おはよう
広がる枝葉
衣替えを済ませたばかりというのに、日中の日差しはもう完全に夏のそれだ。炎天下のもと登下校するのが中々きつい。 暑さにぐったりするが、通学路で斉木さんを見かけると心が弾んで、たちまち元気になった。 道端で見かける幽霊たちにかける声も、自然と弾む。 オレを知ってる人も知らない人も、オレのこの行動に怪訝な顔をする。 彼らには見えないのだから当然だ。端から見るとオレは、何もない場所に声をかける奇人変人。 しょうがない、これがいつもの事。そうやってオレは育ってきた。 けれどそれを崩した人がいた。 名前は斉木楠雄(十六) 身長167cm 体重52kg 好きなものはコーヒーゼリー、スイーツ全般 苦手なものは虫 嫌いなのは目立つこと、面倒ごと ママさんからくーちゃんと呼ばれている 漫画を読む、小説を読む、ゲームもする よく見るテレビ番組はミステリーもの あらゆる超能力を備えた無敵の高校生 どんな願いも思いのままなのに、目立たず静かに暮らしたい人 面倒ごとは大嫌いなのに、その癖本当には放っておけず、そっと手を貸すお人よし 幽霊から聞いた事や、オレ自身で知った事を足したのがこれ。 これ、本人が知ったらどう思うのかね。 オレとしちゃ、こんなにも自分の事知りたいって思ってくれるなんてって喜ぶところだけど、相手はあの斉木さんだものなあ。 ポジティブな展開がまるで思い浮かばない。 悪い方悪い方に思考がいってしまう。 本命にはガンガンいけないし、上手くいった試しがないし、どうしたってネガティブになってしまうのは仕方がない。 何をどうしたらいいのかもわからない。 コーヒーゼリーで釣ってみるとか? 評判のカフェに誘ってみるとか? ゲームもよくやるらしいから、ソフト持ってお邪魔するとか? ゲーセンやカラオケに誘うとか? ダメだ、全然分からない。 たまに燃堂に、お、シュゴレーくんもラーメン行こうぜ と誘われてついていくのが精一杯だ。 ラーメン一杯食べる間の、ほんのわずかな共有が、今のオレの精一杯。 ちょっとずつわかってきたあの人の事をもっと知るには、どうしたらいいんだろう。 これは、この気持ちは何なんだろう。 |
そうこうしている内に一日が終わり、思い悩む夜を越えて、朝が来る。 今日もオレは通学路で、いつものように斉木さんにおはようと声をかける。 |
「おはよーっス斉木さん、そろそろ夏休みっスね」 話題があったので、繋げてみた。 「どっか出掛けたりするんスか?」 答えはなんとなくわかっていたが、沈黙が嫌で、オレは続けた。 思った通り、どこに行っても人で一杯だろうからずっと家にいる、と返答があった。 もしかしたらどっか行こうかと誘ってもらえるかもなんて、夢のまた夢だったな。 大体、そんな間柄でもないのに。 能力者って点では同じだけど、それ以上がない。 学年が同じで、たまに放課後一緒にラーメン寄ったりするくらいの、そんな関係。 じゃあ自分から誘えよって話だけど、そいつは無理だ。 オレは本命には以下同文。 ぐるぐる考えていると、斉木さんが何か云い含む目でオレを見てきた。 そういや時々、こういう目を寄越されるんだよな。 きっと、また気持ち悪い事考えてるなコイツ、って目だな。間違いない。 オレに遠慮なんてない人の、遠慮のない視線に、何故かこの時のオレは吹っ切れた。 何かを言うなら今だと、猛烈にそんな気分になったのだ。 「夏休み、どっか行きませんか?」 気付いたら、そんな文句で誘っていた。このオレが。 斉木さんは思った通り、ゴミ溜めを見る目でオレを見やって、さっき言った事もう忘れたのか、とうんざりした顔でぶつけてきた。 夏のように暑い日差しが降り注いでいるというのに、オレの背中はたちまち氷のように冷え切った。 そうっスよね。