あなたと甘いものを
泣き顔もたまにはいいなんて口が裂けても言えない
誤って、斉木さんのデザートを食べてしまった。 何がどうなってこうなったのか定かでない。 全身の血も凍るとはまさにこの事だ。 |
週の初めにうちに遊びに来てと誘って渋られて、めげずに翌日も誘って苦い顔されて、それでも挫けず水曜日の朝、おはよう斉木さんの後、うちにおいでおいでおいでとサブリミナルよろしく念じ続けたら、ようやく首を縦に振ってくれた。 という事で金曜日の今日、斉木さんがうちに泊まりに来てくれる事になった。 学校が終わったらそのまま来る予定で、帰り道オレは当然のごとくコンビニに寄り、それぞれが食べたい食後のデザートを買い求めた。 うちに着いてすぐ冷蔵庫にしまい、夕飯後のお楽しみと顔を見合わせ頷いた。 そしていよいよその時間が来て、オレはどういうわけか、斉木さんのを食べてしまった。 誓って言うが、決して、わざとじゃない。 自分でもどうしてこうなったのか訳がわからない。 オレのチョコプリンと、斉木さんのスペシャルコーヒーゼリー、見た目も容器も全然違うのに、味だってまるで違うのに。 気付いたのは、ひと口目をぱくりといった後だ。 オレは血の気が引き、今にも意識を失い倒れそうになった。 道理で斉木さんがもの言いたげに見てくるわけだ。 オレはスプーンを握り締めたままだらだらと冷や汗を流し、ごくりとつばを飲み込んだ。 斉木さんはそんなオレに一瞥をくれると、すっくと立ちあがり、冷蔵庫に向かった。 そしてオレのチョコプリンを取ってきて、ひと口パクっといった。 それからそいつをオレに突き出し、代わりにオレの前にあるスペシャルコーヒーゼリーを奪い返した。 「あ、あの、すんません……」 喉から必死に声を絞り出す。 『仕方ない。誰だって間違いはあるからな』 そう寄越し、斉木さんは全く味わう事無くスペシャルコーヒーゼリーを平らげた。 その顔には、いつものあの微笑はなかった。 そして食べ終えると、さっさとベッドに潜り込んで、オレに背を向け横になった。 コチコチと時計の音がやけにでかい。 どうしようどうしよう、どうやって許してもらおう…考えるが、何も浮かんでこない。 それでも意を決して斉木さんに縋り付き、謝り倒す。 何度も繰り返していると、ようやく斉木さんはこっちを向いてくれた。 見ると、目の端に少し涙が滲んでいた。 そんなにもっ……! いや当然だ、食べ物の恨みは相当だ、しかも斉木さんにとってスイーツってのは、他にたとえようがない程なんだ。 『今日はな、特に災難だったんだ』 いつも以上に鬱陶しい燃堂の相手、海藤のお守り、照橋さんのおっふ強盗も執拗だったし、加えてお前の煩悩攻撃、もうクタクタだったんだ。 だから、せめてものご褒美にと限定スペシャルコーヒーゼリーを楽しみに、今日を乗り切った。 『それをお前が、お前が……わざとやるような奴じゃないってわかってはいるが、今日ばかりは許せない』 「本当に済みません斉木さん、泣かないで、どうか泣かないで」 『これが泣かずにいられるか』 「何でもしますから、斉木さん」 『うるさいあっちへ行け。お前に埋め合わせなんて出来ない』 「やだっ、行かない」 あっち行けなんて、そんな悲しい事言わないで。オレまで泣きたくなってきた。 「嫌いにならないで斉木さん」 『そう出来たらどんなに楽だろうな』 「ごっ……!」 斉木さんの拳がオレの脇腹にめり込む。相変わらず重い一撃だ。今日は特に重くて痛くて苦しい、ひと口食べられた恨みがこもっている分、いつも以上に響くのは当たり前だ。 オレは身体を折り曲げ悶絶した。 少し痛みが引いた頃、オレは財布を引っ掴み部屋を飛び出した。 とにかく、同じものを買ってくるんだ、一秒でも早く。 |
「斉木さんっ!」 行きも帰りも一度も休まず走り通し、息せき切って部屋に駆け込む。 斉木さんは部屋を出た時と同じく、いやそれよりもずっと激しい怒りを顔に浮かべ、オレを睨み付けた。 激怒する余り、眦に涙が光っている。 『どこ行ってたんだ』 「……どこって、買いに行ってたんスよ」 コレ…と、オレは見えるよう掲げた。 思考読んで、わかってたでしょ。 『聞いてない』 斉木さんは眼差しをきつくした。 そうだ、オレ、何も言わずに部屋を飛び出した。確かに何も言ってなかった。聞こえるんだから読み取れよ、なんて、傲慢極まりない話だ。 オレはすぐさま床に頭を擦り付けた。 「すんません! 同じものを、買いに行ってました。