木さん。
 オレは大きく息を吸い込み、後を追った。

 隣に並ぼうとすると、咳が移るから来るな、だって。
 なんだいあんた、超能力で風邪引かないって言ってたくせに。
『うるさい移る、傍に寄るな』
 頑なにオレを拒んじゃってからに。
 もぉ、赤くなった顔ごまかすの、ほんと下手なんだから。
 オレは泣きそうになりながら笑い、意地でも隣に並んだ。
 ぐいっと顔を覗き込むと、ほら、やっぱり。
 さっき見たイラストの苺よりは淡いけど、明らかに普通じゃない顔色してますよ、斉木さん。
『お前の咳が移ったんだ』
 はいはい、そういう事にしておきます。オレのは、ちょっと咳が出るくらいでいたって平熱、あんなに顔が赤くなってないのに、咳も出てないのに、斉木さんたらおかしいや。
『うるさいぞ』
「はい、すんません」
 オレはあったかいため息を一つ零し、斉木さんに笑いかけた。
 わざとらしく逸らされたけど、ポケットに貰ったアンタの愛情分重くなった鞄が何よりの証拠だから、オレはますます笑顔になった。
 そして斉木さんはますます仏頂面になった。

 貰ったキャンディー、どんな味がするんだろう。
 なんたって斉木さんのお墨付きだからな。ワクワクする。
「ありがと、斉木さん」
 一つずつ、大切に食べますね。
 斉木さんは、頷く間だけオレの方を見て、また顔を背けて、歩き続けた。

 

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