テーブルクロス

流しそうめんとコーヒーゼリー

 

 

 

 

 

『お前、見ながら描いてそれなのか』
「……はい」
『違う、そこはもっと長くだ』
「……はい」
『ああ、そこはいい感じだな』
「はい!」
『お前それ、本当にまじめにやってるのか?』
「……はい」
 真面目も真面目、大真面目っスよ。
 オレはべそをかきつつ、必死に右手を動かし続けた。
 左手に持ったスマホで画像を検索して、アサガオのイラストを写しているところだ。
 見ながらその通り描いているのだが、腐ったラッパのようなものが画用紙に描かれていくのを、隣で斉木さんが呆れた顔で眺めていた。
 オレの目玉は、ますます涙で潤んでいった。

 

 夏休み目前の週末、もう気分はひと足先に長期休みに突入していて、そんな浮かれ気分がますます膨らんだのは、斉木さんがうちに遊びに来てくれたからだ。
 最初、オレが斉木さんちにお邪魔する予定でいたが、持ち掛けると、週末は一人で静かに過ごしたいから来てほしくないと思い切り顔を歪められた。
 えぇー…もう何回も遊びに行ってるのに、なんで急にそんな事をと思っていると、お前が来ると、僕の部屋に幽霊がぎっしりなのを思い出すから嫌だという。
 ますます、えぇーである。
 でも、すぐに、斉木さんが来るなと行った理由がわかった。
 珍しく言葉が多いから、わかったのだ。
 斉木さん、つまり、オレを素直に気遣うのが嫌なのだ。
 自分の家に来るまでの間に暑気にあてられ、オレがまた体調を崩したら嫌だから、来るなと言ったのだ。
 コーヒーゼリーを出すなら行ってやらんこともないが、と、渋々のていを装ってオレんちに来たがったのがそのいい証拠だ。
 まったく、斉木さんらしいへたくそな言い訳だ。
 ねえ斉木さん、オレんちだって、オレが幽霊と話せるから結構いるんですよ。でもオレは口にしない。そういう事じゃないからだ。
 暑い中フラフラ出歩くな身体を大事にしろ、心配かけるな、って事なのだ。
 だからオレは、素直でない人のひねくれた愛情をまっすぐ受け止めて、お待ちしてますと答えた。

 

 そして今日、斉木さんはいつもの瞬間移動でオレを驚かし、いい気分のスタートで遊びに来た。

 まもなく夏休み、色々行きたいところが目白押しだ。
 でも、斉木さんはどこにも出たがらない人、出掛けるのは極力避けたい、家でずっと静かに過ごしたい人。
 よくわかっているが、それはそれで少し寂しいだろうと、オレはある提案をした。
 出かけないならこの部屋の中に夏を呼び込もうつまり、夏を連想するものをいっぱい描いて壁一面に飾ろうと持ち掛けた。
 思い付く限り描こうとのオレの言葉に、一旦は渋った斉木さんだが、色鉛筆や画用紙を用意したら、めんどくさいと言いつつ乗っかってくれた。
 オレは陰でそっと拳を握った。

 実は、斉木さんが絵を描くところを見るのは、初めてだ。
 幽霊たちから話は聞いてたけど、これがまたビックリ仰天の腕前。
 聞いた話以上の美麗な作品に、オレは声も出せない。
 早いし綺麗だし、超能力者ってこういうのもすげーんだな、と口を開けっぱなし。

 で、オレの描く番となったのだが、冒頭の通りダメ出しの連続。
 ただでさえ下手くそなのが、斉木さんがすぐ隣にいてあれやこれや口出し…口出し自体はいい、辛辣なのも歯に衣着せぬ物言いなのももう慣れっこだから、ちょびっと涙ぐむくらいで済むけど、すぐ隣にいるってのが心かき乱される。
 斉木さんの体温とか、匂いとか、そういうのが近過ぎて、オレはどぎまぎしっぱなし。
 だものだから、ただでさえダメな絵が更によれよれになってしまう。

