花束
秋海棠
夏の斉木さんはやっぱり優しいです。
適度な運動、適度な発汗、早寝早起き三度の食事、規則正しい生活。

思いの外重たい

 

 

 

 

 

「もうすぐ夏休みっスね」
 みんな大好き夏休み。
 食堂の中ほどの席に陣取ったオレは、向かいに座る斉木さんにそう声をかけ、腰かけた。
 夏休みになったら、斉木さんと何をしようかな…それを考えると脳内が花畑になる。
 何をしよう、どこへ行こう、どんだけやろう、いっそ毎日?
 だらしなく顔を緩ませてオレは笑った。
 そんなオレを無視して、いっそ他人のフリをして、斉木さんはカレーうどんを器用に啜っていた。魅惑の匂いに、オレも同じものにすればよかったとちらりと思う。けど、あんなに綺麗に食べられる自信はないので、大人しく野菜炒め定食で満足する。
 夏場だからか、ちょっとしょっぱめの味付けが美味い。食堂のおばちゃんたち、わかってるなあ。感謝しながら白飯をかき込む。
 実はもう、斉木さんとしたい事の一つは決まっている。
 昨日の帰り、商店街の雑貨店で見つけたのだ。
 花火を。
 大きなパックに詰められた様々な手持ち花火、定番の線香花火、もれなく詰まった花火セットを見た瞬間、これだと思った。
 即座に買い求め、オレは大喜びで家に持ち帰った。
 さてここからが難関だ。
 斉木さん、夏休みは白紙にこだわるからなあ。果たしてどんな断り文句をもらうか、それをどうやって突破するか、オレは戦々恐々としながら口を開いた。
『いいぞ』
 オレが何か言う前に、斉木さんは了承した。快諾だ。だものだから、オレは一瞬何をいいと言っているのか理解出来ないほどだった。
「ホントっスか!」
 遅れてやってきた喜びに、オレは両手を力強く握りしめた。
『ただし条件がある』
 あ……うん、そうっスよね、斉木さん相手に一筋縄ではいかないっスよね。
 そう思うなんて甘いっスよね。
 楽しげに笑う斉木さんに、オレはごくりと唾を飲み込んだ。

 

 夏休み初日、オレはいつも学校に通う時間とほぼ同じ時間に家を出て、斉木さんちに向かった。
 この時間からもう太陽は元気一杯で、力強く日差しを浴びせてきた。
 オレは、肩にかけた鞄の重みに負けそうになりながら一歩また一歩と進み、やっとの思いで斉木さんちにたどり着いた。
 迎えてくれた斉木さんの顔に、道中の苦労が少し和らいだ。
『そこまでの距離じゃないだろ』
 冷めた声で中に招かれ、オレは少し頬を膨らませた。
「あら鳥束君いらっしゃい!」
「お邪魔します」
 リビングから顔をのぞかせたママさんに頭を下げ、オレは斉木さんについて二階に上がった。
 部屋に入ったところで、持ってきたものを出せと要求される。
 オレは素直に、まず、件の花火セットを取りT出した。
 斉木さんはそれを速やかに机の引き出しに没収すると、肝心のものを出せとテーブルを指差した。
 オレの鞄を重くさせていた夏季課題を全て取り出し、テーブルに積み上げる。
 あの日斉木さんが出した条件とは、これだった。
 課題が全て済んだら花火をやろう、という交換条件だった。
 そんなの、オレの頭じゃ一日で終わりっこないと、その場で抗議した。対して斉木さんは、なら終わるまで何日でも通ってもらうと返してきた。
 宣言にオレは目の前が真っ暗になった。

 

