おはよう

正体不明の双葉

 

 

 

 

 

「おはよーっス、斉木さん」
 通学路で顔を合わせたその人に、オレはいつものように片手を上げる。
 すっかり春めいてきた今日この頃、斉木さんのオレに対する態度はいつも変わらず氷結だ。
 けどオレはなぜか、ここ最近斉木さんを見ると、変に鼓動が早くなってしまう。

 

 転校初日、超能力者らしい方法で口止めされ、慄きと共に面倒な人間だと頭に刷り込まれた。
 だがうまく利用する為に我慢だと自分に言い聞かせ、朝に積極的に挨拶したり、昼一緒になったり、帰りもお供したり、何かとアピールしまくった。
 斉木さんは心が読めるから、オレの魂胆などお見通しだろう。その証拠に、あからさまにオレを避け、追い払い、邪険にして、まったく容赦がない。
 随分な仕打ちじゃないかと腹が立ったしそれだけされたら悲しくなるのも当然で、カリカリする日もあれば、逆にしょんぼりと落ち込む事もあった。
 だがそれでも、斉木さんには超能力という他の誰にもない魅力があったし、またそれを差っ引いても、人間として、不思議な引力を持っていた。
 追い払われても追い払われても、オレが斉木さんに付きまとう事をやめられないのは、後者の引力の方が強かったからかもしれない。

 

 またそれとは別に、オレの見ている世界を共有出来るってのも、大きな理由の一つだった。
 他の誰も、オレの見る幽霊の存在をわからない。話を聞いた人間の中には、同情からだとしても信じる人はいたが、知った、わかった人はいなかった。
 普通は見えないから、仕方ないのだが。
 斉木さんが初めてなのだ、オレの見ている世界がちゃんとそこに「ある」というのを知った、わかった人は。

 

 不思議な引力を感じるし、幽霊たちの事を知ってもらえたのはとても嬉しく思うが、斉木さん…超能力者は面倒な奴だって嫌悪感は根強く残っていた。
 すごい力持ってんだから、ちょっとくらいオレに手を貸してくれても罰は当たらないだろうにと、恨みのようなものがくすぶっていた。
 正直言って、斉木さんの事は嫌い、だった。好きに思う部分もあるが、嫌いという感情を塗りつぶせるほどではなかった。
 それが崩れたのは、十一月のいつ頃だったか、放課後の事。

 

 

 

 その日斉木さんは日直で遅くまで残っていた。
 オレは当番じゃなかったが、早く帰ってもまた雑用押し付けられるからと、だんだんが減っていく教室に残って、隅っこで愛蔵本をめくっていた。
 呆れたり嫌悪されたりが大半だが、わかって乗ってくる者も少数ながらいた。そいつらと一緒になって、同じように鼻の下を伸ばして楽しんでいた。
 やがて時間も経ち、そいつらも一人また一人と帰っていき、とうとう自分だけになった。
 そろそろ帰るかとふと廊下を見ると、ちょうど斉木さんも帰宅するところだった。
「あ、斉木さーん」
 オレは同行しようと、呼びかけながら廊下に向かった。
 斉木さんは、うんざりした目でオレをちらっとだけ見て、また正面に戻した。
 そういうとこがさ…と思いながら顔には出さず、廊下に出た時、オレは何か小さく硬いものをつま先で蹴飛ばした。そんな感触があった。
 黒い何かがすーっと廊下を横切っていくのを見て、オレは反射的にアレだと思った。

「げぇ、ゴキブリ!」

 よく見れば誰かの落とした服のボダンなのはすぐわかったのだが、その時はアレに見えて、咄嗟にそう口走っていた。
 たちまち斉木さんがびくりと歩みを止めた。
 あ、この人、と思った次の瞬間。派手な音を立てて廊下の窓ガラスが割れた。
「あぶねっ……!」
 斉木さんのすぐ横の窓だったので、オレは咄嗟に腕を引いて下がらせた。
 これも、後から冷静に考えればバカな事で、超能力者がそんな事で怪我をするわけないだろと思うのだが、真っ青になって立ち尽くしているのを見たら、自然と身体が動いていた。
 それにしても今の行動は自分でも驚いた。このオレがこんな事、出来るんだねえ。可愛い女の子ならいざしらず、根っこで嫌いだと思ってる男相手に、こんなことを。
 自分の事ながら笑ってしまう。
 慌ててひっこめ、斉木さんの様子をうかがう。
 あらら。思った通り、斉木さんは虫に驚いてへたりこみ、顔面蒼白で教室の壁に寄りかかっていた。
 天下の超能力者サマにも、苦手なもんがあるんだな。
 考えてみれば、超能力がある以外は、同じ人間だったか。
 過剰に嫌いで包んでいた気持ちを、オレは見直してみようかとちょっとだけ思った。
「ただのボタンでした、すんません!」
 ぶっ飛ばされるのも覚悟の上で、オレは脇にしゃがんで頭を下げた。
 けれど斉木さんは、オレを睨むでもぶっ飛ばすでもなく、ただ大きく、安心したと息を吐いた。
 ほっとしたと少し微笑む横顔に、オレは目を奪われた。
 それからはっとなって窓を見上げる。
「窓ガラス…まずいっスね」
 あれ、アンタの仕業っスよね。
 廊下に散らばるガラスの破片を軽く指差す。
 驚いた拍子に近くのものを壊すとか、超能力者らしいな。
 すごいと思うし、まずいと思うし、きっと物音は一階まで響いて、残っている教師の耳にも届いただろう。
 さてどうしたものか。
 すると斉木さんは、オレの方をちらりと見やると、窓に向かって手をかざした。
 たちまちの内に窓は元通りになり、オレはただただ仰天した。
「すげー…っスね!」
 本物のアメージングに、すごいすごいと子供かってくらいはしゃいでしまった。
 近くまで行ってまじまじと窓ガラスを見つめる。

