チョコレートファン

バレンタインデー

 

 

 

 

 

 鳥束を伴って、某デパートの催事場にやってきた。

 季節は、一年で最も寒いとされる頃。
 しかし女性たちのハートは、とある日を目指し燃え上がっていく。
 意中のあの人へはもちろん、付き合いのある人らへ、親愛なる友人へ、もしくは親兄弟へ、自分自身へ…日ごろの感謝を込めてチョコレートを贈ろうと、寒さをものともせずチョコレートを求める。
 僕もその中の一人となってチョコレートを求めた。
 買う為ではなく買わせる為だ。その為の鳥束だ。
 催眠で鳥束が女性に見えるように細工して、自分も女体化をして、女性たちでごった返す売り場に乗り込んだのは、僕好みのチョコを買わせるのが目的だ。

 周り中どこを見ても女性ばかりという光景に、思った通り奴は鼻の下を伸ばした。
 すかさず、でも全員彼氏持ちだと伝えると、やっぱりねとちょっと切なそうな顔に切り替わった。
 しかしすぐに持ち直したのは、隣に僕がいるからだ。
 女体化した姿で目を潤し、調子付くものだから、いつもより三倍ほど冷たくテレパシーをぶつけてやるが、鳥束は堪えない。どころかむしろ喜んだ。
『気持ち悪いな、これだから変態は。お前、そういうアレだったのか、今後の付き合い考えようかな』
「ひどっ、ひどいっスよ斉木さん」
 声はしっかり嘆いているのに、顔はニヤニヤ緩んでたるんでいる。
 数秒後に皮膚が透けていくらかマシになるが、目に焼き付いただらしない表情にはうんざりする。
『いやだって、お前気持ち悪いだろ、冷たい対応されて喜ぶとか真正の変態じゃないか』
「違います違います! 中身が斉木さんだなぁって、安心したから喜んだんです!」
 うん…複雑でよくわからん。
 鳥束は難しい顔になり唸った。
「だからね、オレ女の子好きだし、女の斉木さんも大好きですけど、やっぱり男の斉木さんが一番好きだから、それを感じられて嬉しかったんですよ。わかってくれました?」
 なんとしても伝えたいのはわかったが、うん、全然わからん
 人間の心は複雑だな。
 などとわからないなりに、僕もなんとなく、嬉しくなっていた。
 本当に、人間の心は複雑だ。

 そんな事より鳥束、まだまだ試食したいのがあるのでな、どんどん行くぞ。
 僕は売り場を練り歩いた。
 出されている小皿に乗った試食のひと口を求め、あっちの生チョコ、こっちの生チョコと突き進む。
 ああ、どれもこれも、幸せな気分にさせてくれるな。
 ここは天国だろうか。
 ずっとここにいたいくらいだ、いっそここで暮らしたい。
 そうやって一つひとつにとろけていると、隣で鳥束が微笑ましい顔で見てきた。
 頭の中もえらく騒がしい。
 よそ見したり僕を見たりの感想がつぶさに僕に流れ込んできて、ただでさえざわざわ賑やかな売り場の中で、僕だけ三倍増しだ。
 まったく、ここらで一発鳥束をぶん殴れたら少しは気が晴れるのにな。
 ぶん殴るまではいかなくても、こっそり足を踏むのだっていい憂さ晴らしになるが、変身中は力の加減にいつもの何倍も気を遣う。
 チョコで気が緩んでいる今、そんな微調整は難しいしやりたくない。
 そして鳥束をぶん殴る以上に、今はチョコを食べたい。
 という事で鳥束、いつまでもニヤニヤ見てないでお前も食べろ、試食だぞ、

