並んで一緒に
以前書いたお月見シリーズ夏編の続きです。
二人の過去を捏造していますのでご注意を。

昔話とコーヒーゼリー

 

 

 

 

 

 ――ごちそうさまでした、大変美味しゅうございました。

 

 オレはきちっと手を合わせ、静かに頭を下げた。
 足りたかとの斉木さんの問いに、オレは充分過ぎるほどだと笑顔で返した。
 斉木さんのアレンジ肉うどんだけじゃなく、食後のデザートにコーヒーゼリーまで頂いちゃって、ホラもう見て、お腹ぱんぱんです。
 この三個パックのコーヒーゼリー、オレが買ったものだけどさ、その時はアンタの腹に全部収まるもんだと思ってたんスよ。
 食事前に一個、食後のデザートに一個、夕飯後のくつろぎタイムに一個、コーヒーゼリーを食べるもんだと思ってた。
 オレと一緒に食べるだなんて思ってもなかったから、ちょっとどこじゃなく涙が出そうだ。
『じゃ、後は頼む』
 後片付けしとけと、斉木さんはぞんざいに流しを指差した。
 もちろんもちろん、こんなにご馳走になってお返しが後片付けでいいなんて、申し訳なく思ってしまう。
 オレは足取りも軽く取り掛かった。
『洗ったら、カゴに置いとけ。しまうのは僕がやる』
「了解っス」
 張り切って腕をまくる。

 洗い物を済ませ、周りを綺麗にして、最後にもう一度見回し、オレはキッチンの灯りを消して二階の斉木さんの部屋に向かった。
「斉木さん、言われた通り器置いときました」
『ご苦労』
 斉木さんはベッドに寄りかかる形で床に座り、何やら小説本を読んでいた。ちらっとだけオレに顔を向けてすぐに紙面に顔を戻した。
 オレは、そのちらっとの仕草がたまらなく可愛く思えてならず、隣に座り、したいと思うまま肩を寄せた。
『暑苦しい、なんだ』
 離れろと斉木さんが身体を揺する。
 オレはめげずに身体をくっつけた。
「ええー、冷房効いてるし」
『お前の態度が暑苦しい』
 そんな邪険にしないで斉木さん、オレ今、アンタの優しさが嬉しくてはちきれそうなんスよ。
 アンタお手製の肉うどん、ほんっと美味しかったんスから
 それに対して斉木さんは、とんだ勘違いだ、面倒が嫌だからやったに過ぎないなんて、どうにかしてオレを挫こう挫こうとしてきた。
 そうされればされるほど嬉し涙がこみ上げてくる。
 オレは口をへの字にして一生懸命に堪えた。

「オレ、転校してきてホント良かったっス」
 色んな理由がある、どれも良い事で、その中で一番の良い事はもちろん斉木さんに会えた事。
 斉木さんの存在を教えてくれたじいちゃんもそうだし、こっちに古い知り合いいた親父もそうだし、ここに寺構えた和尚もよくやった!
『よくやったじゃない。体よく追い出されただけだろ』
「あー……まあ、その辺はいいじゃないっスか」
 オレはへらへらと笑ってごまかした。
 斉木さんの言う通り、オレは親から、もうお前の面倒は見切れんと家をおんだされた。
 追い出されたし自分からも出てってやるよと売り言葉に買い言葉を交わしたが、申し訳ないなあと思う気持ちはあるし、向こうも、本当にオレを見放しての事じゃないので、そこに関してはそう悲壮感はない。
 斉木さんもその辺りはオレの思考から読み取っているから、特に気負わずつついてくるのだし。
 そう、そこまでドロドロした親子関係じゃないので、こんな風に軽い口を利けるのだ。

 まあとにかく、転校してきて本当に良かった。
『僕は最悪だ。別の所に転校すればよかった』
「……え?」
 斉木さん、今なんつった?
 転校したっつった?
『ああ。僕も転校してきた口だ』
「……えー、そうだったんスか? 初耳っス!」
 他の連中は知ってるんスか?
 燃堂とかチワワ君とかには、言ってるの?
『言ってないし、どちらも知らない。時期は一年の三学期で、その時は二人とも別のクラスだったからな』
「ふーん……」
『自分から言うのはお前が初めてだ。これまで三回、転校を繰り返している』
「ああ……そっスか」
 三回も転校とか…これ、もっと色々突っ込んで聞いてもいいのかな。
 知りたいけど、そこに触れていいのかな。
 斉木さんだからきっと、超能力絡みだろうな。
 オレはいじめがあったんだけど。
 つってもそれは直接の理由じゃないけど。
 いじめはまあ昔からあったし。
 小学校、中学校、前の高校でも。もはやあるのが当たり前みたく思ってるから、今無いのは何か不思議な感じもする。
 まあ、無いに越した事ないよな。
 ほんと嫌なもんだし。

