お手伝い

朝っぱらから

 

 

 

 

 

 斉木さんはどちらかというと、寝起きは悪い方ではない。

 

 結構な回数斉木さんと目覚めを共にしているが、割とぱっと目が覚める方だ。
 たまに、あと五分なんて感じに甘えてくる事もあるけど、基本的には良い方だ。ぱっと目を開けてさっと起き上がる。
 だから、今日みたいに不機嫌を露わになんてのは、珍しい事だ。
 起き上がってベッドに腰かける姿勢まではいったが、ちょっと気を抜くとそのまま後ろにばったり倒れてしまいそうだし、もう顔付きからして不機嫌そのもの。
 まだ眠い〜と寝惚け眼なのではない、明らかに腹立ちを抱えている。
 原因はわかっている。
 今日が休みだからって昨夜遅くまでゲームで楽しんだし、その後のも目一杯楽しんだし…後半の理由が大きいな。
 つまりオレに対する不満で、今現在斉木さんの顔が怒りに歪んでいるのだ。
 ズボンを履き替えたところで、またベッドに座り込んでしまった。
「ああダメっスよそんな擦ったら、目蓋腫れちゃいますよ」
 人差し指でしきりに右目を擦るので、オレは慌ててやめさせた。一応手は下ろしたものの、ふてくされた顔で睨まれる。
 お前が昨夜遅くまでしつこくするから、と責める顔に苦笑いで応え、オレは宥めにかかった。
「そう怒らないで下さいよ」
 斉木さんだって、一杯楽しんだじゃないっスか。
 顔付きがますます険しくなった。どうやら応答の選択肢を間違えたようだ。
「すんません…着替えお手伝いするんで、機嫌直して下さいっス」
 オレはすぐ前で膝立ちになり、パジャマのボタンを一個ずつ外しにかかった。
 ボタンに手をかけた時、いらんとテレパシーを投げ付けられたが、宥めすかして続行する。
 次第に見え始めた肌に、オレは目を見張った。

「あ……」

 やべ、キスマークつけすぎた。
 オレの思考を読み取った斉木さんの顔が、更にどす黒くなる。
 自分で自分の身体を見下ろして確かめ、ため息をつくと、またオレに視線を戻した。
「さーせん……」
 じわじわと迫ってくる左手に、オレはかすれた声を絞り出した。
「待って待って、何でもしますから、どうか命だけは!」
 下げた頭の上に合わせた両手を振りかざし、一心に願う。
 斉木さんの短いため息が聞こえた。
『服を寄越せ』
「あ、は……はいっス!」
 オレを攻撃する為じゃなく、着替えを欲しての事だったのかと、オレは大げさに胸を撫で下ろした。
「なに着ます?」
『シャツとカーディガン。なんでもいい』
「はいはい、っと」
 オレは素早くクローゼットに向かい、希望の服を探した。
 白のボタンシャツはすぐ見つかった。さて、カーディガンはどれにしよう。
(このゼブラ柄はないな、うん、ない)
(あ、この色いいな。春らしくて綺麗だね)
 オレは右の方へ手を伸ばした。
 桜色というよりは、撫子のように可愛らしいピンクのカーディガンをシャツと一緒に渡す。
「はいどうぞ」
(ピンクが似合う男は、本物のイケメンさんなんだよね)
(なんでもさらっと着こなしちゃうんだから、斉木さんマジイケメン。可愛いしカッコいいし、無敵だね)
 眩しく見つめていると、下らない、というように斉木さんは短いため息をついた。
(それさえ絵になるんだから、アンタはすごいね)
 また、ため息。

 パジャマを脱ぎ去り、白いシャツに袖を通す動作を何気なく眺めていたら、なんでか胸がきゅうんとしてしまった。
 恥ずかしいねオレは。
『本当に恥ずかしくて気持ち悪いな、お前は』
 斉木さんがため息をつく。口元を手で覆って。というか、顔を掴むようにして。まるで顔を隠すみたいに。
「む……」
 そこまでやれやれしなくたって、いいじゃないっスか。
 オレがこんなだってのはとっくに知ってるでしょ。恥ずかしい奴なのも気持ち悪いのも全部ひっくるめてオレを選んでくれたんでしょうが。
 オレもため息をつく。
 もう、昨夜はあんなに素直で可愛かったのに。だからオレもつい調子に乗って、いつもよりたくさん肌に跡を残してしまった。やめろって言われたけどあんまり抵抗されないから、オレはすっかりのぼせて、跡をつけまくった。
 強く吸うとその分奥が締まって、気持ち良いんスよ。
 まるで口で吸うみたいに窄まって、オレをぎゅうって締め付けてきてね。
 だから余計やめられなくて、睨まれるくらいつけてしまった。
 やばい、思い出すとまた下半身にきそうだ。
 あと、禁句に触れてしまいそうだから別の事を考えよう、そうだ朝食の事を思い浮かべよう。
 現金なもので、そっちを考えると今度は急に空腹を感じた。そして空腹を感じた途端、腹がぐうっと鳴った。
 やだもう、今の、斉木さんに聞こえてないよね。
 まあ聞こえてなくても、オレのこの思考は聞こえちゃってるわけだから、どっちにしろ恥ずかしいんだけど。
「斉木さん、ごはん作りに行きましょう」
 お腹空いたでしょ。オレはご覧の通りっス。
 着替え終わった斉木さんを誘うが、何故かずっと同じポーズのまま、口元を手で覆ったままベッドに座っている。
 どうしたんスか、お腹空かないんスか。
 てかなんか、心なしか顔が赤いような。
 調子悪いのかな。
 眠そうなのも、実は具合が悪いせいなのかも。
 ええ、大丈夫かな。
 急に心配になり、オレは恐る恐る声をかけた。
「斉木さん?」
 具合悪いなら、横になった方がいいですよ。
『別に、具合が悪い訳じゃない』
 気まずそうに目を逸らす。
 しかしオレは半信半疑だ。
 そう?
 本当に?
 じゃあ、ごはん食べましょうよ。行きましょうよ。
 なんでいつまでも座ったままでいるんスか。
 斉木さん?
 顔を覗き込もうとして、オレはある一点に目が引き寄せられた。
「……ああ!」
 そして遅ればせながら、何故座ったきりなのか、何故顔が赤くなっているのか、理由を悟る。

