じゃあまた明日
怪我はすぐ治らない頃を覚えているので、ふとした瞬間に怖くなる斉木さんと、知らないからわからない鳥束君。
夜桜見物のついでに月見も出来て上機嫌の鳥束君と、それに癒される斉木さん。

攫われないよ見てないよ

 

 

 

 

 

 今日の最後の授業が終わったところでいちため息、放課後になったところでいちため息、その後速攻で隣のクラスに行き「さ〜い〜き〜さん、かえろっ!」と連れ出し、靴を履き替えたところでまたいちため息。
 斉木さんと一緒に玄関を出たところでやっと、今日も終わった〜、という実感が込み上げてくる。
「やっと終わったっス〜」
 校舎という檻からようやく解放された、なんて、チワワ君みたいな事を思ってしまう。
 もしくは、元ヤン君よろしく、シャバの空気はうまいぜ、とか。
 何にせよ、ああ清々した。
 大きく伸びあがって、解放感に浸る。
 地獄のような時間も終わり、斉木さんと二人の帰り道、ああ嬉しいな。実感するほどに顔が緩んでいく。
 しかもめっきり春めいて、気持ち良いのなんの、歩くだけでも嬉しくなる。
 そんなオレに、斉木さんがいちため息。
『僕はお前といるだけでうんざりする』
「あーもー、いつも通りっスね」
 いつも通り、つんけん辛辣な斉木さん。それはもはや、おはようやまた明日といった毎日の挨拶のようなものになっていた。
 言われて嬉しいかと問われれば微妙なところだ、自分にはそういった属性はないはずだが、もしも斉木さんから言われなくなった場合、それはそれでとてつもなく物足りないと感じるだろうから、やはり少なからずそっち寄りなのだろな。
 もちろん斉木さん限定で。
『そういうところがうんざりだ』
 言葉通り、上唇が嫌がっている。うわ、すんませんと思いつつも、可愛いなとも思ってしまう。
 慌てて謝る。
「さーせん! で今日は、どっか寄ってきます?」
 コンビニ、本屋、純喫茶魔美、どこでもお供するっスよ。
「その代わりって訳じゃないっスけど、今夜一緒に、夜桜見物、しませんか?」
 そう持ち掛けると、それまでまっすぐ正面を見ていた斉木さんの目がじろりとオレに向いた。
『なんだ、家の中や学校のトイレでは飽き足らず、ついにお外でもいかがわしい事をするのか』
「おそとっ……でしてほしいなら、オレ張り切りますよ」
『真に受けるな馬鹿』
「いでででで……!」
 斉木さんの指が、何かを摘まんで引っ張る。それに合わせて引っ張られるオレの頬っぺた。
 少しでも痛くないようにと、オレは引っ張られるまま身体を傾げる。
 超強力な洗濯ばさみかな、ギザギザのすごいやつ、あれに挟まれてるみたいで痛くて涙が出る。
 最後はバチンと引っ張り取られ、本当に千切れたんじゃないかってくらいジンジン痛んだ。
「いたぁ〜……もう、ちょっとアンタ!」
 オレは頬っぺたをさすりながら、斉木さんの手を調べた。
 指は、別に普通だな。当然ながらギザギザなんてしてない。じゃあ、超能力を通すとあんな凶悪な痛さになるってのか。
 あー、痛かった。
「あのっスね、オレが絡むからまあちょっといかがわしくなるかもしんないっスけど、向こうの高台の雑木林に、一本ぽつんと植わって咲いてる桜を見つけたんスよ」
『ほう。ところでお前、なんでそんな所に出向いたんだ? って、ああ、デマに振り回されたのか』
 斉木さんの質問に、オレは脳内である事を思い浮かべた。そいつを拾うや、斉木さんは軽蔑しきった顔になった。
 むぐぐ、とオレは口ごもる。
 そうデマだった。あの雑木林に、エロ本が大量に捨てられてると誰かが言ったのを鵜呑みにし、探しに行ったのだ。
 誰かのデマ、ホラなので、当然空振り、収穫はゼロだった。
 腹立たしく悲しく、空しく、オレはとぼとぼと雑木林の中を歩いた。その際、誰からも忘れられたような、それでも季節になればしっかり花を咲かせる桜の樹を見つけたのだ。
「てことで斉木さん、夜に二人で、夜桜見物と洒落込みませんか」
『行くのはいいが、なんでわざわざ夜なんだ。だからいかがわしさが増すんだよ』
「だって夜なら、人も少なくて、斉木さん静かに過ごせるかと思って」
 ふぅ、と斉木さんは息を吐き出した。
『お前、一人で千人分くらいうるさいの、自覚してるか?』
「ええっ、オレそんなうるせーの?」
 さすがに大げさだろうと、オレは目を真ん丸にひん剥いた。しかし斉木さんは、嘘や冗談ではないと、少し顔を引き締めて頷いた。これはマジの顔だ、オレ、そんなうるさかったか。
「あ、じゃあ、ゲルマニウムの出番だ」
『いい。お前がうるさいのは今に始まった事じゃないし』
 諦めきったため息とともに伝えられる。
 うぅ……。
『あとな、お前の脳内に残るのを見る限り、その雑木林には灯りも何も見当たらないな、という事は、夜になったらその辺り一帯はほぼ真っ暗ということだ。つまりお前は、楽しめないぞ』
「あー……じゃあやっぱり斉木さんとあおか――すみませんいだいだいだい!」
 今度は反対側の頬っぺたに攻撃を受ける。
 斉木さん、勘弁勘弁。オレ本当にこぶとり爺さんになっちゃいます。
『桜見物は構わないが、朝の予報では今夜遅く雨と言っていたな』
「ええ、お天気お姉さんも、傘を忘れずにねっって手を振ってましたね」
 今日のお天気お姉さん、春らしいブラウスで可愛かったよな〜あの服だとおっぱい大きいのより目立って、もう最高だった。
 思い出し、グフグフデレデレとだらしなく緩むオレを置いて、斉木さんが早足て立ち去る。
 あーごめんなさいごめんなさい、待って待って!
『汚物キモーい、怖ーい、こっち来ないでくれます?』
「すんません、ごめんなさい、この通り!」
 オレは急いで追い付き、謝り倒す。
「で、どうっスか?」
『雨天中止だからな
「遅くって言ってたから大丈夫っスよ、雨降ったら帰りましょ、それまで、夜桜見物を楽しみましょうよ」
『……わかった』
 やれやれ仕方ないと渋々ながら承諾する斉木さんに、オレは満面の笑みで両手を握り締めた。

