チョコレートファン
28℃
――帰ったらお前、水責めにしてやるからな ――その後刺激物で。お前の口と胃の中を焼き尽くしてやるよ 学校を出る前、斉木さんに予告されたことだ。 それを聞きオレはひええと震え上がったが、水責めとは水風呂の事で、ほてった身体をクールダウンさせる為のもの、刺激物云々は、適度な発汗を促す為の香辛料の事だった。 水風呂で身体を鎮めた後、カレーライスを食わせてやる、というものだった。 薄々わかってはいたが、でも斉木さんてばなかなか真に迫ってたから、もしかしたら…が過ってしまうのだ。 オレは、任された後片付けの最中、つらつらとそんな事を考えていた。 ほんともー斉木さんには敵わないっス。 オレの気持ちをあんなに自在に振り回すなんて、とんだ恋人だ。 世界最強、生物の頂点、魔王…の癖にして、人間臭くて愛情深くて、もうたまんねーわ。 気付くと顔がにやにやたるんでいた。 そして気付くと、いつの間にか斉木さんがオレの横に立ち、じっと横顔を見ていた。 「!…」 オレは大げさに肩を弾ませた。 斉木さんの片手は冷蔵庫の扉にかかっていて、コーヒーゼリーを取る為に来たのだとわかった。 その際、バカな事考えてるオレがどんだけバカ面してるかを確かめる為、ついでに横顔を凝視したのだ。 斉木さんは、オレの顔をチラチラ見ながら冷蔵庫を開け、チラチラ見ながら手探りでコーヒーゼリーを取り出し、チラチラ見ながら扉を閉めた。 なによ、なんか言ってよ斉木さん! そんなに何回も見ないで下さいよ! かーっと熱くなった顔が恥ずかしいったらない。 斉木さん、何見てるのかなあ、何考えてるのかなあ。 斉木さんは離れ際、はぁっとため息とともにやれやれと顔を左右した。 なんなのよー。 オレは去っていく背中をしばし見送った。じわっと涙が滲んだ。 言いたい事があるならはっきり言ってよ。 いつもは遠慮なしにズバズバ斬り捨てるのに、こういう時だけ無言なんだから。 ぐすんと鼻を啜る。 でも五秒もしない内に、やっぱりオレの顔はだらしなくたるんだ。 だって、今夜は斉木さんと二人きりで過ごすんだもの。 パパさんママさんは泊まりでお出かけだそうで、この家にはオレたち二人だけ。 風呂も済んだ、夕飯も済んだ、後片付けもあとちょっと、そしたらもうあとは寝るだけで、寝るまで斉木さんと二人っきり…何しよう。 ゲームもいいし映画も見たいし、斉木さんの愛読書…スイーツ特集で盛り上がるのも楽しいだろうな、ああ何をしようかな。 |
思い浮かべた事をひと通り楽しんで、その後二人きりでの楽しみも充分満喫して、オレはかろうじて斉木さんにおやすみなさいを告げ吸い込まれるように眠りについた。 何時だったかは、そのだいぶ前から時計を見ていないので覚えてない。 まだ日を越えてないのは確かだった。 とにかくオレは、隣に横たわる斉木さんに腕を回して抱き寄せ、匂いや体温に安心しきって目を閉じた。 それからどれくらい経ったか、誰かに呼ばれたような気がして、オレはふっと目を覚ました。 ぼやっと目を開き、一瞬だけ、ここはどこだっけと曖昧さを味わう。 すぐに思い出し、オレは隣にあるはずの体温を抱き寄せようとした。 けれどどれだけ探ってもオレ一人の寝床に、オレははっと目を見開いた。 いつの間にか、壁際にいたはずの斉木さんの姿が消えていた。 オレは息が止まるほど驚いた。 嘘だろうと半身を起こす。 そう広くないシングルベッドには、やはりオレ一人であった。 最初からオレ一人だったかのように、隣の人物は綺麗さっぱりなくなっていた。 え……えぇ? オレは混乱してきょろきょろと辺りを見回した。 段々と暗闇にも目が慣れてきたので、思い切ってベッドから出る事にした。 その時、たったひと言だけテレパシーが飛んできた。 下、と。 オレはそれを頼りに、部屋を出て階段を下り、手探りで進んでリビングのドアを開けた。 リビングの向こうにある和室の部屋から、明かりが漏れ出ているのが見えた。 オレはホッとして和室に急いだ。 そろそろとふすまを開けると、果たしてそこに斉木さんはいた。 テレビの前に陣取り、きちっと正座の姿勢でいる。 「ど、どしたんスか斉木さん、こんな夜中に」 夜中らしく小声で問いかけるが、斉木さんはきりっと背筋を伸ばしたままぴくりとも動かず、オレには見向きもしない。 ただ指だけで、お前も見ろとテレビを示した。 「んん? 何スか?」 オレはふすまを閉め、斉木さんの隣に座った。 お洒落な内装のこれは、どこかのカフェかな。 このナレーションの感じ、こりゃ何かの紹介番組ですねえ。 画面に映る物一つひとつから推測していると、夏のチョコレートフェスティバル開催中、という言葉と共に、画面いっぱいに綺麗な彩のパフェが出てきた。 それでオレはやっと理解した。 これ、斉木さんが毎度楽しみにしてる深夜番組だ、スイーツ専門で紹介してるっていう、あれだと、ようやくわかった。 「当たりっスか?」 問いかけるが、斉木さんは画面に釘付けでうんともすんとも答えない。 ちょっとムッとなって、横顔を睨み付ける。 オレそっちのけでテレビに夢中とか、なんだい。 ぷくっと頬が膨らむが、まるでヒーローものに夢中になる子供よろしくキラキラと無邪気な目をされては、怒るに怒れない。 願わくばオレにその目を向けてほしいとかあるけど、好きな人が心から楽しんでいる様を目に出来る、こんなに幸せな事ってない。 オレは笑いながらため息を一つついて、改めて番組に注目した。 斉木さんが、起こしてまでオレにこれを見せる意味を考える。 まあ、悩むまでもないけれど。 答えはすぐにわかったけど。 『六月七月八月だ、いいな鳥束』 とても早口のテレパシーに、オレは小さく肩を震わせた。 オレもちゃんと説明聞きましたよ斉木さん、その夏チョコの何とかイベント、三ヶ月やってて、月替わりでメニューが楽しめるんですよね。 で、オレを叩き起こしてこれを見せたわけは、オレにそれ付き合え奢れって意味なんですよね。 『さすが鳥束だな』 もぉアンタ、こういう時だけそんな張り切った声出しちゃってからに。 そんな持ち上げたってね、オレは…ええ、喜んでお供しますよ、ご馳走させていただきます。 オレはとことん易い男だから、ちょっとの事ですぐ舞い上がって、アンタを喜ばせちゃうんですよ。 「じゃあまず六月からっスね。いつ行きますか」 『お前がいい時、いつでもだ』 毎日だっていいぞ、って…斉木さん、そんなルンルン弾まないで下さいよ、オレ、調子に乗ってほんとに毎日行っちゃいそうです。 『だから、いいぞ、鳥束』 目は画面に釘付けのまま、斉木さんは軽やかに跳ねるように云った。 「あー…もうわかりましたよ、じゃあまずは明日ね!」 小声でそう告げると、斉木さんは小さくガッツポーズした。 一部の人から「深夜にスイーツ番組なんてふざけんじゃねぇ」と苦情が殺到するのも納得だよ。 ほんと、罪作りな番組だ。 |