 自分の過去を思い返す事で続いてしまった沈黙に気まずさを覚えていると、そうだなと斉木さんはぽつりともらした。
「……あ、何がっスか?」
『いじめだ』
「そうっスね……って、えー!」
 超能力者をいじめる?
 なんて命知らずな!
 思わず目を丸くしたオレを、バカな事を言うと斉木さんが鼻を鳴らす。
 ごめんなさいと、オレは即座に謝った。
「あの……三回とも、そのう…いじめが原因なんスか?」
 斉木さんはごく小さく頷き。いずれも、自分が受けた訳じゃないと付け足す。
 当時を見るように、斉木さんは少しばかり視線を落とした。
 聞きたいって気持ちと、聞くのが怖いって気持ちとがないまぜになる。
『嫌ならやめとく。気分の良いものじゃないしな』
 斉木さんの指が、オレの眉間にある小さな傷に触れた。
 その行為にオレはむっとなった。不機嫌もあらわに斉木さんの手を掴む。
「アンタはオレの知ったのに、自分のだけ隠すなんてずるくねっスか」
 そう口にした後、言いたくないのにわざわざ掘り返す必要もないよなと、思い直す。
「すんません……」
 勢い任せの発言を恥じて、オレは顔を伏せた。
「でも…斉木さんだけ気分悪いのって不公平だから、オレにも分けて下さいよ」
『何を言ってるんだ、お前』
 自分でも、何を言いたいのかよくわかっていない。
 ただ、同じものを持ちたいと思ったのだ。とても強く。
 斉木さんの目がオレにじっと注がれる。分けてほしいと思ったのは嘘じゃないから、オレもまっすぐ見つめ返す。

 しばらくして、斉木さんは短いため息をついた。
『しょうがない、知りたがりのどんくさいお前に免じて、分けてやるよ』
「ちょ……どんくさいて、それはないっスよぉ」
 ひどい言葉だが、それは自分自身が思った言葉でもあった。
 眉間に残った傷はいじめとは直接関係ないもので、隠された上履きを発見しいじめっ子らに見せつけて堂々と廊下を歩いている際に、調子に乗り過ぎて滑って転んだのが原因だ。
 そう、どんくさい自分が理由で出来た傷だった。

 

 それは中学生の頃の話。
 朝、登校すると、もはや毎朝の事となってる上履き隠しがその日もあった。
 でも、自分には幽霊って心強い味方がいるのだ、いつも励ましてくれる彼らが、その日も、どこそこに持ってかれたの見たよと教えてくれたので、困る事なくスムーズに見つけられた。
 小学校の頃はめそめそする事も多かったが、中学に上がってからは随分開き直り、馬鹿な連中だと鼻を鳴らすくらいの負けん気はあったので、オレは見つけた上履きを連中に見せつけながら、少しふんぞり返って廊下を歩いた。
 そうやって調子に乗ったのがまずかった。
 滑って転んで、床のタイルに額をしたたかに打ち付ける羽目になった。
 瞬間、目から火花が飛び散ったのを、今でも鮮明に覚えている。
 出来た傷はごく小さくて出血もちょっとで、しかし痕はしっかり残ってしまった。
 今じゃほとんど目立たないのが幸いだ。
 バンダナをしているのは全然別の理由なんだけど。
 現に、これまで何度か寝坊でし忘れ登校してきているが、誰かに聞かれた事もないし、目線がそこに向かった事もない。
 それくらいささやかな傷で、気付いたのは斉木さんが初めてではないだろうか。

 

 まあとにかく、いくら自分でオレどんくさいなぁと思ったとはいえ、そこをズバッと切り込んで来るとは、さすが斉木さんだ。
 オレが変にいじけてしまわないよう、斉木さんなりに気を使っての事とわかっているから、ちっとも堪えることはないのだが――ないのだが、恥ずかしい。
 そして、傷とは違うが、何かがオレの心にくっきりと刻み込まれた。
 痛くはないから嫌な気持ちはしないがやたらに熱くてドキドキして、初めて味わう感覚にオレは戸惑う。
「もぉ…はい、じゃあ斉木さんの番」
『ああ、とはいえ、よくある話だ』
 そう前置きして語られた過去は、とことん胸糞悪い、怒りの余り目の前がチカチカするほどありきたりないじめの話。
 斉木さんは見て見ぬふりが出来ず、ほとんど接点などなかった単なるクラスメイトだとてどうにかしたくて、感情を爆発させるがごとく超能力を暴発させ、転校せざるを得なくなった。
 それじゃあ、人を遠ざけるのも当然だよな。
 冷めて、一歩引いて、どうせお前らもってなるのも、無理はないよな。

