おやすみなさい良い夢を

甘やかし

 

 

 

 

 

 小雨が降ってた。
 パラパラと頼りない降りで、それだからか蝉の大合唱は特に止む事なく続いていた。
 斉木さんは窓辺にもたれ、腰窓をほんの隙間分だけ開けて、外を見ていた。

 

 週末の午後、斉木さんがオレの部屋にやってきた。
 前々から来るって約束はしていたので、オレは今日の、約束の時間を、そわそわ心待ちにしていた。
 もう何度となくこうして迎えてるけど、いつだって嬉しい。
 斉木さんと過ごす時間はいくらでも大歓迎だ。
 本当は、来てほしくないというか帰ってほしくない、だから来てほしくない。帰したくない、ずーっといてほしい!
 わがままで幼稚でどうしようもないけど、斉木さんと過ごしていると、たまにちらりとそんな事が頭を過ったりする。
 どうせ全部斉木さんに流れ込んでて、これだから鳥束はとか思われてるんだろうけど、わがままで幼稚で馬鹿でクズでいいから、少しでも長く、傍にいてほしい。
 斉木さんといる時間は何にも代えがたくて、楽しくて嬉しくて幸せなんだ。

 だというのに斉木さんたら、来てすぐはオレの用意したコーヒーゼリー食べながら一緒にテレビ見てたけど、食べ終わったらすぐ窓の方に移って、ちょっとだけ開けた隙間から外を見るばっかり。
 つまんないっちゃつまんないけど、それよりも、暑くないかな。
 部屋の中は冷房が効いていたから、ほんの隙間とはいえ夏特有のもわっと湿った空気が不快だろうに、平気かな。
 外の空気が吸いたいのかな。
 聞くとまあそんなところだと、今にも人を殺しそうな顔で答える。
「ど、どしたんスか!」
 仰天しつつ尋ねると、至る所に虫がいて、という。
 そりゃそうでしょうよ、こんだけ蝉時雨がうるさいんですもの、あっちこっち至る所にそりゃいるでしょうよ。
「だったら閉めりゃいいのに。その窓から見える景色、そんなに気に入ったんですか?」
 嫌いな虫だらけじゃ、楽しくないでしょうに。
『そうでもない』
 いやいや、そうでもある顔してますよ斉木さん、鏡お貸ししましょうか。
 変な人だと、オレはちょっと笑った。
 すると斉木さんは、窓の外を向いたまま云ってきた。
『本当に、そうでもないぞ。お前はここからの眺め、好きか?』
「ええ、好きっスよ。でっかい樹ばっかですけど、生い茂った緑とか、木洩れ日とか、今日みたいな雨の日も、どれもいいものです」
『そうか、うん…だから僕も』
「え……?」
 ボクも、何スか?
 もしかして斉木さん、オレが好きだから見てんの?
 そうなの?
 いやいやまさか斉木さんが、そんな、そんなことを?

 まさかまさかと思っていると、斉木さんは立ち上がりオレに近付いた。
 え、ちょ、失礼な事思ったからぶっ飛ばすって?
 待って待ってと思う間に襟首を引っ掴まれ、窓辺に連行される。
 そして肩をぐいぐい押され、オレはしょうがなく正座した。斉木さんも隣に座る。
 びくびくしながら隣をうかがっていると、斉木さんは手袋を外してオレの肩に触れてきた。そして窓の外を見る。
 オレの見る通りの世界を、斉木さんが見る。

 

 巨木の幹に身体を杭のように貫通させ、その大きさに感心して楽しむ幽霊。
 葉の先から垂れ落ちる雫をひたすら目で追う幽霊。
 木の根元に溜まった雨水に雫が跳ねる様を、じっと観察する幽霊。
 幹にとまった蝉が、その全身を大きく震わせて鳴く様に見入る幽霊。

 

 見えるものは全く同じでも、感じ方はまるで違うだろう。
 全く同じものを見て、この人は、どんな風に感じるのだろうか。

 ぼんやりと考えにふけっていると、テレパシーが滑り込んできた。
『鳥束、コーヒーゼリーまだあるよな』
 不意に斉木さんがこっちを向いた。
「ええありますよまだまだたくさん。おかわりですね、ちょっと待ってて下さいね」
 大急ぎで取って戻る。
「はいどうぞ、斉木さん」
 よく冷えたいつものコーヒーゼリーとスプーンを渡し、オレはテーブル横に腰を下ろした。
 せめて好物のコーヒーゼリーを食べれば心が少しは落ち着くかと思ったが、口にしても、あまり表情は変わらなかった。
 虫の脅威は絶大だな。

 くそ
 苛々したように斉木さんは左右を見回した。
 他に何か気を紛らわすものがないか、探しているのだ。
 ねえ斉木さん、そんな苦行みたいな事してないで、窓閉めて、こっちで一緒にテレビでも見ましょうよ。
 そう伝えると、斉木さんは人差し指だけでオレを呼び寄せた。
 はいはい、よいこいしょ。
 傍にいって並んで座る。
『まあ、いくらかマシと言ったところか』
 大して役に立たないが、って感じに、斉木さんはため息をついた。
 オレは苦笑いで、同じようにため息をついた。

「そんなに外、見てたいんですか?」
 尋ねるが斉木さんはうんともすんとも答えない。こちらを見もしない。ひたすら険しい顔付きで外を眺めている。
『いいから、お前は好きな事してろ』
「ええ、はあ……」
 それじゃあ遠慮なく、と、オレは適当なグラビア本を本棚から取り出し、窓辺に寄りかかってめくり始めた。
 恋人の隣で堂々とエロ本めくるとかなんとも複雑だが、そこはオレ、いいってんだからいいよなと遠慮なく顔を緩ませた。

 蝉の鳴き声を背景に、オレはいつものごとくおっぱいお姉さんに鼻息を荒くしていた。
 と、そこでふと隣を見ると、窓の桟にもたれる形で斉木さんがうたた寝していた。
「!…」
 気付かなかった、いつの間に。
 ずっと姿勢が変わらないし舟をこぐでもないから、全然わからなかった。まさか眠っているとは、思ってもいなかった。
 呼びかけようとして、オレは口を噤んだ。
 せっかく寝てるのに起こすなんて忍びない。
 オレはまずベッドの方を用意してから、斉木さんをそっと抱えた。
 ちょっと、重い。
 通常人は眠って意識がないと、起きている時より重く感じられるものだ。
 超能力者も変わりなく重くて、何故だかオレはひどくほっとしてしまった。
 しまった……!
 抱き上げる前に一回キスしておけばよかった。今、もう今この瞬間キスしたいのに運び終えるまでは無理なんて。オレはせっかちにベッドに寝かせ、斉木さんの頬に唇を寄せた。
 はあ、ホッとする。
 アンタの柔らかい頬っぺたに触れる事が出来て、本当にホっとする。
 大嫌いな虫の恐怖と戦いながらも、オレの好きな景色を少しでも理解しようと努力して、その末に疲れて眠ってしまった斉木さん。
 可愛い可愛い斉木さん。
 愛しい、オレの斉木さん。
 身体が冷えてしまわないよう、オレはタオルケットをしっかりかけて、寝顔に見入った。

 

 ねえ斉木さん、こうやってさ、ただ寝顔見てるだけなのに泣きたくなる気持ち、わかってくれます?
 アンタはやっぱり、なんだそれ、馬鹿かって思いますかね。

 オレは隣にお邪魔して、斉木さんの寝顔を間近でたっぷり眺めた後、目を閉じた。
 良い夢見ましょう、斉木さん。

 

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