お手伝い

やっぱりうるさい

 

 

 

 

 

 肩まで伸びた薄緑の髪をなびかせて、食べごろのお姉さんが左から右へ軽快に滑っていく。
 ふわふわモコモコの白いカーディガンが、とっても眩しいね!
 見送っていると、次に女子三人組が楽しげにキャアキャア声を張り上げながら、オレの前を通り過ぎていく。
 こっちもまた、三人揃って良い熟れ具合だこと!
 鼻の下が伸びっぱなしでオレもう大変。
 いいねいいね、スケート場いいじゃん。
 海やプールに比べたら露出控えめだけど、夏の室内リンクならではの軽い重ね着も、中々おつじゃありませんか。
 ねえ、斉木さん――あれ?
 オレと一緒にリンクに立ったはずの斉木さんの姿が、隣にない事に、今になってオレは気付いた。
 あれ、どこ斉木さん、どこ?
 どこに行ってしまったのかと、オレは慌てて広いリンク内を見渡した。
 濃桃色の髪した人物を目で追うが、探している途中で思い出す。今日は斉木さん、こげ茶のニットキャップかぶってるんだった。となると、探し出すのひと苦労だぞ。
 参ったと、手すりに掴まりあっちきょろきょろ、こっちきょろきょろ懸命になって探していると、まるで引き寄せられるようにして、リンクを挟んだ真向いにある休憩室からオレを見る斉木さんと目が合った、
(いつの間に!)
(え、てかほんといつの間に? もう休憩?)
『売店で、美味そうなコーヒーゼリーが売ってるのを見かけたものでな』
 ああ、そうっスか。そりゃ斉木さんだったら我慢出来ずまっしぐらに向かうよね。
 でもオレを置いてくなんてひどいっス。それも何も言わずに。
『忙しそうだから、邪魔しちゃ悪いと思ってな』
 やばい、まずい、怒らせちゃったな。
『それよりお前、いつまで掴まってるつもりだ?』
 斉木さんの指摘に、オレはぎくりと頬を引き攣らせた。
 どんなに装ったところで、聞こえてしまう人には無駄なあがきなのだが。
 オレがスケートを滑れない事など、斉木さんには最初からお見通し、オレが誘った時から、とっくに丸見え筒抜けだった。
 それでも誘いに応じて一緒に来てくれたというのに、オレはいつも通りのゆるさで、あっちのカワイ子ちゃんこっちの熟れ頃ちゃんによそ見して、斉木さんを不快にさせてしまった。
 今日の為に買った新品の手袋をじっと見つめ、硬く口を結んだ。

 

 すんません斉木さん、これがオレなもんで、ほんとすんません。
 でもどうか安心してください斉木さん、あっちこっち見ちゃうオレですけど、斉木さんが一番ですから。
 斉木さんの事を一番に想ってますから。
 本当ですから信じてください。
『うるさいな』
 文字を読み上げるほどに静かに平坦に、頭の中で言葉が響く。
 オレは即座にすんませんと呟いた。
 これは、相当怒ってるんだ。
 そりゃそうだ、せっかく二人で来ているのに、片方がもう一方をそっちのけにあちこち見てちゃ、いい気はしない。
 遠くても、斉木さんの目がじっとオレに注がれているのがわかった。オレはいたたまれなくなって足元に目を落とした。
 こうして立つだけなら、かろうじて姿勢を保つ事が出来るが、滑るなんてとんでもない。歩くのだってきっとままならないだろう。
 オレは、謝る為に斉木さんに近寄る事すら出来ないのだ。
『別に謝ってほしくはないがな』
 だよな、こんなオレの薄っぺらな謝罪とか、いらんよな。
『ああ、いらん。だが、お前がそこで突っ立ってるのを見るのも、そろそろ飽きた』
 いや、まだ帰りたくないっス、斉木さん。
 どうやって機嫌直してもらおう。
 オレは必死に思考を回転させた。

 

 美味いもので釣ろうかしかしあからさまなご機嫌取りじゃかえって機嫌損ねるだろうし――
 言葉でヨイショしてみるかでも嘘くせえとか道端のゲロを見る目されるのがオチだろな――
 もしそんな目されたら悪いってわかってても下半身直撃でえらい事なるよなオレの場合――

 