 一つずつしっかり味わって、ようやく求めるチョコレートを見つけた僕は、これを贈れと鳥束に迫った。
 はいはいと快く応じた鳥束だが心の中では、結構高いと密かに泣いていた。
『好きな男にチョコを贈れるんだ、もっと嬉しそうにしろ』
(わかりましたよ。アンタの至福顔が見られるなら、安いもんです……)
 そうだろ、泣くほど嬉しいよな。
 鳥束の受け取った小さな紙袋を、僕はうっとりと見つめた。
 その視線に気付いて、鳥束はまたわあわあと騒ぎ始めた。
 可愛いだのなんだの馬鹿の一つ覚えが、お前は本当に喧しいんだよ。
 いいから試食で口を塞いで…ても、思念は関係なく流れ込んでくるんだったな。
 いかん、チョコレートに頭もとろけてしまったようだ。
 まあとにかく、隣の試食もいっとけ。
『でないとわからないだろ』
(え? 何がっスか?)
 訊いてくるが、僕はあえて無視した。

 さて、鳥束に買わせたし、一番の目的は果たした。
 出来る事なら目良さんを見習って試食に明け暮れたいところだ。
 試食の「試」は「試合」の「試」だと、彼女は言ってたな。
 至極名言だ。
 試食の旅をもう一周くらいしてもいいんじゃないかと、今でもぎりぎり危ういところだが、どうにか理性で引き止める。

 僕は帰り際、催事場の端の方にある売り場で小さな詰め合わせを一つ買い求めた。
「あ、それママさんにでしょ。そのチョコ、」
 当たりでしょと、鳥束は目をきらりと光らせて言ってきた。
 続けて心の中で、そのチョコは自分も美味しいと思ったので、ママさん大喜びだなぁと、のどかな思考を渦巻かせていた。
『なんだ。マザコンだとか言うつもりか?』
「な! そんなんじゃないっス! 違います」
 違うのは聞こえてわかってるから、そう怒るな。
 それとな、母さんへは父さんが贈るから僕の出る幕はないんだ。
 ちょっぴり不機嫌になった鳥束を連れて、僕はデパートを後にした。

 デパートを出てしばらく歩いた先にある公園のトイレで、鳥束に施した細工と女体化を解く事にした。
 変身中は力の加減が難しく、買い物にすら普段の何倍も気を使って、とても疲れた。
 その分チョコレートで補充したが、それでも足りない。
『帰りにパフェでも食べない事には、鳥束、倒れてしまいそうだ』
「はいはい、どこまでもお供するっスよ」
 アンタはそうでないとね、なんて、わかった風な顔をするな鳥束が。
 僕は自分の荷物を鳥束に預け、帰り道で寄れるカフェ目指して歩き出した。

 

 ああ、生き返った。
 鳥束の財布が何やら寂しい事になったらしいが、僕は身も心も満たされた。
 家の前で鳥束と別れる。
「じゃあはい、斉木さん、ママさんへのと、オレからのチョコです」
 鳥束の寄越してくる紙袋の片方を、僕は受け取った。
「斉木さん?」
 もう一方が自分の手に残った事に鳥束は訝った。
 こっちは?
 もう一方を軽く揺らして見やってくる鳥束に、僕は一つ深呼吸をした。
『お前のだ』
 柄にもなく緊張している。出来るだけ平静を装い、じっと鳥束を見つめる。
「あー…? あぁっ、そっスか」
 ゆっくりと理解した鳥束は、ゆっくり、顔をほころばせた。花のつぼみが開く瞬間を見ているようだった。
「なら、斉木さん……もっと嬉しそうにしたらいいのに」
 好きな男にチョコを贈れるんだから、そんな苦虫を噛み潰したような顔するなんて。
 アンタらくて、おかしいや
 うるさいぞ鳥束が。
 幸せだと鳥束は笑いながら涙ぐんだ。
 そうか、僕は穴があったら入りたい気分だよ。
 でもそれでも、同じくらい幸せだ。
 しかし鳥束にこれ以上気取られるのは我慢ならないので、じゃあなと手を振りさっさと家に引っ込む。
 そうやって視線や声を遮断したって、超能力者である僕には、奴の考える事はまさに手に取るようにわかるのだが。
 それで余計、僕の顔は歪んでいく。
 少しでも気を抜くと、嬉しさにどこまでも緩んでいきそうでまいってしまう。
 実はもうなっているかもしれない、しかめっ面をしているつもりだが、もしかしたら、鳥束を喜ばせるような顔をしてしまっているかもしれない。
 くそ、鳥束め。

 顔のほてりが収まるまで、僕はその場から動けなかった。

 

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