 

 夜遅くのはずの雨はしかし、もっと早くから降り出してしまった。
 ああ…雨天中止だよ。
 オレは窓を開け、止む気配のない本降りの雨にがっくりうなだれた。
 あの桜、先日見た時点でかなり満開に近かったから、この雨で散ってしまうだろうな。
 ああ、残念。
 また、来年。
「はぁあ……」
 身体の中から息がもれる。
 ガタピシ軋む雨戸を閉めていると、ざーっと降りしきっていた雨の音が不意にぴたりと止んだ。
「……ん?」
 通り雨だったとしても、随分急に上がるんだな。それとも、オレの耳がおかしくなったか?
 空を見上げると、何かに追い立てられるように雲が蹴散らされ、煌々と輝く半分の月が目に飛び込んだ。
「おぉ……」
 綺麗な月、えーと…あれって何の月って言うんだっけか。
 ナントカの月、綺麗だね。
『上弦の月だ』
「そうそう……うわぁっ!」
 突然の出現、突然のテレパシー。
 心臓がドキドキっと跳ね上がった。
 オレのすぐ後ろに突如湧いた斉木さんに、大げさに飛びのく。
 かなり鍛えられてきたと思うが、まだまだだな、やっぱり驚いてしまう。
『脈拍が早いな。死ぬ前触れか?』
「また、もー、物騒な」
 少し嬉しそうなのがまた憎たらしい。
 これはね斉木さん、思いがけない来訪に喜んでるからで、何も心配はいらないのだ。
『なんだ…そうか』
 心底残念がる斉木さんにも、だいぶ慣れたぞ。そんな顔されると、オレは逆に抱きしめたくなってしまう。
 我慢せずにオレはがばっと勢いよくいった。
「さ……がっ!」
 結果は、斉木さんに避けられテーブルで脛を打って悶絶。

