あなたと甘いものを

だからお前が

 

 

 

 

 

 ようやく放課後になった。
 今日は鳥束と帰る予定で、日直の仕事が終わるのをこうして待っている次第だ。
 帰り支度の済んだ僕は、机に置いた鞄からいつもの小説本を取り出し、続きから読み始める。
 校舎内から段々人が減っていくにつれ、頭に流れ込んでくる声も少なくなっていく。
 すると、必然的に奴の声が大きくなる。
 聞き取りたい、聞き分けたいと常に思っているせいだろう、誰よりも真っ先に、奴の声が頭に響く。
 テニス部のあの子が今日も可愛いだの、何組の誰ちゃんはもう帰っちゃっただの、いつも通りで逆に安心した。
 でれでれとたるみ切って気持ち悪い事この上ないのに、なければないで落ち着かない、精神安定の為にわざわざ探してしまうなんて、本当に奴は危険な薬だ。

 あちこちよそ見して気もそぞろ、ちっとも真面目に日直の仕事をしていなかった鳥束の脳内が、終わった、という清々しい思考を機に一気に僕の事で埋め尽くされていく。
 それまでもちょこちょこ挟まれていたが、見事なまでに僕の事だけ。
 どれもこれも些細な切れ端ではあるが、そのどれもが、生き生きとした喜びに満ち溢れているのだ。
 どろどろと、ギラギラした欲望にまみれているのも多々あるのが奴らしい。でも自分は別にそれも嫌いじゃない。

「斉木さん、お待たせーっス!」
 小学生男子のように、一点の曇りもない無邪気な笑顔で鳥束は教室にやってきた。
 僕の姿を目にするやたちまち脳内はさっきの何倍も騒々しくなり、嬉しい嬉しいと際限なく膨れ上がっていく。
 いつも変わらずうるさいなお前は。
 内心そんな事を思いながら帰り支度を整えていると、微細な表情の変化を見て取った鳥束が、うるさいって顔してるっスね、と的確に言い当ててきた。
「はは、やっぱり当たりっスね」
 よりわかりやすく唇を曲げてやると、何故か鳥束は喜んだ。僕がどんな顔しても、こいつは大体喜ぶんだよな。そして可愛い可愛いと馬鹿の一つ覚えを繰り返す。
『目と脳が腐った変態クズ、行くぞ』
 これだって奴を喜ばせる事になるが、僕は言わずにいられない。
 言わないと気が済まない。
「はいっス!」
 忠実な下僕らしくいい返事で脇に立った鳥束と、一緒に教室を出る。

 

「ねえ斉木さん、帰りにちょっと、あったかいもの食べてきませんか?」
 ここんとこ毎日冷えますし。
 廊下を歩きながら、鳥束はそう提案してきた。
 温かいものか…魅力的ではある。
「お汁粉とか、どうです?」
 こいつがこうして具体的に指定してくるのはどんな時か、よく知っている。
 その店に、お前好みの女性店員がいるんだな。
 しかし甘い温かいものは捨てがたい。
 葛藤しつつ横目に見やると、バレたかって顔でしかし悪びれもせず、鳥束は行きましょうと声を弾ませた。
『お前のおごりな』
「もちろんっス!」
 嬉々とした返事に、僕はやれやれとため息を零す。

 駅から線路沿いに少し歩いた先に、件の店はあった。
 いかにも甘味処といった和の佇まいの外観に看板、店頭では串団子やところてんが売られており、手で開けるガラス戸を滑らせて店内に入る。
 いらっしゃいませと迎えた声に、鳥束はたちまちルンルン気分になった。本当にわかりやすい奴だ。
 小上がりに向かい合って座り、広げられたお品書きに目を通す。
 奴にお汁粉と言われた時から、心の中は温かいあずきで一杯になっていたが、こうしてお品書きを見るとあんみつも食べたくなるし、和パフェも各種品揃えがいいし、焼き立ての団子にあずきを添えるってのも捨てがたい。
 おい鳥束、なんて涎の出る店に連れてきたのだと目玉を上げると、視線がかち合った。それと同時に、心の声がどっと押し寄せてくる。
 甘味に気を取られて一時的に遠のいていたが、よくよく聞けば鳥束の脳内は斉木さん可愛いと大好きで埋め尽くされていた。
 はぁ…だからお前が――。
 僕はすぐさまお品書きに目を戻した。
「斉木さん、決まりました?」
 鳥束が聞いてくる。頭の中では、お汁粉食べたいわらび餅も食べたいと盛り上がっていた。
 僕は軽く頷いて目を上げた。

