花束
コスモス

早く治せよ

 

 

 

 

 

 ここのところ、周りで風邪が流行っていた。
 十月に入って急に寒くなったせいで身体が変化についてゆけず、熱を出したり咳が出たり、色々と症状が出ている。
 クラスの誰かが引けば別の誰かに移り、めぐりめぐって、ついにオレにも風邪の脅威が忍び寄ろうとしていた。
 もちろん予防には務めた。手洗いうがいは当然のこと、口に入れるものも気を使った。
 以前の…別の学校にいた頃のオレなら、移ろうがどうだろうがどうでもいいとほったらかしにしていただろう。
 でも今は違う、自分を気遣ってくれる誰かがいるから、その人を心配させない為に、人一倍気を使って過ごす事にした。
 これをそのまま伝えたらきっと、知った事かとそっぽを向かれるだろう。
 お前に興味なんてないと面倒そうに言われるだろう。
 そうやってよそを向きながら、ちゃんと目の端でオレを見てくれる人がいるから、風邪に負けて堪るかと、オレは精一杯抵抗した。
 とはいえ、あっちでくしゃみ、こっちで咳、そっちで熱を出されて囲まれては、限界がある。
 週末に近付くにつれ、段々と具合が悪くなっていってる気がした。
 いやいや、あくまで気のせいだ。万一気のせいでなかったとしても、せめて学校にいる間はカラ元気を押し通そう。今日一日頑張ればいいんだから、楽勝だ。

 

 そうやって乗り切って、土曜日になると同時にばっちり風邪の症状が出たオレは。部屋のベッドで養生していた。
 すでに風邪を引いた奴の情報によれば、あまり熱は出ない、鼻水がひどい、ちょっと咳が出る、というもので、諸々当てはまっていた。
 熱で怠くなる事がないのでそれほどしんどさは感じないが、ひたすら情けなくてうんざりした。
 あれだけ頑張ったのに結局風邪を引くなんて、合わせる顔がない。
(ひよわ…ひんじゃく……)
 せっかく夏を乗り切れたのに、結局風邪でダウンとか、きっと笑われる。
 笑われるならいいけど、心配させるのは嫌だ。
 うじうじめそめそしてもしょうがない、食べて、薬飲んで、早く治そう。
 そして元気になって、月曜日にまた顔を合わせよう。
 オレは拳を握り、布団をかぶった。

 