 ベッドにばったりうつ伏せに倒れ込み、ズキズキ痛む脛に悶え苦しむオレの尻の上に、斉木さんが遠慮なくどっかり座り込む。
 うぐっ。
『雨天中止といったが、雨が上がっては仕方ないな』
「……あ! あれ斉木さんがやってくれたんですね!」
 オレは痛みも忘れて声を張り上げた。
『別に大した事はしてない。邪魔だから、ちょっと撫でただけだ』
 いやいや大した事してるし、ちょっとどこの話じゃない。この人はほんとにもう…オレは嬉しくなって両の拳を握りしめた。
『で、どこに行くんだって?』
「はい、高台にある雑木林なんスけど……あの斉木さん、そろそろ退いてもらってもいいっスか?」
 重さはそれほどではないのだが、長い事乗ってられるとやはりじわじわ痺れてくる、
『わかった』
 返答にほっとしたのも束の間、床につけていた足を持ち上げ、オレの上で体育座りする斉木さん。
「ちょちょちょ!……ぬぐぐ!」
 身体を捻って逃れようとするが、斉木さんがバランスを崩して倒れたらと思うと本気が出せなかった。
 斉木さんがそいつを鼻で笑う。
『超能力者相手に、なにその心配』
「いやだって、うっかり壁に頭ぶつけるとか床に倒れるとか、絶対ないとは言い切れないですし」
『お前じゃあるまいし』
「そりゃ斉木さんならないかもですけど、万一って事もあるでしょ」
『お前じゃあるまいし』
「もおー……斉木さん、抱きしめてチューしたいっス!」
 こうなったら素直が一番だと、オレはストレートに頼み込んだ。
『さっさと用意しろ』
 そんなオレの後頭部をぱしんとはたいて、斉木さんは立ち上がった。
 もおーちぇっ。
 オレは起き上がり、腕組みして立つ斉木さんを横目に恨めしく見ながら、支度に取り掛かった。

 

 日も暮れた真っ暗な雑木林だが、意外と幽霊の姿はあって、ほっとした。
 もしも不良の類がいたら斉木さんが追っ払ってくれるし、これなら安心だ。
 あと怖いのは野生動物だが、それも斉木さんにお願いしよう。
『何もかも僕任せじゃないか。お前、埋め合わせ出来るものあるのか?』
「えーっと……綺麗な夜桜と、すごくうるさいオレで、どうでしょう」
 あと、斉木さんがその気になった時に、オレのオレでナニします!
 すると斉木さんは大きく長い溜息を吐いた。まあそらそうだよな。えへへ、とご機嫌を伺う。
『野生動物を退ける事が出来るなら、呼び寄せるのも当然出来るって事、お前わかってるか?』
 飢えた連中が寄ってきたところで僕だけ逃げるなんて、造作もないぞ。
 そんな言葉で脅され、オレは全身で震え上がった。当然あそこも縮む。斉木さんはそこでオレの股間に視線を注ぎ、ふんと鼻で笑った。
 ちょとー!
 確かに今は最小サイズだけど、それはアンタが脅したからでしょー!
 狙って笑うの、やめてくれません?
 わかってても零太泣いちゃう。
 なんてふざけたせいか、本当に泣いてしまう事態に見舞われた。
 雨上がりで地面が滑りやすくなっており、更には盛り上がった木の根につま先をつっかけて、オレは盛大に転んでしまったのだ。
「あっ……!」
 しかも倒れた先にあった別の木の根で顔面を打ち、前歯を折ってしまった。
 頭にがーんと衝撃が突き抜ける。何が起こったのかすぐにはわからなかった。
 遅れて痛みがやってきて、歯が折れたのだとわかった瞬間、涙がどっと溢れた。
 ぼたぼたと涙が零れ、口からも、ぼたぼたと血が垂れ落ちる。
「見た今の、やだもう……――!」
 痛みよりも、ドジったのと泣いてるのとが恥ずかしくて、オレは無理やり笑って立ち上がった。
 思い切りおちゃらけるオレを、斉木さんがきつく抱きしめる。
「あ……斉木さ……血で服、汚れちゃいます……」
 驚きの余りオレはしどろもどろに言った。
『復元した。もう治ってる』
「え、いや……」
 これくらいの怪我なんて十分もしないで治るから、わざわざ復元するまでもないのに。
 オレは恐る恐る前歯に指を持っていった。ほんとだ、もう生えてる…ああいや、一日前に戻ったのか。
『お前の泣き顔は気が滅入るといっただろ』
「……すんません」
 息が苦しくなるほどの抱擁には、それ以上の意味が含まれているように思えた。
 オレがバカでドジなせいですんません、斉木さん。
 詫びの気持ちを込めて、オレは抱き返した。