 こうしてオレの地獄は始まった。
 いやまあ、地獄は言い過ぎか。しかし、夏休みだからとだらだら過ごせると思っていたのに、結局普段と変わらない生活が続くのは中々につらいものがある。
 だらけられると思っていたところに、規則正しい生活の継続を強制され、気持ちが余計ガッカリしてしまったのだ。
 しかも、課題なんて休みも終わりの切羽詰まった頃にやればいいやと頭の片隅に追いやったものを無理やり前面に引っ張り出され、ガッカリの上にガックリだ。
 毎日斉木さんちに通える、毎日会える…この上ない天国だが、待っているのがオレの大嫌いで苦手な勉強という地獄では、プラスマイナスどっちだ? て感じだ。
 課題さえなければ、なければ……。
『よし、じゃ始めろ』
 斉木さんは椅子に座ってオレを見下ろし、開始を言い渡した。大きなため息の後、渋々と問題集を開く。
 勉強のお供は、来た時に渡された冷えてないスポーツ飲料。ないよりはましだけど、なんだっていつも冷えてないんだ。
 そしてなんスか斉木さん、自分だけよく冷えたコーヒーゼリーとかそれ何なんスか。
 しかも見せびらかしながらうっとりモニュモニュって…ひでぇ!
「てか斉木さん、アンタ自分の課題は?」
 さすがのオレも怒りますわ。
 っち。
 楽しいスイーツタイムを邪魔された恨みか、斉木さんはいつもより数倍険悪な顔で舌打ちすると、便器にこびりついた汚物を見る目でオレを見やり、面倒くさそうに机の隅を指差した。
 オレは圧倒されながらも、伸び上がってそれを見た。机の端に積み上げられた問題集の山に、顔を斜めに傾ける。
「でか出来てるの? え、もう終わってるんスか?」
 半信半疑で問う。そんなバカな。いくら斉木さんとはいえ、まさかそんなはずは…あった。
 大きなため息の後、適当に開いたページを突き付けられ、オレは盛大にショックを受けた。それから顔を輝かせた。
「じゃあ――ぶふぅっ!」
 じゃあ写させてくれと言い終える前に、オレの思考を読み取った斉木さんが先んじて問題集でオレの顔をはたく。左から右へ突き抜けた衝撃に頭をクラクラさせながら、オレは呻いた。
 気が付くと、すぐ目の前に斉木さんが立っていた。オレに片手を伸ばし、ぎゅうっと顔を掴むと、じわじわ力を込めながら言った。
『これ以上無駄口叩いて、干からびるまで炎天下に吊るされるのと、静かに大人しく課題をやるのと、どっちがいい?』
「課題をやりまふ……」
 オレは不自由な口をもごもご動かして応えた。たちまち斉木さんはとてもエエ顔になって、椅子に座りコーヒーゼリーを食べ始めた。
 何この仕打ち…すぐ手の届くところにいるのに触れるのもままならない、口を利くのもままならないって、これほどの地獄があるだろうか。

 

 でも悪い事ばかりでもなかった。
 おやつ休憩と昼休憩がそれだ。
 斉木さんが、渋々と、断腸の思いといった顔で渡してくるコーヒーゼリーをおやつにもらい。昼は、ママさん特製ランチをご馳走になった。
 ママさんがいる日は三人で食卓を囲み、いない日は二人で、作り置きのおかずを温めて食べた。
 原則一切の手出し厳禁だったが、家に二人の時は斉木さんも比較的緩めてくれて、キスまでは許してくれた。
 ほとんどがオレからだったが、斉木さんがしてくれる事もあった。
 お前の真面目ぶった顔を見ていると腹が立つんだ、なんて殺伐とした事を口にしながら、背中に回してくる手はとても優しかったりして、なんだか笑ってしまった。

 

 そして今日もオレは斉木さんちに向かう。

 