 夕方頃になると、大分風邪の症状も治まってきていた。
 朝の内はひどかった鼻水も気付けば引っ込んでいて、そろそろゴミ箱から溢れると気になっていたので、ほっとする。
(うわ……どんだけ鼻かんだんだよ、あれ)
(もしあれがアレだったら、どんだけやったんだよって感じだな)
 そんなくだらない事を考える余裕も出てきた事に、ちょっと嬉しくなる。
『本当にお前は下らないな』
「へへ……さーせん――うぉ!」
 笑って、謝って、驚いて、オレは部屋に突如現れた斉木さんに目をむいた。
『いい、起きるな、そのまま寝てろ』
 片手で制して、斉木さんはベッドサイドに立った。
 オレは恐縮しながらも言われた通り横になったまま、斉木さんを見上げた。
「……相変わらず、突然来ますね」
『お前、馬鹿の癖に、どこかのオッサン並みによく風邪引くな』
 誰の事か気になったが、それよりもオレは、気まずさの方が勝っていた。
 知られない内に治したかったが、結局斉木さんは何でも見通してしまうのだ。オレは恐る恐る顔色をうかがう。その目の前に、色とりどりの花が突き付けられた。
『見舞いだ』
「……え」
(これ……コスモスだ)
 綺麗な花束にまとめられた赤やピンクや白の可憐な花にしばし見惚れ、オレはほっと息を吐いた。
「わざわざ、ありがとうございます」
『春のお返しだ』
 どこかそわそわした様子で斉木さが言う。照れくささを滲ませる仕草が可愛くて、そして何より嬉しくて、胸がじいんと熱くなる。
 今にして思えばあの行動は随分短絡的で浅はかで、自分でも恥ずかしくなってしまうが、こうして少しは斉木さんに響いたかと思うと、消したい記憶だと汗を滲ませる一方で、いくらかのおごりもあった。
『うちの庭で咲いたものだ。母に言って、少し貰ってきた』
「えぇっ」
『母さんも心配していたぞ。まったく、鳥束の分際で心配させるとは生意気だな』
「……えぇ」
 そこまで言われるのかと、オレは今しがた湧いた感謝や諸々が揺らぐようであった。
 いや、やっぱり嬉しい。すごくすごく嬉しくなって、オレは満面の笑みを浮かべた。
「毎度すんません…斉木さん。あの、ママさんに大丈夫ですって言って下さい」
『ああ、わかった。並べて置いていいか』
 斉木さんは、花束と一緒に持ってきた花器を手にテーブルを振り返り、空き瓶に生けてある花…ダリアを指差した。
「ええ、一緒にあると、嬉しいです」
 それは、昨日自分で花屋に寄って買ったものだ。
 花を飾って気分を盛り上げたら元気になるかと思い、店頭で見かけた安価な一束を買い求め、テーブルに置いたのだ。
 だが結局ダメで、こうして寝てるのだが。
「朝はひどかったっスけど、今は大分ラクになりましたよ」
『知ってる。だから来たんだ』
 そう言って、斉木さんは軽く自分の目を指差した。
 そっか、千里眼で視て…それで大丈夫だと思ったから来てくれたのだと知り、オレは胸が一杯になった。
 そこではたと冷静になる。
「……ずっと視てたんスか?」
『ああ。お前が高熱で奇行に走って、学校に迷惑かけないか心配でな』
「ひでぇ!」
『まったく、面倒極まりないな。いっそころっといってくれたらいいのに』
 大きなため息とともに云われ、オレは更にショックを受ける。
『そうだ、お前が昼間にぴーぴー情けなく泣いてたところも、ばっちり視たぞ』
「!…もうやだこの超能力者!」
 そういうのは、わかっていても秘密にしておくのが、人情ってもんでしょうが!
 オレは恥ずかしさのあまり両手で顔を隠した。
『だから言ったろ、春のお返しだって』
 ああ、そうでしたねえ!
 とても嬉しそうな斉木さんの声に、オレはますます顔を赤くさせた。
『まあ、快方に向かっているようでなによりだ』
 散々衝撃与えた後にそんな事言ったって、遅いっスよ。
「もう……斉木さんなんか知らねっス」
『そう拗ねるな』
 機嫌を直せと手が重ねられる。
 優しい体温に、全身が一気に熱くなった。
 心細い時に誰かの体温というのは何よりも心に染みるもので、それが恋人のものなら尚更だ。
 オレはゆっくり手をどけ、睨むように斉木さんを見やった。
「……じゃあ斉木さん、ちょっとオレの上乗ってくれませんかね」
 今は自分で動くのしんどいんで。
「……あああ! 病人には優しくして!」
 顔を鷲掴みにされ、心臓が跳ね上がる。
 調子に乗ったオレに即座に下った罰に、オレは泣き叫んだ。
「斉木さん、どうかお慈悲を! 病人なんで!」
『病人なら大人しくしてろ』
「……すんません!」
 力は抜けたが、まだ手は顔面に貼り付いたままだった。いつまた力がこめられるかと、動悸が収まらない。
 オレはびくびくしながら様子をうかがった。
 ひどいっスよ斉木さん。ずっと視てたっていうなら、オレがどんだけ斉木さんを想ってたかわかるはずでしょうに。
 一日ほぼずっと想ってきて、そこに本人が現れたらこうなる事くらい、視てたアンタならわかるはずでしょうに。
 それをしれっとへし折るんだから、本当にひどい、ひどすぎる。
『まったく、病人の癖に喧しいな』
「……そうは言ったってぇ」
『気持ち悪い声を出すな』
「……さーせん」
 そこでようやく、顔を覆っていた手がどけられた。しかしすぐにまた影がかかり、今度はなんだと身構えると同時に、唇に柔らかいものが触れてきた。
 数秒して離れてからやっと、キスされたのだと気付いた。
 オレは、少しぼやける視界で間近の斉木さんを見つめた。
 斉木さんも同じようにオレを見ていた。
『早く治せよ』
「……はい」
 オレの返事に満足げに頷いて、斉木さんは帰っていった。
 その姿が消える寸前、笑ったように思え、見間違いかもしれないけど嬉しくて、オレはだらしなく顔を緩ませた。
 一番の特効薬もらったから、もう大丈夫っス。

 

 ありがと斉木さん…ちょっと意地悪で、すごく優しくて、アンタ本当に最高だよ。
 嬉しくて嬉しくてたまらない。
 オレの事心配してくれるのも、いつも通りの斉木さんなことも。
 よし、早く治すぞ。
 早く治して、斉木さんと思い切りやりまくるぞ。

 

 

 斉木さんが聞いているのを前提に、オレは全力で思いを込めた。
 今頃きっと、部屋で呆れ返ってるに違いない。やれやれってため息ついてる姿が目に浮かぶようだ。
 オレはにやにや笑いながら、斉木さんが持ってきてくれた花と、自分で買った花を眺め、あの人の残り香を胸一杯に吸い込んだ。

 

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