じゃあまた明日

だってみんなアンタが好きなんだもの

 

 

 

 

 

 最後の授業が終わる少し前から、雷鳴は響き始めていた。
 ゴロンゴロン、ドロドロ。
 不穏な音が段々近付いてくるなと思っていたら、放課後になった途端、ひどい雷雨に見舞われた。
 今まさに雷雲は真上にあるようで、ドシャーン、ガシャーンとひっきりなしに雷鳴が轟いた。
 雨も相当ひどい降りで、廊下や教室の窓をみんなが慌てて閉めている。
 雷鳴に驚き、女子たちが悲鳴を上げている。
 こりゃお慰めせねばと奮うのだが、ことごとく彼氏がいてガッカリするやらムカムカするやら。
 ちぇっ…いいもんね、オレにだって素敵な彼がいるんだから。
 しかも優しいんだよー、夏は特に優しいの、今日もね、オレの事待っててくれてんだから。
 本人は、また面倒な事になったら困るからやってるだけだとかツンデレっちゃってるけどねー、もう可愛いのなんの!
 オレもメロメロ向こうもオレにメロメロで、自慢の恋人なんだから。
 なんてバカな事を考えながら、オレは一人満足して廊下を歩いた。

 やっと日直の仕事を終えたオレは、帰りの荷物をまとめ斉木さんのクラスにお邪魔した。
 教室内にはまだいくらか生徒が残っていた。というよりも、雨で足止めされているといった感じか。
 先程までは晴れていたので、通り雨だろうと、みんな上がるのを待っているのだ。
 いつもの面々が後ろの方に固まって、雨が止むまでの間の暇つぶしと、カードゲームに興じていた。
 斉木さんはそれには加わらず、自分の席で本を読んでいた。
「お待たせっス斉木さん」
『っち、変態クズが来た』
 本に視線を注いだまま、斉木さんは素っ気なく返した。
 んもー。
 オレは苦笑いで隣の椅子に腰かけた。
 斉木さんは、薄茶色のブックカバーがかけられた小説本を黙々と読み進めていた。
 机には他に、ストローのささったパックのジュースがあった。
「何読んでんスか?」
『短編小説』
「何飲んでんスか?」
 見ればわかるだろとばかりに、じろりと目玉がこちらを向いた。ちょっとした話のとっかかりのつもりでした、さーせん。と思っていると、無言で差し出された。
 おなじみのピーチティー。
「え、いいんスか?」
『干からびて逝ってくれたら嬉しいんだが、化けて出られたら困るからな。まあ、見えないから一向に構わないがな』
 またそういう言い方して…アンタのその遠回しな愛情、ほんと弱いんスよ。
 胸にじーんと沁みる心遣いにいたく感謝しながら、オレはパックを手に取った。
「あざっス、いただきます」
 軽く持ち上げ、口をつける。まだほのかに冷たい。
 喉を通り過ぎていく程よい甘さにほっとしていると、鋭い雷鳴が轟いた。同時に、チワワ君がひゃあと甲高い悲鳴を上げた。見ると、ヤス君にしがみ付き涙目になっている。
 ははあ、チワワ君雷苦手なんすね。
『ああ、それで、なら気晴らしにと燃堂がババ抜きを持ち掛けて、ああなってる』
「なるほどね」
 見ている間にまたビシャーンと凄まじい音が鳴り響き、またヤス君に縋り付くチワワ君。
 目が合って燃堂が、シュゴレー君もやろうぜと誘ってきたが、オレはいいよと手を振った。
 その直後、またもチワワ君が泣き叫ぶ、ヤス君が慰める。
 そこでオレは、便乗して自分も斉木さんに抱き着こうと画策した。
 もちろん、こんなもの斉木さんには筒抜けである。
『僕に少しでも触れてみろ、お前の両腕を肩からもぎ取る』
「ひぃっ……!」
 静かに脅され、オレはぞーっと震え上がった。
 なんスか、いいじゃんオレだってさ、あんな風にいちゃいちゃベタベタしたいんスけど。
『消え失せろクズ』
 冷たい、冷ったい!
 どーせ斉木さんは雷ごときじゃ動じないだろうから、オレから行くんスよ。
『来ないでください』
「もおー……」
 オレは頭の後ろで他を組み、羨ましく向こうを眺めた。