 はぁ…どの女の子も可愛いし、斉木さんはもっと可愛い。
 目が腐ってるだの脳みそが手遅れだの斉木さんは言うけど、ほんとのほんとに斉木さんが一番可愛い。
 好きで好きでたまらない、可愛い人。
 まず顔が可愛い、可愛いしカッコいい、いや美しいかな?
 目だね、目が綺麗。
 オレは、斉木さんのどこが良いかを指折り数え始めた。
『うるさい』
 しかしすぐに、斉木さんの囁くようなひと言で中断となった。
 すんません。
 再びオレは呟く。
『謝罪はいらないと言ってるだろ。それより、お前が滑れるよう手伝ってやるから、さっさとこっちに来い』
 いつまで僕を一人にしておくつもりだ。
『いつまで、恋人をほったらかしにすれば、気が済むんだ?』
「!…」
 それまでずっと、平坦で一本調子で何の感慨も含んでなかった斉木さんの声に、初めて、感情が乗った。
 一人にするなと怒りに染まった声に、オレは息を飲んだ。
 すんませんと声に出し、オレは下に向けていた目を上げた。
『お前が女好きの変態クズなのは、今に始まった事じゃないからな』
「おわっ!」
 手すりに掴まっていた手が、見えない手によって強制的に引っ張られる。オレは弾かれたように斉木さんを見やった。
『足の運び方からだ』
「お、お手柔らかにお願いします……」
 こうして斉木さんのレッスンが始まった。

 

 リンクを半周して真向いにたどりつくまで、オレは数えきれないほど転んだ。上手な転び方も教わっていたので頭を打つ事はなかったが、膝とか腰とかあちこち痛い。帰ったら早速見てみよう、絶対青あざになっているに違いない。
 いかにも初心者丸出しで、ふらふらのがくがく、息も絶え絶えながらようやく向かいに到着したオレは、ずっと頭の中を占めていた斉木さんへの想いをますます膨らませながら、休憩室に向かった。
 まるで、何度も命を落としかけながらも、恋人に会いたい一心で数々の試練を乗り越えた勇者のごとき面持ちで、斉木さんの顔を見る。
『ちょっと滑っただけだろ』
 そんなオレを、斉木さんは冷めきった顔で迎えた。
 確かにそうである。モンスターと命がけの死闘を繰り広げた訳でも、危険な道のりを越えてきたわけでもない。平坦なスケートリンクを半周、滑っただけだ。
 オレは苦笑いで、斉木さんの隣に立った。
『勇者気取りしたいなら、乗ってやらんこともない。そら、ここまで来た褒美だ』
 斉木さんが、ぞんざいにカップのドリンクをオレに寄越す。
「うわ、あざっス!」
 思ってもない展開に、オレは満面の笑みで受け取りストローに口を付けた。
「何スか?」
『お前と目があった時に買ったアイスコーヒーだ』
 ウキウキした気持ちが一気にしぼむ。いや、嬉しい事は嬉しい、斉木さんからご馳走になるとか嬉しい以外ありえない。けど、どうせならもっと間際に買ってほしかった。
 オレと目があった時って、あれからどんだけ時間経ってると思ってるんスか斉木さん。中の氷全部溶けちゃって、すごい薄まっちゃってるし。
 冷えてて美味しいけどさ、コーヒー風味の冷水だよこれ。
 とはいえ、すっかり喉がカラカラだったオレは有難く頂き、一気に飲み干した。
 ふう…美味いや。
『飲んだな、じゃ行くか』
 斉木さんが立ち上がる
「え……帰るんスか?」
 身体の内側がすうっと冷えていく。
『いや。せっかくだから、お前が滑れるようになるまで付き合ってやるよ』
「え……ほんと?」
『ああ、それで、調子に乗ったお前がナンパに励んで大失敗するところを、見届けたい』
 今日来た最大の目的だからなと、とってもいい笑顔の斉木さんに、オレは別の意味で意識が遠のきかけた。

 