 オレのせいだった。
 オレが昨夜の事を事細かに思い浮かべたせいで、斉木さんにも伝播して、つまり、催してしまったのだ。
 だから動けないし、顔も赤くなったのだ。
 口元を覆っているのも、オレに呆れたポーズじゃなくて、赤くなった顔を隠す為であった。
 っち。
 ああすんません斉木さん、だからそんな憎々しげに舌打ちしないで。
「こうなったら、責任もってお手伝いするっス」
『いい。少しすれば収まるから』
「まあそう言わずに」
 我慢は身体によくないっスよ。
 オレはベッドに押し倒し、ほんのり染まった斉木さんの頬を撫でた。見た目通り、少し熱い。
 朝から、と斉木さんが抵抗する。
 もちろん、朝から入れませんよ。
「口と手と、どっちがいいっスか?」
『調子に乗るな』
「うぐっ!」
 横っ腹に拳がめり込む。あまりの衝撃にオレはベッドに倒れ込んだ。それを避け、入れ替わりに斉木さんが起き上がる。
「もう……いつもいつも重いパンチを」
『充分手加減してるぞ。それに、急所を狙ってないだけありがたいと思え』
 お前を不能にするなどたやすいぞ。
 斉木さんの脅しにひゅっと股間が縮み上がる。
 震え上がったオレだが、すぐにきっと斉木さんを睨み付ける。
「そうしたら斉木さん、泣くのはアンタの方っスよ」
 攻撃に備え身を固くするオレの前で、斉木さんは頬を朱に染めた。
 ああ…よし、これなら押せると、オレは密かにこぶしを握った。
『いい加減にしろ』
「斉木さんこそ、いい加減口か手か決めて下さいよ」
 オレはやっとこ身体を起こし、あくまで手伝うと言い張る。
 ああもうまだるっこしい、いつまで抵抗してんスか。
 オレもアンタも気持ち良い事大好きなんだから、素直になりましょうよ。
「言わないなら、オレが決めるっスね。て事で、口でしてあげます」
『おい』
「っ…」
 抵抗する身体をもう一度ベッドに押し倒し、唇を塞ぐ。
『はなせ、この馬鹿』
 斉木さんの手がオレの後ろ髪を掴む、もう一方の手で肩を押しやられるが、オレは構わず舌を滑り込ませ口内を舐った。
 斉木さんの身体がびくりと反応する。
(ねえほら、斉木さん、気持ち良いの好きでしょ)
 後ろ髪を掴んでいた手がようやく離れ、背中を抱いた。
 口付けたまま目を覗き込むと、一度オレを睨んだ後、すっとよそへ逸らした。
 素直なのに、素直でない人に小さく笑い、オレはゆっくり身体をずらしていった。
 斉木さんは大人しく寝転がったまま、少しだけ、膝を開いた。

 

「斉木さん、もうちょっとでパンが焼けますよ」
 盛り付けたサラダをテーブルに運んで、斉木さんの好みそうなジャム各種を用意して、オレはせっせと朝食の準備を進めた。
 そんなオレからあからさまに顔を背けて、斉木さんは無視を決め込んだ。
 背筋を伸ばして行儀よく着席しているが、決してオレの方を見ようとしない。
 頬は明らかに膨れている。
 理由はわかってる。
 さっきのお手伝いのせいではない。
 スッキリした後ちょっと恥ずかしそうに気まずそうにしたけど、斉木さんもちゃんと満足してくれたし、あれは原因ではない。
 何が原因か、はっきりわかっている。
 気持ち良い事でいい気分になった斉木さんが、そのままの気分でいられるよう、オレは尽力した。
 朝ごはんの準備も、手伝いどころか全面的に買って出た。斉木さんは座ってるだけでいいですよなんて具合に、ベタベタに甘やかした。
 オレは斉木さん限定でそういうのが好きだから、あれやれこれやれの指示にはいはいとくるくる動いた。
 そこに色々打算計算はあるけれど、単純にやっていて楽しいからだ。
 でも一点だけ、一つだけ頷かなかった事がある。
 そのせいで、斉木さんは不機嫌になったのだ。
 不機嫌どころかオレに殺意すら抱いてるかもしれない。
 でもダメっス、コーヒーゼリーは、ごはんを食べてからっス!
 いくら不機嫌になられようが、オレも毅然とした態度で臨むまで――なんて、オレには所詮無理なんだよな。
 命が惜しいってのもあるけどそれよりも、斉木さんが上機嫌でいてくれるのが何より嬉しいから、結局折れてしまうのだ。
「斉木さん」
 オレは冷蔵庫からコーヒーゼリーを取り出し、振り返った。
「食べるの、お手伝いしましょうか」
 冷え冷えとした視線に寿命がいくらか縮まったが、斉木さんのうっとりモニュモニュで元に戻った。
 オレは本当に易い男である。
 向かいに座ってニコニコにたにた見守っていると、トースターが軽快な音を響かせた。
 さて、朝ご飯にしますか。

 

目次