 そうやって毎日過ごして、一週間が過ぎようとしていた。
 永遠に終わらないのではと思われた夏季課題も、無我夢中で突き進める内気付けばゴールは目前に迫っていた。
 オレはキツネにつままれた気分だった。
 本当に、このオレがこんなに早く課題を終わらせる事が出来たのかと、信じられない気持ちで一杯だ。
『まだ終わってないぞ。まあ、あとほんの少しだがな』
「そうっスよね、あと少しなんスよね!」
 オレはやや興奮気味に声を張り上げた。
 毎日、朝に斉木さんちにお邪魔して、昼過ぎまで課題をやって、帰って飯食って寝て起きてまた朝、斉木さんちにお邪魔して…この一週間を振り返り、オレは震えが止まらなかった。
 そこではっと冷静になる。
 当たり前のように、斉木さんちでお昼をご馳走になっていた事に今更ながら思い至り、息が詰まるようであった。
 オレは、夏季課題に少しむくれた気持ちになって、手土産とかまるで頭になかったのだ。ただひたすら花火がやりたい一心で、気遣いを欠いていた。
 気付いた途端、なんて無礼者だと冷汗が滲んだ。
『そんなもの、いくらでも挽回出来る。今は目の前の事に集中しろ』
「はい、斉木さん……すみません」
 かくなる上は、身体でお詫びするっス!
『いらん』
 ひでぇ…またまた、斉木さんだって一週間もご無沙汰だったんだから、アレがナニしてるはずでしょうに。
 遠慮はいらないっスよ。
 これが片付いた暁には、あれしてこれしてそれして……。
 うんと張り切らないとなあ、なんせ斉木さんは……
 そんな妄想に耽っていると、オレの身体に影が圧し掛かった。たちまちオレは凍り付き、恐る恐る顔を上げた。
「待って……!」
(待って斉木さん、まだ! まだ禁句には触れてないから!)
 だからどうか勘弁してくださいと心の中で必死に唱えながら、オレのすぐ傍に仁王立ちになる斉木さんの顔を見上げる。
『僕の顔色をうかがう暇があったら、手を動かせ』
「はい、すんません!」
 オレは叫ぶように応え、部屋から出ていく斉木さんを目の端で見送った。
 ひとまず助かった。
 更に延命するには、斉木さんが戻ってくる前に課題を終わらせる事だ。
 オレは早鐘のように打つ臓をどうにか宥め、最後の問題に取り掛かった。
 それが終わる頃、まるで見計らったように斉木さんからテレパシーが飛んできた。
 昼だから降りてこいという呼びかけに、オレは部屋を後にした。

 

 斉木さんママさんからしたら、悪い友達みたいなものだよな…毎日のように入り浸って、当たり前の顔して昼を集って帰っていくなんて。
 合わせる顔がないなあとリビングに入れず戸口の陰で小さくなっていると、さっさとしろと斉木さんが急かしてきた。
 仕方なく、おずおずとテーブルに向かう。さてどうやって謝罪を切り出そうかと思い悩む間もなく、斉木さんを通じてママさんに筒抜けになる。
 もー、これだから超能力者は!
 そんなの気にする事ないのよ、なんて明るい声で言われて、顔から火が出そうになった。
「それより、課題が済んで良かったじゃない。ああでも、明日からはもう来ないのよね…寂しいわ」
 ママさんは、喜んで、それからがっかりした顔になって、お昼作る張り合いがなくなっちゃうわと、少し寂しそうに呟いた。
 それを聞いて、オレは申し訳なく思いながらも、嬉しくなってしまうのを止められなかった。
「またいつでも来てね、さ、食べましょ。座って」
 オレはぺこぺこ頭を下げつつ、この一週間でいつもの場所となった位置に腰を下ろした。
「そのお茶碗も、しばらく見納めね」
 ママさんに言われ、オレの目は自分の前に置かれた飯椀に向いた。ご飯茶碗というにはちょっと大きく、丼というにはちょっと小さい、とても持ちやすい綺麗な陶器。
 それね、とママさんが切り出した時、斉木さんの目が大きく揺らぐのを、オレは見逃さなかった。
「鳥束君が来る前に、くーちゃんがわざわざ見つけて買ってきたものなのよ」
 説明を聞いて、何故斉木さんが動揺したのかがわかった。
 一週間目にして知る事実に、オレは多大なショックを受けた。
 茶碗をそっと持ち上げ、それから斉木さんに目をやる。あたふたした様子はないが、目を合わせないようそっぽを向いているのが、なんともおかしかった。
『客用茶碗なんて、お前にはもったいないからな。そこらの店で適当に選んだ、安物だ』
 ふうんと思いながら、オレは今一度じっくりと茶碗を眺めた。花柄模様なのだが、白地に藍色で色付けされているのでうるさくもないし、ファンシーでもない。男の自分が使っても、おかしいと感じない素朴で落ち着いたデザインだ。
 嬉しくてにやにやしてしまう顔を一生懸命引き締めながら、これはなんの花なのだろうと首をひねる。
「ちょっと見た事ないお花でしょう? でもね、お茶碗の入っていた箱に書いてあったから、後で確認するわね」
 ふうん、斉木さん、そこらの店で適当に選んだものですか。
 自分専用の、この家で使われる自分だけの茶碗に、オレは胸が熱くなる。
「じゃ、いただきます」
 ママさんの号令で、オレは手を合わせた。斉木さんも同じくだが、相変わらず目はよそを見たままだ。
 色々聞きたい事はあったが、今はお昼をいただく方に意識を向ける。向けたかった。事実、ママさんの料理は美味しくて、オレは感心したり魅了されたり大忙し…なのだが、今は、斉木さんへ向かう愛おしさがたくさん溢れて、頭の中がごちゃごちゃしてしまっていた。
 オレから駄々洩れになる思考の奔流は全部斉木さんに流れ着いていると思うけど、当の本人は素知らぬ顔で、昼を進めていた。
 そんなところもたまらなく愛しくて、もうオレは泣きそうだった。