 付き合ってやると言った斉木さんだが、手取り足取り傍についてってわけではなかった。
 オレと少し距離を開けて前を滑り、テレパシーであれこれ指示を出してきた。
 一緒に手を繋いで滑れると期待したオレは大いにがっかりしたが、斉木さんの滑走を見ながら練習ってのも、そう悪いものでもなかった。
 段々、余裕をもって滑れるようになってきた。
 まだまだへっぴり腰の初心者振りだけど、全神経を集中しなくてもよくなって、少しずつ、滑るのが楽しくなってきた。
 そうなると、横目でよそ見する余裕も出てきて、オレは、前を行く斉木さんはもちろんの事、さっき見た女の子たちや新たなカワイ子ちゃんを目の端にちらちら映しがちになった。
 うん、でも、やっぱり斉木さんが一番だな。
 ああオレってば本当に斉木さん一筋だ。
『嘘つけ』
 さすがに黙っていられなかったのか、斉木さんのツッコミが頭に響き渡った。
(嘘じゃねーし!)
 前を行く背中にじっと視線を注ぎ、オレはむきになって返した。
 嘘じゃないもん、斉木さん以外が一割くらい混じってたかもしれないけど、それでもオレは斉木さん一筋だ。
 何でも見通すめちゃくちゃ怖い超能力者に向かって、オレは苦しい言い訳を重ねる
 さっきの事は謝る、この通り!
 だから怒らないで斉木さん。
『こっち来んな変態クズ』
 斉木さんはそうテレパシーを叩き付けると、少しスピードを上げた。
「あ……!」
(待って下さいよ斉木さあん!)
 負けじとオレも足を踏み出すが、ヨチヨチ歩きがやっとのオレにスピードアップなんてまだ早かった。
 たちまち転んで尻餅をつく。
 痛いとか言ってる場合じゃない、こんなとこで休んでる暇はない。
 オレはすぐに立ち上がって、斉木さんを追った。
『焦るな』
 そんなオレを、斉木さんが制する。ほんの数メートル先で停止し、手すりに掴まってオレを見ていた。
 そうは言っても早くアンタの傍に行きたいんだ、そりゃ焦りもする。
 慣れない筋肉使ってすっかりくたくたで、息も切れ切れだけど、オレは力を振り絞って滑った。
 たちまち、そうじゃないぞと指摘が入る。
『重心が悪い。さっき教えただろ』
 ああ、そうだった。オレはすぐに姿勢を改め、集中し直した。
 見ると、斉木さんはさっきと同じくオレから数メートル離れた場所に停止していた。
 オレが進む分だけ斉木さんも進んで、全然距離が縮まらない。
 馬鹿にしやがって。オレは教わった分だけわかった足運びで、懸命に斉木さんを追った。
 よそ見するのも忘れて、オレはひたすら追いかける。
 こっちはすっかり息が上がってるのに、斉木さんはいつ見ても涼しい顔で、まるで瞬間移動してるのかってくらい姿勢も変わらず、同じ格好でじっとオレに視線を注いでいた。
 オレは、早く追い付きたい一心で滑った。
 転んだり、転びそうになったりしながら、気付けばリンクを一周していた。
 ずっと斉木さんの事ばかり考えていた。美しい佇まいに心を奪われ、馬鹿みたいに好きだ好きだと繰り返しながら、中々追い付けない斉木さんを追っていた。
 そうやって夢中で滑って、一周したオレを、斉木さんはねぎらうどころかうるさいと迎えた。

『本当にうるさい』

(もう、なんなんスかさっきから、うるさいうるさいって人の事!)
 誉め言葉まではいかなくても、もう少し言いようってものがあるだろうと、オレは氷を踏み付けた。
 そんなに何度も繰り返さなくたっていいじゃないか。
 怒りも湧くし、いい加減悲しくもなる。
 一体どういうつもりなんだと、少しみじめな気持ちになった
 恨みがましく見やった斉木さんは、うるさいと言う割にはとても穏やかな顔でオレを見つめてきた。
 いつものような汚物を見る目でも、死骸を見る目でもない。
 何かを一心に念じて、ひたむきに見つめる眼差しに射抜かれ、オレはたまらなくキスしたくなった。
 怒りや悲しみなんて即座に吹き飛び、ただただ、心が熱くなる。
 オレたちの傍を、カップルや、親子連れや、仲良しグループが賑やかに通り過ぎていく。
 時折過る高い音を、反射的にうるさいと思う。
 笑い声は雑音として耳を擦った。
 自分とは無関係の声が、四方八方から聞こえてくる。
 まるで濁流だ。
 そうやって色んな音が聞こえながらも、オレの意識はひたすら斉木さんに引き寄せられていた。
『僕も同じだ』
(なんです?)
 オレは、斉木さんとの距離を少し縮めた。
『起きている限り、感知出来る範囲内の人の全ての思考が、頭に流れ込んでくる。そんな声の渦の中、自分は一人いる。どれだけ騒がしくても一人だ。誰も自分に向けてないから、これだけの人がいてこれだけの声がしても、一人だ』
 僕には一切関係ない声が響き渡る中、お前がうるさく僕を呼ぶのは本当に――ほっとする。
「なんだ…アンタ……うるさくされるのが好きなんスか」
 喧騒に埋もれるくらいの小声で、オレは呟いた。
 声に出した自覚はなかった。これまで何度も寄越された斉木さんのうるさいの意味を知って、心からほっとして、ため息に混じって声が出てしまったようだ。
 嫌いじゃない。
 お前限定で。
 そう返す斉木さんにもうほんのわずか、近付く。
 けれどここではキス出来ないし、それ以上なんてもってのほかだ。
 ああくそ、今すぐキスしたいのに。
 したいのに。
 もどかしく斉木さんを見つめる。
『奇遇だな、僕も同じだ』
「っ……!」
 帰るぞと目配せする斉木さんと競うようにして、オレはロッカーに向かった。

