あなたと甘いものを

一番甘いもの

 

 

 

 

 

 今日はとりわけ甘いものが食べたい。思う存分食べたい。心行くまで食べたい。腹がきつくなるほど食べ尽くしたい

 

「さーいきさん、帰りましょっ」
 お待ちかねの放課後になり、オレはるんるん気分で斉木さんのクラスを訪ねた。
 もう帰り支度を整えた斉木さんは、やってきたオレに目を向けると、先の文句をオレの頭に叩き付けてきた。
 そんな風に思うにふさわしい疲れた顔をしていたので、オレは心配になり何があったんスかと顔を覗き込んだ。
『いや、特に何があった訳じゃないが、少しな』
 尋ねると、そんな曖昧な答えが返ってきた。
 オレはへの字に口を曲げた。
 今日は、朝から雨がしとしと降る憂鬱な一日だったから、そのせいもあるのかも。
 よし、とオレは気合を入れて斉木さんの机に手をついた。
「よし、どこで、何食べましょうか」疲れた時は甘いものが一番効きますもんね「オレ持ちますんで、食べたいものなんでも言って下さい」
 提案すると、斉木さんは短く息を吐いた。
 いつもならそれはオレに呆れた時に出現するのだが、そうでない時に出てくるとは、相当お疲れのようだ。
「大丈夫っスか」
 オレはますます心配になり、遠慮がちに伸ばした手で肩をさすった。
 学校では、やたらに触るなと即座に手を振り払われるのだが、この時の斉木さんは素直にされるがままになった。
 わずかに目を伏せて、口の端っこもそんなに力が入ってなくて、まるでほっとすると言ってるように見えた。
 なんだか、無性に嬉しくなった。
 心の中は、もっと一杯触れたいもういっそ抱きしめてキスして舐め回したいとまで思ったが、膨れ上がる気持ちとは裏腹に、オレはどういうわけか手を引っ込めた。
 斉木さんはそんなオレの顔を見つめると、じっと考え込んだ。
 ねえ、何か言ってよ斉木さん。
 ただじっと見てくるだけなので、何を考えているのだろうとじわじわ不安が込み上げてくる。
 顔には特に感情は浮かんでいなくて、不快も、嫌悪も、読み取れない。
 なら少なくとも、今の接触はそう嫌ってものではなかったのだろう。
 じゃあ、オレがさっき感じたほっとするって感想でいいっスか、斉木さん。
 そんな事をぼんやり思っていると、斉木さんから返答があった。
『特大サンデーが食べたい。駅向こうのカフェにあるチョコレートサンデー』
「了解、じゃあ行きましょう」
 斉木さんはゆっくり立ち上がった。

 食べたいものが決まり、少し元気になった斉木さんと並んで学校を出る。
 雨はまだしとしと降り続いており、傘の分だけ遠い並んだ距離に、オレは込み上げた不満を噛みしめる。
(あー、相合傘してぇな)
(でもさすがに無理だよな)
 わかっていても湧き上がる望みを内側でくすぶらせていると、斉木さんが強く見やってきた。
 馬鹿が、このゴミ虫が、って感じなんだろうな。オレは申し訳なさから目の端で見つめ返し、さーせんと内心謝った。
 視線はしばらくの間オレの頬骨の辺りを焼き、やがて逸れた。
 ほんと、斉木さんバカでさーせん。

 住宅街を歩き、商店街を抜け、高架下に差し掛かったところで、急に雨足が強まった。
 たとえるなら水栓が壊れたかという勢いで、空からどばどばと雨が漏れ落ちてくるのだ。
 いくら傘を差していると言っても、あんなにバシャバシャと跳ね返る土砂降りの中を行くなんて、さすがに愚か。
 オレは傘を閉じ、少し弱まるまで待つ事にした。
 同じように雨宿りする人らが集い、空を見上げ、すごいねー、なんだろうねー、と口々に言っている。
「斉木さん、そっち跳ねてないっスか」
 あんまりギリギリに立つと、雨に濡れますよ。
 オレは軽く肩を掴んで引き寄せた。
 斉木さんは素直に一歩下がる。そしてその動きのまま、オレの唇に顔を近付けた。
「――!」
(え、いや…ちょ!)
 斉木さんは躊躇いなく唇を重ねた。
(アンタがそうするのなら、誰も見てないって事なんだろうけど、それにしたってこんなの……)
 こんなに人がいる場所でこんな事するなんて、斉木さんらしくもない。
 オレは驚きの余りすっかり硬直してしまった。
 斉木さんなら、最終手段としてバールのようなものがあるけどさ、一体どうしたというのだろう。
『疲れた時は、甘いものが一番効くんだろ?』
「はっ……」
 気付くと、斉木さんは元の姿勢に戻っていた。オレと肩を並べて、雨が弱まるのを待っている。
 周りの連中も、何事もなく気付く事なく、跳ね返りのすごい道路をやや興奮気味に眺めていた。
(ええ……ああ)
(甘いもの、うん、言ったよ斉木さん)
(でもオレ、サンデーじゃないっスよ)
『いいや、お前も充分甘いものだ。多分、一番甘い』
 オレは弾かれたように斉木さんを見やった。
 高架下は薄暗いはずなのに、斉木さんの周りだけ空気が違って見えた。一気に顔が熱くなるのを感じ、下を向く。胸とあそこがときめいて仕方ない。
『うわ……最低だ』
 おぞましいと斉木さんが手を口元にやる。
(おいこら、アンタのせいだぞ)
 ぐぐぐと奥歯を噛みしめる。頭の中はもう、斉木さんを抱く事で一杯になっていた。
 でも斉木さんの頭の中はきっと、サンデーで一杯だろう、
『お前の事も、一割くらいはあるぞ。チョコサンデーをご馳走してくれたら、もう少し増えるかもな』
 可愛らしい笑顔でそんなことを言うものだから、ますます胸とあそこが騒がしくなる。
 もおー、急にデレたりなんだってんだよー。
 じわりとこめかみに浮かんだ汗が、オレを悩ませる。 

 少し待っていると、急に降りが強くなったのと同じように、急に雨足が弱まった。
 斉木さんは一度オレを見ると…綺麗な微笑をオレに向けると、傘を差し、歩き出した。
 ひと呼吸、もうひと呼吸してから、斉木さんを追って雨の中駆け出す。ばたばたと雨がうるさく傘を叩いたが、それ以上に、自分の鼓動がうるさかった。
 斉木さんが好きな分だけ速まって、耳の中でとにかくうるさい。
 ああもう、オレはどこまで斉木さんを好きになるんだろう、きりなんてないんだろうな。

 いつも辛辣で尊大で冷淡で、そのくせ飛び切り甘くて…きっと世界一甘い、それがオレの好きな人。

 

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