 

 食後、オレは洗い物を買って出た。この一週間分にはまるで足りないが、是非やらせてほしいと願い出る。
 ママさんは、助かるわと顔を輝かせて任せてくれた。優しい人だとあらためて実感する。こんなに優しいから、その息子も、あんなに優しいのだろう。生まれ持った能力のせいでちょっとひねくれて、それでもまっすぐに優しくて、わかりにくいけどだからわかりやすくて、愛さずにいられない人。
 後片付けが済んだところで、ママさんは先程言った茶碗の箱を探して持ってきてくれた。
 それを見た途端オレは泣きたい気持ちがぶり返し、困ってしまった。
 こんなしっかりした箱に入っているもののどこが、そこらの安物なんですか、斉木さん。
 ぐっと奥歯を噛みしめる。
 ママさんが、箱の隅角に貼られたシールの文字を読み上げる。
「そうそう、そのお花、秋海棠って言うのよ」
「シュウカイドウ……」
 茶花としてもよく使われるから馴染みはあるが、絵に起こすとこういう風になるのか。
 オレは目に焼き付けるようにしてじっくり眺め、そこに込められた斉木さんなりの愛情にただただ感謝した。
 肝心の斉木さんは、すでにリビングから姿を消していた。
 オレはママさんに頭を下げ、斉木さんを追って二階に駆け上がった。

 