どこかに出かけるの、嫌いなんスよね。 寒くて震えが走る。 斉木さんに覚られまいと抑え込むのに四苦八苦していると、だから、と斉木さんは続けた。 だから、家に来る分には構わないと続けられ、オレは目を一杯に見開いた。 『来るなら、コーヒーゼリー忘れるなよ』 当然だろうと付け足す遠慮のなさに、何だコイツと腹立つよりも、はい喜んでと嬉しくなる方が勝った。 オレが何だコイツだ。でもだって、こんな風に招かれて、嬉しくならないわけがない。 オレはすっかり舞い上がり、暑さも忘れて学校への道を張り切ってたどった。 |
夏休み、オレはコーヒーゼリーを手土産に斉木さんちにお邪魔した。 ゲーム好きって情報から、家にあるソフトをいくつか見繕い持参した。 斉木さんちには、さっぱり聞いた事ないゲーム会社のソフトがあった。 何でも、ネタバレが嫌で、必然的にそうなってしまうのだとか。 へえー、そりゃご苦労ですね。 超能力者の知られざる苦労に触れ、オレは密かに同情した。 最初の訪問で、何一つ便利な事などないと説明されたけど、こんな事にも及んでいるのだと、制限だらけなのだと知ると、この人への気持ちが猛烈に膨れ上がるのを感じた。 次に来る時はじゃあ、ネタバレ関係ないレースゲームとか、格闘もの持ってきます。 オレはそう約束した。 また来るつもりかと斉木さんにうんざりされたが、コーヒーゼリーお持ちしますんで、どうか一つとオレは頼み込んだ。 やれやれ仕方ないな…満更でもない顔になったのが、どうしようもなく可愛かった。 少し前からだが、オレはもう自分をごまかさず、この人は可愛いと正面切って思うようになっていた。 コーヒーゼリー一つであんなにうっとりするなんて、可愛い以外に表しようがない。 それ以外にも可愛いと思う瞬間はあった。 ほとんど表情が変わらず、オレには更にドブの底のような目を寄越す人だけど、思ったよりもずっと喜や楽を顔に出す事が多かった。 声に出すまではいかないが、よく笑う人だった。 |
夏休みに入って、何度目かの訪問。 その日オレは、ここの所やり込んでかなり腕を上げただろうと思ったゲームで、斉木さんに勝負を挑んだ。 選んだキャラクターの特性を生かして、様々な仕掛けのあるコースを駆け抜け、先にゴールした方が勝ち、という内容のゲームだ。 「勝った方がコイツを食べる、どうっスか?」 オレは恐れ知らずにも、コーヒーゼリーを賭けて試合に臨んだ。 始める前から勝負はついてるとばかりに、斉木さんは余裕の表情でオレに鼻を鳴らした。 まったくその通りで、オレは惜しいというレベルにも到達していなかった。 あんなに練習したのにくそう、と歯ぎしりするのもおこがましいレベル。 先に三回ゴールした方が勝ちで、斉木さんはとっとと二勝していた。 諦め半分で挑んだ最後の一回、偶然にもオレのキャラは斉木さんに先んじる事が出来た。 すごい、よし、よし、このペースを守って進めば、せめて勝ちを一つ手にする事が出来る! その焦りが悪かったのだろう、ゴール目前の直線で、オレは丸見えの罠に足を取られて大幅に遅れ、結局負けてしまった。 もうあとちょっとと希望が見えていただけに、オレはつい、天を仰いで泣き声を上げてしまった。 『泣くな、うるさいぞ』 そんなオレを尻目に、斉木さんは戦利品のコーヒーゼリーに手を伸ばした。 「うえぇー……」 言ってしまうと、コーヒーゼリーがどうしても食べたいってわけではなかった。コーヒーゼリー食べたさに泣いてるわけではない。 自分がただ悔しいのだ。 斉木さんの遊び相手にもなれない自分が、ただただ悔しい。 オレがもう少し歯応えがあったら、斉木さんだって、毎日がもう少し楽しくなるんじゃないか。 不甲斐なさと、驕った自分を恥じるのとで、泣けて仕方ないのだ。