斉木さんにどうしても機嫌直してほしくて!」 『……もういい』 斉木さんは数秒見やった後、毛布を被り丸くなった。 そんな――。 「ねえ斉木さん、出てきて、ほら、同じの買ってきましたから、食べましょ…食べて下さい」 ねえ、ねえ。 出てきて、顔見せて。 「お願い……斉木さん!」 少し強めに毛布を引っ張る。 呆気なく引きはがせた事に、自分で驚く。 「斉木さん……」 オレなんて、どうやったって力では敵わない。という事は、斉木さんがわざと力を抜いたのだ。 もう一息だと勇気を得たオレは、ベッドに腰かけ、そっと顔を近付けた。 「ね、あの……斉木さん」 これで許してくれますか。 ゆっくりゆっくり近付いていく。 鼻先が触れそうになるくらいまで、距離が縮まった。 それまでじっとしていた斉木さんだが、いざ唇が重なるという瞬間、オレの肩に噛み付いてきた。 「!…いたっ!」 オレはあまりの痛さに飛びのいた。 いた…痛い! まさか噛まれるなんて思っていなかったから、さすがにじわっと涙が浮かんだ。 咄嗟に押さえた手をそろそろと退け、血が出てないか確かめる。歯型はくっきり残っているが、出血はないようだ。 『それで許してやる』 あまりの暴挙にさすがに怒りが湧いたが、きつく睨んでくる斉木さんの瞳にまだ少し涙の名残があるのを見て、オレは申し訳なさで一杯になった。 「……なんなら、こっちも噛み付いていいっスよ」 『いい。これ以上、うまくもないお前の身体なんか口にしたくもない』 不味いものを食べた時にするように、斉木さんはべーっと舌を突き出した。 「一人にして、すんません。あと、食べちゃってごめんなさい」 『もういい』 さっきとは、柔らかさがまるで違う。 「じゃあ、口直しにキス……とかすんません調子に乗りました!」 目付きで殺しにかかる斉木さんに即座に謝り、オレはベッドから退こうとした。 それを、斉木さんがぞんざいに引き止める。 襟首を掴んで力任せに引っ張るものだから、首が締まり、喉から変な音がもれ出た。 「……伸びちゃう」 弱ったと、オレは振り返った。 構わず斉木さんは首に手をかけ、ぐいとばかりに引き寄せた。 乱暴なキスにオレは目を白黒させた。 『いらないとは言ってない』 勝手に離れるなと怒る斉木さんに、オレは参ったと眉尻を下げた。 恐る恐る舌を滑り込ませると、そこにも噛みつかれた。ごく、軽く。硬い歯で挟まれ、オレは小さく目を見開く。 間近の斉木さんは、勝ち気な目で笑っていた。 ああ、もう、この人どんだけ甘いんだろう。 オレは目を閉じてキスに浸った。 長い長いキスの後、斉木さんはやっとベッドから出てきてくれた。 オレの差し出す手を、本当は嫌なんだけどでも仕方なくって感じに握って、一緒に並んで座ってくれた。 だからオレは精一杯ご機嫌取りをする。 甘くて美味しいスペシャルコーヒーゼリーですよ、はいあーん、なんて、そっと斉木さんの唇に寄せた。 一回じろりとオレを見やってから、斉木さんは素直に口を開けてくれた。 でも、斉木さんのお顔は晴れない。 スイーツを満喫しているのにいつもよりずっと大人しい顔なのは、やっぱりまだ、怒りが残っているからだろう。 オレは、いつ変わるだろう、いつか変わるだろうかと、じっと斉木さんの顔に注目し続けた。 ひと口食べさせるごとに、ごめんねと心の中で謝る。 心の中で思うのはそれだけじゃなかった。オレの事だから、頭の中はエロイ事やお下劣な事で一杯になってしまっていた。 そんなオレに、斉木さんは何とも言い表しがたい眼差しを向けてきた。 思考がうるさくて邪魔だっただろうか。 申し訳ないと思う端から、その顔も可愛い、斉木さん可愛い、好き好き、この時間楽しい、こうしているのすごく楽しいと尽きる事がない。 押さえようと思えば思う程湧いてきて、斉木さんへの想いで張りつめる。 せめて目線で、すみませんと詫びる。 と、消えかけた肩の噛み跡に、斉木さんは手を伸ばしてきた。 指先でそっと撫でられ、オレは笑いかけた。 「大丈夫っスよ。もう痛くないっス」 告げるが、斉木さんは表情を変える事無く撫で続けた。 『お前の泣き顔は、気が滅入るだけで全然良くないからな』 またそんな憎まれ口を。 謝るのは癪だけど、悪いとは思ってるのが充分伝わってくる。 神妙な顔を見ればわかるもの。 オレは胸がじーんとなった。 本当に、愛しい人だ。 オレは、少しでも斉木さんの体温を感じてたくて、殊更ゆっくり食べさせ続けた。 |