テーブルクロス
いただきます
斉木さんちのダイニングテーブルは、本来なら六人で使用出来る大きめのものだ。 現在それを、パパさんママさん斉木さんの三人で使っている。 三人でゆったりと食卓を囲って、毎日毎食、食事を楽しんでいる。 |
さて斉木さんちは、夫婦仲がとても良い。まあうちも悪くない方だけど、斉木さんちのように、細かく記念日ごとにどっか出掛けたりってまではない。その辺は、言っては何だがあの二人は特別だと思う。とても良い事だと思ってる、でも、すごい。 そしてそんな時、斉木さんは一人で食事をする。 あの、広いテーブルに一人で、静かな食事時を過ごすのだそうだ。 それについて斉木さんは、二人のうるさい思考を聞かなくて済むので気が楽だという。 そいつは本音だと思う。 あれだけママさん大好き、パパさん大好きの二人だから、心の中もさぞ相手への愛情で溢れ返ってる事だろう。 それらを、いくら子供の頃から聞かされて聞きなれてるといったって、思考の奔流はさぞすごいものだろう。 たまには一人静かに、食事をとりたいものだろう。 でも、いつもあるうるさいのがないのって、それはそれで寂しいだろうなとも思う。 だって斉木さんち、別に家族仲が悪い訳じゃあないんだもの。 だから、近々とある記念日のお出かけディナーで二人が出掛けるって聞いた時、オレはすかさず申し出た。じゃあオレ賑やかしに行きましょうか、と。 斉木さんは特に表情を変える事もなく…迷惑そうにするでもなく、嬉しそうにするでもなく、お前がしたいならそうしろと、ぞんざいに返答した。 あ、やっぱり、ちょっと寂しいんだなって感じた。 だって本当に一人静かに過ごしたいなら、即座に断るはずだもの。 斉木さんは絶対認めないけどね、そんなの。 わかっているから、あの人のプライドを尊重して、オレが無理にお邪魔するって体を取る。 だから斉木さんは安心して、やれやれ一人で静かに過ごしたいのに、鳥束が無理やりって態度を取ってね。 さて、何が食べたいですか、斉木さん。 何となく答えの予測がつく問いを、オレは口にした。 『カップラーメン』 何でもいいと返ってくるのだろうなと思っていただけに、喉で呼吸が逆上がりした。 「オレの料理、そんなに食べたくないんスか斉木さん」 『たまに食べたくなるものを口にしただけだ。いちいちめんどくさい奴だな』 斉木さんは少し慌てた様子で、ふんとそっぽを向いた。 めんどくさくてすいませんねえ。オレもたまにはマジに取っちゃって、涙ぐんだりもしますよ、ええ。 『……お前の味は、嫌いじゃない』 じっと横顔を見つめていると、斉木さんは渋々とって感じに告げてきた。 それでオレは一転してぱあーっと明るい気分になる。オレってほんと、斉木さんによく調教されてるね、はは。 でも本当にいい気分になったから、どんなリクエストでも、腕によりをかけて作るっスよ。 『お前に任せる』 「ええと、じゃあ肉と魚だったら?」 斉木さんは数秒考え、魚と答えた。そこで少し伺うような目線になったので、お任せくださいと安心させるように笑った。 そりゃやたらに手の込んだものは無理だけど、美味しくて簡単な魚料理、いくつか知ってるんでね、心配ご無用っス。 「なんたって寺生まれっスからね」 斉木さんは、ホッとする代わりに呆れ顔をしてみせた。 面倒ごとを押し付けたか心配になったんスね、大丈夫ですって斉木さん。 別に、なんてわざと唇をひん曲げたりして、本当に優しい人だねアンタって。 そういう人だからオレも、とことん尽くしたくなるんだよね。 |
春の魚、調理のしやすいものと探して、オレは献立を組んだ。 当日はその事で朝から頭が一杯で、朝のおはようの時点で斉木さんに全部どっと流れ込んだけど、斉木さんは満更でもないって顔になってオレを見てきた。 『シンプルに塩焼きか。悪くないな』 「でしょ! それに味噌汁と、あとちょっと和え物足す予定っス」 斉木さん、味噌汁の具は何でもいける方ですよね。 『あんまり変わり種でなければ、好き嫌いはないぞ』 でしたね。こっちも春のもの揃えるつもりですんで、楽しみにしてて下さい。 ある程度は絞り込んでいるが、今日の帰り、スーパーに寄った具合で決めようと思っている。 