 駆けてきた勢いのままばーんと開け放ちたいのをぐっとこらえて静かに押し開き、部屋に踏み入る。
 斉木さんは、特に気取るでもなく気まずくするでもなく、ごく普通に、椅子に座っていた。
『やっと面倒ごとから解放されるな』
 やれやれとため息をつく。
 その姿を見た途端、喉元まで出かかっていたたくさんの感謝の気持ちは極限まで膨れ上がって、詰まって、逆に出てこなくなってしまった。
 伝えたい事は山のようにあるのに、なんでこういう時って口は動かないのだろうな。
 じゃあもう、行動で示すしかないじゃないか。
 オレは弾かれたように斉木さんに駆け寄って、ぶつかるように抱き着いて、力一杯抱きしめた。
 ああダメだ、頭の中が全然まとまらない。
 茶碗の事、課題の事、花火の事、おやつに美味しいお昼ご飯、毎日通わされた意味、それらが我先にと競って頭に浮かび、まったく取り留めがない。
『少し落ち着け、こっちまで頭が痛くなる』
「すんません!」
 即座に謝る。
 そりゃそうだ、思い浮かべるオレでも混乱の極みでは、受け取る斉木さんだって頭痛がするのは当然だ。
 でも、嬉しくてありがたくて泣きたくてどうしようもなくて、当分気持ちは収まりそうにない。
 斉木さんへの感謝は鎮まりそうにもない。
『わかったから、落ち着け。大丈夫だから』
 うんざりしたように云いながら、斉木さんが優しく抱きしめてくる。
 なんだよ、オレをこんなにしておいて自分だけ冷静ぶって、そんなのずるいっスよ斉木さん。
『冷静なものか』
「……えっ」
 オレは反射的に身体を離した。離そうとした。寸前で斉木さんに阻まれ、叶わなかった。
 冷静じゃないならなんだ、どうなっているんだ。それを確かめたいのに、斉木さんは閉じ込めるように腕の力を増して、オレを離さなかった。
 あ…ダメだ斉木さん、こんなに近くされたら、したくてたまらなくなってしまう。
 当然ふざけるなと怒られる。ママさんが下にいるのに、盛って済みません。でも、でも――!
「じゃあせめて、キスしたい」
 斉木さん、せめてキスだけでも。
 頭の中で一心に願っていると、少し腕の力が弱まった。オレは一気に振りほどいて、斉木さんの肩に掴まり間近に顔を見た。
 また目を逸らされるかと思ったが、予想に反して、まっすぐオレを見ていた。その顔は少し赤くなっていて、多分オレも同じだったと思う。
「あの……ありがとうございます」
 オレはぺこりと頭を下げた。
『急にあらたまるな、気持ち悪い』
「な…ひどいっス」
 ちゃんとお礼を言いたいのに、照れくさいからってそんな挫かなくてもいいじゃないっスか。
『散々聞いたからもういらん』
 でも、まだ言い足りない。そう思って口を開くと同時に唇を塞がれ、オレの思考は千々に乱れ飛んだ。
 嬉しい、可愛い、楽しい、愛しい。
 頭の中にたくさんの熱が咲き乱れ、まっすぐに斉木さんに向かっていく。オレの手向ける熱で斉木さんが押し潰されてしまわないか心配になっていると、鼻先で笑われた。
『お前こそ、このくらいで泣くなんてだらしないな』
 こんな程度で泣いてたら、この先もたないぞ。
 渡されたひと言は思いの外重たくて、オレの負けん気を刺激した。
 でもきっと、オレはまだまだこの人に届かない。
 この人の寄越す愛情にはかなわない。
 だから、これからもずっとこの人を愛そうと決意を固める。

 

「花火、今夜してもいいっスか?」
『そのつもりだ』
 斉木さんは机の一番下の引き出しにしまっていた花火セットを取り出し、オレに差し出した。初日に没収されたものだ。オレは上機嫌で受け取り、床に座り込んでじっくり眺める。
 やっと斉木さんと花火が出来るっスよ!
 ああ、長かったなあ。
「じゃあ、一旦帰って、夕飯済ませてから来ますね」
 わかったと応じる斉木さんと細かく時間の打ち合わせをして、オレは帰る支度を始めた。
「じゃあ、それまで預かっといてください」
 また、花火を託す。その時斉木さんが何か考え込む目をしたので、オレはもしやと思って釘を刺した。
「うっかり燃やしちゃったりとか、しないでくださいよ」
『っち』
 何故わかったと舌打ちされ、オレは怒りたいやら笑いたいやら、困ってしまった。

 

 この一週間を振り返る。思い出すのは、地獄のような課題ではなく、朝に玄関先で斉木さんと交わす挨拶とか、昼時のほのぼのとした空気とか、休憩時のちょっとしたやり取りだった。
 きりのいいところまでで今日の分を終えて帰る時は、ちょっと寂しかったなあとか、明日が待ち遠しいなあとか、楽しかったりちょっと切なかったり、どれをとってもちっとも地獄じゃなかった。
 短かったなあ。
 今日で終わってしまうのか。
 花火を楽しんだら、当分お別れか。
「ちょっと寂しいっスね」
『どうせ何だかんだ理由をつけて、遊びに来るつもりだろ』
 やれやれだと、斉木さんは天井を見上げた。
 なんだ、やっぱりお見通しか。
 アンタって、本当に――。
「夏休み、うんと楽しみましょうね、斉木さん」
 満面の笑みを向けるオレに、斉木さんはちょっと笑って軽く肩を竦めた。
 そんなささやかな仕草が本当にたまらなくて、オレは立ち上がってもう一度斉木さんにキスをした。

 

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