 それでもどうにか、部屋中に飾るだけの絵が出来上がった。
 どれも夏を思い起こさせるもの、これぞ夏! って感じのもの。
 下手くそ極まりないオレの落書きと、斉木さんの美しい作品とが混在してある意味カオスだけど、とりあえず部屋の中は夏真っ盛りになった。
『暑苦しいな』
 オレが、描きやすいからとヒマワリばかり描いたからか、その一面を指して斉木さんはほんのり笑った。
「そんな時は、うちわで涼んで下さい」
 うちわの柄は桔梗のつもりだが、歪んだ青色の星にしか見えないこれは、オレ作。うちわ自体の線も、力強いが曲がっていて、あまり風はきそうにないが。
 他には風鈴も描いた。涼を求めたつもりだ。
『良い音が鳴りそうだな』
「そっスか?」
 えへへと照れていると、煩悩の音がしそうだと付け足され、オレは苦笑い。
「斉木さんのかき氷、どれも美味そうっスね」
 イチゴ、レモン、ブルーハワイ、見事に夏色が揃っている。。
 斉木さんは主に夏のスイーツ専門みたくなっている。かき氷の他に、切ったスイカ、ソフトクリーム、アイスキャンディーがある。どれも描いたものとは思えないほどリアルで、オレもさすがに唾が溜まった。
 てか斉木さん、よく見たら食べるものばっかり描いてら。
 スイーツの他にはソーメンも印象的だ。
 ちょっとつゆにつけたのを箸で持ち上げてるところとか、見てるだけで喉が鳴った。

「で、やっぱりコーヒーゼリーもあった」
 シックな色合いの一面には、色んな種類のコーヒーゼリーが写し込まれていた。
 今にも芳醇な香りが漂ってきそうな出来栄えに見入っていると、頬っぺたがじりじり熱くなってきた気がした。
 そちらを見ると、何かを熱望する斉木さんの視線があった。
 これは、これは…これは決して、恋人のキスを望んでのものじゃない。
 この熱烈ぶりでわからないようじゃ、斉木さんの恋人失格だ。
「はいはい、食べたいんスね」
 コーヒーゼリーを。
 返事を聞くまでもない。
 すぐ持ってきますと、オレは駆け足で取りに行った。

 夏限定の、クリームたっぷりコーヒーゼリーが、斉木さんの可愛い口に吸い込まれていく。
 相変わらず、美味そうに食べる人だ。
 オレはすぐ隣で、その様子をじっくり眺めては幸せに浸った。
「そうだ斉木さん、夕飯何にしましょうか」
 尋ねると、斉木さんは無言で画用紙のある一部分を指した。
「ああ、そうめんいいっスね」
『ただのそうめんじゃないぞ鳥束、流しそうめんだ。徹底的にやる』
「えー、……じゃあ、ホームセンターで売ってるあれとか買うんスか?」
「違う。徹底的にやると言ってるだろ。竹を切り出すところからだ」
「えぇー!」
 オレはあんぐりと口を開けた。
「それ、切るの…斉木さんがやってくれる……の?」
『もちろんだ。お前は出来上がりを楽しみに待っていればいい。無事組み上がった暁には、流す大役を任せてやる』
「ん? ええ? それってオレ、食べらんないっスねえ!」
 オレひたすら流すだけ、斉木さんはひたすら食べるだけって、なんて不公平な!
 いよいよ呆れてしまう。
 嘘か真か判別のつかない提案に、オレはすっかり困り果ててしまった。
 この人、たまに妙に凝るからなあ。だから今回も、本当に竹林へ行って竹選びから始めそうだ。
『夏らしい事をしたいお前の希望を叶えてやるんだ、もっと嬉しそうにしろ』
 いやいや、さすがにこれは手放しで喜べないっスわ。
 だって夕飯抜きって事じゃないっスか。
 そりゃあんまりだ。
『ちゃんと箸と麺つゆは渡してやる』
「そうめんも下さい!」
 オレは涙を飛ばした。
『僕の食べっぷりで腹を膨らませろ』
「無茶言うなぁ!」