 そしてそれだけの目にあっても、アンタの心には優しい気持ちが枯れずに根付いているなんて。

 何か言いたい気持ちはあったが、頭に浮かぶのはどれもこれも陳腐でとても出せやしなかった。
「ねえ斉木さん……じゃあ、ここに転校してきて、良かったじゃないっスか」
 ようやく出てきたのは、きっと独りよがりな考え。でも言わずにいられなかった。
 オレだけがその理由じゃないのが歯痒いが、オレだけじゃきっとダメだった、周りに集うあいつらがいてこそ成り立つから、認めざるを得ない。
 斉木さんは大きく息を吐いた。
『バカやアホが理由だと? 冗談も休み休み言え。あいつらにどれだけ迷惑をこうむった事か』
 当初は、別の所に転校したいと本気で思ったくらいだと、斉木さんは包み隠さず心情を吐露した。
 その顔は照れ隠しなどではなく、心からそう思ったのがよく伝わってきた。
 オレは少なからずやるせない気持ちになった。

『だが、まあ…今となってはな』
 やれやれとため息をついて、斉木さんの表情が和らぐ。それをオレは心から喜んだ。
『どんくさいお前に免じて、そういう事にしといてやるよ』
「もう……素直じゃないんだから」
『僕ほど素直な人間はいないぞ。バカはバカ、アホはアホ、死んでほしいお前には死んでほしいと、自分を偽らずいつも素直に思っている』
「あーハイハイ、そうっスねえ!」
 オレはやけっぱちになって叫んだ。すかさず斉木さんから、静かにしろと拳骨を食らう。
「痛いっスぅ……」
 充分手加減はされたのだろうが、それでも涙がちょびっと滲んだ。オレは両手で頭のてっぺんを押さえ、恨めしく斉木さんを見やった。
 ふてぶてしい顔で斉木さんが鼻を鳴らす。
「もぉ……乱暴な子には、キスしますよ――わぁごめんなさいごめんなさい」
 二発目を構えられ、オレは大慌てで謝った。
『だから、静かにしろ』
 強制的に静かにさせてやろうか、と、斉木さんの影がゆらりとオレに迫る。
 わかった、わかりましたから、どうか命だけは!
 しかし斉木さんの動きは止まらず、オレは咄嗟にぎゅっと目を瞑った。
 直後、柔らかいもので唇を塞がれ、はっと目を見開く。
『うるさい子には、キスするぞ』

(う、わ……!)
 ぼやけるほど間近にある綺麗な瞳が、恥ずかしそうに、でもひたむきにオレを見ていた。
 数秒して乱暴に突き放され、オレは床に倒れかけた姿勢で、ぽーっと斉木さんを見やった。
 ふいっとよそを向くその顔は少し赤みが差し、オレの目を釘付けにする。
 ああもう…アンタって人は、ほんとにもう!
 オレはゆっくりと姿勢を正した。
 ねえ斉木さん、オレ、転校してきて良かった。
 アンタに巡り会えて、本当に良かった。

 

 生きてる人間だって優しいってのを、アンタが教えてくれた。
 人間の優しさは幽霊とは全然違うものだって、アンタは教えてくれた。
 どれだけ感謝してもしきれないよ、本当に嬉しいよ。
 嬉しい、好きです斉木さん。

 

『だから、暑苦しいといってるだろ』
 本を読ませてくれ。
 隣にぴったり座ったオレに、斉木さんは迷惑そうに身体を避けた。
「冷房効いてるんだし、いいじゃないっスか」
『お前の態度が暑苦しい。頭の中も暑苦しい』
 ごめんなさい斉木さん、でもしばらく勘弁してほしいっス。
 また一つ知れて、近付けて、オレはどうしてもこうしたくてたまらないんです。
『っち。コーヒーゼリー買って来たら勘弁してやる』
「え、今からっスか?」
 なんて言いつつ、オレは買いに行く気満々だ。さっさと立ち上がり、出掛ける用意をする。
『ああダメだ、お前なんかを外に放ったら、周りにどんな迷惑を振りまくかわからないな』
「何スか、人を病原菌みたいに」
『バイ菌だろお前』
「あれは、女の子たちが照れて言ってるだけっスよ」
 オレは懸命に弁解した。違うと、頭のどこかで誰かが言うが、オレはあえて無視する。
『いいから、外へ行くな。冷蔵庫の買い置きで我慢するから取ってこい』
「ハイハイ。取ってきたら、隣にいてもいいっスか?」
『三秒間だけな』
「えぇー!」
『うるさい、早く行け』
 しっしっと追い立てられ、オレはふくれっ面で部屋を出た。

 でも戻る頃にはそんなのすっかり忘れて、これで斉木さんの隣にいられると舞い上がり、嬉しさ一杯で部屋に駆け込むのだった。
 宣言通り三秒過ぎると斉木さんは迷惑そうに文句を垂れてきたけれど、くっついても抱き着いても、オレのしたいように許してくれた。

 ねえ斉木さん、オレね、本当にね、転校してきて良かった。

 

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