チョコレートファン
ハロウィン
「斉木さん、トリックオアトリート!」 そう迫ると、二枚の板チョコが目の前に取り出された。 日本で一番有名なチョコメーカーの、一番オーソドックスな板チョコ。 チョコレート色の地に金色で文字がプリントされた包装紙、誰でも知ってる、見るだけでチョコのあのコクのある甘い味が思い出されついよだれが出る。 「……?」 『どちらか一枚が雑貨の偽物だ』 イタズラしたいなら偽物を選べと、斉木さんは迫った。 「え、何か違くないっスか?」 『お前がいつも変化球で来るから、僕もそうしたまでだ。いいから選べ。本物だったらイタズラは無し、雑貨だったらひと晩僕を好きにしていい』 「え、え?」 いたずら目的で膨れ上がってた頭は大混乱の末真っ白になり、ただ、ひと晩好きにしていいの言葉だけが響き渡る。 オレは何度も目を瞬いた。 放課後、そのまま斉木さんちにおじゃまして、部屋に通されたところでオレは上記のセリフを口にした。 今回はどんなふうにあしらわれるのかとある程度覚悟はしていたが、斉木さんの言う通り確かに変化球である。 ようやっと流れが飲み込めたオレは、改めて眼前に注目した。 考えようとする端から、いかがわしいアレやコレが浮かんできた。 さ、斉木さんと夜通しあれこれ出来る! イタズラどころかあんなこともこんなことも? 出来ちゃう! さあどっちどっち、どっちだ? オレは目を皿のようにして二枚を見比べ、雑貨を引き当てようと躍起になった。 とはいえどちらも同じに見える。 オレは一枚ずつ手に取り、摘まんだ感触や包装紙の違いなどをじっくり確かめた。 いや、これどっちも本物なんじゃねえの? 二枚とも本物に見えるし、逆にどっちも雑貨っぽい。 一晩中…夜通し……ぐへへ。 考えただけで鼻血が出そうだ。 オレの頭から駄々洩れになる妄想に斉木さんが顔を歪める。 なんだよそんな顔してさ、アンタだってちょっとは期待してるから、こんな勝負持ち掛けたんでしょ。 このオレに。 『そうだ。お前になら許す』 「!…」 マジで鼻血出るからやめて斉木さん! 平常心だと自分に言い聞かせ、とにかく当てるのが先決だとオレは二つを見比べ続けた。 が――ダメだマジダメ、マジわかんない。 ババ抜き方式はどうだ? 片方ずつ引くフリして、相手の目の動きで読み取るとか。 斉木さんてぴくりとも動かないようで結構わかりやすいとこあるから、この方法ならいけそうな気もするんだけど。 『なら、どちらにも驚くフリをしてやろう』 「ですよねー!」 オレは勢いよく答えた。 心の読める超能力者相手に、駆け引きなんて無理っスよね。 超能力者でなくても、そんなのが通用する相手じゃねーし。 もうこうなったら、こうなったら…なんもない! なんも出てこない。 お手上げだ。 はぁ。 オレは諦めきったため息をついた。 斉木さんと一晩中、あれやってこれやってずっぽしいきたかったなぁ。 てか、斉木さん―― 「てか斉木さん、アンタが甘いもののニセモノ買うとか、あるんスね」 思った瞬間にはもう口から転げ落ちていた。 あの、あれ、たまにテレビで見るかっぱ橋の食品サンプルあるじゃん、あれの特集こないだ見たんスよ、どれも美味しそうですごいなーって感心しながら見てたんスけど、スイーツ類見ながら、斉木さんだったら絶対見向きもしないだろうなーだって食べらんないからーなんて思っちゃって、何見ても斉木さん斉木さんでオレってばおかしいなーとか自分で思っちゃいましたよ。 なんて事を頭の中でかき混ぜていると、斉木さんは短いため息の後、二枚の板チョコをオレに渡してきた。 『っち。まさか鳥束ごときにそこをつかれるとは』 肘掛けに頬杖をついて、もう一度ため息をつく。 「え、じゃあ……え?」 