「お待たせしました」
 お汁粉二つに、みたらし団子とわらび餅がテーブルに運ばれる。
「いただきます」
 鳥束と一緒に手を合わせ、僕は早速椀を持ち上げた。
 粒あんと白い焼き餅が丁度良くなるよう口に運び、歯ごたえと伸びの良さを楽しむ。
 このあんこの上品な甘さ、うん…全然嫌いじゃない。
 なんて店に連れてきてくれたものだと、染みる甘味に心が震えた。
 それを見て鳥束が、向かいでがちゃがちゃうるさくしているが、構っている暇はない。僕はもうすっかりお汁粉に夢中であった。
 超能力者にとって暑いも寒いも取るに足らない現象だが、そうはいってもやはり寒い日の温かい物は心をほっとさせてくれるし、暑い日の冷たい物は頭をすっきりさせてくれる。
 今日はまたとりわけ冷たい風が吹くものだから、こういった甘い温かい物が特にしみて感じる。
 二つある餅の片方を食べ切ったところで少し落ち着きが戻ってきたので、ふと思い出し向かいに目を向けた。
 うるさいお前は、一体どんな顔でお汁粉を楽しんでいるのかと興味本位であったが、見た途端心が奪われた。
「………」
 関係ない時に限って寺生まれを口にするものだから、すっかりからかいの対象になってしまっていたが、僕はあらためてその意味を思い知らされた。
 息が止まるほどに。
 なんて事のない正座姿なのに、空気が違うのがよくわかった。
 佇まいが美しいと、素直に思った。
 今までも…たとえば箸の上げ下ろしとか、ちょっとした物の扱い方とか、ふとした時にきちんと躾けられた人間だと思う事はあったが、今は特に強烈だ。
 生まれ、育ちか。
 忘れていた呼吸をゆっくり吐き出す。
 頭の中は相変わらずで、こちらの挙動にいちいち可愛い可愛いと大騒ぎをしていた。
 だから言ってやった。
 お前も可愛いと。

「えっ……」
 たちまち目を真ん丸にして、鳥束は動きを止めた。
 不意の事についていけなくなり、塊になってしまったお前も可愛いな。
「や、え? あの……え?」
 鳥束はぎくしゃくした動きで椀と箸を置くと、見る見るうちに顔を赤くした。
「な、なん…斉木さん、なんで急にそんな」
 もじもじと落ち着かない仕草をするところも可愛い。
「いやいや……待ってあの…オレがいつもうるさく言うから、その仕返しっスか?」
 そんな意図は微塵もないぞ。
 ただ単純に――。
『お前の店選びが思いの外いいから、云いたい気分になったんだ』
「そうですか……あの、あの……」
 ついに乙女モードになった鳥束は、両手で口元を覆った後、隠すように顔全体を覆い、ありがとうございますと蚊の鳴くような声で言ってきた。
 乙女モードは相変わらず気持ち悪いな。しかし嫌いじゃない。でかい図体を縮めて恥じらう様は、あれだ、キモ可愛いだ。
「………」
 もうやめてと、脳内で訴えてくる。
 嫌がらせ、意趣返しの意味などなかったが、少しは僕の気持ちもわかっただろうか。
 だが奴はそこは曲げない、だって斉木さん本当に可愛いものと伝えてくるから、そうやってはしゃぐお前こそ可愛いと返してやった。
 やった、オレたち両想い、可愛い斉木さんに可愛いって言われて嬉しいと混乱するところも、面白くて可愛いな。

 ひとしきり可愛い合戦をして、満足した僕は、奴と半分ずつ食べる約束のわらび餅に箸をつけた。
『おい、いつまでもやってないで食べろ。でないと全部食べるぞ』
「……いいです、食べて」
 胸が一杯で、もう入らない。
 思わず吹きそうになった。
『本当にいいのか? お前好みのもちもち具合だぞ』
「美味いっスか?」
『自分で食べて確かめろ』
「はいっス」
 手を退け、少し潤んだ目で鳥束は笑いかけてきた。
 やっと顔が見えたと、半ば無意識に息をつく。そんな自分にため息をつき、僕はみたらし団子に箸を移した。
 鳥束はわらび餅を頬張り、美味しい美味しい、もちもちだと喜ぶ。
 このもちもち具合は斉木さんのほっべたにも引けを取らない、なんて小声で伝えてくるものだから、今度は呆れのため息がもれた。
「さーせん。でもほんと、いいもちもち具合で美味いっス」
 美しい佇まいで甘味を楽しみながら、思いきりゲスな思考を展開するとは、さすが鳥束だ。
 ため息が止まらないよ。

 僕は、だからお前が。

 

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