あともう一品何か加えるかな、どうしようかな。オレは頭の中であれこれ思い浮かべながら歩き続けた。 『お前、その熱心さをもっと勉強に向けたらな』 「えー、あー、オレは勉強と運動と男が、どーにもねえ」 へへと笑いながら、オレは顔の前で手を振った。言ってからはっとなり、男だけど斉木さんは特別ですからね…慌てて付け足す。 『うるさい、そういうのはいいから』 「へーい。でも大事なことっスから」 『大事でなかったらはっ倒すところだ』 思いがけない返答に、オレはうっと息を詰めた。 もう、もうもう斉木さん! 朝からオレを興奮させないで下さいよ! 『いい加減にしろ変態クズ』 えー、もおー! でもそんなところも好き! ますます鼻息が荒くなる。 そんなオレから逃げるように、斉木さんはものすげえ早足になって行ってしまった。 オレが気持ち悪いからなのと、照れ隠しと、身の危険を感じたのと、理由は色々だ。 オレも負けじと速度を上げ、待って下さいよと駆けた。 その日の授業はそんなわけで午前も午後もいつも以上に身が入らず、しかしいつも以上に授業態度はびしっとしていた。 考えている内容は全く別だが、姿勢だけは誰よりも正しく、顔も多分きりりと引き締まっていた事だろう。 内容は言うまでもなく、今夜、斉木さんに振舞う料理についてだ。 メインは決まった、味噌汁の具も和え物もあともう一品も、最後の授業の終わりまでに、綺麗に出来上がった。 ので、オレは上機嫌で教室を後にした。 「斉木さーん、帰りましょー」 戸口に立って、オレは尻尾の代わりに手を振る。即座に右の頬を殴られた。実際の拳でではなく、超能力で。だから端から見たら、オレは一人で勝手にもんどりうって倒れた変な奴だ。 い…ってぇ。 うずくまり、じわっと滲む涙を堪えるオレの脇を、斉木さんが邪魔くさそうにすり抜ける。 通り過ぎながら斉木さんは、目立つのが嫌いだと、いつになったら覚えるのか…そんな文句を含めた冷ややかな視線でオレを見やった。 すんません、頭にはあるんですけど、ちゃんと刻み込んではいるんですけど、アンタの顔を見るとはしゃいじゃうんですよ。 背中越しに、はぁっとため息が聞こえた。 『次から気を付けろ』 帰るぞと、オレを見るほどには振り返らないけれど、少しだけ曲げた首で斉木さんが呼ぶ。 はいっス! オレはぱっと立ち上がり、駆け足で隣に並んだ。 学校帰りに買い物して、斉木さんちにお邪魔したオレは、早速キッチンに向かった。 お借りしますと心の中でママさんに断りを入れ、作業に取り掛かる。 鰆の塩焼き、キャベツと絹さやの味噌汁、あとはちょこちょこ。 まずは下準備からだ。 『座ってやったらどうだ』 「斉木さんもこれ、一緒にやってくれます?」 流しの前に立って、黙々と絹さやの筋取りをしていると、斉木さんから声をかけられた。ので、オレはぱっと顔を輝かせて振り返った。 斉木さんはダイニングテーブルからじっとオレを伺うように見ると、冷蔵庫に視線を移した。 『やったら、コーヒーゼリー食べていいか?』 「もー、ごはん前はダメだって、いつも言ってるじゃないっスか」 斉木さんてば、あの手この手でコーヒーゼリー食べようとするんだから。 オレは流しに向き直った。 ダメって、いつになったら覚えるんスか。 『なんだ、さっきの意趣返しか』 「え、あー…そうじゃないっスけど」 その意図はなかったと、オレは、学校でのやり取りを思い出して苦笑いを零す。 と、見えない手に襟首を引っ張られ、オレは軽くよろけた。 『まあいいから座れ』 「わ、わっ」 とんとんと後ろにけんけんする。オレと一緒に、絹さやを入れたボウルもついてきた。 ひとりでに動いた椅子に、オレは着席する。その目の前に、ひとりでにボウルが置かれた。 真向いには、斉木さん。 「いっスか、ここで。なんか、テーブルクロス汚しそうで」 オレは、新品同様の綺麗なテーブルクロスに視線を注いだ。 とても春らしい色合いのそれは、水色とグリーンのうねりで彩られ、触るのもためらわれる綺麗さだ。 『新品同様じゃない、新品そのものだ。毎日復元しているからな』 僕が忘れない限り、常に使って一日目だ。 オレは目をむいた。 じゃあ、こんな水で濡れたボウルなんて置いたら、マズイじゃないっスか。 