実際涙を流すまではいかないが、今にも出そうで本当に恥ずかしい。 『まったくうるさいな、ほら』 みっともなく大口開けてわあわあ喚いていると、斉木さんはスプーンにすくったコーヒーゼリーをサイコキネシスでオレの口に放り込んだ。 『ちょっと惜しかった分だ』 それで泣き止めと、困り果てた顔でオレを見やった。 手のかかる子供をあやすみたいにされて、オレはますます泣けてきた。 口にしたコーヒーゼリーは、冷たく甘い。泣くのも忘れてオレは美味いと唸った、するとそれまで困ったような顔だったのが、当然だと笑みに変わり、オレの目を釘付けにした。 自分の好きなものを称賛されたら誰だって、超能力者だって、嬉しくなるものなのだ。 ああ、可愛い人だな。 口の中に残るコーヒーゼリーの香りと共に、オレはじっくり味わった。 |
その次の訪問では、スピードを競うとかのゲームは止めて、協力プレイものを選んだ。 そのゲームはオレも斉木さんも初めてプレイするものだった。 画面は左右スクロールで、珍妙な格好のキャラを操作して、途中の様々なトラップを回避しゴールを目指す、というもの。 これがまた、最高に笑えた。 キャラクターの格好だけでなく動きもとんでもなく珍妙で、左右に動かすだけでもう何だこれはと笑いが零れた。 進むにしても後退するにしてもとにかくスムーズに行かず、また画面上のキャラはすれ違うという事が出来ないので、相手を飛び越えるなりして進まないといけない。 そしてその時、相手が何らかのアクションをした場合、こちらの動きが阻害されてしまうのだ。飛び越える事が出来ないくらいならいいが、キックで大幅に飛ばされる事だってある。 距離が離れるだけならまだしも、落下した場合は、二人で協力モードをプレイ中なので、また最初からやり直しになる。一人ではゴール出来ないのだ。 何回キャラが死んだからゲームオーバーとか、時間制限といったものはないので、何度でもプレイ可能ではある。 そこに斉木さんは目を付け、オレが選んだこの紫が目障りとか言って、キックで進行を邪魔する、落下させる、針山のトラップにわざと追い込むなどなど、色んな手段でオレのキャラを行動不能に追いやった。 「いやいやこれ、協力プレイっスから!」 もう動かなくなったというのに、尚も追い打ちをかける斉木さんに、オレは涙目で抗議した。 『だいじょうぶかとりつかー、だいじょうぶかー』 斉木さんは芝居がかった物言いで、オレのキャラをぐさりぐさりと針山に突き刺した。 「全然だいじょぶじゃねーし!」 オレの可愛い紫ちゃんが、血まみれじゃないっスか! 「はいもう、やり直し!」 『次はちゃんとやる』 「ちゃんとやるって言って、もう五回目ですよ! 次で六回目!」 『まかせろ』 まかせらんねえ! 案の定、またまた蹴り落とされるオレの紫ちゃん。 「もー、ちっともゴールできないじゃないっスか! って言ってる傍からはい七回目!」 『ごめん☆』 「ごめんじゃないし! しかもやりすぎで斉木さんも死んだァー!」 画面上で、オレの紫と斉木さんのピンク、どちらのキャラも針山にかかりぐったりしていた。 オレはもうおかしくておかしくて、腹を抱えて笑い転げた。 「斉木さん! もう全然違うゲームになってるじゃないっスか! これ、二人で協力してゴールを目指すってものっスから! いかにオレを殺すかってゲームじゃないっスから!」 この時は、斉木さんも珍しく肩を震わせて笑っていた。 超能力者だって、楽しければ笑うし、困る事もあるし、得意げになる事だってある。 わかりやすいのもそうでないのもある。 そういったものを一つ手にする度、オレはより強くこの人に惹かれていくのだった。 |
一杯に茂った葉は青々と艶やかで、痛いくらいオレの心に広がっている。 |