『お前の言う通りだよ。お前の勝ちだ』 「え、ほんとっスか……って斉木さん、どっちも本物とかずりぃっスよ」 一瞬喜ぶが、嘘をつかれた事には怒りが湧く。ちょっとだけ。 オレは顔をしかめた。ちょっとだけ。 『思い付いた時には、ちゃんと雑貨も買うつもりでいたぞ』 でも…小遣いが少ないんだから仕方ないだろ。 超能力者の切なるぼやきに、オレはいたく同情した。 「そっスよね…一円だって、無駄には出来ないですよね」 慰め役に回る。 『どっちも本物だが、ちゃんとニセモノとした方にはカタカナでそう刻んでるぞ』 だから、あらためて選べと二枚を突き付けられ、オレはヤケッパチで右手にある方を指差した。 『へえ、さすが寺生まれといったところか』 斉木さんは躊躇せずオレが選んだ方の銀紙を剥がし、裏面に刻んだアタリの文字をオレに見せてきた。 板チョコの大きさ一杯に渡るアタリの三文字に、オレは、もしかしたら斉木さんがおまけしてくれたんじゃ、とふと思った。 『そこまでお前に甘くない』 斉木さんは鼻の頭にしわを寄せ、見るからに憎たらしい顔をしてみせた。 「そうっスか? アンタがとても優しくて甘い人だって、オレもう知ってますよ」 だからそんな顔しないで。 「ほら、チョコ食べて落ち着いて」 斉木さんの手を掴み、チョコを食べさせる。 口元にやってきたチョコに一瞬抵抗するも、甘い香りには勝てないと、斉木さんは素直に口を開けた。 一瞬、眼鏡の奥の瞳が、柔らかく溶けるのを見た。 チョコの効果は絶大だ。 微笑ましく見つめるオレの前で、斉木さんはぱくりと板チョコの角っこに噛み付いた。超能力者は歯並びも綺麗ね。くっきり残る痕に、オレはなんでか欲情した。 どこに? どれに? ああもう、オレってやつはなんだってこうなんだ。 前屈みになるオレにじろりと目線を寄越し、斉木さんはわずかに目を狭めた。 すんませんねえ、ええ、オレは常にやりたい盛りなんスよ。 『まあ、チョコを食べて落ち着け』 反対側の角っこが差し出される。 「いやぁ…余計興奮しそうで」 斉木さん、チョコって媚薬でもあるんスよ、アンタなら知ってますよね。 眉唾かもしんないっスけど、本当の部分だってあるとオレは思ってます。 『なら、余計食べとけ。一晩中だろ』 そんな挑発と共にチョコが唇に押し付けられる。 斉木さんは妖しく笑っていた。 楽しげな目元がオレを釘付けにする。 チョコの甘い、独特の香りが鼻から身体の中に入っていく。 オレは暗示にかけられたように口を開き、斉木さん同様にかじりついた。 確か…チョコの効果は、恋人同士がキスするよりずっと強いのだとか。 それ関連の文献は目敏く読んでたから、頭に残っている。 思い返していると、斉木さんに胸ぐらを掴まれ引っ張られた。 『なら、チョコを食べながらキスしたら、どうなるだろうな』 問いかけながら考える暇も与えず唇が重ねられる。 ああ斉木さん、マジで鼻血出そうっス! 今夜は寝かせませんから覚悟して下さいね。 舌の上でとろけるチョコを舐め取りながら、オレはごく間近の瞳に強い目線をぶつけた。 『こっちのセリフだ。お前こそ覚悟しろ』 斉木さんの目が笑いに緩んで、オレを虜にする。 ほんとにもう…アンタには敵わないよ。 斉木さんが再びチョコをかじる。 オレはそれ目がけて舌を伸ばし奪い取る。 奪い返しに来る斉木さんの舌に口の中を蹂躙され、オレの興奮はいや増す。 今度はオレがチョコをかじる番。 お互いの口の中を行き来して溶けていくチョコを、二人で楽しむ。 チョコレートがなくなるまで、オレたちは戯れを繰り返した。 実際に身体を繋げる前からそうやって疑似的なセックスを楽しみ、チョコが尽きた後は、残ったお互いの身体を舐め合う。 こうして一晩中は始まった。 |