 そこからは気を付けて進み、ようやく目指す一本きりの桜にたどり着いた。
 昼とは全く様子が違う上、真っ暗な中をほぼ手探りで進むので、道が全くわからなかったが、そこは幽霊たちに教えてもらい切り抜けた。
「この先ですって、斉木さん」
 やっとだと、オレは声を弾ませた。
 だが――。
「ああ、雨で……」
 半分の月明かりでも充分様子をうかがい知る事は出来た。
 先程降った雨のせいで、満開を迎えた桜はほとんどが散り落ちてしまっていた。
「……ああ」
 申し訳ない気分で一杯になる。
 せっかく雨雲を蹴散らしてくれたのに、オレの怪我を治してくれたのに、そこまで手間をかけたのに。
『いいや。こうなったら意地でも夜桜を楽しむ』
 言葉通りの強い顔で、斉木さんは桜の樹を見上げた。
 でも、どうやって…そうか、復元か。
 その通りで、斉木さんは幹に当てた手から念を送り、樹の時間を一日前に戻した。
 たちまちオレたちの前に、満開の桜が蘇る。
「おー、すげー……ありがと斉木さん!」
 満面の笑みで礼を言う。やっと少し、斉木さんの顔も柔らかくなった。
 オレは足元に気を付けつつ、ぼんやりながら見える薄色の桜を楽しんだ。
「あ、ねえ斉木さんこっちこっち」
 重なる花の間から、上手く月が見えるところがあった。一緒に見ようと誘う。
「ほら、ここから、ここの……見えます?」
 オレは一生懸命肩を寄せて、ほんのちょっとの隙間なのだと斉木さんに教える。
 そうやって一心に空を指差していると、頬に柔らかいものが触れてきた。
 キスされたのだと気付いたのは、斉木さんが離れてからだった。
「……もおー」
 オレはさっと頬を押さえた。顔が熱いから、きっと真っ赤になってるよこれ。
 だってさ、不意打ちとかさ、やる事が憎いよ斉木さんはもう。
 照れ隠しに横目で睨むと、思いがけず熱心な眼差しがあり、束の間息が止まった。
 そこで不意に強い風が吹き荒れ、ざあっと桜の枝を揺らした。
 たちまち視界が、舞い散る薄色の花びらで一杯になる。
 そんな中、斉木さんは親指でオレの上唇に触れると、顔を近付けた。
 目の前を過っていくたくさんの花びらで、視界がちらついた。
 オレは、そんな一瞬の間さえも怖くなって、さっきの斉木さんのように力強く抱きしめた。
 抱き返す腕もまたしっかりとオレを閉じ込める。
 異なる体温も、ずれた鼓動も、お互いがここにいる事をはっきりさせてくれて、安心させてくれて、嬉しかった。
 オレたちはしばしの間、口付けたまま抱き合って過ごした。

『見えやすくなったな、月』
 お互いの髪や服に降り注いだ花びらを取りっこしていると、斉木さんが天空を指差した。
 確かに、今の風で大半が散ってしまった。
 ほんの十分ほどの夜桜見物であった。
「楽しめました?」
 オレが考えていたのとはまるで違ったので、がっかりしてやいないかと心配になる。
『ああ、お前の間抜けな泣き顔も拝めたしな、充分満足した』
「そーゆー意地悪言わないの。めっスよ」
 怖い顔をしてみせるが、斉木さんは涼しい顔で取り合わない。
「まあでも、楽しめたんなら良かったっス。ね、そんで、やります? お外で」
『外ではやらん。またお前が転んでピーピー泣いたら、鬱陶しくてかなわんからな』
「鬱陶しいって…さっきはあんなに心配したくせに」
『してない』
「してましたー。あばら折れそうなほどオレに抱き着いたの、どこの誰っスかねえ」
 たちまち斉木さんの顔に薄暗い笑みが浮かび、左手が、ゆっくりとオレに迫る。
 オレはその手をそっと掴み、命だけはどうかお許しをと唱えながら必死に見つめた。
「もう、斉木さん、たまには素直に」
『素直だから、今すぐ、お前に死んでもらいたい』
「それは、後のお楽しみに取っておきましょうよ」
 百年後くらいに
 ね、と、両手で斉木さんの手を握る。
 やれやれ仕方ないと、斉木さんは殺意を引っ込めた。
 ほんと、ひねくれ者で物騒で、世界一可愛くて、オレにはもったいない。
「ねえほら、ちょっと残った桜と月と、これはこれで綺麗じゃないっスか」
『……そうだな』
 悪くないと、斉木さんも見上げる。
 雨の心配もないし、もう少し、ゆっくり楽しんでいきましょう。
 明日会った時、昨日の桜綺麗だったね、楽しかったねって語り合いたいから、もう少しだけ、一緒に。

 だから斉木さん、また明日と言うのは、もう少しだけ待ってください。

 

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