『復元するから平気だと言ってる』 「あ…あ、ああ」 ああ超能力者のいるお宅…素晴らしいね。 「でも、極力綺麗に使いますね」 オレは姿勢を正した。 次の絹さやを手に取る。それが、ふわりとオレの手から離れ、まるで使用前使用後のような切り替わりで、筋が取られた状態になった。 斉木さんの超能力だ。 「あ、ダメっス!」 オレは慌てて両手でボウルに蓋をした。 『鳥束』 斉木さんは無駄だと云うように不敵に笑い、オレの名前を呼んできた。 「………」 『鳥束』 「……何スか」 オレは、仕方ないと大きくため息を吐いた。 手で蓋をしたボウルの中で何が起こったか、斉木さんがどういうつもりでオレを呼んでいるか、わかっていた。 『なあ、鳥束』 降参だと、両手を膝に置く。案の定ボウルの中は、綺麗に処理がされていた。筋と実と綺麗により分けられたボウルに、オレは思わず笑う。 「もぉ……しょうがないっスねえ」 オレは立ち上がり、冷蔵庫に向かった。中からコーヒーゼリーを一つ取り出し、斉木さんに手渡す。 目の前に置かれたそれに、斉木さんはゆっくりと微笑んだ。 オレはその顔にとことん弱い。 『お前ほど手強い奴はいないぞ』 「へー、調子いい事言っちゃって」 『本当だぞ。どうでもいい相手だったら好きに分捕るだけだが、でもそうは出来ないから、どうやってコーヒーゼリーを許してもらおうか、いつも頭を捻ってる。僕にこんな事をさせるなんて、お前は本当に手強いよ』 「っ……へえ」 オレは少し喉を詰まらせた。 どういうわけか涙が滲む。瞬きで追い払いながら、オレはしばらくの間斉木さんを見つめ続けた。 斉木さんのうっとりモニュ顔でより元気になったオレは、張り切って夕餉を作り、テーブルに並べた。 「はい、お待たせっス」 どうですどうですと、オレは内心に秘めて、斉木さんの真向いに着席した。 派手さはないけど、ごはんと味噌汁と焼き魚と…日本人だったら、思わずよだれが出ちゃう献立だとちょっと自信がある。 世界を滅ぼす魔王みたいな超能力者だってきっと、喜ぶはず。 ――いただきます それでもオレは不安いっぱいで、しばらく動けなかった。 斉木さんの動向が気になって、箸を持つのもままならない。 そんな不安は、斉木さんが一口食べたところで綺麗さっぱり吹き飛んだ。 口には出さない人だけど、目は口程に物を言うとはまさにこの事だと、実感する。 味噌汁をひと口啜った後の、柔らかな表情とほっともれたため息で、オレは天にも昇る気分になった。 えへへ、うふふ。 幸せの余り頭の中がバラ色に染まる。 オレは飛び跳ねたいのをぐっと堪え、箸を取った。 六人掛けのテーブルに二人きりはやはりちょっと寂しいけど、オレは賑やかしの役割を果たすべく、余った空間を埋める勢いで言葉を紡ぎ続けた。 斉木さんはオレの言葉にはほとんど無視を決め込んだけど、オレの料理にはそうはいかないようだった。 オレはそれを見つける度、心が熱くなるのを感じた。 嬉しい、楽しくてすごく幸せ。 そうやって数えきれないほどの熱を感じ取っていると、ある時斉木さんがひと息吐き出した。 『本当に、お前ほど手強い相手はいないよ』 呆れたって顔をした後、やれやれといつもの顔で斉木さんが笑う。 「え、なになに、なんスか」 オレなんかそんな、降参だって斉木さんに思わせる何か、喋った? オレの思い付くものなんて、斉木さんもご存じの通り全然大したものじゃなくて、まあでも斉木さんへの愛情は誰にも引けを取らないと思ってますんで、そこは自信ありますけど、斉木さんを負かすような頭のいい発言なんて一個もしてないつもりですけど? 『ああ、ほぼ全部頭悪いぞ』 「うん……そっスよね」 ですよね、わかってますから! じゃあ、一体何が斉木さんを唸らせたんだろ。 『わからないならいい。そのままでいい』 「えー……うん、そっスか?」 なんとも釈然としないが、まだまだ喋り足りないオレは気を取り直し、頭に控えるネタを順繰りに出していった。 もう、斉木さん、聞こえない振りしてほとんど無視する癖に、一体オレの何が手強いんですか。 別の事考えてるのか、穏やかな顔しちゃってからに。 それでもオレを惹きつけてやまないんだから、アンタの方がよっぽどだよ。 |