 雷が鳴り響く度、ぴゃーっと泣きつくチワワ君、笑いながら受け止めるヤス君、良い光景だなあ。可愛いじゃないっスか。
『僕にはその可愛いがよくわからないが、ただ海藤のあれは素だからな、そして窪谷須はそれを可愛いと思っている。だが作ったお前のなんぞ、可愛さのかけらもないぞ』
 うぬ〜なんかあの、ちょっとダメなとこが男心をくすぐるっていうか、キューンとさせるんスよ。
『じゃあますますお前は駄目だな。クズの塊で、駄目なとこしかない』
「うぅ……あ、でもほら、ダメな子ほど可愛いって言うじゃないっスか」
『お前はあまりに駄目すぎる』
「……ダメ過ぎて、失望しちゃいます?」
『失望だと? お前にはそもそも期待もしてないし希望も抱いてない。よって失望するまでもない』
「こういう時だけ正直なんスね!」
『僕はいつだって正直だ』
「じゃあ正直ついでに、そんなオレの事、好きっスか?」
 たちまち沈黙する斉木さん。
 それまでポンポン言い返していたのが嘘のように静まり返り、何事もないかのようにぱらりとページをめくる。
 だからオレはつい笑ってしまった。
 ほんと正直っスねー!
「オレは斉木さん好きっスよ。大好きっス」
 そういうところも含めて全部、アンタが好き。
 一度口にすると止まらない。頭の中が斉木さんへの想いで溢れそうになる。
 オレは少し目を伏せ、すぐ傍にいる人にありったけの愛を注ぐ。
 さすがに限度を超えたのか、斉木さんは顔をしかめると、こめかみの辺りを押さえた。
「す、すんません」
 慌てて謝る。一旦落ち着こうと、オレは深呼吸を繰り返した。
 そこでようやく、ちらっとだが、斉木さんの目がオレを見た。
 喧しくしたから恨みのこもった目を向けられると思ったが、意外と眼差しは穏やかであった。
 つい、ドキッと見惚れる。
『窪谷須も海藤も、喧しさではお前に引けを取らないが、やはりお前が一番だな』
「あの……すんません」
 嬉しくない一番である。オレは苦笑いで応えた。
 その時、斉木さんが一瞬笑ったように見えた。
 また、ドキリとなる。
 え、何で笑ったの?
 今それ、笑ったよね?
 何か可笑しかった?
 何が可笑しかったの?
 ああもう、澄ました顔で本読んでないで、教えてよ。
 ほんと、お澄まし…綺麗だな。可愛い人だな、オレの斉木さん。好きだ。好きだ。
 聞いても答えちゃくれないだろう恋人の横顔を見つめ、オレは出来るだけ静かに頭の中を騒がしくした。

 ついに本が閉じられた。
『いい加減にしろ。嫌いじゃないと言ったって、限度がある』
 どこか焦ったような斉木さんの物言いに、オレははっと目を覚ました。
 実際に眠っていたわけではないが、不思議な心地だったのは間違いない。
 斉木さんの横顔に見惚れ、半分眠ったように意識がまどろんでいた。
 それが、不意の声で起こされた。
「あ、あ……すんません」
 何度も目を瞬きながら見やると、斉木さんの頬がほんのりと朱に染まっていた。
 え、どしたんすか?
 斉木さんこそ熱中症?
 こないだテレビでやってましたけど、直接日光に当たってなくても室内でも、熱中症ってなるんですって。
 外にいないからって油断して、水分補給怠るとなるって言ってましたよ。
「結構飲んじゃったけど、これお返しするんで、斉木さんも飲んで補給して」
 斉木さんは無言でパックをひったくると、睨みながらストローに口を付けた。
 うわ、エロ…じゃなくて、オレ何かしちゃいました?
『今日はうちにに来るんだったな』
「はいっス。お世話になります」
『帰ったらお前、水責めにしてやるからな』
「……えぇーっ」
 覚悟しとけよとギラリと目を光らせる斉木さんに、オレは困惑して唇を曲げた。

 一時期真っ暗になった外も、気付けば大分明るくなり、雨も弱まっていた。
 雷ももうすっかり遠くに去ったようで、チワワ君が悲鳴を上げる事はなくなった。
 そこでちょうど勝負もついたようで、そろそろ帰ろうとなり、よっしゃラーメン食って帰るか! と燃堂が声を張り上げる。
 そのすぐ後、相棒とシュゴレー君も来るよなと当然のように肩を組まれたが、また今度誘ってくれと三人に手をあげる。
 ヤス君の隣でチワワ君が、真っ赤な目でちらちら見ながら気まずそうにしていたので、思いきり笑う仕草をしてやった。
 たちまち悔しそうに歯ぎしりするチワワ君。
 いいじゃないスか、隣に寄り添って慰めてくれる優しい恋人がいるんスから。
 オレなんてこれから、斉木さんに水責めされるんスからね。
 はあっとオレは大きく息を吐いた。
『その後刺激物で。お前の口と胃の中を焼き尽くしてやるよ』
 ひぃー、お手柔らかに頼んます、斉木さん。

 靴に履き替え外に出ると、雨はすっかり上がっていた。
 通り雨でよかったと空を見上げると、くっきりと虹が見えた。
「おおすげー、ねえねえ斉木さん、見て見て!」
 オレはちょっと興奮気味に肩を叩いた。
 斉木さんはやれやれとため息をつきつつも、付き合ってくれた。
 もう、そんな年寄りみたいにくたびれた反応しないの。
『誰が年寄りだこの野郎』
 ぎろりと睨まれ、オレは肩を竦める。
 その時上の方から「おーい相棒ー虹が出てるぜー!」と燃堂の声がした。
 振り仰ぐと燃堂の隣にはヤス君もいて、両腕をしきりに振り「空に虹がかかってる、見ろ」とジェスチャーしているのが見えた。少しわかりづらいが、空を指差し笑っているようだった。
 その時斉木さんの携帯が鳴った。
 見るとチワワ君からで、内容は燃堂と同じく虹が出ている事を報せるものだった。
『揃いも揃って……』
 眩暈がすると、斉木さんは額を押さえた。
 ほんとだね、恋人と相棒と一番の友人と…みんな、どんだけ斉木さんに教えたいんだろ。
 あまりに可笑しくてオレは腹を抱えた。
 またも睨まれたが、中々笑いは引っ込まなかった。
 目立つのが何より嫌いな斉木さん、周りで生徒たちがクスクス笑うのを振り切り、早足で去っていく。
 まあまあ斉木さん、これくらいどって事ないっスよ。バカな男子あるあるだから、何の心配もいらないっス。
 オレは、窓から顔を出す三人に「じゃあまた明日」と手を振り、斉木さんを追いかけた。

 

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