 オレは片手で顔面を押さえ、大きく息を吐いた。
「斉木さん、外行くの嫌ですよね」
 斉木さんの眉がぴくりと動く。
「竹林なんか行ったら、大嫌いな虫に遭遇しちゃいますよ」
 そいつは…と、斉木さんの顔がいくらか歪む。
「竹林で遭遇しなくても、流しそうめんしてる間にきちゃったら、食べるどこじゃないっスよね」
 オレをからかうのと、快適に過ごすのとを天秤にかけ、どうすべきかと大いに揺れる顔で斉木さんが悩む。
 てか悩むな!
 アンタ、仮にもオレの恋人でしょうが!
 どんだけオレで遊べば気が済むんだ。
「ね、だから、夕飯は家の中でおとなしくそうめん食べましょう」
 やれやれ仕方ない、折れてやるかと、どこかほっとした顔で斉木さんは肩を竦めた。
 まったく、扱いにくいんだか扱いやすいんだか。
 一筋縄でいかぬ斉木さん、大好きですよ。

 

 紆余曲折あったが、夕飯は冷しゃぶサラダそうめんと献立が決まり、作業のほとんどは斉木さんがこなしてくれた。
 お前がやるとそうめんが伸びるからなんて憎まれ口利いてオレを追っ払って、あの人、どんだけひねくれ語録持ってるやら。
 どんだけ、愛情深いやら。
 でも任せっぱなしは心苦しいので隣についたが、やる事は何もなかった。
 なかったけど、離れたところに一人ぽつんといるのは寂しいので、何もなくても斉木さんと肩を並べて、出来上がりをワクワクして待った。
 おっといけない、部屋を片付けないとな。
 オレはすぐに飛んでって、散らばる色鉛筆や画用紙をせっせと元の場所にしまった。
 そうそう、それからもう一つ。
 オレは押し入れからあるものを取り出し、テーブルにセットした。
 ああ…いいな。
 買った際、サイズを確かめる為一度セットした事があるが、その時は「ああよし、測って行ったからサイズぴったりだ」くらいしか思わなかったが、夏一色に染まった部屋の中にセットすると、たちまち何倍にも良く見えた。
(これ、斉木さんびっくりするかな)
(喜び…はしないかな)
(また、お前は本当に残念だとか言われっかな)
 あの人の事だから言うだろうなと笑いながら想像していると、出来上がったから取りに来いとテレパシーが届いた。
「はいっスー」
 オレは台所にいる斉木さんに向けて声を張り、すぐに向かった。

 オレの後に続いて部屋に入った斉木さんは、テーブルにセットされた南国の海のような色のテーブルクロスに、じっと視線を注いだ。
 一つのマス目が大きい格子柄で、青い海、青い空の色合いの線が縦横に走っている。
「えーとこれ、斉木さんちのテーブルクロスがあんまりお洒落だったんで、オレも真似てみたんスよ」
 オレは説明しながら、特にこれといった感情も見当たらない斉木さんの顔から何とか読み取ろうと、目を凝らした。
 斉木さんはしばらくテーブルクロスを眺めた後、部屋を見回した。
 それから、軽く肩を竦め、何も言わないままテーブルに着いた。
 ああ、悪くなかった、つまり良かったのだなとわかり、オレはほっと息をついた。
『呆れただけだ』
 勘違いするなと、斉木さんは念を押してきた。
「へへ、はい、そっスね」
 今更のようにつんけんしたって無駄ですよ斉木さん、オレ、もう、読み取っちゃいましたから。
 嬉しさに顔をたるませていると、じろりとおっかない目がオレを見てきた。
 怖いし震え上がるほどだけど、同時に愛情もたっぷり感じられて、オレは竦み上がりながらも喜んだ。

 あっという間に完成したそうめんをテーブルに並べ、夏の風物詩に囲まれてオレたちは手を合わせた。
 ――いただきます。
 斉木さん、いただきます。
 オレは心から感謝して頭を下げた。

 壁一杯に貼られた夏の味覚、夏の風景を眺めながらオレたちは、せめて一回くらいは遠出しようと、一緒に計画を立てた。

 

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