「アンタ、ほんとすごいっスね!」

 振り返ってそう声をかけると、斉木さんは何やら微妙な顔をしていた。驚いたような、戸惑っているような、そんな顔だ。
 あれ、何か変な物言いをしちまったかと、胸がひやりとした。
 何か声をかけるべきかとためらっているところへ、体育教師の松崎がやってきた。
 窓が割れた音がしたので、見に来たという。
 オレは出来るだけ自然に、すっとぼけた。
「え? そんな音したっスか?」
「うむ……何もないな。ところで鳥束、お前、斉木をいじめてるのか?」
 ただでさえおっかない顔をさらにしかめて、松崎は睨んできた。
「え、な、何スかそれ! そんなんするわけないっスよ!」
 心外だとオレは慌てて手を振った。だが、座り込んだ斉木さんとオレって構図は、どうやら傍目にはそう映るようだ。
「違います違います! そんな事ないですから! ねえ斉木さん! ね、ほら、一緒に帰るとこだったんスよ!」
 さあ帰りましょうとオレは急いで斉木さんの腕を引っ張り、立たせると、逃げるようにその場を去った。
 後ろで松崎がまだ何か叫んでいたが、耳に入らなかった。

 

 一階まで駆け下りたオレは、そこで斉木さんの腕を離し、額に浮かんだ嫌な汗を拭った。
「ひえ〜焦ったぁ」
『日ごろの行いのせいだな』
「ええ? そりゃねえっスよぉ」
 楽しげに笑う斉木さんに、オレは思い切り口をへの字に曲げた。その片隅で、この人こんな顔するのかと、驚いた。
 松崎に誤解されドキドキした分と、階段を駆け下りたドキドキの動悸が、ようやく鎮まってきた。
「斉木さんて、虫苦手なんスね」
 実は自分も苦手なので、似通ったところがある事がなんだか嬉しく感じた。
 そんな事を思っていると、斉木さんはあからさまに顔を歪めオレを見やってきた。
「何スかその顔、ひでえっス」
 そんな全身で嫌がらなくてもいいでしょうに。やっぱりやだな、この人。
 さっき、ちょっとでも可愛いなんて思ったのは勘違いだ。気の迷いだったな。
 自分にとって斉木さんは、苦手で嫌な相手なのに違いない。

 今にして思えば、この時にもう嫌いという感情は抜けていたのだ。

 そうでなければ、嫌いの部分が大きい人間相手にいつまでも付きまとうわけがない。
 超能力という魅力はそりゃ捨てがたいが、思い通りにならない事に見切りをつけ、離れていたはずだ。
 別の方法で自分の願望を叶えようと、それまでのように幽霊たちとよろしくやっていたはずだ。
 もしくは自力で超能力を会得しようとしたか。
 だのに斉木さんのそばから離れないのは、超能力という魅力よりも大きい、人となりが発する引力に惹きつけられていたからに他ならない。
 無敵であっても、好きなもの苦手なものがあり、驚いたり可笑しがったりといった感情がある、そういった人間の部分に惹きつけられたのだ。

 

 自覚の始まりは、ある時ふと気付いた自分の行動だった。
 誰に言われたわけでなく自分で思った事だが、しょっちゅう斉木さんとこ来てるよな、と思ったのがきっかけだった。
 そして自覚すると、過剰に意識するもので、また来てる、またまとわりついてると、自分で自分に驚くのだ。
 なんで嫌いな奴につきまとってんだろう、オレ。
 でも近くにいたいし、でも近付くと落ち着かないし、じゃあやめるかとなるとそれもつらいし、じゃあいつも通りというのも難しいし、なんだっていうんだ。
 これって、まさか。
 やがて寒い冬が終わり、春がやってきた。

 

 オレは毎朝しているように、斉木さんにおはようと挨拶する。
 その度に心がぽっと温かくなった。
 伸び行く新芽のように、オレの心に正体不明の何かが枝葉を広げていく。

 

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