 

 瞬間移動でオレの部屋に飛んで、荷物も服も全部放り投げオレたちはひたすら互いを貪った。
 一回目はお互い昂り過ぎててあっという間にいってしまい、仕切り直して二回目に挑むもやはり、駆け足のようにせっかちに斉木さんの中にぶちまけた。
 三回目の今、ずっと下は性に合わぬとばかりに斉木さん自ら跨ってきて、オレの上で腰を振っている。
 オレはただただ目を見開いて、最高にエロい斉木さんを見つめていた。
 互いの荒い息遣いと、たっぷり使ったローションの卑猥な音だけが部屋に響き続けている。
 最初こそ余裕を見せた斉木さんだけど、すぐにいやらしく緩んで、たまらないとばかりに何度も首を振りながらオレに倒れ込んできた。
 オレも、下になってされるがままなんて性に合わないし、それだけじゃ斉木さんを喜ばせられないから、しっかり腰を抱きかかえて何度も何度も叩き付けた。
「っ…ぁっ……!」
 オレの耳元で大きな口を開け、時折そこからたえきれなくなった嬌声が飛び出してくるのに興奮しながら、オレは突き続けた。
 気持ち良いの斉木さん、どこが気持ち良いの?
 奥? ここが好き?
 ゴリゴリされるのと捏ねられるのと、どっちが好き?
 どっちも好き?
 自分から動いちゃうくらい、気持ち良いの?
『鳥束……うるさい!』
 何スか斉木さん、そんな睨んで。
 うるさいのがいいんでしょ、好きなんでしょ、ねえ斉木さん。
『あんまりうるさくて、気が狂いそうだ』
 奇遇っスね斉木さん、オレも、気が狂いそうなくらいアンタの事で頭が一杯だよ。どうしたらもっと気持ち良くなってもらえるのか、幸せにしてあげられるのか、気が狂いそうなくらいアンタの事で一杯になってるよ。
 どこを掘り返してもアンタの事ばっかで、他の名前なんて出てこない。
「好き…好き……」
 気付けば呟いていた。壊れたレコードみたいに繰り返して、斉木さんが好きだって全身で訴える。
 閉じ込めるように腕を回して抱きしめるが、斉木さんは抱き返してこなかった。そうしたいが出来ないほど、興奮しきっていた。あんまり昂り過ぎて力の制御が効かないから、出来るだけ両手をオレから遠ざける。その代わりというか、普段滅多に出さない声を駄々洩れにして、この時間がどれだけ良いものであるかをオレに聞かせた。
 気持ち良い
 何度もしゃくり上げながら、とろけきった声をオレに聞かせる。
 オレも、最高に気持ちいいです、斉木さん。
「も、いきそ……出る」
 はやく、と息がもれる。
 熱い吐息に急かされ、オレは限界まで膨れ上がった欲望を斉木さんの一番奥にぶちまけた。一拍遅れて、オレの腹に熱い何かが吐き出される。
「――っ!」
 とりつか
 幻のような斉木さんの声に、目の前が白く閃いた。
 腕の中でびくびくと不規則に痙攣する斉木さんをしっかり抱きとめ、オレは長い事余韻に浸った。

 

「うわー…こんなにっスか」
 ベッドに腰かけ、オレは両の脚にちらばるあざの数を数えた。
 ほとんどはもう薄れて消えかけているが、結構な数転んだものなあと、オレは思い返す。
 そんなオレには目もくれず、斉木さんは床に座って上機嫌でコーヒーゼリーを楽しんでいた。
 オレはしばしの間、至福の時間に浸る斉木さんを堪能した。
 ねえ斉木さん、今日、最高に楽しかったです。
 付き合ってくれてありがとう斉木さん。
 お陰で、何とか滑れるようになりましたよ。
 また行きましょうね。
 横顔を見つめながら、オレは心の中で感謝と愛情とを繰り返した。
 と、それまでの緩んだ顔が一変し、険しい目つきでじろりと斉木さんが睨み付けてきた。
「あ……うるさかったっスか」
 至福の時間を邪魔するなって顔に、即座に謝る。
 目付きも鋭く睨んだ斉木さんだが、すぐに、気まずそうに目を逸らした。
 あれ、そんなでもなかったかな、よかった。それにしても、斉木さんは本当に可愛いな。
『やっぱりうるさい』
 やっぱりうるさかったっスか、さーせん。
 でも、嫌いじゃないんですよね。
 斉木さんが大きくため息をつく。
 お前の言う通りなのが腹立たしいって息遣いがますます可愛く思えて、オレの脳内は更にうるさくなった。

 

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